旭岳山頂付近にはジムカデ。風雪がつよく環境が厳しいので、このような地をはうような高山植物しか生育できない。
2024年8月18日日曜日
大雪山・旭岳~トムラウシ山縦走(5)
旭岳山頂付近にはジムカデ。風雪がつよく環境が厳しいので、このような地をはうような高山植物しか生育できない。
2024年8月15日木曜日
大雪山・旭岳~トムラウシ山縦走(4)
登山初日は、旭岳を経て白雲岳避難小屋まで。旭岳は北海道の屋根である大雪山系の主峰。北海道の最高峰で、2291m。日本百名山。火山。
2024年8月8日木曜日
大雪山・旭岳~トムラウシ山縦走(3)
酷暑の日々がつづいているが、立秋をすぎ、夜散歩をしていて2%ほど涼味を感じるようになった。
そうしたところ、昨日の地震。南海トラフ地震との関連がとりざたされている。プレートテクトニクス理論に基づき時間軸を長くとれば、いつか発生することは間違いない。向こう一週間でどうかといわれれば、専門家も首をかしげざるをえない。が、喉元すぎれば熱さを忘れるわれわれゆえ、危険率がすこし上がったことにし、注意を喚起したのだろう。
さて、大雪山・旭岳~トムラウシ山縦走の旅は、新千歳空港へ着いた。山中では自炊しなければならないので、登山用ガスバーナーが必要。飛行機にガスは乗せられないので、事前に空港店舗にオンラインで注文し、受け取ることを忘れてはならない。
札幌まで空港快速、そこから旭川までは特急ライラック。札幌では昼食弁当を購入することも忘れてはならない。車窓は北海道らしい広々とした風景がつづく(中略)。
登山口は旭岳温泉。きょうはここで泊まり、登山は明日から。ホテルはその名もベアモンテ。名にし負い、ちかくでヒグマが目撃されることもある。
夕食まで時間があるので、近くを散策する。散策路が設けられている。クマに出会うのは怖いが、高山植物の花々がかわいいのだ。
2024年8月7日水曜日
大雪山・旭岳~トムラウシ山縦走(2)
福岡空港から新千歳空港へ向かう機窓からの景色のつづき。能登半島を通過し日本海上空から。
中央、雪をかぶっているのが後立山連峰。白馬、五龍、鹿島槍などの日本百名山が見えている。白馬と唐松の間は、縦走するのに苦労した不帰ノ嶮だ。稜線の左(北)端は、糸魚川、その手前(西)側は親知らず子知らずのあたり。
稜線の向こうは白馬村、フォッサマグナの落ち込み。糸魚川静岡構造線がくっきり。最奥に富士山が見えている。
しばらくすると、佐渡島が横たふ。南端の沢崎、宿根木あたりが見えている。日本海をはさんで向こうは新潟市街である。機窓からだと数センチだが、ジェットフォイルで1時間、フェリーで2時間の旅だった。
またしばらくすると、雪をかぶった秀峰が見えてきた。鳥海山だ。その左手前(北西)側は象潟である。400年ほどタイムスリップできれば、あそこで芭蕉に出会えるかもしれない。右手には月山が見えるはずだが、雲海に隠されてよく見えない。
機窓から風景をみるだけで、過去の山行や旅がつぎつぎと思い出されて、旅情はたかまるばかりだ。
2024年8月6日火曜日
大雪山・旭岳~トムラウシ山縦走(1)
きのう65歳になった。弁護士38年目である。はやいものだ。健康を維持しつつ、仕事と人生を楽しんでいきたい。
健康のバロメーターはやはり登山だろう。難所、難関にいつまでトライすることができるのか。
ことしも6月末に、北海道の大雪山・旭岳~トムラウシ山縦走にトライした。旭岳もトムラウシ山も日本百名山。なかでもトムラウシ山は難関のひとつだ。
総距離にして40キロメートル以上、2泊3日を要する、営業小屋なし、食事・水・寝具などは自分で担いで歩かなければならない、ザックが15キログラムちかくまで膨れ上がる、なかでもカメラが重い、天候が厳しく風強く急変あり、2000メートル級だが緯度が高いのでアルプスの3000メートル級に匹敵する、ヒグマの生息地のなか、白雲岳避難小屋から先はエスケープルートなし、などなど負担と危険がいっぱいだ。
