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2024年5月8日水曜日

怪鳥会の春遠征(5)和泉葛城山

 

 石山寺詣ののちはJR線、環状線、南海線を乗り継いで岸和田へ行った。年始から里帰りしているメンバーと夕食。

 宿泊したホテルからは西方に大阪湾、淡路島、六甲山など懐かしい風景をのぞむことができた。


 翌日は和泉葛城山に登った。大和葛城山と区別するため、和泉を冠する。


 登山者の無事を祈るためか、一丁(一町、109メートル)ごとにお地蔵さんが並んでいる。このお地蔵さんは右に十丁と表記されている。


 植林がつづく。手入れされた美林である。


 登山道は林道と交錯しながら登っていく。ガスガスである。


 クモの巣が多い。昆虫も多いということだ。ということは花も多い。


 タチツボスミレか。スミレは仲間が多いのでシロウトにはむずかしい。


 ノイチゴの花にマルハナバチ。マルハナバチは『失われた時を求めて』にでてくる。 


 ツチグリ。キノコだが、名前のとおり栗のようだ。


 山頂部がちかづくと落葉樹の新緑が美しい。


 葛城神社。大阪側と和歌山側にふたつの祠がある。府県境はこの祠の左奥隅。石の角が削られている。和歌山側には高野山や大峰の山々がのぞめるはずだが、この日は見えない。


 山頂部には、ブナの森がひろがる。ブナは落葉樹で北部の樹であるから、こんな南部で森がひろがっているのは珍しい。 


 ブナの美林のなかを進む。足もとはミヤコザサ(クマザサではないらしい)。


 山頂では、母校の数学の先生であったかたと奇跡の出会いがあった。いろいろな肩書きをおもちだが、この日は環境省の自然公園指導員として野鳥の調査・保護活動をおこなっておられた。これはクロツグミ。


 キビタキ。去年も確認された個体で、この1年で南方へ渡り、そこから戻ってきたらしい。こんな小さな体でそんな長旅をしてきたかと思うとビックリ。


 和泉葛城山の登山口付近はややこしいが牛滝山と呼ばれる。


 大威徳寺(本堂)。役行者の開創と伝わる山岳寺院。葛城修験の道場。


 多宝塔(十分)。


 青モミジが美しい。

2023年12月24日日曜日

MIHO MUSEUM(1)

 





 翌日は朝一でMIHO MUSEUMへ。JR石山駅でおり、そこからはバスで1時間。MUSEUMは信楽の郊外山中にある。

バスを降りて、しばらく歩くとレセプション棟、そこからさらに歩く。トンネルを抜けると、巨大な橋がかかっている。橋をわたるとようやくミュージアムだ。このアプローチは現代の桃源郷と題され、土木学会デザイン賞を受賞している。

建築家イオ.ミン.ペイ氏の設計。同氏はルーブル美術館のガラスのピラミッドの設計者として知られる。そいういわれれば似ている。「光こそ鍵」がテーマ。建築容積の8割は地中にある。

MIHO は小山美秀子(みほこ)氏のコレクションだから。同氏は宗教法人神慈秀明会(きのうの泉屋博古館のお隣)の会主。同会は世界救世教から分立。

同美術館の収蔵品が個人のコレクションであったことに驚かされる。「美術を通して、世の中を美しく、平和に、楽しいものに」がコンセプト。

ソフィー・リチャード著『フランス人がときめいた日本の美術館』(集英社インターナショナル)で紹介されているので、いちどは訪れたいと思っていた。

まずは特別展「金峯山の遺宝と神仏」へ。金峯山は吉野にある。古代より修験道の聖域とされてきた。きのう聖護院でなりたちを再確認したところだ。

修験道は役行者が創始。金峯山で蔵王権現を感得したという。権現は仏・菩薩が人々を救うため仮の姿をとって現れること(権とは仮という意味)。いわゆる本地垂迹説、日本の神は仏の仮の姿という考えから。

なかでも蔵王権現は、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊が合体したものであるから、すごい救済パワーの持ち主である。修験道の本尊。金峯山寺本堂の本尊。

