2026年2月26日木曜日
『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(7)
2026年2月25日水曜日
『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(6)
謡曲の山姥は、妄執を逃れられない苦しさを訴える一方で「善悪不二」「邪正一如」「煩悩即菩提」といった禅の思想(先のあらすじによれば、仏法の深淵な哲理)を説いた。この主題も坂東眞砂子の『山姥』は取り込んでいる・・・と書き、東北南部の雪山遠征にでかけた。
旅先で『わたしの唐詩選』(中野孝次著・文春文庫)を読んでいたら、次の一文にぶつかった。唐代の詩人である柳宗元の詩について触れたもの。
「彼は一瞬の中に永遠を感じ、小景の中に宇宙を観る、そういう禅的な感性の人だったように見えるのだ。」
「善悪不二」「邪正一如」「煩悩即菩提」といわれるとピンとこなかったが、これなら分かるような気がする。禅とはある種、弁証法ではないだろうか。
弁証法とは、対立する二つの命題を、矛盾を抱えたままより高い次元で統合・解決し、真理に近づく思考法。古代ギリシアの問答法に起源を持ち、ヘーゲルが大成したもので、ビジネスにおけるジレンマ解決や矛盾を抱える問題の深化・発展プロセスとして活用されている(AIくんの解説)。
「一瞬の中に永遠を感じ、小景の中に宇宙を観る」といわれて思い浮かべるのは、ウイリアム・ブレイクの『無垢の予兆』である。
一粒の砂に世界を見、
一輪の野の花に天を見る。
汝の掌に無限を捉え、
一時の中に永遠を見よ。
ブレイクは意外と仏教思想・禅の影響をうけていたのかもしれない。
このような思想は禅の独創ともいえないのかもしれない。というのも井上靖『天平の甍』の訳注のなかに、次のような注があるから。
「華厳」とは、釈迦成道後はじめての説法を録した華厳経を所依として建てた宗派のこと。世界を太陽の顕現であるとして、かすかな塵の中に全世界を映し、また一瞬の中にも永遠を含むという一即一切、一切一即の世界観が根本教理である。
『すばらしい新世界』の著者オルダス・ハクスリー。かれはエッセイ集『知覚の扉』のエピグラフにブレイクの言葉を引用している。「知覚の扉が清められたなら、物事はありのままに、無限に見える」(『天国と地獄の結婚』から)と。
小川洋子の小説『博士の愛した数式』。第1回本屋大賞受賞。美しい数式の世界を中心に、記憶が80分しか続かない数学者と母子の交流を描く。映画化され、その最後にも、ブレイクの詩は引用されていた。
高浜虚子も『俳句の作りよう』のなかで、こう述べている。
近来俳句についての拘束を打破してかかることを主張するものでありますが・・・私は十七字、季題という拘束を喜んで俳句の天地におるものであります。・・・狭いはずの十七字の天地が案外狭くなくなって、仏者が芥子粒の中に三千大千世界を見出すようになるのであります。
『山姥』も中野孝次も柳宗元も禅宗も弁証法も井上靖も華厳経もハクスリーも小川洋子も高浜虚子も知らなくてもかまわない。これは知っているだろう。中島みゆきの『地上の星』。
♪風のなかのすばる 砂のなかの銀河・・・
2026年2月16日月曜日
『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(5)
越中・越後の国境、境川。そこが人界と魔界の境でもある。そこから先は山姥が出現してもおかしくない異界をなしているということである。
越中から越後へ、境川の遡らないで、海沿いに行くと市振(いちぶり)がある。市振の先は昨年11月に訪ねた親不知である。『おくのほそ道』を引用しよう。芭蕉は越後から越中へむかっている。
今日は親知らず・子知らず・犬戻り・駒返しなどという北国一の難所を越えて疲れはべれば、枕引き寄せて寝たるに、一間隔てて面のかたに、若き女の声、ふたりばかりと聞こゆ、年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、越後の国新潟といふ所の遊女なりし・・・。
