2026年3月5日木曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(5)

 

 令和4年3月25日に交付したとされる425万円について、B社は、2月17日から3月24日まで6回にわたり引き出した金員を、3月25日にまとめて交付したと主張していた。その旨、一審の口頭弁論調書に明記されている。

 しかしながら、同日の領収書とされる甲2号証の但書には「事業資金貸し出し(R4年2月、3月分)として」と記載がある。B社の主張と証拠には乖離がある。そう追及した。するとB社は、2月と3月の2回に分けて貸与したと主張を変えた。主張をコロコロと変えると信用を失う。一般社会でも法廷でもおなじである。

 前回貸与されたとする令和3年11月30日から令和4年3月25日までの間のB社とAとの間のメールをすべて提出した。しかしながら、そこには3月25日の現金交付に関するやりとりは一切記載されていない。不自然である。

 令和4年7月8日に交付したとされる105万円についても、B社は、6月30日から7月8日まで3回にわたりひきだした金員を、7月8日にまとめて交付したと主張していた。

 この事実関係にも奇異な点がある。3回のひきだしのうち2回は、7月8日横浜のローソンのATMでおこなわれているからである。しかも金額は20万円と15万円である。

 広島の会社であるB社が福岡の社員であるAに対し現金105万円を交付するのに、横浜のATMで出金するのは奇異である。2回にわけて出金する理由もない。しかもそこから福岡まで出掛けてきて現金を交付したと言い張ったのであるが、無理がある。

 横浜にいたB社の社長が福岡(空港がある福岡市内ではない。郊外の筑紫野市内である。)まで出向いて系列会社の社員に105万円の現金を交付したというのはいかにも奇異である。銀行送金でよいではないか。現金手交のわけは、Aがそう希望しただけというに尽きる。不自然不合理である。

 前回貸与されたとする令和4年3月25日から7月8日までの間のB社とAとの間のメールをすべて提出した。しかしながら、そこには7月8日の現金交付に関するやりとりは一切記載されていない。不自然である。・・・

2026年3月4日水曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(4)

 

 次に問題としたのは、B社がAに対し、令和3年11月30日350万円、令和4年3月25日425万円、令和4年7月8日105万円、令和4年9月30日510万円の現金を交付したという点である。

 そもそもいまどきこれら相当額の現金を手渡しということが常識的ではない。しかもB社は広島県にあり、Aは福岡県で勤務していた。いちいち広島から出掛けてきて現金を手渡したということは、非常識である。B2社の給与は同日に振込送金されていたのであるから、なおさらである。

 AはB社を筆頭とする企業グループの社員であったから、B社らとの間で、業務上のメールを頻繁にやりとりしていた。それらメールの履歴には、本件貸借に関するやりとりは存在しない。B社によると、すべて電話等による口頭のやりとりだという。これも常識でない。

 さらに交付したという現金の原資である。たしかに、B社の通帳からは各時期、各金額に一致する金員が払い戻されていた。しかし、令和4年3月25日に交付した425万円は、2月17日から3月24日まで6回にわたり引き出した金員をまとめて交付したものだという。

 これもおかしい。425万円を貸すのに、その原資となる現金をなぜ6回にわたり払い戻さなければならないのか。預金通帳記載のATMを調べると、広島県内各所のバラバラのATMである。不自然不合理である。

 さらにそのうち110万円は国・県の事業復活支援金が原資であることが判明した。事業復活支援金は、文字どおり、コロナ禍により事業が行き詰まった企業に対し、国・県がその事業が「復活」するよう支援するお金である。そのような窮状にある企業が新入社員に対し1390万円もの貸金をすることは不自然不合理である。

2026年3月3日火曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(3)

 

 B社は、Aに対し、会社設立の事業資金を貸与したと主張した。そして、実際に350万円を貸与したとされる令和3年11月30日の約1か月後である12月24日にはAを社長とするA社が設立されていた。

 Aによると、A社の設立はB社の指示によるものだという。このような主張だけでは到底裁判所の信用を得ることはできない。やはり証拠が必要である。

 訊くと、当時の社内メールが残っているという。それら多数の詳細なメールによると、確かに、B社が東京の行政書士に依頼し、A社設立に必要な書類の用意や手続を細々指示していることが判明した。

 そのうえ、A社の資本金は88万円という不思議な数字だったのであるが、これも送金されていた。送金主の名義はAとされていた。これではB社の関与を明らかにできない。しかし、会社設立後ただちにB社の指示で同金額はB社宛に返金されていた。これで会社設立時の資本金はB社が拠出したことが立証できただろう。

 その他、公証人の費用等こまごまとして会社設立費用はすべてB社が拠出した。

 さらにA社の所在地は、Aの所有するマンションであり、同マンションを利用して(B社の指示する)事業をしていた。またA以外に従業員はいなかった。つまり、資本金その他会社設立費用以外に特段の事業資金は必要なかった。

 B社は、AがA会社を設立する資金を欲し、その事業資金として350万円を貸与したと主張したのであるところ、A社設立にかかる事業資金は必要ないことが明かになった。

 まだまだこれだけでは十分でない。そうやすやすと高等裁判所は勝たせてくれない・・・。

2026年3月2日月曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(2)

