2025年2月19日水曜日

「はにわ」展@九州国立博物館(3)多様性(ダイバーシティ)

 

 本展のハイライトは挂甲の武人たち。これは国宝2体が含まれていることからしても順当な選である。

 しかしなにがおもしろかったかと問われれば、人物埴輪たちの多様性だったと答えよう。武人たちは気品をかもしつつも類似の表現になってしまっていた。これにたいし武人たち以外の人物像は多様性にあふれていた。現代的な表現でもある。

 上の像がかぶる帽子は、中世ヨーロッパの宮廷道化師のよう。まじめな表情とのギャップが萌えポイントである。

 これなどは北欧風である。立派なヒゲをたくわえ、帽子はモミの木をデザインしたよう。「こんなところに展示されてしまって、困ったものよのう。」というつぶやきが聞こえてくる。

 中米インディオふう。マヤ文明展の写真といわれれば、なるほどと思ってしまうだろう。髪は天をつく怒髪ふうだが、表情は困惑ぎみ。

 こちらは小学校のときの友だち、Nくんにそっくり。当時流行った大魔神になりきっている。


 動作もさまざま。

 いちばん共感をおぼえたのはこれ。毎晩寝る前にストレットをしているのだが、まずやるのはこのストレッチ。肩甲骨がのびる。


 これもストレッチだろうか。この動作で肩甲骨がひらくような気がする(実際は左肩にかけているものがヒント)。


 礼儀?


 お茶出し?


 これは授乳にまちがいない。


 腕のしぐさもさまざま。

 はーい(もしくは、やぁ)。


 おーっ。


 あれっ?


 顔の表情もさまざま。沈思黙考、考え中。


 泣く。現代アニメにも採用されている。実際はタトゥーかも。


 こちらも。涙がまっすぐに流れていないので、ますますタトゥーかも。


 これは泣いているのにちがいなかろう。いま遺産分割事件で引き合いになっている相手方の弁護士にそっくり。


 結びは笑い。これは中世ヨーロッパの王様の薄笑い。顔の線はタトゥーだろうか。


 うへへ。


 いひひ。


 では、さようなら。

2025年2月18日火曜日

「はにわ」展@九州国立博物館(2)挂甲の武人

 






 挂甲の武人たち。本展のハイライトとされている(のちに述べるとおり、マイハイライトは別にあった。)。挂甲(けいこう)とは、鉄製や革製の短冊状の小板である小札(こざね)に穿孔し、組紐・革紐で縦横に縅して連接する構造のよろいをいう。

 武人といっても、モデルは身分の高い権力者とされる。始皇帝陵のように武人たちに古墳を守らせるというのではなく、この古墳に眠る権力者は生前、このような立派なかたでしたという意味らしい。

 挂甲の武人はわれわれにはなじみぶかい。なぜなら、昭和40年代に『大魔神』『大魔神怒る』『大魔神逆襲』という大映映画があったから。

 戦国時代、悪人が民衆を虐げると穏やかな表情の石像(挂甲の武人)が憤怒の表情の大魔神に変身して悪人を倒す。というストーリー。ま、水戸黄門とおなじ。

 日ごろニコニコと笑って穏やかな人がいったん怒ると激しい、そのギャップが効果的ということがある。あの効果をねらっている。

 写真のなかには国宝が2体含まれている。どれだか分かるかな?

2025年2月17日月曜日

「はにわ」展@九州国立博物館(1)

 九州国立博物館特別展「はにわ」に行ってきた。

 はにわ(埴輪)は、3世紀後半から6世紀後半まで古墳時代の日本特有の器物。祭祀や魔除けなどのため古墳の墳丘を取り囲んで並べ立てられた。埴とは「赤い土」、「輪」とは「取り囲む」の意。

 3世紀前半は、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の邪馬台国の時代。6世紀後半は、蘇我馬子が石川の宅に仏殿を造った時代。古墳時代はその中間の時代で、ヤマトの大王が前方後円墳に代表される巨大な古墳を盛んに造り、埴輪を並べ立てた。卑弥呼の鬼道とも、蘇我氏が尊崇した仏教とも違う時代だ。

