2025年7月9日水曜日

大雪山~トムラウシ山縦走(1)旭岳

 

 6月末、北海道の大雪山~トムラウシ山縦走を計画した。ここは縦走路に沿って文字どおり百花繚乱で、天上世界のよう。登山者あこがれのコースである。

 全長40キロメートル。山中2泊3日なのだが、営業小屋はなく避難小屋のみである。天候と体調には細心の注意を払わなければならない。

 2009年7月にはこのコースを歩んだツアー登山者たちがトムラウシ山で大量遭難が発生し、ツアーガイドを含む登山者8人が低体温症で亡くなった。夏とはいえ、低体温症には用心しておかなければならない。

 ヒグマの巣のようなところを通過していかなければならず、クマに襲われるリスクも考えておかなければならない。とはいえ『女二人のニューギニア』の旅ほどには危険ではないと思う。

 福岡空港から新千歳空港へ向かう。大雪山に登るには旭川空港がもよりなのだが、福岡からの直行便はなく、羽田経由だと割高になってしまうから。

 新千歳空港の売店で、予約していたガスボンベを購入する。避難小屋泊まりなので、寝具・食事もすべて自前である。バーナーや食器等も持参しなければならない。困るのはガスボンベを飛行機に持ち込めないことである。先人の努力で空港で入手できるようになっている。


 新千歳空港から札幌まで空港快速、札幌から旭川まで特急ライラックである。札幌から旭川までJRに乗ると、恵庭、砂川、滝川などの各駅を通過し、憲法判例100選の目次かと思う(滝川事件は趣旨がちがうが)。

 旭川からはバスで旭岳温泉へ。宿に着くころには雷雨になっていた。不安定な天候である。

 旭岳温泉にはいくつか宿があるが、勇駒荘に泊まった。異なる泉質が5種類もある。地元食材をつかった料理もおいしい。ただしご多分に漏れず、物価高はここまで及んでいる。


 マンホールのデザインはナキウサギ。ことしは出会えるかな。

 旭岳温泉から旭岳をめざす。旭岳は大雪山系の最高峰である。大雪山は北海道の中央部に位置し、北海道の大屋根と呼ばれる。大雪山という名前の山はなく、西の旭岳、東の黒岳などからなる連峰である。大雪山国立公園は23万ヘクタールあって、日本最大の面積を誇る。

 旭岳は標高2291メートル。標高は2000メートル級であるが、緯度が高いので気候のきびしさは本州の3000メートル級に匹敵するといわれる。

 旭岳も、黒岳も途中までロープウェイなどを利用できて便利である。旭岳ロープウェイを利用して姿見駅まであっというま。駅は標高1600メートル。山頂まで残すところあと700メートルほど。宝満山の標高くらいである。


 姿見駅周辺の雪解けはおそかったようで、高山植物の種類・数はすくなかった。チングルマがわずかに咲いている。


 例年は散ってしまっているのだけれど、ショウジョウバカマの花も残っていた。猩々というぐらいだから本来赤い花なのだけれど、土壌の影響か紫色である。


 姿見駅から30分弱で姿見の池に着く。池面には雪渓が残っている。池の向こうは旭岳の勇姿。山頂から西へ裂けた地獄谷が亜硫酸ガスを吹き出している、まさに活火山の迫力。


 エゾノツガザクラ。文字どおり、蝦夷のツガザクラ。北海道~東北だけにみられる。この美しさは人間向けではない。マルハナバチが受粉を手伝っている。詳しくは『日本の高山植物ーどうやって生きているの?』工藤岳著・光文社新書を読んでくだされ。


 登りにとりかかる。旭岳は大雪山の峰々のなかでもっとも若く、形成時期は数千年前である。つまり、弥生時代。ついさいきんのことである。強い酸性の土壌となっており、いまだ酸性度に強い植物が地をはっているだけである。

 登山道は地獄谷の右手(南側)を登っていく。地獄谷は山頂から西側に裂けた馬蹄形の谷となっている。600年ほど前(つまり室町時代)の水蒸気爆発で生じた爆裂火口が浸食されたものである。多数の噴気孔があり、いまも火山ガスを多量に放出している。旭岳をのぼっていると、火山ガスが流されてきて、温泉臭がすごい。