 

 本件準消費貸借契約書については、本人の署名があり、かつ、実印が押捺されており、それに印鑑証明書が添付されている。民事訴訟において、この証拠は鉄板である。普通、これに穴を空けることはできない。

 ただし消費貸借は要物契約といわれており、契約だけでなく、現金の交付が必要である。B社は、現金を手渡したという。令和3年11月30日に350万円、令和4年3月25日に425万円、同年7月8日に105万円、同年9月30日に510万円。

 いまの時代にこのような高額現金を送金しないで手渡しということ自体に疑義がある。しかしB社は、各交付の際にAが作成し手渡したという領収書4枚を証拠として提出していた。

 領収書の署名はAの署名と酷似していた。Aは自分が書いたものではないと主張したが、裁判官は酷似していると判断した。印影も酷似している。

 そのうえ、B社の預金通帳の履歴である。令和3年11月30日ころに350万円、令和4年3月25日ころに425万円、同年7月8日ころに105万円、同年9月30日ころに510万円が引き出されている。Bはこれら引き出された現金をAに交付したと主張した。

 裁判所はこれらを踏まえ、Aの言い分をまったく信用しない態度であった。どうしたらいいだろう?

 実は、これらガッチリと組み立てられた証拠を崩すために、これといって決め手があるわけではない。筆跡鑑定や、領収書にAの指紋が残っていないはずだなどとAは主張した。しかし、これらの手法は刑事事件であればともかく、民事事件では一般的ではない。

 しかたがない。問題点を1つずつ丹念に突いていくしかない。

 第1の問題点は、AがB社のグループ会社であるB2社の新入社員であったことである。C社に勤務していたAはB社からヘッドハンティングを受け、入社を決めたところB2社に入社するよう指示された。

 入社は令和3年9月1日のことである。最初の借入があったとされるのが11月30日であるから、わずか3か月まえのことである。

 入社3か月の新入社員に350万円、ひいては合計1390万円ものお金を貸す会社は一般に存在しない。B社が金融機関であればともかく、そうではない。

 この点に関するB社の釈明は、AがC社を辞めて会社を設立し事業をしたいということだったので、その事業資金を貸与したというものである。A社が設立され、同社がC社関連の仕事などをまわしてくれれば、B社としてもうまみがあると考えたという。

 実際、令和3年12月24日、Aを社長とするA社が設立されていた。そのため、令和3年11月30日の350万円はA社の設立資金・事業資金として貸与したものであるというB社の主張には相当の合理性が存在した。さて、どうしよう?

2026年3月1日日曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(1)

 

 貸金ないし借金のことを民法上は消費貸借という。賃貸借などは借りたものをそのまま返すのに対し、消費貸借ではいったん費ってしまったうえで同額を返すので消費貸借という。

 さらに準・消費貸借という契約がある。売掛金や損害賠償などを合意により消費貸借に切り替える契約である。元となる契約は売掛金や損害賠償だけでなく、消費貸借でもかまわない。意味がないように思えるが、たとえば4本の貸借を1本として管理できれば楽なのである。

 AさんはB社に勤務していたところ、同社から1390万円を貸したから返せといって訴えられた。Aさんは借りていない。だから負けるわけないと思っていたところ、一審・福岡地裁では全面敗訴した。

 Aさんは控訴し、福岡高等裁判所に係属した。Aさんはこの裁判を当職に依頼したいと申し入れた。AIによると、一審で敗訴した判決が控訴審で覆される確率は1~2割以下であるのが実情。このような歩留まりの悪い訴訟はできれば遠慮したい。しかしAさんの熱意に負けて受任することになった。

 一審判決によると、B社はAに対し1390万円を4回に分けて貸した、令和3年11月30日350万円、令和4年3月25日425万円、令和4年7月8日105万円、令和4年9月30日510万円である。これを令和5年3月17日準消費貸借としたという。

 その決め手というべき証拠は準消費貸借の契約書である。Aの署名と実印の押捺がある。実務ではこれはかなり固い証拠である。Aはこれに署名・捺印したことは自分であり、間違いないという。

 そのほか4回分の領収書が提出されている。これにもAの署名と捺印がある。さらにB社の預金通帳が提出されている。ここから350万円、425万円、105万円、510万円の合計1390万円が引き出されている。

 ガッチリ証拠を固められてしまっている。はたして、どうすれば一審判決を覆すことができるのだろうか・・・。

2026年2月26日木曜日

『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(7)

 板東版『山姥』には山姥、旅芸人、小作人、遊女のほか、瞽女(ごぜ。江戸時代から昭和初期にかけて、盲目の女性たちが集団で各地を旅し、三味線を弾きながら歌を披露した旅芸人)、鉱夫、山師、山の民(渡り又鬼・マタギ)など社会の底辺に生きる人々の逃げ場のない苦しみと悲しみが描かれている。

 かれらの多くは、明治になったとはいえ、出自と借金でがんじがらめにされ、他の人生を選びようもない。小説で述べられているとおり、別の人生を選びとりようもなく、ただそこにある逃げ場のない状況へ押し込められていくだけである。

