2026年6月8日月曜日

『PERFECT DAYS』(4)

 

 『出川哲郎の充電させてもらえませんか?』のファンだと書いたが、テレ東でいえば『家、ついて行ってイイですか?』のファンでもある。

 とある駅頭で見ず知らずの人に声をかける。しばらく話したのち、「家、ついて行ってイイですか?」と尋ねる。たいがいの人は「散らかってますんで」と断る。だが何人かは「いいですよ」となる。

 タクシー代を番組持ちで、自宅にうかがう。そこで生活の様子やこれまでの人生をうかがう。一般的な観点からすると突飛な、あるいは、波乱にみちた世界や人生がそこに広がっている(そうでないものは没になっていることが時々わかる。)。そして『レット・イット・ビー』が流れる。

 世の中、いろんな人がいて、いろんな人生が存在する。人生というものの幅広さ、奥深さを垣間見ることができる。それでいいじゃないか。とそれを肯定する。そういう番組である。

 平山の日常生活は突飛でもないし波乱にとんでもいない。「レット・イット・ビー」も流れない。しかし、平山の人生哲学はおそらく禅的なものである。足るを知る、「レット・イット・ビー」的な人生である。

 禅といえば、永平寺の雲水(修行僧)たちが朝から晩まで堂の廊下を磨き上げたりして一切の無駄を省いた厳格な規律の中で生活している。「動中工夫」。日々の生活すべてを修行と捉えているのである。

 平山の毎日の生活、生きる姿勢もおなじである。公衆トイレの清掃であっても、丹念に丹念に実行することにより修行になる。いま・ここに集中する。

 平山だけでなく、小料理屋のおかみ・石川さゆりもおなじ考えのようだ。かく言う。「どうしてみんないまのままじゃいられないのかしらねぇ。」

 夏目漱石は「アイ・ラブ・ユー」を和訳するときには「月がきれいですねぇ。」ぐらいに訳しておけと言ったという。「レット・イット・ビー」も小料理屋のおかみのセリフとして和訳するときは、「どうしてみんないまのままじゃいられないのかしらねぇ。」ぐらいになるのではなかろうか。

2026年6月7日日曜日

『PERFECT DAYS』(3)

 

 平山は寝る前、横になって本を読んでいる。タイトルが分かるのは3冊。フォークナーの『野生の棕櫚』(加島祥造訳、中公文庫)、幸田文の『木』(新潮文庫)、パトリシア・ハイスミスの『11の物語』(ハヤカワ・ミステリ文庫)。

 いずれも古本屋で買った古本である。今年の本屋大賞受賞作を単行本で買って読んだりはしていない。そういえば、今年の本屋大賞は朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)だった。たいへん面白く読んだ。

 タイトルからピーター・L・バーガーの『聖なる天蓋』(ちくま学芸文庫)にインスパイヤされた作品かと思ったが、そうでもなかった。

 若手アイドルグループをプロデュースする側、それを推し活する側、かつて推し活した側の3者から、「推し活」という現代的な事象を立体的に解剖し統合した話だった。

 このように、最初は別々の話、別々の主人公としてはじまった話が途中で結び合わされていく書き方はいまでは普通である。それがフォークナーの『野生の棕櫚』を出発点とすることは今回はじめて知った。

 ただし、『野生の棕櫚』は2つの話が途中で結び合わされることなく、最後まで別々のままである。じゃ、なんの関係もないかというと、作者によるとそうではない。『野生の棕櫚』に出てくる男女の話がメインで、『オールド・ボーイ』に出てくる囚人が妊婦を助ける話はそれを裏で支えているという。

 『PERFECT DAYS』の平山は無口だし、毎日禅僧のような規則正しい生活を送っているので、それだけではなにをいいたいのやら分からない(いや、分かりにくい。)。そこで登場するのが平山の仕事の後輩タカシ(柄本時生)である。

 タカシは、くだらないことをベラベラしゃべり、トイレ掃除は生半可な気持ちでやっているし、ガールズバーで働くアヤの気をひこうと躍起になり、金さえあればどうにでもなると考え、「彼女は10の10ですね。」などとなんでも質ではなく量にしてしまい、平山の大事なカセットテープをアヤの店に行くために売り払おうとし、平山のなけなしの金を借りて返そうとしない、仕事を急にやめてシフトを平山に押し付ける・・。

 つまり、平山とは対極の人生観、性格、日々。かれの存在により、平山はじぶんのことをなにも語らずとも、おのずと自分の人生を語っていることになる。平山が『野生の棕櫚』を読んでいることの意味はここらへんにありそうだ。

 棕櫚というのは日本の棕櫚ではなく、椰子の木のことらしい(訳者による。)。あのひよろっと背が高いやつ。椰子のイメージは、東京スカイツリーのイメージと重なりあう。スカイツリーは「空の木」である。平山は神社で樹や空の情景に心をよせる。樹と交歓するイメージが濃厚である。それが幸田文の『木』につながってもいく。