 地獄谷の火口壁はスコリア層が10枚以上露出している。スコリアとは、安山岩・玄武岩質の穴だらけの岩クズである。ゴロゴロしていて足場が安定せず、とても歩きにくい。

 そのうえ、この日は10メートル以上の北風が吹いていた。てんくらの登山適度判定はABC3段階のC判定であった。強風が小石まで巻き上げ顔にあたって痛い。とくに6~8合目あたりが風の通り道になっているようで、歩けないどころか、ともすれば吹き飛ばされそうであった。半分くらいの登山者があきらめて下山していった。


 振り返ると姿見駅が見える。昔は北海道に梅雨はないといわれていた。近年は異常気候で、北海道も暑く、湿度も高い(西日本はすでに梅雨が明けていた。)。雲がわいている。


 ようやく8合目あたりまで登ってきた。左手に山頂がちかくなってきた。山頂の右手に大岩が見えている。金庫岩である。


 金庫岩の手前で、西側・地獄谷を見下ろす。姿見駅も見える。さきほどの雲もすこしうすれて、旭岳温泉街も見えている。旭川市街や旭山動物園は雲の下である。


 山頂まであとわずか。先達の人たちが歓声をあげたり、憩ったりしている。


 ようやく山頂到着。「大雪に登って山の大きさを知れ」。山頂は360度の大展望である。

2025年7月8日火曜日

『女二人のニューギニア』有吉佐和子著・河出文庫

 

 『女二人のニューギニア』有吉佐和子著・河出文庫を読んだ。例のBSテレ東の「あの本読みました?」に吉本ばななが出演していて、おすすめのエッセイとしてこれを推したから。

 オビで岸本佐和子も「面白くないところがひとつもない。
 50年以上経っても古びない。
 奇跡のようなエッセイ。」と絶賛している。

 有吉佐和子の小説は『青い壺』が書店で平積みになっているなど、いままた人気だ。これまた「あの本読みました?」に原田ひ香が出演して推していたり、NHK「100分de名著」でとりあげられたり。

 有吉佐和子といえば、われわれにとっては『華岡青洲の妻』である。華岡青洲は江戸時代の外科医。実母、妻らで人体実験をしながら、世界ではじめて全身麻酔をもちいて乳がん手術を成功させた。

 有吉作品であるから、単なる偉人伝ではなく、嫁姑の確執もからめられている。こうして書いていると、いま弁護士として日々直面している嫁姑の確執の世界は有吉に教えてもらったのかもしれないとも思う。

 さて『女二人のニューギニア』。本作は吉本ばなながエッセイとして推しているように、実話である。自身がニューギニアを訪れた際の悲惨な体験を克明に描いたものである。

 ニューギニアというのはどこでしょう?ここである。
 https://www.google.com/maps/place/%E3%83%91%E3%83%97%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%8B%E3%82%A2/@9.9024172,126.984234,4.49z/data=!4m6!3m5!1s0x6859e8afbf0e9eaf:0xdaf0e50d8e9c127a!8m2!3d-6.314993!4d143.95555!16zL20vMDVxa3A!5m1!1e4?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MDcwNi4wIKXMDSoASAFQAw%3D%3D

 舞台はこの西部の山岳地帯の一村落である。いまどき「未開」という言葉を用いていいのかどうか知らないが、この旅がおこなわれた昭和43年当時は間違いなく未開の地である。

 そこへ行くにはジャカルタから飛行機を何度も乗り継ぎ、最後はセスナ機で、その後はジャングルのなかを毎日7時間×3日間も歩かなければならない。しかも単純標高差1800メートルの山岳地帯でもある。登り下りが描かれているので、累積標高差はその数倍におよぶだろう。

 有吉さんは小説家であるから、ほとんど歩かない。であるからもう無謀というほかない。最後はさすがに歩けなくなってしまう。そしてブタの丸焼きのように木にくくりつけられて、現地の人たちに運搬されてしまう。

