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2023年12月5日火曜日

マジカルミステリーツアー(1)

 



 異様な旅だったので、これまでどうしようか迷っていたが、概要だけでも書き留めておこうと思う。

ときは10月の連休。あの『遠野物語』の舞台となった遠野を東にのぞみながら、宮城北部から岩手に至る旅だった。遠野に天狗、河童、座敷童などの妖怪がいて、神隠しが存在するのであれば、これら地域にそれらが存在してもおかしくない。

当初は、森吉山、和賀岳、秋田駒ヶ岳という秋田の二百名山をめぐる旅を計画していた。しかし、数日前の天気予報で、予定日はいずれも強い寒気と強風が吹き荒れることが予想されていた。

実際、これらの日々に登山を強行されたかたがたのなかからは、低体温症で亡くなられたかたも少なくなかった。このことは以前にも書いた。

ぼくは登山をあきらめて、芭蕉のおくのほそ道の旅をたどることにした。おくのほそ道の旅は80%くらいはたどることができていた。残るは数カ所。

なかでも難所は、尿前(しとまえ)の関から山刀伐(なたぎり)峠を越えて尾花沢までのルートだ。芭蕉も苦労したらしい。おくのほそ道きっての難ルートだ。

連休の直前になっての転針であるから宿の確保ができるか心配した。が、なぜか、鳴子温泉のある旅館を予約することができた。そのときは、予約できたことに安心してそれ以上の探索をやめてしまった。

当日は予報どおり風が強く、飛行機はなんとか仙台空港に着陸できたものの、そこから先の在来線、新幹線は乱れに乱れていた。

新幹線の古河駅から海側へ向かう路線は強風のため運休していた。しかし山側へ向かう路線は遅れながらも運行していた。途中、岩出山など、おくのほそ道で馴染みの地名などがある。

鳴子温泉駅でおり、尿前の関まで歩いた。ふるくは陸奥・出羽の境であった。そのため怪しい人の出入りを厳しくチェックする関があった。

 南部道遙かに見やりて、岩出の里に泊まる。小黒崎・みづの小島を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この道旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて・・・。

日も暮れてきたので、あわてて宿に向かう。帳場で宿泊手続を行った。湯の種類は4種あり、温泉好きにはたまらないようだ。

部屋に案内された。・・・。唖然。壁がボロボロだ。誰かが凹ましたままになっている。寂れているなぁ。

まぁいい。温泉さえよければ。・・・。呆然。河童でもでそうで怖い。そさくさと湯につかる。

風呂のあとは夕食。食堂にむかう。・・・。なんと宿泊客はぼく一人のようだ。背筋がゾクゾクする。

部屋に戻る。風雨で、窓がガタガタとなっている。窓枠が外れそうだが、だいじょうぶだろうか。

あらためて検索していみる。その旅館の名前を入力すると、予測変換の文字が。なんと「恐怖」とか「怖い」とか。ぞーっ。

そのとき。タカタカタカ・・・。窓の外を、なにものかが走り抜けた音がした。あわててカーテンをどけて窓の外を見分する。漆黒の闇に、樹木の枝葉が揺れ、雨が窓ガラスを打っている。窓の外は切れ落ちていて、なにものかが通れる余地はない。

なんだったのだろう?天狗か妖怪か?ネコだったと信じたい。今夜、眠れるだろうか?心配しながら、すこし湿気った布団に入る。

2023年10月12日木曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(6)片倉館と野麦峠

 

 諏訪湖のほとりに昭和3年に建てられた立派な洋館が建っている(写真)。片倉館である。国の重要文化財。

いっけん役所ふうであるが、なかは温泉施設。深さ1.1メートルの1000人風呂で有名。このあたりでロケがおこなわれれば、かならず紹介される場所だ。上諏訪温泉群の中心的存在である。

われわれの会話。
「少女たちの生き血を吸って建てられたんやろうね。」
「たぶん、そうだね。」

この会話が読み解けるだろうか。ヒントはやはり諏訪湖のほとりに建てられているということだ。

むかし「あゝ野麦峠」という映画があった。森下愛子主演。山本茂実のノンフィクションが原作。同旨のものに『女工哀史』というルポルタージュもある。

明治・富国強兵政策の時代、岐阜県飛騨地方農家の10代の娘たちが、諏訪湖周辺の製糸工場で過酷な労働を強いられた姿を描く。

当時は労働基準法など労働者保護法制は存在しない。10代であっても少女たちは安価な労働力として死ぬほど(文字どおり)こき使われた。栄養も休養も感染症対策も十分でないことから、結核などの感染症がたちまち蔓延した。

長野県松本から上高地へ入る際、途中まで野麦街道となっている。奈川渡ダム(梓湖)のTころで分岐があり、左側へ登っていくと野麦峠である。これが原作・映画名にある峠である。北アルプスの乗鞍岳の南にある鞍部である。

