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2024年8月6日火曜日

大雪山・旭岳~トムラウシ山縦走(1)

 

 きのう65歳になった。弁護士38年目である。はやいものだ。健康を維持しつつ、仕事と人生を楽しんでいきたい。

健康のバロメーターはやはり登山だろう。難所、難関にいつまでトライすることができるのか。

ことしも6月末に、北海道の大雪山・旭岳~トムラウシ山縦走にトライした。旭岳もトムラウシ山も日本百名山。なかでもトムラウシ山は難関のひとつだ。

総距離にして40キロメートル以上、2泊3日を要する、営業小屋なし、食事・水・寝具などは自分で担いで歩かなければならない、ザックが15キログラムちかくまで膨れ上がる、なかでもカメラが重い、天候が厳しく風強く急変あり、2000メートル級だが緯度が高いのでアルプスの3000メートル級に匹敵する、ヒグマの生息地のなか、白雲岳避難小屋から先はエスケープルートなし、などなど負担と危険がいっぱいだ。

実際、2009年(平成21年)7月には、大量遭難事故が発生している。ツアーガイドを含む8名が低体温症で亡くなった。

これまで4度チャレンジし、2度しか完登できていない。打率5割。いずれも天候悪化が見込まれたため、白雲岳避難小屋から黒岳方面へエスケープした。こんかいが5度目の挑戦だ。はたして縦走できるだろうか。

北海道には梅雨がないといわれる。花の季節は7月上旬だ。しかし7月上旬になると登山者が殺到するので混雑するし、去年はヒグマの母子が出没したため断念した経緯があった。そこでことしは1週間早めて6月末に計画した。

計画をたてると半年前には航空券を予約するので(早いほうが安いという経済的理由)、直前に天候悪化が見込まれても変更はできない。天候悪化が見込まれれば、登山計画のほうを変更するしかない。

大雪山・旭岳の登山口は旭岳温泉であるから、もよりの空港は旭川空港だ。しかし福岡からの直行便はない。羽田を経由しなければならないが、そうすると航空券が割高になってしまう。やむなく直行便が運行している新千歳へ向かう。

年初に大地震に見舞われた能登半島上空を飛行機は通過した。富山湾、立山連峰、後立山連峰が見える。さらにその右奥には富士山の姿も見えた。

2024年4月18日木曜日

青螺山~黒髪山縦走

 

 薬害肝炎原告団総会@長崎のあとは、八尋大兄とふたりで青螺山~黒髪山を縦走した。
 西九州新幹線で武雄まで、そこから在来線で有田まで。有田からはタクシーで龍門ダムの登山口まで。
 写真左が青螺山(せいらさん)618m、右が黒髪山(くろかみやま)516m。低山であるが、ともに美しい名である。黒髪山は新日本百名山。


 名の美しさに騙されてはいけない。きれいな花にはトゲがある、美しい女には・・・。青螺山には断崖・絶壁がある。


 だけでなく花もある。ミツバツヅジが咲いていた。セイラの花、セーラーフラワー。こうなったら月夜に登ってみたいものだ。セーラー・・・。


 ふりかえると、登山口のあった竜門峡・龍門ダム。龍門というのは登龍門というばあいのあれだ。登竜門とは難関突破のこと。まさに難関の山を突破した。




 黒髪山に登ると、有田ダムがみえた。向こうは有田市街だ。 


 黒髪山も山頂部はけわしい。鎖場の連続だ。有田焼は李参平が磁器の原料となる原石を有田で発見したことが発祥。こうした難しい地形は、そうした原石の存在と関係しているのかもしれない。


 難関突破が得意な八尋大兄も苦労している。


 黒髪山は古くからの霊山。
 山頂ちかくに西光密寺がある。寺伝によると、弘法大師空海が入唐求法の途上、遣唐使船が平戸係留の間に、無事の渡航を祈念して登頂、帰朝の際にもお礼参りの登頂をして、不動明王を安置したのがはじまりという。われわれも登山の無事と平和を祈念して下山した。