 現代日本で「幸せを感じる」と回答した人の割合は、概ね6割前後で、世界平均の7割と比較して低い傾向にある。世代が上がるにつれ減少傾向にあり、主な理由として経済状況への不満や、自己肯定感の低さが挙げられている。

 置かれた状況はさまざまなので、一概には言えないのであるが(言えば、上から目線といわれかねないが)、経済状況への不満や自己肯定感の低さから幸せを感じられない人には、ぜひとも板東版『山姥』を読むことをお奨めしたい。

 あと目をひいたのは巻末の参考文献である。雪国・越後魚沼の暮らし、瞽女、銀山・鉱山、村芝居、歌舞伎、遊女、明治の劇団のほか、マタギ関係が並んでいる。

 『狩猟伝承』『山に暮らす』『山の神』のほか、『マタギー森と狩人の記録』『マタギ』『秋田マタギ聞書』『阿仁銀山と友子』『阿仁鉱山跡探訪』。

 マタギがなにかについては小説中に紹介がある。

 「渡り又鬼だら、北のほうからずうっと山伝いに獣を追いかけてくる猟師だ。捕った獣の皮や薬を里に降りてぎて売りながら、旅しているがんだ。・・」

 北のほうがどこかは記載がないが、参考文献からすれば、阿仁のマタギだろう。阿仁は昨年10月に登った秋田・森吉山の南麓である。

 新潟県魚沼から秋田県阿仁マタギまで鉄道を利用しても長時間を要する(新幹線利用で7~8時間、在来線利用だと13時間かかるようだ。)。山伝いに旅をしたとすれば、気が遠くなるような時間を要したことだろう。でもなぜか、うらやましい気もする。

2026年2月25日水曜日

『山姥(上・下)』(坂東眞砂子著・新潮文庫)(6)


 謡曲の山姥は、妄執を逃れられない苦しさを訴える一方で「善悪不二」「邪正一如」「煩悩即菩提」といった禅の思想(先のあらすじによれば、仏法の深淵な哲理)を説いた。この主題も坂東眞砂子の『山姥』は取り込んでいる・・・と書き、東北南部の雪山遠征にでかけた。

 旅先で『わたしの唐詩選』(中野孝次著・文春文庫)を読んでいたら、次の一文にぶつかった。唐代の詩人である柳宗元の詩について触れたもの。

 「彼は一瞬の中に永遠を感じ、小景の中に宇宙を観る、そういう禅的な感性の人だったように見えるのだ。」

 「善悪不二」「邪正一如」「煩悩即菩提」といわれるとピンとこなかったが、これなら分かるような気がする。禅とはある種、弁証法ではないだろうか。

 弁証法とは、対立する二つの命題を、矛盾を抱えたままより高い次元で統合・解決し、真理に近づく思考法。古代ギリシアの問答法に起源を持ち、ヘーゲルが大成したもので、ビジネスにおけるジレンマ解決や矛盾を抱える問題の深化・発展プロセスとして活用されている(AIくんの解説)。

 「一瞬の中に永遠を感じ、小景の中に宇宙を観る」といわれて思い浮かべるのは、ウイリアム・ブレイクの『無垢の予兆』である。

 一粒の砂に世界を見、
 一輪の野の花に天を見る。
 汝の掌に無限を捉え、
 一時の中に永遠を見よ。

 ブレイクは意外と仏教思想・禅の影響をうけていたのかもしれない。

 このような思想は禅の独創ともいえないのかもしれない。というのも井上靖『天平の甍』の訳注のなかに、次のような注があるから。

 「華厳」とは、釈迦成道後はじめての説法を録した華厳経を所依として建てた宗派のこと。世界を太陽の顕現であるとして、かすかな塵の中に全世界を映し、また一瞬の中にも永遠を含むという一即一切、一切一即の世界観が根本教理である。

 『すばらしい新世界』の著者オルダス・ハクスリー。かれはエッセイ集『知覚の扉』のエピグラフにブレイクの言葉を引用している。「知覚の扉が清められたなら、物事はありのままに、無限に見える」(『天国と地獄の結婚』から)と。

 小川洋子の小説『博士の愛した数式』。第1回本屋大賞受賞。美しい数式の世界を中心に、記憶が80分しか続かない数学者と母子の交流を描く。映画化され、その最後にも、ブレイクの詩は引用されていた。

 高浜虚子も『俳句の作りよう』のなかで、こう述べている。

 近来俳句についての拘束を打破してかかることを主張するものでありますが・・・私は十七字、季題という拘束を喜んで俳句の天地におるものであります。・・・狭いはずの十七字の天地が案外狭くなくなって、仏者が芥子粒の中に三千大千世界を見出すようになるのであります。

 『山姥』も中野孝次も柳宗元も禅宗も弁証法も井上靖も華厳経もハクスリーも小川洋子も高浜虚子も知らなくてもかまわない。これは知っているだろう。中島みゆきの『地上の星』。

 ♪風のなかのすばる 砂のなかの銀河・・・