芭蕉に同道した曽良の旅日記によれば、市振の宿でこのようなことはなかったようである。つまり、この部分は芭蕉の創作である。
芭蕉も坂東眞砂子も意識していなかったかもしれないが、越後の山中、遊女、山姥が共鳴しあっている。国はずれ、国ざかいは人の支配が行き届かず、遊女や山姥といったマージナルな存在が行きかう世界だったわけである。
新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』。東京四谷の男子高校生と飛騨の山深い糸守町の女子高校生が入れ替わることから物語がスタートする。2人が生きている世界には3年のタイムラグがあるため直接会話ができない。
しかし終盤のたそがれ(誰ぞ彼、糸守の方言でカタワレ)時、ご神体の外側をめぐる外輪山で、2人は互いの姿が見え、入れ替わりが元に戻り、はじめて2人は時を超えて会話をすることができる。とても印象深いシーン。超常現象・奇跡はマージナルな時間、マージナルな場所で起きるのである。
板東版『山姥』のワキ主人公である凉之助。東京から招かれ、不毛の肉体を持て余す美貌の役者である。凉之助はふたなり。ふたなりとは、一つのものが二つの形状をもつことをいい、特に一人で男性と女性の性器を兼ねそなえた、いわゆる両性具有をさす。
その凉之助と、雪に閉ざされた村の暮らしに倦いている地主の嫁・てる。二人の密通が序曲となり、悲劇の幕が開いたー。
謡曲の山姥は、妄執を逃れられない苦しさを訴える一方で「善悪不二」「邪正一如」「煩悩即菩提」といった禅の思想(先のあらすじによれば、仏法の深淵な哲理)を説いた。この主題も坂東眞砂子の『山姥』は取り込んでいる。
『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(4)
「・・・青く澄んだ空の縁を切り取る白銀の山嶺。白い斜面に荒い刷毛で撫ぜたような墨色の線を描いているのは、葉を落とした木々の影。・・・よく晴れているおかげで、遠くの山まで見晴らせた。南の山々の向こうにちょこんと飛びでているのは駒ヶ岳、北のほうで狼の歯のようにぎざぎざした山頂を聳えさせているのは、狼吠山だ。狼吠山から流れてくる童子川は氷りつき、知っている者でないと、どこを流れているかわかりはしない。一年も、この季節ともなると、妙の住む明夜村の家々はすっぽりと雪に埋まり、・・・」(上巻13頁)。
越後駒ヶ岳には3度登ったことがある。標高2003mの日本百名山。八海山、中ノ岳とともに越後三山を構成し、どっしりとした山容。豪雪地帯にある山であるから、遅くまで雪が残り、高山植物が咲き乱れるときは別天地である。大好きな山である。
越後三山の西麓はあの魚沼である。コシヒカリで有名な。豪雪は二義的。厳しくつらい冬ももたらすが、おいしい雪解け水、おいしい米ももたらす。さらに八海山というお酒をご存知のかたも多かろう。おいしい水とおいしい米はおいしいお酒ももたらすのである。
駒ヶ岳に登るときは、いつも北麓にある駒ノ湯温泉を登山口としているので、北嶺の地理には比較的あかるい。小説を読みながら、あのへんかな、このへんかなと考える。駒ヶ岳の東麓には銀山平という鉱山跡もある。
しかしながら狼吠山という山は実際にはない。作者の創作である。狼吠山という名前、ぎざぎざした山頂、山岳信仰の山であること、東峰と西峰があることなどからすれば、モデルは秩父(埼玉)にある両神山かと思う。
両神山も百名山。やはり山岳信仰の山であるし、山中、山麓の神社では、狛犬のかわりに狼の石像が鎮座している。山頂もぎざぎざしている。
狼吠山のモデルが両神山だとすると、坂東眞砂子はかなり山に登っているはずだ。あるいは、取材するなかで、山に詳しい人物に出会ったか。