 「どういう切掛けから、草木に心をよせるようになったのか、ときかれた。心をよせるなど、そんなしっかりしたことではない。毎日のくらしに織込まれて見聞きする草木のことで、ただちっとばかり気持ちがうるむという、そんな程度の思いなのである。今朝、道の途中でみごとな石榴の花に逢ったとか、今年はあらしに揉まれたので、公孫樹がきれいに染まらないとか、そういう些細な見たり聞いたりに感情がうごき、時によると二日も三日も尾をひいて感情の余韻がのこる、そんなことだけなのだ。」(『木』「藤」)。

 『野生の棕櫚』『木』『11の物語』は、平山とかかわる3人の女性とも結びついている。『野生の棕櫚』はガールズバーで働くアヤ、『木』は小料理屋で働く石川さゆり、『11の物語』のなかの『すっぽん』は姪のニコと。

 ニコは、ある夕、平山の古アパートを訪ねてきた。家出をしてきたという。『すっぽん』は、支配的で息子を幼児扱いする毒親の母親に反発する11歳の少年ヴィクターの話。ニコはかれの気持ちがよくわかるという。平山はニコの心中を察することになる。

 来客の料理のために唯一の慰めだったすっぽんを無惨に殺されたヴィクターは夜中に台所で母親を刺し殺してしまう。平山の妹・ニコの母である麻生祐未がかのじょを迎にきた。ニコはヴィクターのようになったらどうしようと相談する。バカをいうんじゃない。

 ニコが『11の物語』を借りていってしまったので、平山は古本屋でおなじ本をまた購入する。古本屋のおかみは「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才だね」などという。かくてニコに関する不安は、平山に関する不安へとフェイズを変える。

 平山は石川さゆりの店を訪ねるが、いまだ開店していない。しかたなしにむかいのコインランドリーで『11の物語」を読みながら時間をつぶす。すると、元夫の三浦友和が尋ねてきて、店内で二人が抱き合っている姿を目撃してしまう。平山の「不安」は頂点に達する。

 いつもの日常から逸脱して缶ビールを買い、隅田川べりでタバコを吸いむせてしまう。元夫が追いかけてきて、かれの癌が転移してしまい、余命いくばくもないことを聞かされる。ふたりは影踏みをする。

 「悲しみと虚無しかないのだとしたら、ぼくは悲しみのほうをとろう。」(『野生の棕櫚』)。

 映画のなかで、数冊の本のタイトルをさりげなく見せ、映画の外でそれらの読書をすすめ、そこからまた映画をみて深い理解へいざなう・・・(なぜなら、『野生の棕櫚』『木』『11の物語』を全部読んでいて、映画をみながら「なるほど、なるほど。」と思える人はそう多くはなかろう。)。なかなか手の込んだ深い映画である。

2026年6月4日木曜日

『PERFECT DAYS』(2)

 

 平山が聴いている音楽と読んでいる本について書こうと思う。

 書いてよいかどうか迷うが、実は『出川哲郎の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京)という番組が大好きである。

 シナリオらしいシナリオはなし。出川、ゲストとディレクターが3人で、電動バイクで旅をするだけ。しかし、出川たちと旅先の人々との交流やロードムービー風な自由な感じがとてもよいのである。毎週録画して欠かさず見ている。

 同番組を見ていると、唐突にいろんな曲が流れる。「颯爽たるシャア」、「がんばれ牛乳当番」、「ラブリーディ」、「田園」・・・。毎週見ていると、それぞれの曲にシーンにあわせた意味があることが分かる。

 新しいゲストが登場するときは「デビルマンのうた」。♪あれはだれだだれだだれだ・・・。出川たちはしょっちゅう温泉に立ち寄っている。入るときはフランク・シナトラのニューヨーク・ニューヨークのテーマといった具合だ。

 『PERFECT DAYS』に戻る。平山はトイレ掃除にむかうワゴン車のなかで毎日、カセットテープを選んで聴いている。聞き覚えがあるものの詳しくは知らない曲ばかり。よく分からないので最初は聞き流していた。

 作品の後半に差し掛かったところで、平山はある小料理店に入る。おかみは石川さゆり(元夫は三浦友和。あとで分かる。)。一目惚れしてしまうやろ~といういい感じ。他の客の嫉妬めいた冗談で、二人がまんざらでもない関係であることが分かる。

 客たちのリクエストで石川が歌うのが「朝日楼」。♪私が着いたのはにおい津?の朝日楼という名の女郎屋だった・・・。

 うん?これは冒頭で流れたのとおなじ曲ではなかろうか?調べると、そうだった。冒頭の曲はアニマルズの「朝日の当たる家」。これまで曲を聴いたことはあっても題名までは知らなかった。

