2023年10月2日月曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(2)ナウマン


 ナウマンを直訳すると、イマジン?それとも、いまどきの人でしょうか。じつは明治期のお雇い外国人の一人です。

むかし子どもの絵本に『野尻湖のぞう』という絵本がありました。いまもあるのでしょうか。

野尻湖は長野県の北部、新潟県との境、黒姫山や妙高山に囲まれ、その麓にあります。妙高山に登った際、いちど訪ねたことがあります。

野尻湖はむかし日本に生息していたナウマン象の化石が出たことで有名。その事実は明治初期のお雇い外国人ナウマンが発見しました。だからナウマン象です。

ナウマンは明治初期、日本に地質学をもたらしました。来日したときは21歳。いまの大学3年生くらい。それでいて東大地質学教室の初代教授です。

NHK朝の連続ドラマ「らんまん」が終了しました。植物学教室と牧野富太郎博士の交流や確執がえがかれました。ドラマの緊張がたかまると、浜辺美波の愛くるしい笑顔が癒やしをあたえていました。

植物学教室と地質学教室はどのくらい離れていたのでしょうか。キャンパスでナウマンと牧野博士が顔をあわせ、ときには会話を交わしたこともあったかもしれませんね。

ナウマンは北海道を除く、本州、四国、九州を広範囲に調査し、その距離は全長1万キロメートルに及んだとか。

それまでの日本地図は伊能図で平板だったものに、等高線を書き入れたのもナウマン。並行して日本の地質を調査しました。

その結果、フォッサマグナや中央構造線の存在を発見しました。そして『日本列島の構造と起源について』を発表しています。

明治期の人たち、日本人であると外国人であるとを問わず、すごくないですか。牧野博士がドラマになるのであれば、ナウマンも是非ドラマにしてほしいです。

2023年10月1日日曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(1)諏訪湖

 

 先週は投稿をお休みしました。すみませぬ。先々週末、木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原という日本百名山を4座登ってきたので、その間たまった仕事等に追われていたのでした。

きょうから、その報告。今回の旅のテーマはナウマンの偉業をたたえるです。

写真がどこかわかりますか。諏訪湖です。諏訪湖ときいただけでナウマンとのつながりがわかった人はなかなかの通ですね。

諏訪湖は、フォッサマグナの西端・糸魚川静岡構造線と中央構造線が交差する位置にあります。日本列島のヘソといってよいでしょう。今回の山行との関係でいえば、霧ヶ峰の山麓です。

たまたまそこに位置しているのではなく、中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層活動により地殻が引き裂かれてできた構造湖です。

このコースは以前にも経験したことがあるのですが、前回は諏訪湖をスルーしてしまいました。今回は、NHKジオ・ジャパンのシリーズにより日本列島のなりたちの理解が進んだので、是非、現地を訪ねてみようと思いました(八ヶ岳から遠望したことはありましたが)。

中央線の上諏訪駅を降ります。北側に改札口があるので、左折して線路沿いに行くと、さらに左折。線路をくぐると、むこうに諏訪湖が見えています。

モニュメントがあり、そこを抜けると諏訪湖の絶景が開けています。写真をみて、湖の向こう側の左手(諏訪湖南西側)には諏訪湖南岸断層群があります。同じく右手(諏訪湖北東側)には諏訪湖断層群があります。

湖を取り囲むように諏訪大社4社が位置しています。上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮。諏訪大社は諏訪湖と密接な関係があるにもかかわらず、上社は諏訪湖からずいぶん離れたところに立っています。なぜでしょう。

諏訪湖には流入する河川がたくさんあるにもかかわらず、流出する河川は南西側の天竜川しかありません。土砂の堆積が進み、年々、面積が縮小しています。そのため、上社は離れたとこにあるのだとか。むかしは湖面に近く建てられていたそう。ごらんのとおり、写真でも湖面の縮小を実感することができます。

2023年9月21日木曜日

血液型B


 顧問会社のA社長がSNSに投稿していた。内容は、他の人が投稿したTik Tok動画の引用。

動画のテーマは、血液型B型の人と長くつきあう利点。1週間つきあうと、世界が広がる。1か月つきあうと、いろんな視点がもてるようになる。1年つきあうと、趣味や関心が増える。3年つきあうと、忍耐力が増す。・・・