平安貴族は競って金峯山参詣を繰り返した。あの藤原道長はその代表である。その跡が経塚遺物として発掘され、展示されていた。

 この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたるところもなしと思へば

と歌った道長であったが、心中の不安や神仏へすがりたい気持ちはかれにしても、光源氏(光る君)とおなじくあったようである。

2023年12月19日火曜日

~からの、聖護院(しょうごいん)

 


 八海山といえばお酒の名前と思っていたという弁護士がいた。八海山は本来、越後の標高1778mの岩峰である。柴門ふみの父親など遭難者多し。

聖護院といえば生八つ橋、あるいはカブやダイコンの名前だと思っている人も多かろう。しかし本来は、修験道の大本山のお寺の名前である。

修験道は古代、山岳宗教・古神道に仏教や道教が習合して成立した。開祖は役行者。われわれ山歩きをする者にとっては、崇拝の対象である。

山歩きだけでなく江戸時代、旅人も崇拝していたようである。おくのほそ道にこうある。

 修験光明寺といふあり。そこに招かれて、行者堂を拝す。

 夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな

聖護院の開山は園城寺の僧・増誉。熊野で修験の修行をおこなっていた。白川上皇が熊野御幸を行った際の先達(せんだつ)をつとめ、その功により本寺を下賜された。

中坊公平氏が日弁連の会長であったころ、本寺で合宿が開催されたことがあった。なんの会合だったかは忘れた。そのときの様子もまったく記憶にない。ただ、本寺で合宿したという抽象的な記憶だけが残っている。

ご本尊は修験道であるから不動明王。大日如来の化身であるから、さきほどの智積院とも根本はおなじである。

30分に1度、女性が寺内の案内をしてくれる。不動明王のいわれなどあらためて聞くと、なるほどと思う。

ご本尊などは撮影禁止、お隣の部屋のみ撮影OK。扁額の文字は研覃。深く深く追求する。自分自身を耕し研鑽する意味である。

2021年4月20日火曜日

役行者・修験道

(役行者@愛嶽山、足駄を履いている)


(宝満山峰入り) 


(前鬼・後鬼@洞川温泉・大峰山)

大宰府の鬼門には宝満山があります。いまは神道の竃門神社だけがありますが、中世には370もの仏教の坊舎があったといい、近世には修験道も盛んになりました。7合目のあたりにある中宮跡などはその名残りです。

修験道は、山々を歩いて厳しい修行をおこない、悟りをえて験力により人々を救済する神仏習合系の宗教です。修験者のことを行者ともいいます。

残念ながら明治初期、政府の神仏分離政策(いまなら政教分離原則違反で違憲です。)により廃れてしまいました。が、さいきんは五月の峰入りなど復活してきています。

宝満山の登山道から南にはずれてしばらく登ると愛嶽山があります。その山頂にはいまも役行者が祀られています。

役行者(役小角)は修験道の開祖です。葛城山で山岳修行をおこない、熊野山や大峰山で修行を重ね、吉野山の金峯山で金剛蔵王大権現を感得しました。呪術をもちい、前鬼・後鬼という夫婦の鬼を使役していました。

あるとき、葛城山と金峯山とのあいだに石橋を架けようとして、葛城山の神である一言主(ひとことぬし)に命じました。しかし、神は自らの醜い姿を気にして夜間しか働きませんでした。そのため、行者は怒り、神を呪法と蔦葛で縛ってしまいました(能『葛城』)。

芭蕉は、中国の李白・杜甫、先輩歌人、先輩旅人、禅の先達につづき、役行者にもあやかろうとしました。行者は足が達者でした。山々を歩き回って修行したからです。みちのくへの門出にあたり、行者にも参拝しています。いわく。

修験光明寺といふあり。そこに招かれて、行者堂を拝す。

 夏山に足駄を拝む首途かな
 (なつやまにあしだをおがむかどでかな)

芭蕉はすがれるものは藁にもすがりたいという気持ちだったのでしょう。みちのくの旅は、それほど苦難な道のりが予想されたのでした。

2011年2月23日水曜日

 大峰山(つづき)