2023年5月16日火曜日

残雪の槍ヶ岳(3)蝶ヶ岳からの展望

 




 上高地から3時間歩いて横尾に着いた。きょうはここで宿泊。横尾から振り返ると、前穂とその北尾根が輝いていた(1枚目の写真)。美しい(しかし連休中、3人が滑落し、うち2人が亡くなっている)。

もともとは、まず常念岳に登り、稜線を縦走して蝶ヶ岳に登り、そして横尾に下山する計画だった。しかし、2日目午前中の天気は荒れるとの予報だった。強風と大雨。そこで急遽、常念岳を断念して、上高地から横尾入りすることに計画変更した。

天気予報の精度は格段に向上している。明日は14時から雨が降るというと、ほんとうに14時から雨が降り出すから驚きだ。山の天気が変わりやすいのは変わらない。けれども、天気予報の精度が向上したことにより、登山の安全性が増していることは間違いない。

他方でコロナ禍以降困っているのは、山小屋が完全予約制になったことだ。むかしはどんなに混雑していても、布団1枚に3人寝かしてでも、泊めてくれた。しかしコロナ禍以降、そういうわけにはいかなくなった。

むかしだったら、常念小屋で天気の回復をまって、蝶ヶ岳へ縦走していただろう。しかし山小屋の完全予約制により、そうもいかなくなった。その先の横尾山荘や槍ヶ岳山荘の予約が流れてしまったり、予約できなくなってしまうからだ。そのため、常念岳の登りを断念して、上高地から横尾にショートカットしたというわけだ。

2日目、午前9時まではかなりの雨量だが、それ以降は1ミリ程度と予報されていた。山荘で一日潰すのはもったいない。そこで、9時過ぎに小屋を出て、蝶ヶ岳(2677m)に登ることにした。

上高地の標高は1500mだから、標高差1200m。宝満山の標高が800mであるから、その1.5倍である。5時間半くらいのコースタイムだろうか。

雨のなかを出発したが、1時間程度で雨はあがった。この日、蝶ヶ岳に同じコースで登ったのは4グループ6人(くだりのときにさらに2グループ3人に出会った)だった。

5合目くらいから残雪となった。アイゼンを装着する。先行していたおじさんが先に進むかどうか迷っている。

夏道はみえない。オオシラビソの木につけられた道標やペンキマークを目印に登ることになる。トレースはあったりなかったり。ときどき判断に迷うところもあったが、おおむね地形に沿って登ることができた。

稜線部は雪が溶けて夏道が露出していた。しかし風が強い。夏であれば登山者が行き交っているところ、誰も歩いてはいない。

振り返ると、槍ヶ岳から穂高の稜線をのぞむことができた(2枚目の写真)。空は曇っているが、稜線にガスはかかっていない。

右端が槍ヶ岳。中央やや右に凹んでいる部分が難所として知られる大キレット。その左は穗高連峰である。

穗高連峰を拡大してみる(3枚目の写真)。右から北穗高岳、涸沢岳、奥穗高岳、前穂高岳。涸沢岳から下にエプロンのように白くなっているところが涸沢(左側に岩が点々とみえているのはザイテングラード)である。

さらに左手、南を見ると、木曾の御嶽山をのぞむことができた(4枚目の写真)。神々しい。霊峰と呼ぶにふさわしい。

2023年5月10日水曜日

六甲山全山縦走(3)と阪急電車

 





 連休中の休筆が長かったけれども、六甲山全山縦走のつづき。

3日目(最終日)の出発点は記念碑台。六甲山を開発したイギリス人であるアーサー・ヘスケス・グルームの記念碑がある。彼はグラバー商会の出張員。グラバー商会は長崎だけでなく神戸でも活動していたのだろう。

鵯越駅から記念碑台までは、前日(2日目)、わが会の精鋭2名が雨のなか縦走を続けた。そこで、われわれはきょう、ここから縦走を続けることができたわけだ。

標高795.6mの山の上なれど、三ノ宮からはタクシーで行ける。サンセットドライブウェイ、サンライズドライブウェイおよび裏六甲ドライブウェイという各道が集結する交通の要衝なのだから。