B型の人とおぼしき人たちが、たくさんのコメントを寄せている。「初めて誉められた。」「そうか、俺にもいいところあるじゃん。」などなど。

A社長もおそらくB型で、これらコメントに賛同して、この動画を引用したものと思われる(A社長なのにB型)。

しかし「ちょっと待てよ。」(例のキムタクふうに)そんなに手放しで喜んで良いのだろうか。

果たして、この動画はB型の人の性格を誉めているのだろうか。疑問。やはりそこで描かれているB型の性格は、「自己中心で、その時その時の関心に応じて自由に生きている。」ということではないのだろうか。

そういう性格のB型の人と「長くつきあうことができれば」、そりゃ、世界が広がるし、いろんな視点がもてるようになるし、趣味や関心も増え、忍耐力も増すだろう。納得。

この議論は我妻・有地先生のダットサンを思い出させる。受験生の友、膨大な民法を最小限の労力で読破できるのがダットサンだ(それでも3冊。普通は総則、物件、債権総論、債権各論、親族・相続の5冊。)。コンパクトなのに滋味あふれる文章であった。

我妻・有地先生は親族編の夫婦のところで、こう書かれていた。夫婦というのは、川に網を張って魚を捕るようなものだ。網の幅が狭ければ、安定するかわりに、捕れる魚の量はすくない。他方、幅が広ければ、不安定になるかわりに、捕れる魚の量は多い。

似たもの夫婦は、仲がよいかわりに、新しい景色をみることが少ない。性格が真反対な夫婦は、しょっちゅう喧嘩(いよいよとなれば離婚)しているかもしれないが、新しい景色・体験をすることが多い。ということだ。なるほど。

夫婦とまでいかずとも、友人、同僚についても同じことが言えよう。

この動画は人への対しかた、褒め方の点でも参考になる。「あんたは自己中だから、つきあいにくいねぇ。」などと言うなかれ。「あなたと長く付き合ったおかげで、いろんな世界をみせてもらえたねぇ。感謝感謝。」というべし。

追伸1。わが事務所の採用面接では血液型を訊くことが伝統。もちろんジョークなのだが、さいきんではハラスメントの臭いがしないではない。

追伸2。旧来の占いふうの関係ありという説に対し、血液型と性格は無関係という説あり。前者について、科学的な装いを新たにした説もあり。人類はもともとO型から出発し(だから、おおらかな性格)、農耕をはじめた人からA型が(だから、几帳面な性格)、狩猟をはじめた人からB型が(だから自由奔放な性格)それぞれ派生し、AB型の出現はAとBのミックスによるものだから新しい(だから、複雑な性格)など。

追伸3。血液型は感染症への強弱や自己免疫疾患へのかかりやすさと関係しているという説あり。ABO型の分類は抗原抗体反応によるもののようだから、この説は科学的根拠がありそう。

2023年9月20日水曜日

アクティビティ共同体

 


 軽い運動をまいにち一緒にやりましょう。というグループに入れてもらった。すこしは運動ができるやつとみこまれたのだろうか。

アプリを使って、自身はもちろん、メンバー全員の運動量や達成状況がわかる。一定の運動量に達すると達成ありで、クジをおこなったうえで、景品がでる。

運動を継続すると、健康、睡眠などにもよい影響があるなどと情報も提供される。

一緒に運動といっても、アナログに集まる必要はない。デジタルでつながっているだけだ。一人だといちばんの壁になりそうなアプリの操作方法も、SNSを通じて教えてもらえる。

運動をしたほうがよいと分かっていても、モチベーションの波が壁になる。ある日、体調と気分がよいときがあり、思い立って、ジョギングをはじめる。しかし1週間~1か月くらいしか続かない。仕事の都合や飲み会つづき、雨降りがつづいたり、体調・気分不良の日もあるから。

運動の継続は克己心だけではダメだ。少なくとも自前の克己心では。世の中にはとても強い克己心をお持ちのかたがたもいらっしゃるが。

司法試験の受験期、2年間ほどジョギングが続いたことがあった。このときは受験仲間・先輩といっしょに走ることができたため、長続きできた。

その後、何度か、断続的に運動をしているが、なかなかに続かない。つづいているのは、グループで楽しんでいるものにかぎられる。仲間とやると、互いに励まし合ったり、牽制が働いたりして長続きする。

今回は、運動仲間、アプリ、運動量と達成が目に見える、ゆるやか、歩き、達成感、クジ、景品などモチベーションを支援する道具立てがそろっている。さてどこまで続きますか。

2023年9月19日火曜日

月は隈なきをのみ見るものかは

 


 NHK BSで「絶景にっぽん月の夜」をやっていた。案内役は橋本マナミ。いわく。世界で類をみないほど月を愛してきた日本人。上弦の月、十六夜、立待月、眉月など、四季や月日の移ろいに合わせた月の名は数知れず。そんな月との営みは今も全国に残っている。三日月信仰、徹夜踊り、屋久島の夜・・・。夜の日本を旅して〝月の愛で方”を探る。