 なぜ、このような無謀なことになったのか。「ニューギニアは、ほんまにええとこやで、有吉さん」と声をかけられ、うかうかとその話に乗ってしまったのが原因である。

 声をかけた主は、有吉の友人である文化人類学者の畑中幸子。畑中は現地でフィールドワークの最中であった。『女二人』うち、もう一人はこの畑中である。

 カバー表紙絵をみてほしい。前でへばっているのが有吉で、後ろで厳しく指図しているのが畑中である。ニューギニアでのフィールドワークはあまりにも過酷で、耐えられたのは畑中くらい。他の欧米の研究者はメンタルをやられたりして早々に逃げ出したようだ。

 かくて「驚きと抱腹絶倒の滞在記!」ご一読あれ。

2025年7月7日月曜日

令和7年7月5日と令和7年7月7日と

 

 令和7年7月5日に大災害がくるというデマがSNS上で広がり、訪日客の多くを足止めし、航空便を減便させる騒ぎになった。しかしなにもなかった。なにもなかったことについて、誰も謝罪しないし責任をとらない。なるほど。

 令和7年7月7日、七夕だし、777だし、なんかよいことがありそう。しかしタナボタもなく、賭け事に勝つこともなかった。カラオケで、♪何もいいことがなかった~と歌いもしなかった。なるほど。

 でもまずは大きな災害に襲われなかったという、大きな幸せをかみしめよう。大きな賭け事に勝つということはなかったが、小さな幸せはたくさんあった。その幸せをかみしめ、感謝しよう。ありがとうございます。

2025年7月6日日曜日

宮地嶽神社、六日も常の夜には似ず


 母の見舞いのついでに宮地嶽神社に参拝した。ときは7月6日、例の七夕の前日である。

 ちかごろはどこの神社仏閣もアドバイザーの助言を得ているのだろう、七夕飾りや風鈴などで飾り立てられている。

 御手洗からして宝石のようなガラス玉を並べ、花が飾られている。



 七夕は、中国神話に登場する牽牛と織女の逢瀬を祝う中国の祭りが起源ではある。しかしかたいことは言いっこなし。そこは日本神話であるから八百万の神々のなかに含まれているのであろう。みな熱心に願い事を書いていた。



 社殿の左奥に宮地岳が鎮座する。緑が青空に映えて美しい。北部九州の神社であるから、やはり神功皇后ゆかりである。皇后が渡韓に際しこの頂で祈願し船出したのがはじまりと伝わる。


 奥宮には風鈴のトンネル。もう17時なのであるが、まだ明るい。子どもたちがはしゃいでいる。風鈴もこれだけ集めれば、ワクワク感が半端ない。文月や、六日も常の夕には似ず。

 光の道。嵐のCM以来、ここは光の道のある神社として紹介され、知られるようになった。年に2度、この石段から向こうの玄界灘までまっすぐにのびる延長線上に夕陽が沈むのが神秘的で美しい。残念ながら、きょうは光の道よりやや東側に夕陽が沈みそうである。

2025年7月3日木曜日

婚姻費用分担・離婚調停(2)

 

ワスレグサ(カンゾウ)

 もう一件も、子どもが二人いる事案。依頼人は妻側。本事件の子どもは大きく大学生である。夫は事業者、妻は会社員である。

 離婚については調停が不成立となった。別居までは離婚要求をつづけていた夫だが、調停になったとたん手の平をひるがえし、離婚に応じなくなった。やむなく離婚裁判を提起した。

 婚姻費用分担についても調停は不成立となり、長い審理のすえ審判がなされた。

 婚姻費用は最高裁が示している算定表が導入されてから、手計算の必要が原則としてなくなり、早期に解決することが多くなった。

 本件では夫が事業者であったこと、かれが複数の疾病をかかえ、稼働能力がなく、収入が減少していると主張したこと、子どもたちが大学生であることから分担すべき細かな費目が争われたことなどから、家事審判としては異例の長期審理となった。

 上記各論点について、夫側の主張が認められれば厳しい結果も予見されていた。しかし結果は、一定の月額と過去分の支払いが命ぜられた。

 結果を電話で報告すると、依頼人は涙を流さんばかりに喜ばれた。弁護士冥利につきる瞬間である。

2025年7月2日水曜日

婚姻費用分担・離婚調停(1)