 

 埴輪は、大きく円筒埴輪と形象埴輪に大別される。写真は巨大な円筒埴輪。いまの技術でもってしても、これほど大きな焼き物を焼くのは難しいのでは。茶褐色のグラデーションが安野光雅の水彩画のよう。 


 形象埴輪。鎧、馬、船。大王の武力・権力を誇示するためか。いまでも武器、高級車、クルーザーで身を飾ることが好きな人たちはいる。




 馬のほかにも、水鳥、鹿や猿。鳥、鹿や猿に仮託して親子の情などを表現したともいわれる。このへんの情は2000年経っても変わらないように思う。

2025年2月16日日曜日

渡邊直子講演会~大野城から日本人女性初8000m峰14座完全制覇へ~

 


 渡邊直子さんの講演会に行ってきた。渡邊さんは日本人女性で初めて8000m峰14座をすべて登った人。とても愉快な講演だった。

 地球上で8000mを超える山は14座しかない。エベレスト、K2、カンチェンジュンガ、ローツェ、マカルー、チョ・オユー、ダウラギリ、マナスル、ナンガ・パルバット、アンナプルナ、ガッシャーブルムⅠ峰、ブロードピーク、ガッシャーブルムⅡ峰、シシャパンマ。すべてヒマラヤ山脈にある。シシャパンマ登頂が渡邊さんの14座目である。

 他に七大陸最高峰というのもある。アジア:エベレスト、ヨーロッパ:モンブラン、北アメリカ:デナリ、南アメリカ:アクアコンガ、アフリカ:キリマンジャロ、オーストラリア:コジオスコ、南極:ヴィンソン・マシフ。こちらのほうがよく耳にする。「世界の果てまでイッテQ」でイモトアヤコが挑戦していたりするし。

 日本でも3000m峰というのがある。日本で3000mを超える山は21座ある。富士山、北岳、奥穗高岳、間ノ岳、槍ヶ岳、悪沢岳、赤石岳、涸沢岳、北穗高岳、大喰岳、前穂高岳、中岳、荒川中岳、御嶽山、塩見岳、農鳥岳、南岳、仙丈ヶ岳、乗鞍岳、立山、聖岳。富士山と御嶽山以外は南と北アルプスに属している。日本の21座でさえもなかなか難しい。

 高山登頂の話というと、とてもつらく厳しく死ぬ思いをしたことが中心になりがちだ。でも渡邊さんの講演は違った。

 登山思想の違いだ。14サミットを目指すのか、山好きの結果14サミットに登ってしまうのか。目的なのか結果なのか。大きな違いがある。

 渡邊さんは山が好きでシェルパたちが好きで入りびったっていた結果、14サミッターになった。そのことは、世界女性初「K2最多登頂(3回)」「マナスル最多登頂(4回)」でもあることに現れている。14サミッターをめざすのであれば、K2の2回、マナスルの3回を削れば、5回分は早く記録獲得ができたはずだ。

 さらに記録獲得が目的であれば、七大陸最高峰登頂もなしうるだろう。けれども、渡邊さんはシェルパたちと交流できなければ行く意味がないという。

 他の登山者たちとは資金力の違いもある。世界の高山に登ろうとすると、1座あたり千万円単位のお金がかかる。14サミッターはいま60人だが、そのほとんどはお金持ちである。お金があれば装備でもガイドでも思いのままである。対する渡邊さんは看護師であり、看護師として貯めた稼ぎを山につぎ込んでいる。つい最近までスポンサーに資金を頼るということもしてこなかった。

 なぜそこまでするのかは山が好きだから。幼少のころから山に登り、雪山にはまるのも早く、海外遠征も早い。山好きにはめぐまれた人生である。

 シェルパたちとの交流エピソードも楽しい。講演は大野城市出身ということで、市の男女共同参画事業の一環としておこなわれた。講演の主眼は、もっと多くの人に山に親しんでほしいということにあった。