 翌朝暗いうちに一丸旅館を出発
 登り口は大峯(清浄)大橋。

 「懺悔懺悔、六根清浄(さんげさんげ、ろっこんしょうじょう)」
 と先達のリードで繰り返し唱えながら登ります。

 六根とは、視、聴、嗅、味、触覚の五感と意識
 六根清浄とは、我欲などの執着を断ち、魂を清らかな状態にすること。

 しだいにトランス状態になり
 セロトニンが分泌されます。

 大峰山は、いまなお宗教上の理由から日本で唯一、女人禁制の山
 登山道からすぐのところに「これより女人結界」の門があります。

 男女共同参画社会基本法に抵触するかどうか頭をよぎりましたが
 トランス状態のまま通過。
 (女性の読者のみなさま、あいすみません)

 おそらくはご異論もあるのでしょうが
 心弱き男どもは女人といっしょでは魂が清らかにならぬのでせうね。

 途中、一の瀬茶屋跡、一本松茶屋という茶屋が設けられ
 しばらく行くと「役行者お助け水」と称する水場があります。

 尾根筋まで登ると洞辻茶屋があり
 いよいよ世界遺産の大峯奥駈道と合流。

 そこからはいわゆる表行場で
 難所の連続です。とくに高所恐怖症の人にはお勧めしません。 

 まずは鐘掛岩。釣鐘状の巨岩に登っていくのですが
 右左の足を出す順序を間違うと、行き詰まり進めなくなります。

 つぎが西ノ覗岩。断崖絶壁から真下を覗き見る修行
 その名も捨て身行。

 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という空也聖人の歌がありますが
 身を捨てて生まれ変わる(再生する)行。

 命綱ひとつに身と命をゆだねて、断崖絶壁の先に身を突き出されます
 綱はランドセルのひものように肩にかけるだけで、いまにも外れそう…。

 この状態で、後ろから突き出している人がいろいろと要求してきます
 「親孝行するかぁ!」「夫婦仲よくするかぁ!」…

 「はいっ!」と答えないと、数センチほど先へ押しやられます
 これはもう「はいっ!」と答えるしかありません。

 山の神に誓ったことではあるものの
 強迫による意思表示なので取り消すことができるはず(民法96条)。

 などと考えているうちにほどなく、世界遺産登録の大峯山寺に着
 役小角(えんのおづぬ、役行者)を伝承的な開祖とする修験道の寺院です。

 ここで朝食
 あたたかい味噌汁が疲れた体と心を解放します。

 1007年、かの藤原道長が山頂に自筆の般若心経などを銅の筺に納めて
 埋経しました。「御堂関白記」の記載のほか物も出土しているとか。

 ひといきついたのち、裏行場を巡拝し、山頂で記念撮影
 そして登ってきた道を引き返します。

 同行のKさんが、あとすこしで女人結界というところでおおきく転倒
 みなから「邪心、邪心、まだまだ修行が足りぬ」と冷やかされていました。

 下山後は温泉で汗を流し、鯉料理に舌鼓をうったのち帰路
 橿原神宮で近鉄特急、京都から新幹線に乗って帰福。
 
 修行の数々により、懺悔懺悔、六根清浄
 下界のうさを忘れることができました(ほんのいっときですが)。
 

2010年12月22日水曜日

 修験の山~宝満の祈り~


               (役の行者/愛嶽神社)
 役の行者(役小角)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者
 修験道の開祖とされています。

 「南総里見八犬伝」にも登場
 時代がかなりちがうのですが、そこは呪術で「えい、やっ」と。

 修験道は、霊山に分け入り厳しい修行を行い
 超自然的な能力・悟りを得ようとします。

 行者ならずとも、山に登れば誰しも
 山の雄大さや厳しい自然に圧倒され、恐れ敬う感情が生じます。

 宝満山はかつて修験道の霊場として栄えましたが
 現在は遺跡が残るのみ。
 (ときに、行者さんと出会うことはあります)

 「ノルウェイの森」の「阿美寮」があるとされる場所にも
 大悲山・峰定寺という修験の山があるようです。