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2026年5月6日水曜日

【労働問題・コラム】労働時間の範囲⑥ 移動時間

 【事例】日本工業検査事件

 株式会社Yに勤務するXは、川崎市内の本社から鹿児島県まで検査作業のため出張し、移動時間が生じた。この移動時間は、労働時間に含まれるだろうか。


【解説】

 就労場所への出勤のための時間は労働時間ではない。出張のための休日中の移動時間についても労働時間性は否定されている(昭和23年3月17日基発461号、昭和33年2月13日基発90号)。

 【事例】で、裁判例①は、「出張の際の往復に要する時間は、労働者が日常の出勤に費やす時間と同一性質であると考えられるから、右所要時間は労働時間に算入されず、したがつてまた時間外労働の問題は起こり得ないと解するのが相当である。」と判示した。




【発展】※専門職向け


【判例・裁判例】

■最高裁判所

■高等裁判所

■地方裁判所

①横浜地川崎支決昭和49年1月26日・労判194号37頁


【参考文献】

■調査官解説

■条解・コンメンタール等

■裁判官・元裁判官

①岡口基一『要件事実マニュアル第4巻 消費者保護・過払金・行政・労働(第7版)』(2024、ぎょうせい)708頁

■立案担当者見解

■学説

■弁護士・その他

①渡辺輝人『最新テーマ別[実践]労働法実務5 残業代の法律実務』(2024、旬報社)75~76頁


富永

2024年1月24日水曜日

奈良大宮ロータリークラブ45周年(1)

 




 23日(火)、24日(水)は奈良大宮ロータリークラブ45周年式典へのご招待を受けたので、奈良出張。

太宰府ロータリークラブと奈良大宮ロータリークラブは姉妹クラブ。奈良に都があったころ、太宰府は西の都と呼ばれていたぐらいだから、姉妹クラブとなるのは自然。

SNSで検索すると、40周年、35周年、30周年にもおじゃましている。その他、大峰山登山に3回、白山登山に1回ご招待を受けているので、少なくとも8回はおじゃましている計算になる。

天気は24日大雪予報と風雲急を告げていた。だが、この日は晴れていて、ご招待を受けていることもあり、まずは奈良までやってきた。

開式は16時30分からだったので、それまで1時間ほど奈良公園を散策した。JR奈良駅ちかくのホテルから三条通を東へ。

10分ほどで猿沢の池に着いた。興福寺の五重塔が池鏡に映っている。小学校の教科書時代からおなじみ・定番の美しい風景だ。

写真左手には采女神社がある。天皇の寵愛が薄れたことを嘆いて猿沢の池に身を投げた采女(うねめ)の霊を慰めるために創建されたという。お能の演目になっている。

北側の坂を登り、興福寺境内へ。興福寺は、鎌足、不比等のゆかりで、藤原氏の氏寺。奈良は、源平合戦のおり平重衡に、戦国時代に松永久秀らに焼かれ、明治時代に廃仏毀釈で打撃を受けている。それにもかかわらず、現在の堂塔伽藍・仏像らを維持できているのは奇跡。

興福寺は法相宗の大本山。法相とは存在のあり方。法相宗は、唯識の大乗仏教。文字どおり、一切の存在現象は心がうみだしたもの=識にすぎないという立場。

興福寺の法相宗は、入唐留学した玄坊が伝えた。玄坊は聖武天皇の信頼も厚く出世したが、長屋王が力を失うとともに大宰府(古代政庁などをいうときは大宰府、現代の天満宮、自治体名は太宰府)観世音寺に左遷された。観世音寺の西にはわびしい墓がある。

まずは南円堂。藤原北家の冬嗣(道長の6代前)が亡父内麻呂追善のために建てた。何度も火災にあい、なんと四代目の建物。興福寺の、藤原氏の、民衆の信仰パワーのなせるわざである。

不空羂索観音が本尊(東大寺法華堂と同じ)。鎮壇には弘法大師が関わったとか。西国三十三所の9番札所。

次は五重塔、東金堂、中金堂・・・と行きたいところだが、五重塔、東金堂は改修中。中金堂は時間の関係で行けず、写真だけ。

北へ向かい、北円堂。国宝。法隆寺夢殿と同じ八角円堂。藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇が長屋王に命じて創建させた。

