山中2泊目は天狗山荘。小屋前からは白馬三山のうち一番南に位置する白馬鑓の大展望(一枚目の写真)。小石でザレていて、白色に輝いている。美しい。
2023年8月31日木曜日
不帰ノ嶮(かえらずのけん)(6)天狗山荘、白馬鑓温泉
山中2泊目は天狗山荘。小屋前からは白馬三山のうち一番南に位置する白馬鑓の大展望(一枚目の写真)。小石でザレていて、白色に輝いている。美しい。
2023年8月30日水曜日
不帰ノ嶮(かえらずのけん)(5)天狗の大下りと天狗の頭
難所を通り抜け、ようやく不帰ノ嶮・第Ⅰ峰まで到達した。前方には天狗の山塊が美しく鎮座している(1枚目の写真)。
左側の九十九折りの登山道が天狗の大下り。その上部に達すると、右へ天狗尾根が伸びている。中央、小高くなっているところが天狗の頭。尾根の右奥に白馬鑓が上部を見せている。
その手前の肩あたりに天狗山荘がある。きょうの宿泊地。不帰ノ嶮を踏破して疲れているが、なんとしてもあそこまで行かなければならない。
まずは天狗の大下り(2枚目の写真)。大下りだけれども、逆コースなので大のぼり。高度差400メートルもある。急角度でザレた坂を延々と登る。ときどき渡っていく涼風が気持ちがいい。
途中で振り返ると、不帰ノ嶮にガスがかかっていた(3枚目の写真)。台風が接近しているので、東(左)側から湿った空気が山をのぼってきてガスを発生させているようだ。
天狗の大下りの上部は鎖場が続いている。これをクリアしてようやく上部に達した(3枚目の写真)。これから大下りをくだろうというおじさんが気合いを入れていた。
おじさんの眼前には雄大な絶景がひらけていた。前方には後立山の山々、右方には黒部峡谷、その向こうに薬師岳が見えていた。
2023年8月29日火曜日
不帰ノ嶮(かえらずのけん)(4)核心部
2023年8月28日月曜日
虫との距離
長女のボヤキをきくと、Kくんは虫が苦手なようだ。アブがとんできたとき、長女をおいて逃げ出したらしい。
きけば三女の夫(候補者)も虫が苦手らしい。ゴキブリが出ると、自分では対処できず、三女まかせにするらしい。
きのう、事務局が騒いでいるので、どうしたのかと思ったら、すこし大きいサイズのハチが執務室の壁にとまっている。殺虫剤をふりかけようなどと言っている。
逃げるかも知れないとは思ったが、ちょっと裏側にまわって(昆虫の視界に入りにくいかなと思い)、ティシュでつかむことができた。玄関の外で解放してあげると、ヨタヨタと逃げていった。
そういえば、ちょっと前にも、トンボの仲間が事務所に迷い込んだことがあった。そのときも、おなじようにして逃がしてやった。
いまの若い人たちの夏休みは、室内、家庭用ゲーム機で遊ぶことが多いのだろう。ぼくらのころはそんなのはないから、夏休みの間中、外で虫取りをしていた。友だちがいるときは野球とかできるが、一人遊びはそれぐらいしかすることがなかった。
おかげで昆虫採集はちょっとした腕前だ。壁にとまったハチだって、容易にゲットすることができる。逃がしてあげることもできる。殺虫剤は必要ない。
・・・ここまで書いて、このテーマって、40年もまえにアニメ映画で宮﨑駿が描いたことやんということに気づいた。
2023年8月24日木曜日
不帰ノ嶮(かえらずのけん)(3)ご来光
山中2日目の夜明け。
日の出は5時ころ。4時半まえに起き出して裏山に登る。すでに20~30人の人たちが待ち構えている。風はそれほどなく、ややひんやりする気温。ブルーモーメント。東の空が白んでいる。
寒色系の空に、すこしずつ暖色系の色合いがまじっていく。白馬村があるあたりは雲海に覆われている。東のほう、雲海の涯、ある点の光が増していく。日の出はおそらくあのあたりだ。