大学の部活の友だちがライングループにアップしていた写真。かれは両神山のふもとに住んでいる。山好きのDNAは健在である。両神山のむこうに日が沈み、西の空が美しくやけている。たしかに山頂はぎざぎざしている。狼や神が跋扈していてもおかしくない神々しい姿である。
2026年2月15日日曜日
『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(3)
2026年2月12日木曜日
『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(2)
板東真佐子は1958年3月30日生まれであるから、われわれと同年代、自分より半年だけ年長である。
高知県出身。高知県出身の小説家といえば、宮尾登美子。『櫂』で注目されて以来、緻密な構成と、時代に翻弄されながらも逞しく生きる女性を描いた作風で多くの読者に支持された。高知の花柳界で育った体験を生かした自伝的作品のほか、芸道物、歴史物のモデル小説に優れるとされる(ウィキ)。『山姥』が宮尾作品の影響を受けていることは間違いないだろう。
高知県出身者といえば、いずれもNHK朝ドラ主人公のモデルである牧野富太郎博士(植物学者)ややなせたかし(漫画家)もいるが、彼らの影響を受けていることは感じられない。
坂東眞砂子は奈良女子大出身。小説家としては異色なことに学部は家政学部住居学科である。その後イタリアに留学し、ミラノ工科大学等でイタリアデザインを学んでいる(ウィキ)。
ジブリアニメ『耳をすませば』で、読書好きの主人公の中三女子・雫が知り合ったやはり読書好きの青年・聖司はヴァイオリン職人になるためイタリアのクレモーナに留学してしまう。映画をみたときは唐突な感じがしたが、自分の世界観が狭かっただけなのかもしれない。
いまどきはビジネスでさえ基本にはデザインが必要とされているので、『山姥』の構成や細部の描写に、イタリアで培ったデザインセンスが生きているといわれれば(誰も言っていないかもしれないが)、それはそのような気がする。
帰国後は、フリーライターを経て、寺村輝夫の主催する童話作家育成雑誌『のん』で認められ、児童向けファンタジー小説で作家としてデビュー。ホラー小説と呼ばれるジャンルの作品も多いが、「死」と「性」を主題とした作品が特徴である(ウィキ)。
寺村輝夫は、『王さまシリーズ』『こまったさん』『わかったさん』の各シリーズ、『かいぞくポケット』など、子どもたちが小さいころ世話になった。少なくとも、『山姥』に寺村輝夫の影響は感じられない。前日に書いた『うまかたやまんば』や『くわずにょうぼう』などを通じた間接的なものは知らないが。
1996年に本作で直木賞を受賞している。ちょうど30年前である。30年前といえば坂東眞砂子は37歳になっていただろうか(当職は36歳)。37歳当時の自身と引き比べ、30代で直木賞を受賞するとはすごい。
当時、本屋で平積みになっていた記憶はある。だが、弁護士として多忙であった時期であるせいか購入には至らなかった。なにごとも出会い、本とも出会いである。
著者は残念ながら2014年1月佐川町で没している。55歳の若さ。舌癌だったようだ(ウィキ)。若い人たちにはどうということのない話だ。だが、ほぼ同い年の筆者にとっては他人ごととは思えぬ話である。
こんかい『山姥(上・下)』はAmazonを通じて古本を購入した。新刊の在庫がなかったからである。これほど面白い本で、かつ直木賞受賞作にして、30年で新刊の在庫がなくなるとは寂しいかぎりである。
2026年2月11日水曜日
『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(1)
ネタバレになると困るけれども、ブックカバーの裏にある紹介文の引用であれば許されるであろう。