まず北に向けて出発。すぐに右折しなければならないが、満開の桜に気をとられて道標を見逃しそうになる。六甲山上は、クモの巣状に登山道が発達しているため、うかうかしていると全山縦走路をはずしそうになる。登山道なのに小学校やゴルフコースの横を通過するので、山行としてはやや興ざめ。

だが、六甲全山縦走路の醍醐味は別にある。ほどなくしてガーデンテラスに着く。そこから右手・南側には大阪湾の絶景が広がっていた(1枚目の写真)。写真でははっきりしないが、関空もみえた。海遊館やUSJも見えるはずだが、どれだろう?

さらに登りくだりを繰り返して最高峰に到達する(2枚目の写真)。※「2枚目の写真」とは、あくまで写真の順序のことを言っている。それほど自信家ではない。後ろは有馬方面。有馬温泉に入りたかったが、こんかいは断念。

これまで歩いてきた方向を振り返れば、なだらかな山並みだ(3枚目の写真)。写真でみるとほんとうになだらか。しかし歩くとなると、けっこうなアップダウンがあることを覚悟されたい。

そのあたりから、大阪平野の展望が開ける(4枚目の写真)。淀川が流れている。その向こうには、阿倍野のあべのハルカスや、梅田のビル街を望むことができた。大阪城も見えるはずだが、同定することはできなかった。

最高峰からは当然のことながら下りになる。山行中、とにかくウグイスが近くで鳴いていた。ウグイスにはテリトリーがあるというから、全山で30羽ほどはいた計算になる。花もミツバツツジほか、アセビが咲き誇っていた。

途中、西宮消防署の山火事防止の看板がでてくる。そこらあたりからは、右手に阪神競馬場が見えたり、羽田空港を発着する飛行機の音が聞こえてきたりする。

そうしてようやくゴールの宝塚だ(5枚目の写真)。武庫川のむこうがわに、歌劇場が見えていた。阪急の駅前には男(もちろん、正確には男役)女が踊っている銅像がある。その前でポーズをとって写真を撮ったのだが、恥ずかしくて見せられない。

宝塚からは新大阪にでたほうが近いと思うが、ロッカーに荷物を預けていたので新神戸に戻る。つまり、阪急今津線に乗った。これだけでピンと来た人はそうとうな読書家だ。あるいは、映画ファンだ。

今津線は、西宮北口(ここで乗り換えて、三ノ宮方面へ向かう。)を経て、今津まで延びている。片道15分、全8駅のミニ区間。しかし、そこは有川浩の小説『阪急電車』の舞台になっている。

https://www.amazon.co.jp/%E9%98%AA%E6%80%A5%E9%9B%BB%E8%BB%8A-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%89%E5%B7%9D-%E6%B5%A9/dp/4344415132

『阪急電車』は映画になっている。

https://eiga.com/movie/55680/

キャストは、中谷美紀、戸田恵梨香、有村架純、芦田愛菜、南果歩、宮本信子。中谷美紀のウェディングドレス姿で思い出す人も多いだろう。

などと小説や映画の内容を反芻しながら、家路についたのだった。

2023年4月26日水曜日

六甲山全山縦走(1)と源氏物語、平家物語、笈の小文

 




 この間、顧問会社の社員旅行に招待されて四国・松山、登山グループ怪鳥会の春登山で六甲山全山縦走、薬害肝炎原告団総会で岡山・倉敷に行った。

どれから書いてもよいけれども、写真の利用しやすさから、六甲山全山縦走についてまず書こう。

怪鳥会では、これまで春登山として、山口県の寂地山・十種が峰、熊本県の仰烏帽子・岩宇土山、大分県の由布岳、宮崎県の大崩山などに登ってきた。

ことしは目先をかえて神戸まで遠征し、六甲山を全山縦走することにした。西の須磨から東の宝塚まで、全部で44.6km、コースタイムで14~15時間のコースである。

わが会の実力に照らし、これを3日間にわけて縦走することにした。山上や有馬温泉での宿泊もありえた。が、交通の便が発達していることもあり、三ノ宮あたりのビジネスホテルに2泊した。夜は中華街や神戸牛で英気を養おうというグルメプランでもある。