実際、2009年(平成21年)7月には、大量遭難事故が発生している。ツアーガイドを含む8名が低体温症で亡くなった。
これまで4度チャレンジし、2度しか完登できていない。打率5割。いずれも天候悪化が見込まれたため、白雲岳避難小屋から黒岳方面へエスケープした。こんかいが5度目の挑戦だ。はたして縦走できるだろうか。
北海道には梅雨がないといわれる。花の季節は7月上旬だ。しかし7月上旬になると登山者が殺到するので混雑するし、去年はヒグマの母子が出没したため断念した経緯があった。そこでことしは1週間早めて6月末に計画した。
計画をたてると半年前には航空券を予約するので(早いほうが安いという経済的理由)、直前に天候悪化が見込まれても変更はできない。天候悪化が見込まれれば、登山計画のほうを変更するしかない。
大雪山・旭岳の登山口は旭岳温泉であるから、もよりの空港は旭川空港だ。しかし福岡からの直行便はない。羽田を経由しなければならないが、そうすると航空券が割高になってしまう。やむなく直行便が運行している新千歳へ向かう。
年初に大地震に見舞われた能登半島上空を飛行機は通過した。富山湾、立山連峰、後立山連峰が見える。さらにその右奥には富士山の姿も見えた。
2024年8月5日月曜日
ある遺留分侵害額の請求事件
ある遺留分侵害額の請求事件が解決した。
遺留分とは何か、分かりにくい。たとえば、被相続人(遺産を残して亡くなった人)に配偶者がおらず、子が3人いるとき、法定相続分は子ABCにつき各1/3である。
この場合に、Aに全部相続させると遺言すると、BCの遺留分を1/6侵害することになる。遺産の総額が6,000万円であるとすると、BCはAに対しその1/6である1,000万円を請求することができる。これが遺留分侵害額の請求である。つまり、遺留分は法定相続人のミニマムな財産承継権を守ろうとする制度である。
本件では、同じ内容の遺言が3通あった。自筆証書遺言が2通と公正証書遺言が1通である。
自筆証書遺言と公正証書遺言の違いは何か。前者は作るのが簡単だがあとが揉めやすい。後者は作るのが面倒だがあとが揉めにくい。
自筆証書遺言の場合、亡くなったあと改ざんを防ぐために、検認手続が必要である。法定相続人を家庭裁判所に集めて、自筆証書遺言の筆跡・内容を確認する。家庭裁判所から呼び出されてわざわざ出かけて行ったら、自分には遺産を渡さないというのであるから、遺留分侵害請求事件を惹起しやすい。
本件でもまず遺言書の検認事件からである。A氏から依頼を受けた。平成31年の事件番号がついている。なんと5年以上係争してきたことになる。
つづいてBC氏から遺留分侵害額の請求調停が申し立てられた。Aに遺産を全部相続させるというのであるから、たしかにBCの遺留分を侵害している。その分を支払いましょうと申し出たのであるが、BCは納得しない。生前に預貯金の引き出しがなされているので、その分が生前贈与(特別受益)であるというのである。
先に遺産が6,000万円であるとして事例を設定した。この場合、生前に被相続人がAに自宅建築費用として600万円を贈与していたとする。この場合、生前贈与の600万円をいったん遺産に持ち戻して遺留分侵害額を計算する。つまり、BCの遺留分侵害額はそれぞれ(6,000万円+600万円)×1/6=1,100万円となる。
本件では、たしかに、被相続人の通帳から600万円が引き出されている。通例であれば、預貯金通帳を管理していたAがその使途を知らないことはないだろう。しかし、本件ではAはすでに亡くなっており、その場合、被相続人の孫のA’に相続させるという遺言になっていた。A’には600万円の使途など分からない。これが紛争が長引いた原因である。
両者の言い分の溝は埋まらず、遺留分侵害額の請求調停は不成立に終わった。その後、BCは遺言無効確認請求裁判を提起した。被相続人は、本件3通の遺言を書いた後、認知症を理由に成年後見の申立がなされていた。そのため遺言を作成したときにも、遺言能力がなかったと主張されたのである。