「明治末期、文明開化の波も遠い越後の山里。小正月と山神への奉納芝居の準備で活気づく村に、東京から旅芸人が招かれる。不毛の肉体を持て余す美貌の役者・凉之助と、雪に閉ざされた村の暮らしに倦いている地主の嫁・てる。二人の密通が序曲となり、悲劇の幕が開いたー人間の業が生みだす壮絶な運命を未曾有の濃密さで描き、伝奇小説の枠を破った直木賞受賞作。」
この紹介文を読んだだけでは、誰が、なぜ、「山姥」なのかさっぱりわからない。地主の嫁・てるが山姥なのだろうか。
山姥(やまんば)といえば、子どもの絵本『うまかたやまんば』。福音館書店HPの紹介はこう。
ある日、馬方は浜辺でたくさんの魚を仕入れ、馬に乗せて歩いていました。すると峠にさしかかったとき、山姥に「魚をおいてけ」といわれ、追いかけられます。馬方は怖くなり、魚の荷を投げて、山姥に差し出します。しかし、山姥はまだ追いかけてきて、馬方といた馬まで、すっかり食べてしまいます。さて、馬方の仕返しは・・・。はらはら、どきどきの連続、痛快な昔話絵本です。
おなじく『くわずにょうぼう』。おなじく福音館書店HPの紹介はこう。
欲張り男のところに、よく働くが飯を食わない美しい女がやってきて女房になりました。最初は喜んだ男でしたが、ある日、蔵の米がごっそり減っているので、隠れて見ていると、女房は男の留守に米を炊き握り飯を作ると、髪をほどいて頭のてっぺんの大きな口から食べてしまっていました。女の正体が鬼婆だったことを知った男は、鬼婆にとらえられ・・・。赤羽末吉の絵によるスリリングな昔話の絵本。
どちらも子どもたちが小さいころ繰り返し読んだ。
子どもたちにとって、母親はときに優しい女神であり、ときに恐ろしい山姥だったりする。山姥は後者のイメージを具象化したもの。それにより子どもたちのこんがらがった頭のなかが整理されるというような話を読んだことがある。河合隼雄だったか、あるいは、その他ユング派の流れを汲む誰かだったか。
坂東眞砂子の小説のタイトルの読み方は「やまんば」ではなく「やまはは」である。その理由は読めばわかる。
2026年2月9日月曜日
顧問会社が損害賠償を請求された事件(示談解決)
ハラスメントなど違法行為があったとして、顧問会社が従業員から損害賠償を請求される事案が増えている。
阿部サダヲ主演の『不適切にもほどがある!』というテレビドラマがある。2年前の1月から3月まで放送された。
阿部サダヲが昭和(1986年)から令和(2024年)にタイムスリップしてしまう。そこは昭和とちがい、コンプライアンスが厳しい世界である。阿部サダヲの頭は昭和のままであるから、その言動は令和の世にあっては「不適切にもほどがある」ということになってしまう。そこが笑いのツボである。
このドラマを笑えるということは、頭のなかのコードが令和になっているという証明である。しかしなかには笑いのツボがわからない御仁もおられよう。
われわれにとって1986年はついこのあいだである。が、両者を引き算すれば明らかなようにもう40年も経ってしまっている。われわれは「巨人の星」、「エースをねらえ」、「サインはV」などスポ根ものをみて育った。上司が部下を叱りつけて教育するのは当たり前だった。しかしいまそれはパワハラであるとしてゆるされない。
われわれの年代の上司はついつい昔の感覚で部下を叱りつけてしまい、部下から「不適切にもほどがある(パワハラである)」として指弾されることになる。これがいまハラスメント事案が増加している原因である。
本件も顧問会社Aが従業員Bから損害賠償の請求を受けた事案である。示談で解決することができた。パワハラ事案とはちょっと異なる。
A社の社長としては従業員Bにある国家資格をとってもらいたかった。会社の仕事上必要な資格ではなかったが、従業員の成長に役にたつと考えた。資格を取得するには国家試験にうかる必要がある。試験を受けるにはある講義を受講する必要があった。
講義を受講するには、一定の実務経験が必要とされていた。この点について、若干の下駄を履かせた証明書を提出した。社長としては、受講先を騙すという気はなく、受講先と連絡と了解をとりつつ、この程度の脚色は許されるだろうという考えだった。
