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2024年1月31日水曜日

奈良大宮ロータリークラブ45周年(6)

 



 春日大社からは長い長い表参道をくだった。途中、左右に萬葉植物園、鹿園や奈良国立博物館などが手招きしていたが、時間の都合で立ち寄ることはできなかった。

国宝館。千手観音菩薩(国宝)を中心に、阿修羅像を中心とする八部衆(国宝)、十大弟子(国宝)、金剛力士(国宝)、天燈鬼・竜燈鬼(国宝)、白鳳期の仏頭(国宝)など。きら星のごとく、国宝が並んでいる。

緊那羅像(きんならぞう)などは、右腕の乾漆が脱落して支柱が露出してしまっている。乾漆像の構造がよく分かる。

この日は、平日、大雪予報だったこともあり、館内はすいていた。阿修羅像が一人で九州国立博物館までご来遊されたときに長蛇の列であったことを思うと、まるで夢のようだ。

拝観後は奈良ホテルへ。辰野金吾らの設計。辰野は東京駅丸の内駅舎、武雄温泉楼門なども手がけている。

ホテルは奈良大宮ロータリークラブの例会場である。今回は奈良県コンベンションセンター及びマリオットホテルが会場となったが、いつもの周年行事はここで行われている。ご縁なので、ここで昼食をして散会に。

2024年1月24日水曜日

奈良大宮ロータリークラブ45周年(1)

 




 23日(火)、24日(水)は奈良大宮ロータリークラブ45周年式典へのご招待を受けたので、奈良出張。

太宰府ロータリークラブと奈良大宮ロータリークラブは姉妹クラブ。奈良に都があったころ、太宰府は西の都と呼ばれていたぐらいだから、姉妹クラブとなるのは自然。

SNSで検索すると、40周年、35周年、30周年にもおじゃましている。その他、大峰山登山に3回、白山登山に1回ご招待を受けているので、少なくとも8回はおじゃましている計算になる。

天気は24日大雪予報と風雲急を告げていた。だが、この日は晴れていて、ご招待を受けていることもあり、まずは奈良までやってきた。

開式は16時30分からだったので、それまで1時間ほど奈良公園を散策した。JR奈良駅ちかくのホテルから三条通を東へ。

10分ほどで猿沢の池に着いた。興福寺の五重塔が池鏡に映っている。小学校の教科書時代からおなじみ・定番の美しい風景だ。

写真左手には采女神社がある。天皇の寵愛が薄れたことを嘆いて猿沢の池に身を投げた采女(うねめ)の霊を慰めるために創建されたという。お能の演目になっている。

北側の坂を登り、興福寺境内へ。興福寺は、鎌足、不比等のゆかりで、藤原氏の氏寺。奈良は、源平合戦のおり平重衡に、戦国時代に松永久秀らに焼かれ、明治時代に廃仏毀釈で打撃を受けている。それにもかかわらず、現在の堂塔伽藍・仏像らを維持できているのは奇跡。

興福寺は法相宗の大本山。法相とは存在のあり方。法相宗は、唯識の大乗仏教。文字どおり、一切の存在現象は心がうみだしたもの=識にすぎないという立場。

興福寺の法相宗は、入唐留学した玄坊が伝えた。玄坊は聖武天皇の信頼も厚く出世したが、長屋王が力を失うとともに大宰府(古代政庁などをいうときは大宰府、現代の天満宮、自治体名は太宰府)観世音寺に左遷された。観世音寺の西にはわびしい墓がある。

まずは南円堂。藤原北家の冬嗣(道長の6代前)が亡父内麻呂追善のために建てた。何度も火災にあい、なんと四代目の建物。興福寺の、藤原氏の、民衆の信仰パワーのなせるわざである。

不空羂索観音が本尊(東大寺法華堂と同じ)。鎮壇には弘法大師が関わったとか。西国三十三所の9番札所。

次は五重塔、東金堂、中金堂・・・と行きたいところだが、五重塔、東金堂は改修中。中金堂は時間の関係で行けず、写真だけ。

北へ向かい、北円堂。国宝。法隆寺夢殿と同じ八角円堂。藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇が長屋王に命じて創建させた。

ここで時間切れ。三重塔(国宝)、三条通を経由して集合場所に戻る。