小さな輝点が姿をあらわす。ご来光だ。どよめきが起きる。輝点がどんどん成長し、円弧、半円、丸円となる。ひゃー神々しい。
ご来光を拝すると、太陽のパワーを実感する。太陽光線があたると、明るく、あたたかくなる。人類の強い味方。太古人類が神とあげめたことが実感できる。
手前は北信五岳(妙高、斑尾、戸隠、飯綱、黒姫)、その横は信州と越後の県境にある頚城山塊(妙高、火打、雨飾)。
西側を振り返ると、立山と剱岳がモルゲンロートに。後はビーナスベルト。美しい。手前の黒部峡谷はまだ夜があけていない。
鹿島槍、五龍、唐松、白馬の山々は後立山連峰と呼ばれる。いまの感覚だと、あれっと思う。立山の前にあるから、前立山ではないかと思うのである。
なぜか。後立山という呼称は富山県、日本海側からの呼称だ。この名称がつけられた当時、信州側より富山県側のほうが栄えていたということだろう。
しばらくすると、朝日は角度をあげる。空はふたたび、暖色からブルーの世界に変化する。雲海がキラキラ光をはねかえす。なんという雄大な景観だろう。
2023年8月23日水曜日
不帰ノ嶮(かえらずのけん)(2)唐松岳頂上山荘にて
2023年8月22日火曜日
別れと出会いを繰り返し
きのうは昼、再会があり、夜、別れがあった。
昼はロータリークラブの例会が二日市温泉大丸別荘であった。そこへ昔、奨学生としてお世話した劉くんが家族連れで挨拶にきてくれた。
ロータリーは複数の奨学生制度を用意をしているのだけれども、かれは米山奨学生。中国からの留学生で、日本で経済を学んだ。多難な留学生活だった。
いまは中国の大学で教えており、日中の経済比較などを研究しているらしい。中国の一人っ子政策はこれから少子高齢化社会を迎え、先行している日本の状況はとても参考になるという。
この間、来日のチャンスをうかがっていたが、コロナ禍等で果たせなかったようだ。今般、中国政府の日本観光解禁措置により、家族を連れて日本を訪れることができたという。
理事会があり長く話すことはできなかったが、握手で長い時間を飛び越えることができた。日中理解と友好の架け橋となってほしい。
夜は顧問弁護士をしている団体の職員の送別会があった。15年間勤務したというからアラフォー。顧問弁護士の仕事のひとつとして、総務財政室の会議に出席しなければならない。かれはその担当事務局だった。
総務財政室のメンバーはよくいえばユニーク、わるくいえば我が儘というか面倒くさい人が多い。そのようなメンバーを相手にかれはよくがんばってくれたと思う。
お連れあいの実家のある堺へ家族ともども引っ越し、かの地で就活をしているという。きけば大学の後輩らしい。いままでは団体の仕事の話しかしていなかったので、はじめて知った。かれらの幸せと活躍を祈った。
ぼくのばあい、高校卒業後、大阪岸和田市から福岡のほうへ転居した。電車のなかで部活の先輩と偶然出あい、餞別などをいただいた。そのときのあたたかい情景がこれまた長い時間を飛び越えてやってきた。
花発多風雨(花ひらけば風雨多し)
人生別離足(人生別離足る)
2023年8月20日日曜日
『ユリシーズ』と『エデンの東』と『風と共に去りぬ』と『街道をゆく「愛蘭度(アイルランド)紀行」』と(2)
『ユリシーズ』第7章「アイオロス」につぎのくだりがある。
風とともに去った。マラマストに、諸王のいたタラに、大群衆がつどう。入口のある耳が何マイルもつづく。民衆指導者が吠え、言葉が四方の天風に乗って散った。民衆はその声のなかに身を寄せた。・・
いままでこれを読んで不思議に思っていた。「風とともに去った」「タラ」という2つのキーワードがどうしても『風と共に去りぬ』を想起させる。「タラ」というのは、『風と共に去りぬ』ではスカーレットの実家の屋敷のことだ。でも時代も場所も違う。偶然の一致だろうか?