Bは厳しいカリキュラム受講を熱心にすませ、狭き門である試験にも合格し、資格を得た。ところが、その後、社長との間でちょっとした口論となり、会社を辞めてしまった。
その後、上記国家資格取得は、虚偽報告に基づく違法なものであり、精神的苦痛を味わったとして、Bは200万円もの損害賠償を請求してきた(時間外賃金も請求すると言って資料を要求してきたが、こちらは早々にあきらめた。)。
上記経過であるから、この請求は理由がない。A社の取引先など世間に知られたら困るでしょうなどと脅しまでしている。当社としてはこのような脅しに屈するわけにはいかない。200万円もの理由のないお金は支払えないと突っぱねた。
まずBの請求は国家試験の受験資格と民間がやっている講座の受講資格を故意に混同している。Bはきちんと競争試験を受けて合格しているのであるから、国家資格取得に違法はない。
つぎに先例を有無を尋ねた。Bの弁護士は、ブラック企業が行った詐欺事案を1例だけ引き合いにだしてきた。本件とは明らかに事案を異にする。つまり、先例は存在しないということだ。
こうしたやりとりを踏まえて、当社は示談金30万円の支払いをもって、すべて解決するとの提案をおこなった。本件が裁判になれば、手間・ヒマをとられる上に、訴訟費用として30万円はかかるからである。
Bはこの提案を蹴って裁判するといきまいた。・・・それから数ヶ月が経過した。結局、Bはこの提案を受諾し、無事に示談解決した。ふう。
2026年2月8日日曜日
設計代金の回収交渉事件(全額回収)
民事事件とは何か。一般の人にはわかりにくく、誤解も多い。まず、刑事事件との区別がついていない人が多い。
民事事件は弁護士に相談しなければならない。刑事事件は警察に相談しなければならない。刑事事件は犯罪でなければならない。
たとえば、ラーメン屋で無銭飲食をしたとする。ラーメン屋に入る前に財布が空であることを知っていれば詐欺である。しかし、食べたあと財布が空であることに気づけば詐欺ではない。
詐欺罪で有罪にするには店に入る前に財布が空であることを証明しなければならない。人の頭のなかを観察することはできないので、なかなか詐欺で立件することは難しい。つまり、警察はうてあってくれない。
この場合でも、ラーメン屋は無銭飲食者に代金もしくは損害賠償を請求することはできる。これが民事事件である。
刑事事件は国家対個人、民事事件は個人対個人(ときに国家賠償請求事件など国や自治体が相手となることはある。)である。
刑事事件では有罪が確定した被告人に罰金や懲役刑などを命じ、これを強制することができる。副産物として被害者に対する謝罪や被害弁償をひきだすこともできる。
民事事件は基本的に金銭的な解決にかぎられる(謝罪広告や、家・土地に明け渡しの強制執行など例外はある。)。相手方に謝ってほしいという人もいるが、裁判官であっても民事事件でこれを命じることはできない。せいぜい慰謝料額を増額するぐらいである。
金銭的な解決(判決)は債務者が任意に履行しなければ、民事(強制)執行によることになる。民事執行は債務者の財産の差押えである。
債務者に不動産、預貯金、給料などの財産があれば、これらを差し押さえることができる。しかし、財産をもたなければこれをすることができない。
財産をもたない人が最強の債務者である。われわれも債権回収を頼まれることが多い。債務者に財産がないために回収ができないことも多い。自己破産されれば、なおさらである。
福祉施設の経営者Aは設計士が経営する設計会社Bに福祉施設の建設を依頼し約500万円を支払った。1年が経ったが、約束どおりに進行していない。
設計図面はできていないし、役所の許認可も得られていない、補助金を得るのに必要な建設業者の見積もそろわない。このままでは補助金や銀行融資の内諾も打ち切られてしまう。危機的な状況だ。