遺言の無効確認について、かつてはその証拠を収集することが困難だった。しかし近年、介護保険の導入により、遺言作成前後の時期における認知症の診断書を入手することが可能になった。
本件でも、各遺言書作成の前後における診断書の提出がなされ、厳しく争われた。しかし、遺言能力はあったとして勝訴することができた。
すると今度は遺留分侵害額の請求を求める裁判が提起された。ここではもとに戻って生前贈与(特別受益)の有無・額が争われた。こちらは相変わらずAのころのことだからよく分からない。BCは怪しい怪しいというのみである。
数回におよぶやりとりの末、裁判所から和解案が示された。基本的には生前贈与(特別受益)を認めないというものである。ただし、支払額に若干の加増がはかられている。よいさじ加減だったので、双方ともこれを承諾し、和解が成立した。5年に及ぶ紛争の終結である。
被相続人は天国であきれているかもしれない。
2024年8月4日日曜日
虎に翼(7)-統一教会返金を求めない念書無効判決
「虎に翼」では、家庭裁判所の創設期の輝かしい理念や先人たちの熱意や努力が描かれた。われわれも、先輩たちから断片的にうかがってきたことであるが、ドラマとして描かれたことで実によく理解することができた。
ドラマで描かれた家庭裁判所の創設期の輝かしい理念がいまも忠実に受け継がれているかといえば、残念ながら、疑問である。
そもそも近年まで、家庭裁判所の建物は地方裁判所のそれとは別であった。地方裁判所が福岡城跡のいかめしい堀のなかにあったのに対し、家庭裁判所は通りに面していた。桜の時期には美しい情景を望むことができた。
しかし、いまは福岡高等裁判所や地方裁判所と同じビルの1画に押し込められている。入口ではものものしくセキュリティチェックが行われているし、廊下は暗い。
家庭裁判所では、ドラマでも描かれたように、離婚や遺産分割などの調停や審判をおこなう家事事件と少年非行に対する処遇を決する少年事件の2つが取り扱われている。民主化か官僚化かという対立軸でみて、より大きな変容を被ったのは後者だろう。
創設期、成人の犯罪に対し、少年の非行は、可塑性、教育可能性が重視すべきとされた。教育学部や心理学部をでた調査官による調査が尊重すべきとされた。刑務所における処罰とは異なる教育的な試験観察等による社会内処遇が選択すべきとされた。
戦後の少年事件はトレンドでいえば落ち着いてきたといえる。しかし、少年による重大事件が発生するたびに、少年事件の凶悪化と重罰の必要性がセンセーショナルに報道された。
これに呼応して少年法の解釈や法が改正され、審判は形骸化し、重罰化が選択されるようになった。世論の批判を浴びて現場が変容したというより、最高裁事務総局による上からの指導が大きかったと思われる。
「虎に翼」をみて、発足期の理念に思いをいたし、失われたものの大きさを実感した法曹は少なくないのではなからろうか。
ところで、先の旧優生保護法違憲判決後に、最高裁では、統一教会に対する違法献金の返金を求めない旨の念書が無効であるとの判断が示された。除斥の適用を制限するというのも思い切った判断だったが、念書を無効とするのも思い切った判断である。下級審はかかる念書を有効であると判断していたのであるから。
このような最高裁の状況をみて、最高裁判事たちも「虎に翼」をみているせいだという説がささやかれるようになった。今年四月にはじまったドラマの影響がもう現れることは時系列としてはありえない。7月初めの判決の結論は、どんなに遅くとも4月初めころには固まったいたはずであるから。
しかし、今後のことをいえば、「虎に翼」効果を期待せずにはいられない。最高裁判事は、スーパーじいちゃん、スーパーばあちゃんの集まりである。NHKの朝ドラを見ているヒマなどないのかもしれない。しかしこれから最高裁判事になる世代や、孫と会話するスーパーたちもいるのではないかと夢想するのである。