ここで時間切れ。三重塔(国宝)、三条通を経由して集合場所に戻る。

2023年11月14日火曜日

抵当権実行停止仮処分の審尋@那覇地裁

 


 
 沖縄出張に行ってきた。空港からモノレールに乗り、県庁前で下車。そこからは10分ほどの歩きで那覇地方裁判所。

暑い。福岡をでるときはコートが必要なくらい寒かった。こちらはカッターシャツ一枚で十分だ。那覇地裁では12月までクールビズだそう。

顧問先の財産に対し抵当権に基づく競売の申立がなされた。これを凍結するために競売実行停止の仮処分を申し立てた。きょうはその審尋。審尋というのは簡易な証拠調べ手続である。当方は社長と当職、相手方は弁護士が電話による参加だった。

事前に書面は提出しているので、相手方が提出した答弁書にそって争点の確認、その争点にそって双方の意見交換。議論が尽きたところで、この日の手続は終了。

あとは観光をさせていただくと断って、裁判所のまえで解散。国際通りから、やちむん(やきもの)通りへいつものルートで散策。

平日なので、修学旅行生が目立つ程度。もちろん、台湾からと思われるインバウンド集団や米軍家族関係者もみかけた。

やちむん通りの奥には、某人気女優さんと同じ名前の店が並んでいる。たまたま入った店のおかみさんに訊くと、みな兄弟で窯の伝統を守っているらしい。さいきんはどうですかと問うと、お客が戻ってきているという。それはなにより。

2022年9月13日火曜日

ひさしぶりの沖縄出張

 




 月曜は那覇地裁で裁判。日曜から前のり。ここのところウエブでの裁判が多かったので、リアル出張はひさしぶり。たまたま沖縄知事選の投開票日だった。

おりあしく台風12号が沖縄地方、とくに宮古、石垣方面に接近中。心配したけれども、無事に行って帰ることがでた。宮古、石垣と沖縄本島はおなじ沖縄といえども、相当の距離があるのだろう。

台風接近中ゆえ、大気は不安定。多量の湿気を含んだ南風が吹き付け、ときおりスコールのような激しい雨。蒸し暑く、5分も歩けば汗がズボンまでぐっしょり。

地元料理ゆうなんぎぃ(海ブドウ、ちゃんぷる、ぐるくん、そーきそばなど)、国際通り、市場、やちむん通り、首里城などは定番。水族館、南部戦跡、斎場御嶽までは仕事がらみでは厳しいか。こんかいは断念。

沖縄の人々もコロナの打撃をつよく受けただろう。国際通りの人出は、若い人を中心に、7割くらいまで戻している感じ。

裁判所のなか、男性はかりゆしウェアで涼しげ。ドレスコードでOKなのだろう。こんどはあれにしよう。

事務所3階でウエブ会議は楽でよいが、やはりリアル出張で刺激を受けると違う。もうすこし条件のよいときにまた行きたいな。

2021年12月22日水曜日

シンクロニシティ

 

 西鉄都府楼駅をおり、北側にいくとすぐ都府楼前駅の交差点だ。左折すると御笠川に刈萱大橋が架かっている。

交差点を直進して御笠川をわたると日田街道である。T字路を左折して150メートルくらい行くと左側に「刈萱の関跡」がある。

水城堤防はいまJR線や高速道路に寸断されている。しかしかつてはここしか通り道がなく、関所になっていた。刈萱の関である。大宰府への入口であり、出口でもある。

 かるかやの関守にのみみえつるは人も許さぬ道べなりけり

道真公の歌にも歌われている。大宰府に左遷され都へ戻れぬ現実を、ここで強く感じられたことだろう。

もちろんいま関所はなく、黒い大理石の碑がひっそりとたつのみである。うちの秘書さんもこのちかくに住んでいるけれども知らないのではなかろうか。

太宰府観光協会のHPによると、「刈萱道心と石童丸」の伝説でも有名とある。有名といわれても、そもそも刈萱の関を知る人がすくないのであるから、この伝説を知る人も多くはあるまい。