いまなら飛騨高山から信州松本へ高速バスが運行している。長い長い安房トンネルが北アルプスを貫通し、岐阜県と長野県とを短時間で結んでいる。

しかし、ときは明治時代である。名古屋から迂回する鉄道便さえない。飛騨地方から諏訪地方へ行くには、北アルプスを越えていくしかない。峠越えは、装備も十分でない時代のことだから過酷。峠は女工たちの過酷な境遇を象徴する存在である。

片倉氏は、こうした製糸紡績事業により財をなし、片倉財閥を形成した。その事業のひとつが上記片倉館の建設である。

それで、「少女たちの生き血を吸って建てられたんだろうね」という感慨になる。むろん、こんな荒っぽいとりまとめをしたら、関係者から叱られることだろう。すみませぬ。

実際、地元の人の話をきくと、とても尊敬されているようだ。たしかに、料亭を借りあげ、芸者をかりあつめて飲めや歌えの大宴会を行い、あげくのはて玄関でお札を燃やしたという、どこぞの炭鉱王たちに比べたら、ずいぶん立派である。このような観光資源を残したのだから。

また片倉氏は、群馬にある富岡製糸場を買い取り、その存続・保存に尽くしたという。世界遺産に認定された後、富岡製糸場を訪ねたことがある。年輩の女性が糸繰りの様子を実演してくれたのが印象的だった。しかし、片岡氏の功績は知らなかった。

富岡製糸場は世界遺産となり、インバウンドを含むおおくの人を集めている。重要な観光資源として地元に貢献している。そうした恩恵を明治期の少女たちに還元してあげられればよいのだが。

2021年8月18日水曜日

山中温泉


 (山中温泉)


(有馬温泉)

 (シュウメイギク@山中温泉街)

 温泉に浴す。その効有馬に次ぐといふ。

 山中や菊はたをらぬ湯の匂ひ

 あるじとする者は、久米之助とて、いまだ小童なり。かれが父、俳諧を好み、洛の貞室若輩の昔、ここに来たりしころ、風雅に辱められて、洛に帰りて貞徳の門人となって世に知らる。功名の後、この一村判詞の料を請けずといふ。今更昔語とはなりぬ。

 山中温泉は大昌寺川の上流、文字どおり山の中。川べりを散歩するコースが美しく、お奨めです。

 芭蕉によれば、温泉の効能は神戸の有馬温泉につぐらしい。しかし、念のためググってみると、日本三名湯は、有馬温泉のほか、草津温泉(群馬)、下呂温泉(岐阜)らしい。

子どものころは関西に住んでいたので、父か母の会社の家族旅行で有馬には行きました。草津はハンセン病訴訟の際に栗生楽泉園を訪問したときに入浴しました。下呂温泉は日本二百名山の小秀山に登ったときに泊まりました。

温泉のよさは泉質だけでなく、由緒、旅館街の情緒や、いまなら食事・お酒の味や接客のよさ等も考慮すべきでしょうが、ぼく的にはなんといっても露天風呂のポイントが大きい。川べりなど大自然と接し、山が望めるところに露天風呂がしつらえられていて、しかも硫黄泉、入浴するや疲れが溶け出していくときが最高です。

北陸も名湯の多いところです。石川の加賀屋には事務所旅行で泊まったことがあります。いろいろ問題も発生しましたが(笑)、よい思い出です。

山中を含む、粟津、片山津、山代の、いわゆる加賀四湯を全部つないで入れたら、どれだけ幸せでしょう。

こうしたそうそうたる競合のなかで、芭蕉が山中温泉を贔屓にしているのは、久米之助さんがお弟子さん(桃夭)になったことによるものでしょう。ぼくらもこれら温泉街、温泉旅館のなかで、どこかが顧問弁護士にしてくれれば、そこを一推しにするでしょうから(笑)。

旧暦9月9日(新暦10月14日)は重陽の節句。またの名を菊の節句。邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべたお酒を飲んで祝いました(桃の節句、菖蒲の節句に比べて、最近は人気薄。少子高齢化の影響でしょうか)。句の意味は、山中温泉に入れば、長寿のために菊を手折る必要がないということです。

 貞徳は松永。江戸時代の俳諧・貞門派の祖。貞門派は室町時代の作風を刷新したものの、やがてマンネリ化し、談林派にお株を奪われました。それをさらに改革したのが芭蕉率いる蕉風です。

芭蕉は北村季吟に師事していますが、季吟は貞徳門下です。なので、貞室は先輩格にあたるのでしょう。

俳諧のことで恥をかく、それをバネとして修業に励む、成長できたのちは恥をかかせてくれた人につながる人たちの指導料はとらない。先輩の美談として紹介されています。

われわれがご恩のある先輩やお世話になったかたの紹介者から相談料をいただかないのと似ていますね。

※シュウメイギクは、じつはアネモネの仲間で、キクの仲間ではないそうです。