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2011年12月8日木曜日

『平成猿蟹合戦図』



 吉田修一さんを知ったのは
 どちらの作品だったか?

 仲間由紀恵さん主演でテレビドラマになった
 『東京湾景』(新潮社2003)だったか?

 そのころ薬害肝炎訴訟を提起。
 東京での会議の際、モノレールのなかで読んだ記憶が。

 それとも芥川賞を受賞した『パークライフ』(文藝春秋2002)
 だったか?
 
 これも東京・弁護士会館での会議がはじまる前の時間
 日比谷公園で読んだ記憶が。

 それから、『最後の息子』(文藝春秋1999)
 『熱帯魚』(文藝春秋2001)

 『パレード』(幻冬舎2002)
 『日曜日たち』(講談社2003)

 『ランドマーク』(講談社2004)
 『7月24日通り』(新潮社2004)

 『初恋温泉』(集英社2006)
 『悪人』(朝日新聞社2007)
 
 『静かな爆弾』(中央公論社2008)
 『元職員』(講談社2008)

 『さよなら渓谷』(新潮社2008)
 『横道世之介』(毎日新聞社2009)

 こうして並べてみると、伊坂幸太郎さんや奥田英朗さんほど
 意識的には追いかけていないけど、そうとう読んでますね。

 『7月24日通り』は大沢たかおさんと中谷美紀さん主演の
 映画(2006)もステキでした。

 妻夫木聡さんと深津絵里さんで映画になった
 『悪人』も記憶に新しい。このブログにも書きました。

 さていま書店に平積みされているのが
 『平成猿蟹合戦図』(朝日新聞出版)。

 タイトルから明らかなとおり
 有名な昔話を下敷きに。

 読む前はこのタイトルはよくないと思っていました。
 話の展開がみえみえな気がして、読む気を削ぐので。

 ところが途中これがなんで猿蟹?と安易な臆断を心地よく裏切られ
 最後はぴしゃっと猿蟹で着地を決めるという見事さ。

 たくみな話運びと
 しっかりとした構築性を堪能させられました。

 長崎、東京、秋田を結んで
 若者たちが政治の世界に挑戦する話。

 近年話題になった虎退治やクマ退治が
 ベースになっているのでしょうか?

 長崎出身の吉田さんの関心からすれば
 やはり「エリのクマ退治」のほうでしょうか?

 そうだとすると、きょうの話
 薬害肝炎提訴からはじまり、うまく着地なのですが。 

 (政治のリアルにもとづいているのでしょうが
 裏勢力との関係が無批判に書かれているのが唯一難点でしょうか)

2011年1月17日月曜日

 「武士の家計簿」と貧困対策


 「武士の家計簿」は江戸時代後半~維新における
 加賀藩の下級武士とその家族の生活を描いたもの。

 原作は同名の新書
 実話をベースにしています。

 主役の堺雅人さんは加賀藩で代々の御算用者
 いまでいえば石川県の県庁マン、会計課職員です。

 江戸時代の幕藩体制は軍人政権で
 職業技能は武道、仕事道具は刀だったわけですが
 御算用者のばあい、会計学とソロバンが生計の道具です。

 私も昔岸和田にいたころ
 ソロバンを習っていたので懐かしかったです。

 森ブーというあだ名の人がいて
 ソロバンをはじいている間
 しょちゅう屁をこくのに閉口(へいこう)しました。

 堺さんの妻は仲間由紀恵さん
 父、母は中村雅俊さん、松坂慶子さん
 みなさん達者です。

 加賀藩の祖は前田利家
 NHK大河「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」(02年)の
 唐沢寿明さんです。
 
 前田家は外様ながら徳川将軍家との姻戚関係が強く
 江戸藩邸は本郷に上屋敷があり
 現在、東京大学本郷キャンパスになっています。

 東大の赤門はこの上屋敷の御守殿門で
 1827年に、第12代藩主前田斉泰が徳川将軍家斉の娘
 溶姫を迎える際に造られました。

 堺雅人さんの父・中村雅俊さんは、このときの責任者
 この造作にあたり、藩財政が窮迫していたことから
 門の表側だけ赤に塗って経費を節減したことが手柄となり
 いつも食事のときに自慢話をして家族に煙たがられています。

 赤門建造の6年後は1833年(天保4)、天保の大飢饉がはじまり
 1837年まで続きました。
 (坂本龍馬はこの間、天保6年に生まれています)
 
 享保・天明に続く江戸三大飢饉の1つ。
 主な原因は洪水や冷害で、各地で餓死者を多数出しました。

 幕府は救済のため、江戸では市中21か所に5800人収容の御救小屋
 を設置し、救済者は70万人を越えたとされます。

 現代でいえば、生活保護その他の社会保障制度がこれにあたるでしょう。

 それでも米価急騰も引き起こしたため、各地で百姓一揆や打ちこわしが頻発
 大阪では大塩平八郎の乱の原因にもなりました。

 こうしたなか、加賀藩でも救済米を供出するわけですが
 藩の役人には悪いヤツがいて、何割か抜いて横流ししています。

 堺さんは御算用者のなかでも誰より数字に忠実で
 数字があわないことが許せない性格(ときに妥協を知らぬKYな性格)から 
 不正を告発します。

 演技がコミカルなのでつい笑ってしまいますが
 実話だとすると、実際はそうとう勇気ある行動だったでしょう。

 現代でいえば、特捜部内での証拠ねつ造を告発した検事の勇気にあたる
 でしょうか。

 しかし告発は握りつぶされて、新婚早々、輪島に左遷されることに…
 その寸前、別ルートで悪事が摘発され、事なきを得ます。

 それどころか、この功が認められて御蔵米勘定役に大抜擢
 さすが、加賀藩、度量があります。

 ところで、飢饉の原因は洪水や冷害(天災)なので
 多数の餓死者を出したことはやむを得なかった=不可抗力と
 いえるでしょうか?

 裏を返せば、政府や藩の施策に過失(落ち度)があったかどうか?

 過失とは、結果予見可能性(予見義務)+結果回避可能性(回避義務)
 からなります。

 天保の大飢饉は文字どおり江戸3大飢饉の3番目の飢饉ですから
 享保・天明に続き「2度あることは3度ある」ということで
 結果を予見することは可能でした。

 それでは結果を回避することが可能だったかというと
 不可能ではなかったようです。

 結果回避措置のメニューとしては、役人の綱紀粛正と倹約、給与改革
 義倉の整備、救荒食の手引書配布など。

 実際、救荒対策をきちんとやって犠牲者を一人も出さなかった藩も
 あるようです。

 こうしてみれば、救荒対策をきちんとやっておけば
 被害の拡大を防げたという意味で、人災の側面もあったでしょう。
 (ただし、江戸時代に国賠責任は問えません。憲法17条参照)

 薬害肝炎でも薬害の発生はともかく
 その後の行政の無為・無策が被害を拡大した点に憤りを覚えました。

 現代日本の会計簿も赤字がいっぱいですが
 政府の無為・無策ゆえに餓死者が続出する事態は
 願い下げにしたいと思います。