世界で類をみないほど月を「愛してきた」日本人。というけれども、現代日本人のうちどれほどの人が月を愛しているだろうか。

白楽天の詩に「雪月花時最憶君(雪月花の時 最も君を憶ふ)」とあり、われわれ日本人は雪月花を最も美しいとおもい、愛してきたとされる。しかし自身、雪と花の愛し方に対し月はやや比重が劣るような気がする。

芭蕉などは長い旅をして月見を楽しんでいる。鹿島紀行や更科紀行である。前者は江戸深川から茨城県の鹿島まで出かけて月見を試みている。後者は美濃から信州更科(姨捨山)まで旅をして月見を試みている。どちらも当時、月見の名所である。

対するわれわれはどうだろう?花見をするために弘前、高遠や吉野へ出かける。雪を見るために、蔵王、八甲田や八ヶ岳、北アルプスに出かける。しかし月見をするために遠出を計画することはない。生活様式の変化なのか、嗜好の変化なのか。それとも個人的な趣味の問題か。

ところで、「絶景にっぽん月の夜」では、〝月の愛で方”として兼好法師の言葉を引用していた。いわく。「月は隈なきをのみ見るものかは。」。せっかくだから『徒然草』第137段全文を引用してみよう(角川ソフィア文庫から)。

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。歌の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障ることありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさることなれど、殊にかたくななる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見どころなし」など言ふめる。

なるほど。すばらしい。おっしゃるとおり。このような感覚はいまなおわれわれにも脈々と受け継がれている。

書棚から先の『徒然草』をひっぱりだそうとしていたら、『源氏物語(二)』のオビに目がいった。いわく。「朧月夜に似るものぞなき」。

歌宴にて、源氏が朧月夜の君を愛するきっかけになった。もとは大江千里の和歌。

 照りもせず曇りも果てぬ春の夜の 朧月夜に似るものぞなき

これも「隈なき月より朧月でしょ」ということだから、兼好法師の言うところと同じ意味だろう。というより、大江千里、紫式部のほうが先行しているので、兼好の趣向は彼らに学んだものというべきか。

すこし時代がさがって芭蕉の『野ざらし紀行』にも次の句がある。

 関こゆる日は雨降て、山皆雲にかくれたり。

 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

これは間違いなく『徒然草』に学んだものだろう。「雨に対ひて月を恋ひ」、そしてまた富士を恋ふ。

さらにずっと時代が下って、次のような文章もある。

 山でご来光を拝めたときの感激はひとしおだ。とにかく幸せな気持ちになる。太古、人類は恐ろしくて長い夜をすごし、日の出を心待ちにしていただろう。日が昇ったときの幸せは生存に直結した根源的なものだったろう。われわれのDNAにはそれが刻みこまれている。
 ご来光が拝めるかどうは、お天気の気まぐれ。曇ればダメだし、まったく雲がないのも風情がない。うまいぐあいに雲がかかるのが大切なのだ。夜明け前に茜色に染まる空を東雲と呼ぶのは意義深い。・・

どこで読んだんだったっけ?

2023年9月18日月曜日

ぬいぐるみの運命

 


 顧問先の社長からたくさんの「ぬいぐるみ」をいただいた。クレーンゲームが好きで、あちこちのゲームセンターを荒らしているらしい(笑)。

あまりにもたいさんいただいたので、うちの孫だけでなく、秘書さんたちともわけさせていただいた。

秘書さんの子どもがぬいぐるみを抱きしめて寝ている画像がラインに送られてきた。うちの孫もぬいぐるみを抱きしめて寝ている写真があったので、それを送り返した。

すると、それに対する秘書さんのコメントは「ぬいぐるみの運命」だった。これはちょっと意外だった。自分ならまず思いつかないコメントである。秘書さんはなぜ、このようなコメントを書いたのだろうか。

そのような見解に触れたことはないのであるが、ぬいぐるみは自立への一里塚、自立への杖だと思う。生まれてからしばらく子どもは母親にべったりと依存している。母子一体。

やがて、ぬいぐるみが大好きに。いつも引き連れてまわるようになり、夜は一緒に抱きしめて寝るようになる。そしてそのうちぬいぐるみがなくても独り寝ができるようになる。このような発達段階をなしているのではなかろうか。

