2026年6月7日日曜日

『PERFECT DAYS』(3)

 

 平山は寝る前、横になって本を読んでいる。タイトルが分かるのは3冊。フォークナーの『野生の棕櫚』(加島祥造訳、中公文庫)、幸田文の『木』(新潮文庫)、パトリシア・ハイスミスの『11の物語』(ハヤカワ・ミステリ文庫)。

 いずれも古本屋で買った古本である。今年の本屋大賞受賞作を単行本で買って読んだりはしていない。そういえば、今年の本屋大賞は朝井リョウの『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)だった。たいへん面白く読んだ。

 タイトルからピーター・L・バーガーの『聖なる天蓋』(ちくま学芸文庫)にインスパイヤされた作品かと思ったが、そうでもなかった。

 若手アイドルグループをプロデュースする側、それを推し活する側、かつて推し活した側の3者から、「推し活」という現代的な事象を立体的に解剖し統合した話だった。

 このように、最初は別々の話、別々の主人公としてはじまった話が途中で結び合わされていく書き方はいまでは普通である。それがフォークナーの『野生の棕櫚』を出発点とすることは今回はじめて知った。

 ただし、『野生の棕櫚』は2つの話が途中で結び合わされることなく、最後まで別々のままである。じゃ、なんの関係もないかというと、作者によるとそうではない。『野生の棕櫚』に出てくる男女の話がメインで、『オールド・ボーイ』に出てくる囚人が妊婦を助ける話はそれを裏で支えているという。

 『PERFECT DAYS』の平山は無口だし、毎日禅僧のような規則正しい生活を送っているので、それだけではなにをいいたいのやら分からない(いや、分かりにくい。)。そこで登場するのが平山の仕事の後輩タカシ(柄本時生)である。

 タカシは、くだらないことをベラベラしゃべり、トイレ掃除は生半可な気持ちでやっているし、ガールズバーで働くアヤの気をひこうと躍起になり、金さえあればどうにでもなると考え、「彼女は10の10ですね。」などとなんでも質ではなく量にしてしまい、平山の大事なカセットテープをアヤの店に行くために売り払おうとし、平山のなけなしの金を借りて返そうとしない、仕事を急にやめてシフトを平山に押し付ける・・。

 つまり、平山とは対極の人生観、性格、日々。かれの存在により、平山はじぶんのことをなにも語らずとも、おのずと自分の人生を語っていることになる。平山が『野生の棕櫚』を読んでいることの意味はここらへんにありそうだ。

 棕櫚というのは日本の棕櫚ではなく、椰子の木のことらしい(訳者による。)。あのひよろっと背が高いやつ。椰子のイメージは、東京スカイツリーのイメージと重なりあう。スカイツリーは「空の木」である。平山は神社で樹や空の情景に心をよせる。樹と交歓するイメージが濃厚である。それが幸田文の『木』につながってもいく。

 「どういう切掛けから、草木に心をよせるようになったのか、ときかれた。心をよせるなど、そんなしっかりしたことではない。毎日のくらしに織込まれて見聞きする草木のことで、ただちっとばかり気持ちがうるむという、そんな程度の思いなのである。今朝、道の途中でみごとな石榴の花に逢ったとか、今年はあらしに揉まれたので、公孫樹がきれいに染まらないとか、そういう些細な見たり聞いたりに感情がうごき、時によると二日も三日も尾をひいて感情の余韻がのこる、そんなことだけなのだ。」(『木』「藤」)。

 『野生の棕櫚』『木』『11の物語』は、平山とかかわる3人の女性とも結びついている。『野生の棕櫚』はガールズバーで働くアヤ、『木』は小料理屋で働く石川さゆり、『11の物語』のなかの『すっぽん』は姪のニコと。

 ニコは、ある夕、平山の古アパートを訪ねてきた。家出をしてきたという。『すっぽん』は、支配的で息子を幼児扱いする毒親の母親に反発する11歳の少年ヴィクターの話。ニコはかれの気持ちがよくわかるという。平山はニコの心中を察することになる。

 来客の料理のために唯一の慰めだったすっぽんを無惨に殺されたヴィクターは夜中に台所で母親を刺し殺してしまう。平山の妹・ニコの母である麻生祐未がかのじょを迎にきた。ニコはヴィクターのようになったらどうしようと相談する。バカをいうんじゃない。

 ニコが『11の物語』を借りていってしまったので、平山は古本屋でおなじ本をまた購入する。古本屋のおかみは「パトリシア・ハイスミスは不安を描く天才だね」などという。かくてニコに関する不安は、平山に関する不安へとフェイズを変える。

 平山は石川さゆりの店を訪ねるが、いまだ開店していない。しかたなしにむかいのコインランドリーで『11の物語」を読みながら時間をつぶす。すると、元夫の三浦友和が尋ねてきて、店内で二人が抱き合っている姿を目撃してしまう。平山の「不安」は頂点に達する。

 いつもの日常から逸脱して缶ビールを買い、隅田川べりでタバコを吸いむせてしまう。元夫が追いかけてきて、かれの癌が転移してしまい、余命いくばくもないことを聞かされる。ふたりは影踏みをする。

 「悲しみと虚無しかないのだとしたら、ぼくは悲しみのほうをとろう。」(『野生の棕櫚』)。

 映画のなかで、数冊の本のタイトルをさりげなく見せ、映画の外でそれらの読書をすすめ、そこからまた映画をみて深い理解へいざなう・・・(なぜなら、『野生の棕櫚』『木』『11の物語』を全部読んでいて、映画をみながら「なるほど、なるほど。」と思える人はそう多くはなかろう。)。なかなか手の込んだ深い映画である。

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