初日は、朝一番の新幹線で新神戸まで。そこから地下鉄で板宿まで。そこから山陽電鉄で須磨浦公園まで。駅を降りると、すぐに旗振山への登山道である。

須磨といえば、ふるくは在原行平が流された場所。中納言行平は、業平の兄で百人一首にも歌をとられている。

 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かばいま帰り来む

この故事に着想をえて、紫式部も源氏物語の須磨の段を書いたとか。光源氏もここで謹慎・蟄居した。そして西に転進して明石の地で、再び上げ潮に乗ることになる。

行平の故事はお能の『松風』にもなっている。松風と村雨の姉妹の海女は行平においてけぼりをくうのであるが、それは先の歌のイメージによるものである。

さらに平家物語でも悲劇の舞台となった。須磨の隣は一ノ谷。源平の激戦地だ。戦に敗れた平家の悲劇が伝わる。いまも須磨寺には、敦盛と熊谷直実の像がある。

これら故事は江戸時代の松尾芭蕉も感動させずにはおかなかった。「笈の小文」のラストで、芭蕉は須磨・明石を訪ねている。旗振山の峰続きに鉄拐山がある。芭蕉は平家物語に習って少年を先導にたて、ヒーヒーいいながら登っている。

昭和になってからは新田次郎の『孤高の人』の主人公、加藤文太郎だ。加藤はわれわれと違い、単独行の人である。和田の造船所ちかくの寮を出発し、一日で全山縦走し、その日のうちに寮に帰っていたという。驚くべき脚力だ。

こうした幾重にも積み重なる故事は、われわれが六甲山全山縦走をめざした動機のひとつである。

旗振山からは、西に、明石海峡、明石海峡大橋、淡路島をのぞむことができた。ぼやけているのは、腕のせいではなく曇天のせいだ(1枚目の写真)。

春の山行の楽しいところは、花の時期だということだ。六甲山も花の時期だった。道中、ミツバツツジやアセビが咲き乱れていた(2枚目の写真)。

この日のクライマックスは馬の背という難所。宝満山程度の標高ながら、北アルプスの雰囲気を楽しむことができた(3枚目の写真)。

六甲山はなだらかなようだが、小ピークが連続していて、たいへん。六甲というも、もっとたくさんある。登山道もつづら折りではなく、直登になっていたりして、しんどい。

旗振山のつぎは高倉山、高倉天皇の高倉だろうか?その次は栂尾山、そして横尾山とつづく。

難所は意外なところにあった。コースはときおり住宅街を突っ切ることになる。横尾山を下りて住宅街をつっきっていたら、道をみうしない迷ってしまった。

精神的ダメージを負ったわれわれは、次の高取山まででこの日の登山をあきらめた。高取山からは、東に、神戸市街をのぞむことができた(4枚目の写真)。

そこから降りて、鵯越駅から電車に乗った。鵯越(ひよどりごえ)は、鵯越の逆落としで有名なところだ。詳しくは平家物語をご覧あれ。

                                    (つづく)

2023年1月10日火曜日

日本の高山植物 どうやって生きているの?

 




 さいきんの読書といえば芭蕉、プルースト、ジョイスをローテーションで耽読しているのだが、久しぶりに一般書『日本の高山植物 どうやって生きているの?』(工藤岳著・光文社新書)を読んだ。

ジュンク堂でパラパラと立ち読みしていたら、ヒサゴ沼の美しい写真がでてきた。それで思わず購入した。ヒサゴ沼は北海道大雪山からトムラウシ山までの縦走路の途中にある指定キャンプ地である。

日本百名山のなかで、どこが一番よかったですか?よく訊かれる質問だけれども、さいきんでは大雪山~トムラウシ山の縦走が一番と答えるようにしている。2泊3日の縦走が天候の影響もありそれなりに困難で挑戦的であるし、高山植物が豊かでヒグマがあちこちで徘徊しているから。