弁護士をしていると、自立に失敗し、なにかに依存している方々に接する機会が多い。覚醒剤や大麻等の違法薬物、パチンコ等のギャンブル、アルコール・飲酒。いずれもやっかいな対象に依存されている。

子ども時代をやり直せるのなら、彼ら彼女らにぬいぐるみを差し上げたい。そうして、うまく自立への道を歩んでほしいと願う。

話変わって、どこかで書いた気がするが、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』。中年の映画監督が、映画に魅せられた少年時代の経験と青春時代の恋愛を回想するストーリー。少年のワクワクドキドキ感がすばらしい。各所にちりばめられた名言もよいし、背景を流れる音楽もすばらしい。

もちろん、映画の主役は、映画監督である。冒頭からその監督が出てくるし、少年時代も、青年時代もその監督の若いころである。映画を見る者、その監督に感情移入するよう作られている。

ところがである。息子さんがいらっしゃる別の秘書さんとこの映画のことを話し合ったとき。彼女は、監督の母親に感情移入してしまうという。

なるほど。たとえ、この映画を作った人が映画監督を主人公とし、彼に感情移入するように作ったとしても、観るほうの立場の磁力が強ければ、そちらに引き寄せられて感情移入してしまうということも十分にありうるわけだ。

さて、ぬいぐるみの話。子どもがぬいぐるみを抱きしめて寝ているところを見れば、ふつう幸せな夢でも見ているのだろうなと子どもの立場になって考えるものだと思っていた。

しかし日々子育てに追われる母親からすれば、ぬいぐるみのほうに感情移入してしまうこともあるのかもしれない。それが「ぬいぐるみの運命」。

2023年9月14日木曜日

足利尊氏と九州(3)少弐と菊池と合戦の事(つづき)

 

 『太平記』第15巻「少弐と菊池と合戦の事」のつづき。

 菊池は、手合はせの合戦に打ち勝って、門出よしと思ひければ、やがてその勢を卒ゐて、少弐入道妙恵が縦籠もりたる内山城へぞ寄せたりける。妙恵は、宗と軍をもしつべき郎等をば、皆子息頼尚に付けて、将軍へ参らせつ。阿瀬籠豊前は水木の渡にて討たれつ。城に残る勢、わづかに2百人にも足らざりければ、菊池が大勢に立て合わせて、合戦しつべき様もなかりけり、されども、城の要害よかりければ、切岸の下に敵を見下ろして、防き戦ふ事数日に及べり。

※少弐入道妙恵は、少弐貞経。後醍醐天皇の倒幕運動に参加して、鎮西探題を攻撃した。尊氏が離反すると、息子の頼尚とともに尊氏に付いた。

※内山城(有智山城)は、太宰府天満宮さらには竈門神社の奥・宝満山の麓に、いま堀と土手だけが残る。スギ・ヒノキの木立と藪におおわれている。「要害」とはいえないように思う。

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 菊池、荒手を替へて、夜昼十方より攻めけれども、城中には、兵未だ討たれる者も少なく、矢種も未だ尽きざりければ、今4,5日が間は、いかに攻むるとも落とされじmのをと思ひける処に、少弐入道が聟に、原田対馬守と云ひける者、俄かに心替はりして、攻めの城に引き上がり、中黒の旗を挙げて、「それがしは、聊か所望の候ふ間、宮方へ参り候ふなり。御同心候ぶべしや」と、舅の入道のもとへ使ひをぞ立てたりける。妙恵、これを聞いて、一言の返事にも及ばず、「苟も生きて義なからんよりは、死して名を残さんには如かじ」と云ひて、持仏堂へ走り入り、腹掻き切って臥しにけり。これを見て、家子郎等162人、堂の大庭に並び居て、同音にゑい声を出だして、一度に腹を切る。その声天に響いて、非想非々想天まで聞こえやすらんとおびただし。

※貞経は多勢に対し奮戦したが、味方の裏切りにあって全員玉砕。原田対馬守は、いまの筑紫野市原田在の武士。聟が舅を裏切る話はむかしからあったようで。娘は身の置き所がなかったろう。

※このあたりで籠城・玉砕といえば、戦国末期の岩屋城の戦いのほうが有名。岩屋城には大友方の高橋紹運ら763人が立てこもり、北上を続ける島津方2万と戦い玉砕した。岩屋城のほうは子孫が柳川立花藩として永続したせいか、いまも四王寺山の一画にきれいに整備されている。

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※生きて義なからんよりは、死して名を残さん。義か死か、むずかしい選択だ。貞経は死を選んで、望みどおり名が残った。

 (引用はやはり岩波文庫『太平記』から)