 家に帰ってさっそくクレイジージャーニーをみた。講演とはちがい、厳しいシシャパンマ登頂の様子が描かれていた。 

 写真は週刊文春のグラビアページから。女性登山家のグラビア目当てに週刊誌を買ったのは初めてである。

2025年2月13日木曜日

家計相談支援事業@生活困窮者自立支援法

 

 先に書いたように、顧問会社幹部にむけて社会保障制度のセミナーをおこなった。

 http://blog.chikushi-lo.jp/2025/02/blog-post_4.html

 その準備をするなかで、日ごろ協力している事業について、社会保障制度のなかでの位置づけが再確認できたものがあった。いくつか紹介したい。

 まずは家計相談支援事業。グリーンコープが福岡県や周辺自治体から依頼を受けておこなっている。

 https://greencoop-fukuoka.jp/jiritsu/fukuoka/index.html

 福岡県や周辺自治体が家計相談支援事業をおこなっているのは、生活困窮者自立支援法に基づく。

 生活困窮者とは、就労の状況、心身の状況、地域社会との関係性その他の事情により、現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者をいう。

 生活困窮者自立支援法が制定されたのは2013年である。その背景には、生活感困窮者の増加がある。増加の原因には、つぎのような複数の複合的な要因があった。

①1990年代のバブル経済崩壊以降、2010年代までの長期的な経済低迷(失われた20年)
②経済低迷、経済のグリーバル化にともなう非正規雇用の増加
③2008年のリーマン・ショックによる世界金融危機に伴う非正規労働者の派遣切りや雇い止めの増加
④2011年に発生した東日本大震災の影響
⑤少子高齢化、晩婚化・非婚化による単身世帯の増加、一人親家庭の増加、世代間における貧困の連鎖、地縁・血縁によるつながりの希薄化、社会的孤立

 こうした生活困窮者が「最後のセーフティネット」である生活保護受給に至る前に、「第2のセーフティネット」として支援制度を設けようとしたのが生活困窮者自立支援法である。

 家計相談事業は、そうした支援制度の一つである。家計相談とは、相談者自身の家計を管理する力を高め、早期に生活が再生されることを支援する取組みである。

   具体的には、①家計収支の均衡がとれていないなど、家計に問題を抱える生活困窮者からの相談に応じる。②相談者とともに家計の状況を明らかにして生活の再生に向けた意欲を引き出す。③家計の視点から必要な情報提供や専門的な助言・指導等を行う。

 われわれ弁護士がお手伝いするのは、このうち専門的な指導等の一部である。つまり、多額の負債により家計収支の均衡がとれていないときに、負債整理を行うことにより家計収支の均衡を回復する。

 やること自体は一般の負債整理と異なるものではない。しかし、生活困窮者自立支援法、家計相談支援事業の一端としておこなうとの自覚を持つことで、依頼人の背景事情により深く思いをいたすことができると思う。

2025年2月12日水曜日

欠席判決(滞納家賃請求事件)

 

 近所のイタリアンで昼食時に得た情報によると、天満宮の梅はまだで、二日市八幡のはちらほららしい。天満宮は宝満山の山麓にあるので、二日市より寒いのだろう。開花が去年より遅れているようだ。

 欠席判決を得た。事案は滞納家賃を請求したものである。

 民事訴訟において、適式な訴状の送達・期日への呼出を受けながら、口頭弁論期日に欠席すると、原告の主張を認めたものとみなされる。擬制自白であり、民事訴訟法159条に定めがある。

 原告の主張がまったく事実に基づかなくても同じである。裁判所から訴状が届いたら、まったく身におぼえがなくても答弁だけはしておこう。

 本件では、主債務者と連帯保証人とを訴えたところ、主債務者が欠席したので、欠席判決となった。

 原告の訴状に対し、被告は答弁書を提出し、認否を明らかにする。認否とは、事実を認める、否認する、知らないと答弁することである。擬制自白にかぎらず、明らかに争わない事実は認めたことになる。