「風とともに去った」には訳注が付されている。世紀末の詩人アーネスト・ダウスン(1867-1900)の詩「私はやさしいキュナラの言うままであったときの私ではない」より。
「タラ」の訳注はこう。タラはダブリンの北西33キロ余りの地点にある丘。古代アイルランド王の城址がある。1843年、「民衆指導者」ダニエル・オコネルはこれらの土地のほか各地で連合法撤廃の大集会を開き、イギリス政府に圧力をかけたが、同年10月投獄されて運動は挫折した。
これら訳注を読んでも、『風と共に去りぬ』との関連は謎だ。謎は謎のまま、調べもせずに放置していた。ところ、先日NHK BSで司馬遼太郎の『街道をゆく「愛蘭度(アイルランド)紀行」』を行くをやっていた。これを見て得心がいった。
オリバー・クロムウエルをご存じだろうか。われわれ憲法を学んだものにとって、かれは人権闘争の歴史のうえで英雄の一人である。かれはピューリタン革命を指導したからである。
ピューリタン革命とは、「世界史の窓」によればこう。「1642年から49年に至る、イギリスのステュアート朝絶対王政に対して、議会の中心勢力であったジェントリが国王の専制政治を倒し、宗教的自由を求めて立ち上がった。彼らはピューリタンが多かったので、ピューリタン革命(清教徒革命)という。この革命によって国王チャールズ1世は処刑され、共和制が実現した。」
世界史や憲政史ではここまでしか学ばないけれども、クロムウエルにはさらに黒歴史があったようだ。上記勢いにまかせてアイルランドに遠征し、カトリックの信者とみれば誰彼かまわず虐殺し、アイルランドを植民地にしたという。
以来、アイルランドでは繰り返し独立闘争が繰り広げられた。しかしアイルランド人は100戦100敗の民であるという。先の「民衆指導者」ダニエル・オコネルによる運動の挫折もその一つだ。しかしアイルランド人は主観的には負けていない。主観的には100戦100勝らしい。つまり、不屈の精神をもつ。
その際、不屈の精神の拠り所となったのがタラの丘である。古代アイルランド王が依拠した土地で、日本でいえば飛鳥とか天の香具山みたいなところだ。
『風と共に去りぬ』の著者マーガレット・ミッチェルも、その主人公スカーレット・オハラもアイルランド移民だ。
スカーレットは南北戦争にも負け、アシュレーとの恋愛、レット・バトラーとの子育て・恋愛にもことごとく負ける。しかし屈しない。その背景にはアイルランド魂とその象徴としてのタラの丘があるのだ。
ミッチェルの『風と共に去りぬ』も、前記アーネスト・ダウスンの恋愛詩シナラからの引用という(詩の題名の違いは不明)。
といったことがよく分かった。司馬遼太郎という思わぬ援軍である。ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』の理解も深まった。
おまけ。米大統領ジョン・F・ケネディやロナルド・レーガンもアイルランド系。映画監督ジョン・フォードも。さらにビートルズもアイルランド系らしい。なるほど。
2023年8月17日木曜日
『ユリシーズ』と『エデンの東』と『風と共に去りぬ』と『街道をゆく「愛蘭度(アイルランド)紀行」』と(1)
ジェームズ・ジョイス『ユリシーズ』をなんどめか読み返している。読書百遍の効果もわずかばかり感じられるけれども、あいかわらず難解。
普通の小説との最大の違いは文体。文体が千変万化し、一章ごとに新たな戦い(文体との)が待っている。しかし、内容もやはり難しい。
ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』、その他ギリシアの古典・思想、旧約・新約の聖書、キリスト教の歴史(カトリックとプロテスタント、イギリス国教会)、エジプト・ギリシャ・ローマの歴史、アイルランドの歴史(とくに植民地からの独立運動)・文学、イギリス帝国の歴史・文学,シェークスピアの人生と著作、ユダヤ教、ユダヤ人の歴史など膨大な情報が踏まえられている。