ヒサゴ沼は静寂のなか、ナキウサギの鳴き声がどこからともなくキュッ、キュッと聞こえてくる。筆者の工藤岳氏は北海道大学地球環境科学研究院の准教授。彼のフィールドワークの拠点がヒサゴ沼なのだ。

もう30年以上も大雪山にかよい、高山植物の生態を研究しているのだそう。多雪、強風、極寒、乾燥など厳しい冬が長く、2ヶ月ほどの短い夏。このような過酷な環境で、高山植物たちはどうやって生きているのか?どうやって命をつないでいるのか?あざやかな回答の数々。

ばくぜんと理解していたことどうしが、うまくつながる感じがすごい。植物は植物だけで生きているわけではない。われわれがばくぜんと理解しているように、蝶だけが受粉の手助けをしているわけでもない。

実際にはハエやハチが受粉の手助けをしている。ハチはマルハナバチだ(マルハナバチはプルーストの『失われた時を求めて』の「ソドムとゴモラ」冒頭にでてくる。いつもの読書ともつながる。)。高山植物はかれら昆虫と緊密な生態系を維持しながら生存している。

高山植物は短い夏の間に命をつないでいかなければならない。そのため自家受粉しているのかと思いきや他家受粉しているらしい。そのほうが激変する環境に強い種となるからだ。そうなると、昆虫たちなしではうまく受粉できない。風だけがたよりではあまりにも心許ない。

筆者の30年の研究生活のなかで、やはり分子生物学の進歩の成果がはなばなしい。(いまから考えれば)むかしは形態が似ているとかザックリした研究だった。しかしいまはちがう。DNAレベルで類縁関係がわかるのだ。

それによれば、北海道の高山植物たちと中部山岳(日本アルプス)地帯におけるそれらとでは出自が違う。高山植物は氷河期の生き残り。かれら彼女らは北方からやってきたとはいわれていた。シベリアなどに同種の植物がいるからだ。

しかし、北海道の高山植物はベーリング海・千島列島に沿って、中部山岳地帯のものはシベリア・サハリン経由で来たらしい。前者は「エゾ」なんとかという名前で、後者とはすこし違う種であることは意識されていた。しかし、それほど出身地が離れているとは知らなかった。

こうして厳しい環境のなか生存戦略を進化させてきた高山植物たちだが、いま危機にさらされている。地球温暖化の影響だ。短い夏が早くやってき、花が咲いているときにはハチたちがまだ活動しておらず、逆の事態にもなる。ハチたちが絶滅すれば、花も生きてはいけない。なんとかしなくては。

人生やり直すことができるなら、北大に入り、このようなフィールドワークをするのもいいと思える一冊だ。(隣の芝生は青い、ならぬ、隣のフィールドは広い)

2022年9月21日水曜日

黒部の山賊

(ハクサンイチゲ)
 
 (水晶岳)

(夕景、金沢方面)
(水晶岳と雪渓)
(チングルマと間違えそうなチョウノスケソウ)
(槍ヶ岳)
(ワリモ岳)
(鷲羽岳)
(シコンタンソウ)
(薬師岳)
(黒部五郎岳)
(コバイケイソウ花畑ごしに鷲羽岳)
(鏡平で一瞬だけみえた槍の穂先)

 にっぽん百名山「野口五郎岳」では、インフルエンサーのちゅーたさんの案内。山の絶景だけでなく、案内人と野口五郎小屋の人々との家族的な交流も描かれていた。

コロナ禍による打撃は世界のすみずみまで及んだろうが、山小屋も例外ではない。というより最も深刻な打撃を受けた部類だろう。もともと辺鄙なところでの零細経営。夏の間だけ2か月程度の営業期間。もともと密な構造のところにソーシャル・ディスタンスを持ち込むから定員半分での営業。それでも従業員に感染者が出て10日間閉める小屋が続出・・・。