かくてAから代金回収の依頼を受けた。まず、この種の事件でいつも世話になっている建築士Cに相談して業界の実情をきいた。そのうえで、Bに対し内容証明郵便をだし、現在までに作成済みの図面等の持参し、現状を説明するよう要求した。
Aの立会いのもと数度の交渉を経て、建築確認に必要な図面さえ未完成であることが判明した。やむを得ず契約を解除し、上記代金と損害賠償を請求した。
Aはとても寛容な人で、上記契約代金さえ返してもらえば損害賠償のほうは免除してもよいという意向を示された。いささか寛容すぎるとは助言したが、依頼人の意向には逆らえない。
一括返済は難しいとのことで、3回に分割して支払い、約束が果たされないときは損害賠償金を含めて支払ってもらうという示談をした。
分割金は3か月にわたり支払われた。Aの被害回復として万全ではなかったが、早期に最低限の賠償を得ることはできた。肝心の福祉施設の建設のほうも、上記建築士Cの関与のもと順調に進行しているようだ。よかった。
2026年2月5日木曜日
預貯金の無断引出など相続争い(和解成立)
相続争いは争族といわれる。むかしは、①前妻の子たちと後妻、②亡くなった長男の妻子と長男の弟たちのような、もめる原因が分かりやすい対立構造が多かった。
類型①は、前妻の子たちは父をとられたという想いがあるし、あるいは、前妻vs後妻の代理戦争の意味合いもあったりする。
類型②は、たとえば、田中家の田畑を長男であるという理由で長男が継いだところ、長男が早逝してしまった。そうすると、長男の弟たちとしては、田中家の男子として、なぜ田中家累代の遺産を外から来た長男の嫁たちにむざむざと渡さなければならないのかという想いがあった。
しかし、最近は、兄と妹、姉と妹のような普通の兄弟間でも激烈な相続争いがある。
今般、その一つが和解解決した。当事者はAB姉妹。妹のBから依頼を受けた。
事案は複雑で争点は多岐にわたる。主に争われたのは亡父の遺産について。だが、亡母の遺産についても争われた。
亡父は遺言書をのこし、遺言執行者にはAを指定していた。
亡父は遺言書で、Bには実家の土地・建物と甲銀行の預金をのこした。Aが東京に在住しているのに対しBが地元に残っているので、実家の土地・建物をBにのこしたものと思われる。
問題は甲銀行預金である。Aは亡父の生前からこの預金を管理していて、無断で払い戻してつかっていたし、亡くなった後もこれをつかった。預金残は40万円ほどだった。
Bの代理人として、Aに対し、無断で払い戻した預金の返還を請求した。あわせて、預金残40万円を交付するよう要求するとともに、実家からの退去(私物の撤去)を請求した。しかしAはこれに一切応じなかった。
遺産分割は家裁の管轄で、まずは調停を申し立てなければならない(調停前置主義)。裁判所はむやみに家庭に入らないという考えによる。本件でもまずは調停を申し立てたが、裁判所は遺言書があるのであれば、調停の対象にならないとして受理しなかった。
そこで、地方裁判所に対し、Aに対する損害賠償もしくは不当利得返還を請求する裁判を提起した。あわせて、上記預金の交付と実家からの退去を請求した。
預金の無断引出については、あれに使った、これに使ったなどと未整理なまま主張してきた。預金残については自分で回収するればよい、退去はこちらでかってにやれなどと反論してきた。さらには亡母の預金も返せという。かくて争点がはっきりしないまま期日を重ねることになった。
相手方には、頭がよい、あるいは、じぶんで頭がよいと思っていて、はやくから争点をしぼりこんでくるタイプの弁護士がついてほしい。速球をバンバン投げ込んでくるタイプはたたかいやすい。これに対し、軟投型でいつまでも事案がふわふわしているタイプの弁護士は苦手である。本件は後者だった。いつまでたっても争点がぼやっとしている。
本訴の管轄は福岡地裁本庁(福岡市中央区六本松)ではなく、普通電車で2時間以上、前後をあわせると3時間以上かかる支部であった。むかしであれば、毎回出頭するのに時間と労力をとられたことであろう。いまは、事務所にいながらにしてオンラインで手続をすることができる。これで助かった。これがなければ、延々と出張を強いられたことだろう。
