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2021年12月20日月曜日

シベリウス交響曲2番


  12日(日)は福岡市民オーケストラの定期演奏会だった。千早のなみきホールで。千早は再開発をしてから近代的な街になったけれども、なみきホールははじめて。

コロナ禍後のコンサートもはじめて。なので2年ぶり以上になるが、もはや前回がいつだったか、どこのオケだったのか思い出せない。

入口で体温測定と手指の消毒はあるけれども、それだけ。あ、演奏者へのプレゼント受付はなし。座席は空席をもうけず満席。感染者数等が低水準なればこそである。

演目は、①ベートーベン序曲「コリオラン」、②シューベルト「未完成」、③シベリウス交響曲2番。

席の指定はなし。着いたときにはすでにかなり埋まっていた。空席をさがして、ステージにむかって左手中央くらいに座った。ステージと客席がちかく感じた。いまクラリネットのパートだとか、シベリウスはファゴットが好きだったんだろうなとか思ったから。

ひさしぶりのコンサートだったこともあり、結びのシベリウス交響曲2番には感動した。どのような理由からの選曲だったのだろうか。

当時、フィンランド国民はロシアの圧政からの解放を願い、この曲にそのような思いを託したという。シベリウスじしんはそのような思いをスコアに書き込んではいないともいう。

が、長い長い冬をしのび、美しく解放的な北国の春を待つフィンランド国民の希望が表現されていることは間違いないだろう。映画『ドクトルジバゴ』ラストの解放のイメージを彷彿とさせる。

われわれも、コロナ禍からの解放への熱い願いを託した。

2021年6月2日水曜日

樅の木は残った

 

 芭蕉は、道縦横に踏んで、伊達の大木戸を越しました。白河の関を抜けて福島県に入った芭蕉一行は、ようやく福島県を越えて、宮城県に入ったわけです。

伊達の大木戸と呼ばれるだけあって、険しい地形。すこし先に鐙摺(あぶみずり)という地名があり、狭路となっています。

鐙摺とは、馬で通ろうとすると、馬具の鐙が摺れてしまうという意味です。源義経が奥州に落ち延びる際、鐙が摺れたことが名の由来だそう。宝満山にも「袖すり岩」があり、両側に岩が切り立つ狭路になっています。多生の縁を生じるでしょうか。

伊達の大木戸は、頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした奥州合戦の激戦地です。奥州側は、頼朝軍を迎撃するため、地形効果を利用して峻険な防塁を築きました。

そのような場所を芭蕉は道縦横に踏んで越したとあります。ここらへんの記述が怪しい。芭蕉一行はやはり公儀隠密ではないのか?

芭蕉はじつは忍者だった、おくのほそ道の旅の目的は伊達・仙台藩の実情を探ることにあったという説があります。

芭蕉の出身が忍者の里である伊賀であることをはじめ、おくのほそ道の旅は一日40~50キロメートルを歩いたという異常な健脚(われわれであればマメだらけ必定)、松島をめざしたといいつつそこでは一泊しかしていないなど滞在日程がアンバランスで怪しい。

政治的な背景も怪しい。幕藩体制を安定させるため、幕府は仙台藩を取り潰したかったといわれます。初代・政宗のときから伊達は独眼竜であり、中央政権に対し最後まで従順ではありませんでしたから(NHK大河「独眼竜政宗」)。

むやみには潰せないので、お取潰しには口実が必要です。跡目争い・お家騒動は格好の口実です。仙台藩ではこのころ3回にわたりお家騒動が起きています。幕府の工作があったとされます。

ぼくが小学校5年生のころ(1970年)、NHK大河ドラマは平幹二朗主演の「樅の木は残った」でした。山本周五郎の小説が原作です。仙台藩のお家騒動を背景に、原田甲斐の孤独なたたかいを描いたものです。

彼は本来、奥羽山中で過ごすのが好きという山好きアウトドア派です(シンパシーをかんじます)。それなのに、幕府の工作を阻止しようとする政治闘争に巻き込まれていきます(この点、「ドクトル・ジバゴ」と似ています)。敵方に寝返ったと仲間内からさえ責められますが、一切弁明しません(情報が幕府方に抜けるのを防ぐため)。

ひとり使命をまっとうする、そうした孤高の姿が美しい。「私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私はこの木が好きだ。」樅の木のあり方は原田甲斐の生き方そのものだったんですねぇ。