 「朝日の当たる家」はフォークソング。フォークソングといえば、赤い鳥やイルカが作詞・作曲した曲だと思っていた。が、本来は文字どおり、誰が作詞・作曲したか分からず、むかしから皆が口ずさんでいる曲のこと。日本でいえば民謡。「竹田の子守歌」のような。

 「朝日の当たる家」もこのようなフォークソング。もとはボブ・ディランらも歌っていたらしい。アニマルズがどくとくの歌唱で大ヒット。かくてわれわれが聴いていたのはアニマルズの曲。それを日本語の歌詞にしたのが「朝日楼」。

 石川さゆりの歌唱では「におい津」と聞こえた。新潟かどこかにあった色町だろうと思った。が、アニマルズの歌詞でニューオリンズと分かった。

 平山が読んでいる本の一つにフォークナーの『野生の棕櫚』がある。二つの筋が並立している小説である。その一つが『オールド・マン』。オールド・マンはミシシッピ川の別称である。『野生の棕櫚』の男性主人公ハリーはニューオリンズでインターン生活をしていた。

 平山は東京スカイツリーの近くの古アパートに住み、近くを隅田川が流れている。どうやら、平山の住処と隅田川はニューオリンズとミシシッピ川に比定されているらしい。

 などなどとネットサーフィンをしたところで、もう一度、冒頭のシーンを見直した。平山はいつもどおり起き、歯磨きをして、道具を点検して家を出て、自販機で缶コーヒーを買い、ワゴンで仕事に出かけ、カセットテープを再生する。すると、アニマルズの「朝日の当たる家」が流れ、東京のビル街に朝日が当たり・・・。

 なんという素晴らしいオープニングだろうか。この曲だけで、場面の説明だけでなく、平山の人生まで説明しつくされていたのだ。 

 ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』を理解するには研究者たちが100年議論する必要があるなどと自分で述べている。『PERFECT DAYS』を完全に理解するには少なくともあと10回は見直さないといけないようだ。

2026年6月3日水曜日

『PERFECT DAYS』(1)

 

 このところ、日曜に一週間分の録画予約をして、すきま時間に録り溜めた番組を見ている。油断すると、あっという間に溜まってしまい、録画容量をオーバーしてしまう。結果、修行のようにしてすきま時間に見て消化していっている感じだ。毎日、ネットフリックスで『The Closer』をシーズン7まで見なければならないので、そのプレッシャーは半端ない。

 そうしたなか、NHKのBSで放送されたものと思うが、録画した映画『パーフェクトデイズ』を見た。役所広司が平山という中年のトイレ清掃員をやっている。すきま時間に斜め視聴をしていると、なにをいっているか全く分からないような作品だ。にもかかわらず、この3日間で3回見た。

 以下ネタバレ。

 平山の日常生活を淡々と描いていく。平山はスカイツリーの近くのぼろ屋に住んでいる。視聴者の感情を揺さぶる殺人事件も起きなければ、大災害も起きない。朝起きて、歯をみがいて、自販機の飲み物を飲み、車を運転して仕事にでかけ、トイレを清掃する。小学生の下手な日記のようである。

 平山という名前には意味がある。『東京物語』や『秋刀魚の味』で笠智衆が演じた登場人物をはじめ、小津安二郎監督の作品に繰り返し使われる名前である。文字どおり、富士山でもなければ、槍ヶ岳でもない。

 そうした日常のなか、仕事の同僚(後輩)、その彼女、その友だち(子ども)、トイレの利用者、ホームレス、中古カセットテープ屋の主人、古本屋の主人、仕事の派遣主、新しい同僚、姪、その母(妹)、居酒屋のママ、その客、その元夫らがあらわれては、それにともなう交流があるだけである。

 さらに、仕事へ向かう車のなかで(カセットテープで)流す音楽、読書をしている最中の本、神社境内の樹、そのひこばえ、飲食街、都市風景、隅田川、様々な影などとも交歓している。

 平山は無口である。自分の過去や心情を一切語らない。朝の出勤風景や公衆トイレ掃除のていねいさにおいて、謹直な性格を表現する。カセットテープ音楽や読書本のチョイス、人々と交流する態度、交流する人々の態度、撮影する樹影や夢が、かれの人生の一端、過去、それへ向ける複雑な思いを垣間見せる。

 あとは表情だけ。言葉は話さないが話題や状況に対する寂しい視線だけで感情を表現する。とりわけエンディングの長いショット。車を運転する平山の表情だけ。それだけで人生に対する満足と後悔を表現している。

 かくて殺人事件や大災害のなかでの人間の崇高な行為などは一切描かれないが、平山の『PERFECT DAYS』が腹に落ち、胸にひろがったのである。