 否認された事実は争点となり、証拠により明らかにする必要がある。認めた事実、争わない事実は証明する必要がない。

 訴訟はなんのために起こすのか。金○○円を支払えという判決を得るためである。判決はなんのために得るのか。強制執行をするためである。強制執行は債務者(被告)の財産を差し押さえて換金のうえ支払いを受ける手続である。

 一般には、判決や強制執行までいかなくとも、途中で示談や和解が成立し、全部もしくは一部の支払いが得られることも多い。

 欠席判決となれば、債務者(被告)の財産の有無を調査しなければならない。もともと賃貸借契約の家賃不払いの事案であるから、不動産はなく、資力は乏しいと思われる。さてどうなりますやら。

2025年2月11日火曜日

難所ヶ滝ふたたび

 

 難所ヶ滝を訪れた。ことし2回目。いちどめは怪鳥会の新春登山で。
 https://www.blogger.com/blog/post/edit/1946653490082323545/7435398540468685902

 そこでも書いたように、例年2月ころに最大になる。今季も寒気がつづいたため、SNS上で歓喜が報告されていた。それで今季最後かも知れぬと行ってきた。

 前回は宝満山頂→仏頂山頂から周回して訪れた。今回はうさぎ道からトラバースして訪れた。宝満山に登ることより、滝をみることが目的だからだ。

 竈門神社よこから北へ向かい有智山城跡をめざす。有智山城(内山城)は太平記に登場する由緒ある城である。太平記いわく。

 菊地は手合はせの合戦に勝つて、門出よしと悦んで、やがてその勢を卒し、少弐入道妙恵が立て籠もつたる内山の城へぞ押し寄せける。少弐宗との兵をば皆頼尚に付けて、その勢過半水木の渡しにて討たれぬ。城に残る勢わづかに三百人にも足らざりければ、菊地が大勢に可叶とも思へず。されども城の要害厳しければ、切岸の下に敵を見下ろして、防ぎ戦ふ事数日に及べり。・・・

 菊地は南朝がた、少弐は北朝がた。少弐親子は九州に落ち延びてきた足利尊氏を助けて菊地勢と戦った。水木の渡しは水城の渡し。城の要害もいまや堀跡がのこるばかり。

 有智山城跡からさらに進むと三合目水場からの道を右に集める。小川を渡り、林道を越えるとうさぎ道の登りになる。その登りの途中で、2グループがアイゼンを装着していた。そろそろ雪の道となってきた。

 しばらくは壺足で進む。ひと登りすると、仏頂山からの下り道とT字に合流する。そこは峠状になっていて、しばらくは左側が崖になったトラバースが続く。2つ目のてまえで用心のためチェーンスパイクを装着した。

 2つほど谷をトラバースすると、河原谷の上部にでた。T字路になっていた。左側が踏まれていると判断して、左に下る。河原谷の道と合流した。思っていたより下流だ。まだだいぶ登らなければならない。

 すごい人である。混雑と渋滞の連続。それでも30~40分ほど登ると、小つららに出た。撮影してい人もいたがやりすごし先をいそぐ。

 滝の手前でまた渋滞。滝のところで皆撮影をしているので、渋滞は遅々として進まない。細い登山道のほか他に道はない。しかたがない。

 ようやく順番が回ってきた。期待に違わぬ滝の勇姿。正月に訪れたときより、大きく成長していた。パチパチ。

 薬師寺東塔をみてフェノロサが氷れる音楽と評したという。ベートーベンの交響曲第5番の冒頭を氷らせると、こんな感じか。

 しばらく堪能してから下山する。ここでもまた渋滞である。


 帰りに小つららにも登ってみた。いままで下から眺めるばかりだったので、初である。これが意外とよかった。大より神秘的でロマンチック。ロマンチックといっても、こちらはブルックナーではなくリストな感じか。