伊達騒動については、歌舞伎のネタにもなっています(「伽羅仙台萩」)。江戸時代の三大お家騒動というのは、伊達騒動のほか、加賀騒動、黒田騒動です。このラインナップをみただけでも幕府の工作が疑われるべきでしょう。

幕末、西南雄藩が倒幕に動いたことを考えれば、幕府の工作にはちゃんとした理由があったことになります。

 さて立場を芭蕉に戻して、仮に芭蕉が公儀隠密で、このような仙台藩の実情を探ろうとしたのだとすると、潜入する際には相当な緊張をしいられたはずです。仙台領に入るや切り捨てられるかもしれませんから。

そう思って、もう一度、伊達の大木戸を越す場面を読み返してみると、

 羈旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん、これ天の命なり・・・

などと意味ありげな記述。天の命ではなくて、幕府の命だったのではないか。

 道縦横に踏んで、伊達の大木戸を越す。

狭路だったはずなのに、道を縦横に行ったというのも変。監視の目がきびしい街道を行かず、山中を縦横に抜けていったのではないか・・・。怪しいぞ芭蕉!

 ※なお、樅の木(モミノキ)は、いわゆるクリスマスツリーです。針葉樹なのですが、福岡県でも宝満山~仏頂山のまわりに生えています。写真は、百段ガンギ横のもの。

2021年5月27日木曜日

源義経主従と奥州藤原氏の鎮魂(1)

 

 ちくし句会では、トミーが苦吟しているようです。でも心配ありません。芭蕉だってそう簡単に作句していたわけではないのです。おくのほそ道の旅の第1の目的は、なんといっても俳句の詠み方(蕉風)の革新でしょう。

しかし、そのほかの目的も言われています。公儀隠密として仙台藩の実情を探るなどという説もあります(あとで触れます。)。源義経と主従、それと義経に助太刀して滅びた奥州藤原氏の鎮魂が目的だったという考えもあります。

旅の前半の目的には、やはり義経らの鎮魂も含まれていたのではないでしょうか。旅のクライマックスが平泉であるほか、そこに至るまでにあちこち伏線がはられているからです。屋島の戦いについては、黒羽のところですでに触れました。

 ところでぼくが好きな映画を2つあげるとしたら、デビット・リーン監督作品の『アラビアのロレンス』と『ドクトル・ジバゴ』です。どちらも大きな時代の流れに翻弄されながらも奮闘する主人公たちの生きざまに魅了されます。

義経主従の悲劇との関係では、なかでも『アラビアのロレンス』を思い浮かべてしまいます。実在のイギリス軍将校、ロレンスの栄光と挫折を描いた映画です。

オスマン帝国が衰退するなか、その旧領だったバルカン半島の支配をめぐってドイツとロシアの利害が対立。それが引きがねとなって、同盟国側と協商国側の2大陣営に分かれ、第一次世界大戦となりました。

ロレンスの母国イギリスは協商国側であったところ、オスマントルコが同盟国側で参戦したことから、両国は敵対することになります。

他方、アラビア半島のアラブ人たちはオスマン帝国に支配されていたことから、その独立を求めてオスマン帝国と戦います。

敵の敵は味方というわけで、イギリスはアラブを軍事的に支援します。ただし、英仏は戦後におけるアラビア支配を目論んでいるので、その支援は限定的(お主も悪ようのう~)。

そうしたなか、ロレンスはそれまでバラバラで弱体だったアラブ軍をまとめ、彼らを引き連れて少人数で戦略拠点アカバを奇襲して攻略。以後次々と軍事的成功をおさめ、アラブの英雄に。ついには、英軍に先んじて、首都ダマスカスを攻め落としてしまいます。

そうした人間ドラマが砂漠の自然を背景に、美しい映像、壮大なスケールで描かれていて感動的です。

ところが、そのころには戦後処理をめぐり英仏とアラブ側の政治的駆引きがはじまっています。イギリス人でありながらアラブの英雄であるロレンスの存在は、どちらの陣営からも邪魔になってしまいます。そこでひとり故国に返されることに・・・。

軍事的天才でありながら政治音痴なため、戦中は英雄にまつりあげられながら戦後は邪魔者として排除されていく。栄光と挫折、明と暗の物語である点がロレンスと義経に共通しています。

 「判官びいき」という言葉があります。庶民はむかしから、冷徹な政治家・頼朝よりやんちゃな義経のほうを「贔屓(ひいき)」にしてきたんですねぇ。芭蕉もその一人でした。