これらに前提知識に精通していいないと、ちゃんと理解できない。そのため、集英社文庫の丸谷才一ら訳には膨大な訳注がふされている。たいへん便である。が、それらをいちいち参照していると意識の流れがそちらへ行ってしまって、本文の流れを見失う。困ったもんだ。
たとえば、第7章「アイオロス」。『ユリシーズ』は1904年6月16日(木)ダブリンにおける平凡な市民ブルームの一日が描かれている。ブルームの仕事は新聞の広告とり。
平凡な一日なのだが、背景には『オデュッセイア』におけるユリシーズの冒険が踏まえられている。アイオロスというのは『オデュッセイア』にでてくる風の神の名だ。
「アイオロス」の舞台は新聞社。そこで3人の主人公のうちブルームとスティーブンが出会いそうで出会わない。スティーブンが来社した際、ブルームは広告とりに出かけてしまう。
その際、アイオロスの生まれ変わりというか、すくなくともアイオロスに擬されている編集長がブルームの背中をおして、こういう。
-行け!と彼は言った。世界はきみの前に開けているぞ。
この点について、丸谷ほかの訳注にはこうある。ミルトンの『失楽園』の結びに「世界は二人の前に広く開けていた」とある。「二人」は楽園を追放されたアダムとイヴ。
この訳注はこれでよいのだろうか。丸谷らの訳には、多方面から批判がある。原典が難解なのだから、やむを得ないのであるが。
「世界はきみの前に開けているぞ。」ときいてぼくが思い浮かべるのは、『エデンの東』のラストシーンだ。『エデンの東』はジョン・スタインベック原作。ジェームス・ディーンが主人公キャルを演じる映画が有名。しかし、ぼくが強い印象を受けたのは米国テレビドラマ版。
キャルは、粗暴な言動から八方塞がりな状況に陥ってしまう。孤独感からそのような言動をしてしまうのだけれども、まわりの理解は得られない。兄は出生の秘密を知ったショックから出征し、父はそのショックで脳出血に倒れてしまう。かくて、すべての道が閉ざされているように感じられた。
そうしたティムに対し父は、言葉も不自由ななか、こう言って背中を押す。
「ティムショール(ティムシェル)。」
意味は「道は開けている」。旧訳聖書・創世記「カインとアベル」に由来する。
そもそも『エデンの東』は、「カインとアベル」を踏まえている。カインとアベルはアダムとイヴの息子たちで兄弟。それなのにカインはアベルを殺してしまう。人類最初の殺人。
近時、兄弟姉妹の遺産分割協議が激烈化していると感じる。しかし旧約の時代からそうなのだと知るとなんだか慰められる。
弟を殺したカインに対し神が言った一言が先の言葉、「ティムショール」である。
前記「-行け!と彼は言った。世界はきみの前に開けているぞ。」の訳注としては、こちらを紹介すべきと思われるのだが、いかがなものであろうか。
(旧約はもちん『失楽園』も、『ユリシーズ』も、『エデンの東』さえも原典で読んではいないので、思わぬ間違いがあるかもしれないが)。
2023年8月16日水曜日
不帰ノ嶮(かえらずのけん)(1)唐松岳・八方尾根を登る
2023年8月9日水曜日
「憧れの東洋陶磁ー大阪市立東洋陶磁美術館の至宝」@国立九州博物館
国立九州博物館へ、東洋陶磁を見にいってきた。
2023年8月8日火曜日
黒部五郎岳と雲の平へ(6)北アルプスの最奥部へ
写真の奥のギザギザは槍ヶ岳である。その手前の稜線、右(南)に登れば三俣蓮華岳、左(北)に登れば鷲羽岳である。
その稜線とこちら側の稜線の間は深い谷になっている。黒部川の源流が左(北)側から右(南)側へ流れている。あれ?と思うかもしれない。黒部川は日本海に注いでいるので、北へ向かうはずだから。じつは、このあと説明する雲の平をぐるっと半周して北へ向かうことになるのだ。