さてこのブログを読んでくださっているかたにはうっすら記憶があるかもしれない。この間のブログの流れはこうである。

①講演をたのまれ和歌山へ出張した。
②出張ついでに、翌日は槙尾山・施福寺に、翌々日は道明寺・道明寺天満宮にそれぞれ参拝した。
③道明寺参拝の旅の記憶を反芻するために、道明寺がでてくる『菅原伝授手習鑑』を反芻読書した。
④『菅原伝授』は日本文学全集10のなかの一話である。つづけて同書の『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』も読んだ。

さらに『曽根崎心中』(いとうせいこう訳)、『女殺油地獄』(桜庭一樹訳)を読み、つづけて説経節(伊藤比呂美訳)を読んでいる。

小学館の『日本国語大辞典』によると、説経節は説教浄瑠璃で語られる曲節。説教浄瑠璃は語り物の一種。

仏教の説教が歌謡化し、江戸時代初期に流行した民衆芸能とある。ラジオやテレビのない時代、民衆の娯楽、楽しみだったのだろう。

説経節として知っていたのは『小栗判官』だったけれども、本書にとりあげられていたのは『かるかや』。これがまさしく先の「刈萱道心と石童丸」の伝説である。

刈萱道心はもと、筑前の国、刈萱の荘、加東左衛門重氏。重氏は松浦党の総領。松浦党は武士の大集団、筑後、筑前、肥後、肥前、大隅、薩摩の6か国をおさめていたという。

筑前の国、刈萱の荘といわれると思考停止する人が続出すると思うけれど、なんのことはない、先の「刈萱の関跡」あたりである。そこにいまでいえば、福岡高裁の長官が住んでいたと思えばそれほどおおきな間違いではあるまい(ただし重氏はいまだ21歳)。

人はいつ、どのようにして発心(ほっしん)するのか。それを書いたものが『発心集』らしいが、いまだ読んだことはない。重氏は、花見の宴で、桜が盃のなかにはらりと落ち、くるくる回ったのを見て発心したという。

発心した重氏は領地も家族も捨てて出家した。家族には妻、3歳の娘のほか、妻のお腹のなかの男の子もいた。男子が石童丸である。

出家した重氏は刈萱道心と呼ばれ、京都の法然のもとで修行にはげんだ。13年経って妻子が尋ねてくる夢を見、対面を避けるため高野山に逃れた。高野山は女人禁制であり、妻が追ってこられないからである。・・・

「刈萱道心と石童丸」らの苦難の人生は佳境に入っていくのであるが、その前にいまでいえばCMのようにして、高野山の説明がながながとなされる。なんの話だったか忘れそうである。

と思っていたら、高野山をひらいた弘法大師空海が剃髪・出家した話がでてきた。その場所がどこあろう、槙尾山なのだ。

槙尾山か、懐かしいな。と思っていたら、まてよ、空海が剃髪した場所・・・たしか施福寺の坂の途中にあったよな。参拝したときの写真を検索するとたしかにあった。

まず愛染堂(上の写真)。またの名は弘法大師剃髪所跡。空海が得度して剃髪したとされる。つぎに弘法大師御髪堂(下の写真)。空海の剃髪した髪が祀られている。

かくて和歌山出張の旅は→槙尾山・施福寺→道明寺→『菅原伝授』→日本文学全集10→説経節『かるかや』→弘法大師剃髪所跡→槙尾山・施福寺という円環をなして、みごと完結したのでありました。

2021年12月12日日曜日

和歌山講演

 


 メトロポリタン美術館展をみたあとは和歌山へむかった。高校までは岸和田、泉佐野で育ったので懐かしかった。天王寺、堺、三国ヶ丘、東岸和田、日根野・・・。思い出ぶかい地名ばかりだ。

ご依頼はある法律家団体幹部の全国ミーティングにおける特別講演、名誉なことだ。これまでの弁護士経験を踏まえて、大規模被害からの権利回復に関する訴訟・運動論を話した。

参加は20~30人くらい、あとはオンライン参加だ。難しい訴訟と運動をたたかっている人たちだから、とても熱心。話していて気持ちがいい。質疑も要点をついていて、日ごろの苦労がしのばれる。

講演後は和歌山城を散策した。大きなイチョウの樹が黄葉している。地元の人たちが行く秋をしのんでいた。

その後、岩出へ向かった。岩出といわれても知らないだろう。和歌山から紀ノ川を東(高野山)の方に10キロメートル余、遡上したところにある。紀ノ川は有吉佐和子の小説の題名でもある。夕陽に映え、輝の川になっていた。