野口五郎小屋は、烏帽子小屋と水晶小屋の中間にあって、やや中途半端な立ち位置。3人兄弟の真ん中で、状況により兄姉でもなければ弟妹でもないみたいな不安定。もちろん天候急変時などや休憩には最適だけれど、晴れていれば通過してしまうみたいな。

考えさせられながら、録画をみるととともに、山仲間にも情報提供する。ついでに、番組表をながめていたら、BSNHKで「黒部の山賊」の再放送があるようだ。

水晶小屋の先には三俣山荘がある。北アルプスの最深部、黒部の源流ちかく。どこから登っても2日はかかる。昔は山賊がでたとの伝説が残る。そこの主人が書いた本をもとに、その子どもたちと家族の奮闘を描く。

まえに視聴したことがある。それなりに楽しんだ。今回は、夏の山行での交流を経たうえで、思い出を交えての視聴である。楽しみ。

2022年9月20日火曜日

野口五郎岳@にっぽん百名山

(FDA機窓から富士山) 

(コマクサ)
(ライチョウ母子)
(野口五郎岳にかかる虹)

 毎週月曜BS-NHKで「にっぽん百名山」をやっている。今週は野口五郎岳だった。野口は麓の野口村から見えるから。五郎(ゴロー)は岩がゴロゴロだから。あの歌手の野口五郎の名前の由来になった山だ。彼は岐阜県出身なのだそう。

野口五郎岳は、裏銀座ルートの中央に位置する。水晶岳、鷲羽岳の百名山を経て、槍ヶ岳に達する。

怪鳥会では3年ほどまえにも一度挑戦したことがある。そのときは、台風の直撃を受け、烏帽子岳に登っただけで撤退した。

今夏は3泊4日で再挑戦。信濃大町から高瀬ダムに入り、そこから日本三大急登の一つ、ブナ立尾根を登る。名前のとおり、ブナの原生林が美しい。

尾根を登ると、烏帽子小屋に泊まる。近くに烏帽子岳がある。文字どおり、烏帽子の形をしている。

烏帽子岳から三ツ岳を登る。花崗岩の砂礫地で、コマクサのお花畑が広がっている。高山植物の女王たちである。その後、ひどい雨の洗礼を受けた。

稜線に出ると、3時間ほどで野口五郎岳だ。山頂手前に小屋がある。あたたかい飲み物をいただき、生き返る。またライチョウの母子が歓迎してくれた。

山頂からしばらくで水晶小屋。振り返ると、虹がかかっていた。

なので、今回の放送をとても懐かしく感じた。テレビ放送になるだけあって、本日も晴天なりというロケ。われわれのときの天気と大違いだ。山も緑濃く、花崗岩の白がとても映えていた。

今年行ったばかりなのに、また行きたくなった。

2022年7月26日火曜日

大雪山縦走(4)

 






 間宮岳からお鉢を反時計まわりに南へ行く。途中で振り返ると、なだらかな間宮岳に雪渓がゼブラ模様についていて美しい。

お鉢のうえは乾燥したザレ場で、大きな植物は生育していない。そうした環境でも、黄花のスミレがしたたかに生きている。ときには群落を形成している。

お鉢を北海岳まで行き、右折し、しばらく南下すると正面が白雲岳である。大小の岩がゴロゴロしている。ナキウサギのかっこうの住処だ。ときおり、キュッと鳴き声がする。

白雲岳の東側を巻くと、まもなく小高い丘のうえに白雲岳避難小屋が見えてくる。背後にはトムラウシ山の絶景が輝いている。大雪の広大さを実感するショットだ。

避難小屋の手前は白雲岳からの雪渓が雪解けした池塘になっている。そこにはエゾのリュウキンカの花畑になっている。

エゾノリュウキンカの実物を見たことがない人も、六花亭の紙袋に描かれたこの花を見たことはあるのではないでしょうか。https://jp.mercari.com/item/m40672603904

そしてそうしたおいしい雪解け水や花畑の植物をめあてにエゾシカたちがやってくる。この2頭は兄弟のようだ。さてなぜでしょう?