 

 離婚調停2件が不成立に終わり、どちらも婚姻費用のほうだけ解決をみた。

 ひとつは、以前にも報告をしたと思う。夫側から依頼を受けた事件。

 幼児2人の4人家庭で、母が子2人を連れて実家に帰ろうとしたので、父から受任して、母にたいし無断で連れ帰ってはならない旨の手紙を渡したところ、母一人が実家に帰ってしまった事案。

 離婚調停のほか、子の監護権と身柄の引渡しを求める仮処分と審判を求められた。幼児のばあい、日本ではいまだ母親の監護が優先するとされている。一般には、母を監護権者とすることが多い。

 しかし、本件では母がひとり実家に帰ってしまったので、幼児たちはこちらの実家で監護していた。こちらはその実情を尊重してほしいと訴えた。

 幼児たちの実情を調査官が調査した。家裁における事実認定は、証人尋問ではなく、調査官調査によることになっている。その結果、父のもとで養育監護することが望ましいとの調査結果が報告された。裁判官はこれを踏まえて、父を監護権者とする決定をくだした。

 離婚調停では、離婚については互いに異論はなかったので、残る論点は、親権者の指定、養育費、面会交流、財産分与、慰謝料。それとともに婚姻費用分担。

 離婚調停では、離婚とともに婚姻費用分担調停を申し立てることが一般である。要は、妻や子どもたちの生活費。離婚成立までを婚姻費用と呼び、離婚後を養育費と呼ぶ。離婚までは妻の生活費が含まれている。

 離婚調停における兵糧攻めを避けるため、まず、婚姻費用分担調停を先行させることが多い。本件では、子どもたちの監護権者・親権者の帰趨が問題になったので、婚姻費用問題はそれが決してからとされた。

 監護権と親権のちがいは、ざっくり言って、子どもたちにたいする事実上の監督権が監護権で、法的な監督権が親権である。仮処分と審判で、父を監護権者と定める決定がでた以上、親権も父とされる可能性がほぼ100%である。

 通常であれば、親権者を父として、離婚調停を成立させることになるだろう。しかし、母は納得せず、離婚調停は不成立に終わった。婚姻費用分担調停だけは、最高裁の養育費算定表にしたがい、こちら側が若干の支払いをすることになった。

 調停は不成立に終わったので、妻側から離婚裁判へ移行する可能性がある。ただそれも敗訴確率がたかいので、なにもなされないまま時間が経過するという可能性もある。そのときは夫側から提訴しなければならないかもしれない。しばらくは様子見である。

2025年7月1日火曜日

『一瞬でいい』唯川恵・集英社文庫

 

 『一瞬でいい』唯川恵・集英社文庫を読んだ。流行作家の小説は読まなくなったのだけれど、先輩が読んだというので。

 1973年11月、18歳の高校生4人(男女2人ずつ)が初冬の浅間山に登り、うち男性一人が遭難してかえらぬ人となった。その喪失感を抱えながら、大人へと成長していく残された3人の人生を描く。

 弁護士をしていると、他の人々より死は身近だ。交通事故や薬害で父母や子を亡くした人々の話を聞くことが多い。初7日、49日、一周忌など時間が解決していくことも大きい。加害者に損害賠償をするなかで、心の整理をしていく人もいる。

 ともに山に登った仲間が死ぬとなると自責の念から逃れられないのはよく分かる。あそこでこうしておけば、ああしておけばという選択ミスが心をさいなむからだ。

 しかし山に入る以上、一定のリスクは覚悟のうえだ。心身にあいた欠落をなんとか埋めて克服していくほかない。

 この本の解説は女性登山家の亡谷口けいが書いている。登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール賞を世界で初めて受賞した女性登山家である。

 「より深い足跡が刻まれていれば、その一瞬を誰よりも強く踏みしめて生きたってことの証になる」

 その谷口けいも10年前、大雪山黒岳で滑落して無くなった。43歳。

 ついこないだのような気がするが、もう10年もまえのことになってしまった。