そこで高校の同級生がフレンチの店を経営している。和歌山での講演がきまったときに、いちど顔をだしたいと連絡した。そうしたら、同級生に声をかけてくれて、ミニ同窓会を開いてくれることになった。

岸和田から岩出まで車で1時間くらい。そう近くもないが、集まってくれた。遠く枚方や茨木からも参加してくれた。オミクロン株の感染拡大がいわれつつも、感染者数が落ち着いていることもあり、美味しく楽しいひとときを過ごすことができた。ありがたい。

2021年12月9日木曜日

メトロポリタン美術館展

 


 

 先週末は、和歌山での講演依頼を受けたので、和歌山、大阪を周遊した。新大阪に前泊し、金曜の朝、天王寺にある大阪市立美術館へむかった。

「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」を鑑賞するためである。高校の恩師と九州大学の美術教授になった同級生がSNSに投稿していたので、行ってみようという気になった。高校の恩師はまた非常に混雑していたとも報告していた。

NHKみんなのうたに大貫妙子の珍妙で楽しい「メトロポリタンミュージアム」という曲がある。聞いたことはないだろうか。♪赤い靴下でよければかたっぽあげる・・・という、あれである。

メトロポリタン美術館展ははじめてではなく、これまでにもなんどか来日していると思う。コレクションが幅広く多数にのぼり、来日の都度作品にバリエーションをもたせているので、なんど来ても新鮮である。

いまどきだし、コロナ禍でもあるので、ネットで事前に予約・チケット購入ができる。金曜の朝一は9時30分からである。前日、これを予約・購入した。

ホテルで朝食を食べ、天王寺に向かったら8時55分に美術館に着いた。「予約をされていないお客様」の列にはすでに一人待っていただけである。こちらは「予約をされているお客様」の列の先頭であった。

寒い朝だった。順番待ちをしているところからは通天閣が見えた。その後、列はどんどん伸びていった。予約をしていて、よかった。

開館とほぼ時を同じくして和歌山で震度5の地震が発生した(らしい)。和歌山出張を知っていた秘書さんや友人から安否確認が複数きた。

しかし、なんと自身はこの地震に気づかなかった。大阪の震度は2であったし、入館に全集中していたからだ。

普通、美術展では主催者の挨拶や、ルネッサンス芸術とは、バロック芸術とはなどという解説も丹念に読み、学習しつつ鑑賞する。

この日は後ろの時間が切れていた。午後1時から和歌山で講演なので、10時30分には美術館を出て、55分の電車に乗らなければならなかった。

混雑も気になったので、これらはネットで事前に学習して、現地では読み飛ばした。そしてマスターピースを中心に鑑賞した。

どれか一点といわれれば、セザンヌの「リンゴと洋ナシのある静物」を挙げておこう。

中世の絵画はキリスト教カトリックの支配下にあり、キリストの神聖を強調するため、平板かつ非現実的だった。

ルネッサンス以降「西洋絵画の500年」というのは、これをいかに立体的、現実的に表現するかの歴史である。遠近法や光の表現など数々の革新がなされていった。

セザンヌはあまりに革新すぎて同時代人には理解されなかった画家である。人生には苦労したであろうが、画家としての名誉を得ることができた。

彼はピカソ、ブラックらのキュビズムに影響を与えた。キュビズムとは立体派である。彫刻はもともと3次元の立体であるが、絵画は2次元である。2次元の画面に3次元の物体や空間を表現するにはどうするか。

セザンヌはどうしたか。手前の机は斜めっているし、背後の壁は波打っている。遠近法による忠実な描写からはほど遠い。

しかし、中央に並んだリンゴと洋ナシは、なぜか圧倒的な存在感を放っている。手にとって食べられそうだ。いちどご覧あれ。

2021年3月9日火曜日

産地直送!!