裁判官も、途中から業を煮やし、和解案を示した。そして途中で和解案は修正された。和解案はむやみに修正してはいけない。権威を失い、したがう気持ちがなくなるからである。しかし、修正が行われた。相手方が主張する使途について細かな認定を強いられる判決は書きたくなかったのだろう。気持ちはよくわかる。
さらに問題を難しくしたのは地裁と家庭裁判所の管轄問題である。地方裁判所は遺産分割事件には手を出せない仕組みになっている。亡母の遺産分割のことは手を出せないのである。
(中略)
裁判所の積極的な和解勧奨もあり、なんとか和解をすることができた。亡母の遺産分割も含めてである。少々時間を要したが亡母の遺産分割事件を家庭裁判所でやることを思えば、まずまずの解決であったと思う。
2026年2月4日水曜日
ペットの所有者責任・交渉事件(示談解決)
飼っていたペットが知人の手~腕を咬んで怪我を負わせてしまい、後遺障害がのこったとして損害賠償を請求された事案。ペットのオーナー(加害者)側から交渉の依頼を受けた。
オーナーも被害者も医療専門職であり、被害者側にも弁護士がついていた。オーナーは九州南部、被害者は関西在住で、コミュニケーションの困難が予想されたが、郵送だけでなく、メールやファックスなどで補いつつ交渉を進めることができた。
動物の所有者の責任は民法718条に定めがある。すなわち、動物の占有者・所有者は、その動物が他人に加えた損害を賠償する責任を負う。オーナーに責任があることは当初から争いがなかった。
問題は、その責任と相当因果関係がある損害の範囲である。金○○○万円を請求するとして金額を特定・明示した請求がなされるのが通例である。これに対し本件では、後遺障害が12級もしくは14級に相当し、被害者の年収1200万円を前提として計算すれば損害は「相当額」になるという、請求額を特定・明示しないものだった。
加害者と被害者が知人であること、ペットによる傷害事件であることを考慮して、請求金額を特定・明示しなかったのであろうが、これは悩ましい。12級だとすると最大3550万円、14級だとすると最低385万円となり、10倍もの幅のある議論になってしまう。
被害者側が後遺障害12級等に該当するというのは、右手のこわばり、右肘のしびれ、神経伝導速度の低下が残存しているからであるという。
しかし、そのような残存症状と当初の症状が整合しているのかは疑問があった。その点を指摘し、100万円の示談金を提示した。これに対し、相手方からは200万円という対案の提示があり、既払医療費を考慮して160万円の支払いで示談解決した。
被害者の治療が長引いたこともあり、解決まで2年余を要した。裁判になっていれば、さらに関西の裁判所で1年以上を要したと思われる。そうなれば、互いに多大な時間と手間と費用を要したことであろう。必ずしも長くはない人生において、3年間以上も他人と争うのはどうだろう。上記解決は互いの譲歩によるものであり、よい決着だったと思う。
2026年2月3日火曜日
年末の山旅(13)八ヶ岳②
2026年2月2日月曜日
年末の山旅(12)八ヶ岳①
南沢が氷りはじめる。天工のなせるわざ。さまざまな模様をえがきながら氷っている。
2026年2月1日日曜日
年末の山旅(11)小海線(八ヶ岳高原線)
黒斑山を下山して小諸でもう一泊。翌30日はJR茅野駅経由で八ヶ岳麓の行者小屋をめざす。
小海線は、八ヶ岳の東麓を走る。千曲川に沿って、その上流へとのぼっていく。千曲川の向こうには八ヶ岳のたおやかな稜線が見えるはずだが、この日は残念ながらガスがかかっていた。
野辺山駅。標高1345.67m。JRの駅および日本の普通鉄道の駅としては日本一高い位置にある。この先にはJRの最高標高地点1375mもある。








