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2024年5月13日月曜日

儀同三司母って誰?

 

 忘れじのゆくすゑまではかたければ
     今日をかぎりのいのちともかな

 どんなに忘れないとおっしゃっても、将来のことはあてにしがたいので、そうおっしゃってくださる今日が最後の命であってほしいものです。

 『百人一首』54番として採られている和歌で、よく知られている。しかし、儀同三司母って誰?

 いままでふわふわと断片的な知識として存在していた数々が今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」で凝集作用をおこして、ネットワークを形成するようになった(ことは以前に書いた)。

 儀同三司(ぎどうさんし)というのは、藤原伊周(これちか)のことである。劇中三浦翔平が演じている。前回の「光る君へ」「放たれた矢」で、陣の定めのあとで、道長に暴言を吐いて恥をかいた人物である。中関白(なかのかんぱく)藤原道隆(井浦新)を父とし、親の七光りで弱冠21歳で内大臣に昇進した。

 儀同三司母(ぎどうさんしのはは)は、伊周の母であるから、つまり、道隆の妻である高階貴子(たかしなのきし)。劇中、板谷由夏が演じている。

 貴子は、道隆との間に、伊周のほか、隆家(竜星涼)、定子(高畑充希)を産んだ。定子は、一条天皇(塩野瑛久)の中宮である。つまり、清少納言がつかえていた、あの中宮定子である。なお、隆家は中納言となっている。

 かくて名前のとおり隆盛をほこった中関白家であったが、道隆は早逝してしまった。伊周の昇進は親の七光りによるものでったので、当然のことながら没落する運命であった。

伊周のみならず、隆家、さらには定子までが没落してしまう。そのきっかけとなったのが前記ドラマのタイトル「放たれた矢」である(儀同三司という官名もその結果である。)。矢を放ったのは弟の隆家だった。次回以降を楽しみにしたい。

 さて、儀同三司母の歌であるが、こうした中関白家の哀しい歴史にかんがみると、本来の意味合いと別の意味合いが浮かんでくる。百人一首の撰者である定家は、それも踏まえて本歌を撰んだのだろうとされている。

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。

2011年3月6日日曜日

 雨のなか、曲水の宴



 3月5日(日)太宰府天満宮で曲水の宴でした。

 太宰府ロータリークラブで在福の留学生をご招待する行事として
 われわれも参加しました。

 国際交流をはかる趣旨で、アジアはもちろん
 カナダ、ベルギー、メキシコなどの留学生も参加されました。

 宴は毎年、梅花さきほこる曲水の庭でおこなわれます。

 庭には小川がつくられていて、流れてくる盃が通りすぎないうちに
 詩歌をつくり盃を戴く雅な祭事。

 起源は中国「秦」時代とされ、清らかな水の流れに盃を流して
 禊祓(けがれをはらう)の儀式として行われたのが始まりだとか。

 和歌のみならず、舞、雅楽、琴、朗詠など
 和風文化の総合芸術の趣があります。

 今年はあいにくの雨にたたられ、文書館にて催行。
 室内でおこなうのは48年の歴史ではじめてだとか。

 1700年前に起源をもつ行事ながら
 歴史のなかでの変容もあります。

 姫役はかつてはミス福岡がされていましたが
 男女共同参画社会のいまは親善大使と名を変えています。

 気になるのは歌の出来栄え
 その場でつくっているのでしょうか?

 小倉百人一首のなかの赤染衛門の和歌

   やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて

             かたぶくまでの 月を見しかな
 
 赤染衛門の姉妹のもとに通っていた藤原道隆(中宮定子の父)
 が訪れなかったため代作した歌とされています。

 平安時代から代作OKの世界なら
 現代日本でも推して知るべきでしょうか?

 京大入試の代作問題の行方が気になるところです。