 


被疑者国選弁護人に選任されて接見へ。


勾留されている方のご家族が遠方におられ、かつ電話番号が分かりません。

身体拘束をする理由も必要も話を聞く限りなく、違法・不当な逮捕・勾留です。身元引受人としてご家族に早く連絡がとりたい。

でも電話番号が分からない。さあ困りました。どうしようか・・・。


ええい、悩むくらいなら会いに行ってしまえと、休日返上で急遽県外まで出張。無事、身元引受人にお会いでき、釈放された後の身元を引き受けると書面を書いてもらいました。


「連絡先の分からない相手に連絡をとる方法」を福岡県弁護士会の多くの先輩や同期に知恵を求めた結果、移動中も多くのアドバイスをもらいました。ありがたい限りです。


さて、こちらが急ぎでテンパったのが伝わったのでしょうか。やりとりしていた同期の弁護士から

「こういうときの国選(弁護人)の交通費ってどうなるの?」

という趣旨の質問が、


「国産ってどうなるの?」


と誤変換されて送られてきました。


まあ、日本生まれ日本育ちですので、国産弁護人といわれても間違いではないですが。


クローン弁護士とかが将来登場することに備えて、今のうちから、


「国産弁護人富永悠太(遺伝子組換えでない)」とでも書いた名刺を作っておこうかなあ。


富永

2013年11月20日水曜日

沈黙は金?


当事務所では,
弁護士が1階と2階に分かれ,
向かい合う机の配置で執務しています。

当然,
電話で話している声も聞こえてきます。



とある昼下がり,
弁護士が受話器を片手に


…黙っています。


電話では,
話を聞く側になっていたとしても
何かしらの相槌があるものですが,
弁護士が

…黙っています。


時折,発言していますが,
かなりの長時間,

…黙っています。




実は,
法律事務所では
決して珍しい光景ではありません。

裁判では,
一定の場合に電話会議の手法を
とることがあります。

まさに裁判の真っ最中だったということです。


この電話会議によって,
遠隔地の事件も対応できるんです。

(もちろん出張しなければならないこともありますが…。)



もしどこか遠くの裁判所で
訴えを提起されるようなことがあっても
大丈夫です。

安心してご相談ください。


そして,弁護士が黙って受話器を持っていても
フル回転で執務中ですので
ご了承ください。

2013年8月18日日曜日

「おおまぴょん」をよろしく。


ご無沙汰しております。

まだまだ暑い日が続きますね。


私の実家は長野県の北部,大町市。

山と森と湖と…という
「避暑地」を絵に描いたようなところです。


行ったことのない方は,
これを機会に是非お越しください。

当ブログで私の地元を宣伝しても
仕方がないかもしれませんが,

こんな

















「おおまぴょん」

という,ゆるキャラもお待ちしております。





やはり避暑地の気温は低いですね。
朝晩は肌寒さすら感じました。

もっとも,母に言わせると,
これでも例年より暑いのだとか。

これは,
一度,母を福岡に呼びつけ,
「暑い」とは,
こういうことだと教えないといけませんね。




少しの充電期間を経て,
福岡・筑紫野に戻ってきました。
さて,暑さに負けず
精を出すとしましょうか。


明日から東京出張のため,
更新をお休みします。

また木曜日にお目にかかります。



2013年5月29日水曜日

大菩薩嶺(2057m)





週末,東京出張だったので
ついでに大菩薩嶺に登りました。

大菩薩嶺より
大菩薩峠のほうが有名でしょうか。

中里介山の小説
『大菩薩峠』のタイトルになっているので。

評価はたかいようですが
なにぶん長編なので未読です。


新宿にいくと
青梅街道がありますよね。

あの道はどこへ通じているか
ご存知ですか。

名前からして
青梅市を通っていることは明らか。

その終点は
山梨県甲府市なんですね。

八王子や大月(中央線沿線)を通る甲州街道にたいし
甲州裏街道と呼ばれていました。


青梅街道を西にむかい
甲州に入るには山越えをしなければなりません。

その最高標高点が
大菩薩峠だったんですね。

(いまはすこし北西側
柳沢峠になっています。)

山越えをするより
甲州街道をいったほうが楽そうですが

距離がみじかかったのと
関所がゆるかったというメリットがあったのだとか。


でも,そこから遠望する富士山
その絶景も捨てがたいポイントだったでしょうね。

2012年11月6日火曜日

倉敷へ





3番山 浦島太郎。
亀の表情がすごい。

江戸時代の人たちの
想像力に脱帽。

きょうは公務で倉敷出張
では,いってきます。

…いや,亀じゃありませんよ。
のぞみに乗って。