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2023年4月25日火曜日

賃借人から騒音被害を訴えられた件(和解解決)

 
 賃借人から騒音被害を訴えられた裁判が和解で解決した。

これまで被害者側から依頼を受け、4件ほど解決した経験がある。こんかいは、家主側、つまり「加害者側」から依頼を受けた初のケースである。

騒音被害訴訟として有名なのは、空港や基地、それに新幹線騒音訴訟だろう。自身が経験したのは、工場騒音や鉄道騒音であった。今回は生活騒音である。

場所は賃貸アパート。「被害者」はその住人の一人。騒音被害により、精神を病んだとして損害賠償を請求された。

当方は「加害者側」といっても、直接の加害者ではない。直接の加害者とされるのは他の住人たち。隣の住人が夜間に騒いでうるさい。

家主は賃貸人としてそれを止めさせる義務がある。それを怠っていたのだから、管理懈怠の責任があるという。

騒音被害については、行政法規ではあるが、騒音規制法や自治体の条例が重要である。

https://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/soushinsyu-top.html

地域、時間帯等により、許容される騒音の大きさ(単位デシベル)が決められている。行政や業者に依頼したり、騒音測定装置を借りてきて自分で測定したりする。本件ではアプリで測定したという。

本来は、測定の仕方、つまり測定する距離などが決められている。本件では、隣人が騒いだことが何度かあり、そのうち1日だけ測定し、何度か規制値を超えているという。

一般に、騒音被害といっても、そのような点の被害では弱い。一定時間継続した被害である必要がある。本件では精神を患ったとされるが、騒音との関係は微妙だ。

地域も問題である。当該物件はJRの線路横にある。賃料も低額である。隣人の騒音以上に鉄道騒音のほうが深刻なはずである。賃料が低額だと隣人被害に悩まされる可能性が高いとの一般論はネット上でも議論されていた。

そしてなぜか、家主だけが被告とされた。隣人たちは訴えの対象となっていない。なぜだろう。最後まで分からなかった。家主にも責任がないとはいえないが、副次的なものだろう。

あとは当方が対応を怠ったとの点であるが、苦情申入れの都度、加害者側の住民に注意を発し、そのことを被害者に報告していた。これらはメールでなされており、すべて立証することができた。

以上のような次第で、家主は1円も支払わないで本件を解決することができた。めでたしめでたし。(自身も騒音被害には弱いので、被害者には同情を禁じ得ないが、ここは家主から依頼を受けた弁護士の立場で。)

2011年9月27日火曜日

 美容室で髪型がおもいどおりにならなかったら?



 最近の判例集に紹介されている事例
 から。

 顧客がヘアカタログのデザインを見せてカットを依頼したが
 カタログどおりの髪型にならなかった場合

 美容師に美容契約上の債務不履行責任があるのか?
 が問われています。

 東京地裁の平成17年11月16日判決というのがあり
 キャバクラ嬢の請求を認め、慰謝料の支払いを命じています。

 本件は神戸地裁の平成22年10月7日判決であり
 原告の請求を棄却しています。

 当初の指示に応じて髪を短くカットした後に
 別のデザインへの変更を求めた。

 これがおもいどおりの髪型にならなかった原因であると
 判断されたためです。

 結果的に顧客の指示とは異なる髪型となったとしても
 そのことのみでただちに債務不履行責任を負うわけではありません。

 求められたデザインの髪型とするために合理的なカットの手法を採用
 すれば、美容契約上の義務違反は生じないというわけ。

 ま、きわめて妥当な議論だと思います。
 この結論に落ち着くために、裁判が必要なのか?

 しかも勝訴判決である東京地裁が認めた慰謝料も7万円です。
 経済的にはまったく引き合わなかったはずです。
 
 でも毎日のように、経済的合理性を欠く訴訟を依頼される顧客が
 あふれているのが法律事務所です。

 人はパンのみにて生きるにあらず
 ほんとうに大切なものは目に見えないんだよ…というわけです。

 このような考え方をドイツの法学者イェーリングは
 「権利のための闘争」と呼んでいます。

 デア・カンプ・ウムズ・レヒト!
 指導教授のドイツ語発音が思い出されます。 

 イェーリングの著書は「法の目標は平和であり、それに達する手段は
 闘争である」という有名なことばをもって始まります。

 他人から権利侵害を受けたとき抗議闘争をするのは
 単なる損害の回復ではなく、人格の回復である。

 権利のための闘争は、国家社会の法秩序の維持に役だつのだから
 各人の社会に対する義務である。

 かくて経済的には引き合わなくとも
 人は権利のための闘争を挑もうとします。

 私どもとしては、冷静な対応をまずは呼びかけますが
 場合によっては、そのような闘いに参戦せざるをえないときもあります。

 さて今日はどのような闘いが待っているのでしょうか?