写真を拡大すれば分かるが、三俣蓮華岳と鷲羽岳をむすぶ稜線のやや右に三俣山荘が建っている。そこから、三俣山荘の中腹を右へトラバース(迂回)すると、黒部五郎岳へ向かうことになる。
三俣山荘から西、黒部源流へくだって徒渉し、ふたたび登りあがり祖父岳の中腹までくると、写真を撮影した場所に達する。さらに、西へ向かうと雲の平だ。新穗高温泉の登山口から三俣山荘まで2日かかっているので、黒部五郎岳や雲の平がいかに奥深いか実感できると思う。
お目当ての一つ、黒部五郎岳である。標高2840m。日本百名山。東側がスプーンで削ったように、大きな丸い谷になっている。カール地形である。とにかく美しい。長い長い稜線を歩いてきた甲斐があるというものだ。
2023年8月7日月曜日
黒部五郎岳と雲の平へ(5)長大な稜線とピーク
2023年8月6日日曜日
黒部五郎岳と雲の平へ(4)山小屋

山旅をする際、天気がよくて体力があれば、テントを背負っていけばよい。しかしそうでないなら山小屋を利用するのがよい。
こんかいも、上から順に、鏡平山荘、双六小屋、三俣山荘を利用した。三俣山荘は小さくて分かりにくいけれども、手前の稜線の右側に写っている。
山小屋のサービスはさまざま。旅館に近いところもあれば、山小屋らしいシンプルなところもある。鏡平山荘と双六小屋はおなじグループ経営で旅館にちかく、三俣山荘は山小屋らしいところだ。
いちばんの問題は水だ。トイレ、洗面、食事、水分摂取など、われわれ(特に日本人)はすべての生活局面で水を必要としている。山小屋で水に不自由する生活を送ることを強いられると、普段いかに水にめぐまれた生活を送っていたのか実感できる。
山小屋は水をどうやって得るかを考えて立地している。湧水や沢のあるところ、雪渓がちかく雪解け水が得られるところが豊富でおいしい水が得られる。
鏡平山荘は見てのとおり、近くに池がある。三俣山荘は湧水がある。双六小屋は雪渓から導水している。こんかい泊まったところはどこも水は豊富なところだった。そうは言っても風呂はない。風呂や温泉がある小屋は限られている。
このようにして水が得られないところは天水といって、小屋の屋根に降った雨水を溜めておいて利用することになる。水は貴重だ。お金を出して買うことになる。
水の問題は、トイレの臭いや洗面などいろんな問題に波及する。小屋泊まりのクオリティはほぼ水にかかっているといっても過言ではない。
水のつぎは輸送だ。むかしは歩荷さんが担いで登っていた。いまはヘリコプターを利用しているところが多い。なので物価が高い。
ペットボトル飲料が鏡平山荘、双六小屋で500円、三俣山荘で700円だ。もちろん、体力に自信があれば、自分で担いで登ればよい。しかしそうでないなら、お金で問題を解決しよう。
その次は、いまなら携帯電話がつながるかどうかだろうか。小屋は水が得やすい山あいにあることが多い。つまり、携帯電話がつながらないところが多い。これはストレスだし、時間もつぶしにくい。
その後にくるのが、小屋のオーナーさんやスタッフさんのサービス。各小屋で、アルペンホルンの演奏やグッズの販売などに知恵をしぼっている。
夏山登山は朝4時くらいに行動を開始して昼前後には行動を終了している。あるいは、雨が降り行動を中止して、いわゆる沈殿することもある。そのため時間つぶしが必要となる。昼寝をしてもよいが、夜がつらくなる。そのために、小屋には山関係の本がそろえられている。ただし、読書をするためには照明がいまひとつ。
・・・というわけで、山小屋生活は、日頃われわれがどれだけめぐまれた生活を送ることができているかを実感する場になる。みなさんも、いちどいかが?































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