夷川通をすぎると、右手(西側)に藤原定家・京極邸跡碑がひっそりとある。嵯峨野で小倉山山荘跡を訪ねる機会はすくなくないが、京極邸を訪ねることはまれ(ところが調べてみると一条京極第跡がほんとうらしい。)。
2024年2月6日火曜日
~からの、六角堂(頂法寺)
夷川通をすぎると、右手(西側)に藤原定家・京極邸跡碑がひっそりとある。嵯峨野で小倉山山荘跡を訪ねる機会はすくなくないが、京極邸を訪ねることはまれ(ところが調べてみると一条京極第跡がほんとうらしい。)。
2024年2月5日月曜日
~からの、革堂行願寺
思いは石山寺にとんだけれども、身はいまだ近江神宮。からくれないの紅葉が美しい。
ところで、あのかるた漫画のタイトルはなぜ『ちはやふる』なのか。漫画のタイトルなので『秋の田の』ではいまいちなことはわかるが・・・。
ちはやふるといえば、むかしおとこ在原業平の百人一首歌が思い浮かぶ。
ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平
(荒々しい神々の時代でも聞いたことないぜ、竜田川がこんなに唐紅色に水くくるなんて)
ちはやぶるに訳してみたが、ちはやぶるは神にかかる枕詞、勢いが激しいという意味。漫画『ちはやふる』は、ちはやぶるの意味を主人公たちが知り表現し尽くしていくものがたりなのだそう。
かるたの聖地を訪れただけではちはやぶるの意味を知り尽くすことはできなかったが、その日は時間切れ。ホテルに戻る。
窓から京都駅や稲荷山が見えている。深草少将が小野小町のもとへ通ったという道はあのあたりだろうか。
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町
わが見窓からながめせしまにマジックアワーの色はうつりにけりて、いなり山に日が昇った。
この日の行動はまず革堂(こうどう)行願寺へ。地下鉄で丸太町まで、あとは歩いて行く。そして世界平和を願う。早朝の冷涼な空気が気持ちをひきしめる。尼寺。本尊は千手観音。
九州出身の行円が創建。かれはもと猟師。鹿を射殺したところ、腹から子鹿がうまれるのを見、殺生の非を悟って仏門へ。その後も鹿革をまとっていたことから革聖と呼ばれ、寺の名も革堂に。日本の洗礼者ヨハネといったところ。
西国三十三所第19番札所。西国三十三所は観音巡礼。観音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化することから。その功徳にあずかるため三十三の霊場を巡拝する。コンプリートすると、あらゆる罪業が消滅し、極楽往生できる。
きのうも登場した花山院が那智山で参籠していたところ、熊野権現が示現し、その指示で三十三霊場を巡礼したことから、やがて人々にも広まっていったという。
2024年2月4日日曜日
石山寺と『源氏物語』と「光る君へ」
今回は石山駅から石山寺へは行かず近江神宮を訪ねたことは先週書いたとおり。だが、今年になってんNHK大河「光る君へ」をみながら、石山駅のポスターの奨めに従い石山寺を訪ねるべきだったかなと後悔しきり。
2024年2月1日木曜日
~からの、近江神宮
ここで時間を巻き戻して京都・滋賀旅行に戻ろう。昨年末、幻住庵まで報告していた。
http://blog.chikushi-lo.jp/2023/
幻住庵から京阪石山駅に戻った。さてその後はどうしよう?2つの選択肢の間で悩んだ。一つは石山寺、ふたつは近江神宮である。京阪石山坂本線を北へ向かえば近江神宮であるし、南へ向かえば石山寺である。
駅のポスターは石山寺へ誘っていた。来年(もう今年だが)のNHK大河が「光る君へ」なので、地元は観光客誘致に熱心である。むろん、石山寺は紫式部が『源氏物語』を執筆したところとして名高い。
かなり悩んだが、北へ向かうことにした。芭蕉ゆかりの膳所があることや、さいきん光秀ゆかりの坂本城の「幻の石垣」が琵琶湖の水位低下によって現れたなどのニュースに接していたことから、なんとなく北恋しかったから。
石山から粟津、瓦ケ浜、中ノ庄、膳所本町、錦、膳所、石場、島ノ関、三井寺を経て近江神宮前である。右手に琵琶湖が見え隠れする。
駅から西北へ10分ほど歩く。途中右手に、近江大津宮跡遺跡(史跡)がある。
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ 柿本人麻呂
楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ 同
まもなく近江神宮の広大な敷地に到着する。そこからさらに参道をしばらく歩くと、美しい紅葉と響き合う紅い楼門がでむかえてくれた。
天智天皇が祭神。天皇が近江に都を移したことにちなみ、昭和になって創建されている。
天智天皇といえば、なにを思い浮かべるか。われわれ筑紫人としては、百済救援のため斉明天皇とともに九州にやってこられたこと、白村江の戦いで唐・新羅に敗れたこと、その後の防衛のため水城・大野城・基肄城等を築いたこと、斉明天皇の追善のため大宰府観世音寺を創建したこと等が思い浮かぶ。
歴史的・教科書的には、中大兄皇子として中臣鎌足とともに蘇我氏を倒したこと(大化の改新)が有名で、国語教科書・文学的には、大海人皇子とともに額田王に恋したことが有名だろうか。この件は額田王の次の歌で知られている。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
しかし、一般人にはやはりこの和歌の作者として有名でしょう。
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
百人一首の巻頭歌。為政者として農民たちの辛苦を思いやる主題であるとして、藤原定家が巻頭に置いたとされる。
こうして近江神宮は、百人一首かるたの聖地となっている。毎年1月、競技かるたの「名人位・クイーン位決定戦」がおこなわれている。
ここから漫画『ちはやふる』(末次由紀著)の舞台にもなっている。競技かるたに青春を燃焼させる綾瀬千早たち・・・。
テレビアニメにもなり、広瀬すず主演の映画にもなった。かくて漫画も読み、映画のDVDも見た、そして来た(2回目)。というわけです。
2024年1月31日水曜日
奈良大宮ロータリークラブ45周年(6)
春日大社からは長い長い表参道をくだった。途中、左右に萬葉植物園、鹿園や奈良国立博物館などが手招きしていたが、時間の都合で立ち寄ることはできなかった。
2024年1月30日火曜日
奈良大宮ロータリークラブ45周年(5)
このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに
2024年1月29日月曜日
奈良大宮ロータリークラブ45周年(4)
(金剛力士・仁王像)
太宰府ロータリークラブからの参加者は9人。うち2人は仕事のためトンボ帰り。うち2人はタクシーをチャーターして女人高野・室生寺と唐招提寺をめぐるというしぶい選択。
残されたのはわれわれ5人。そのうち奈良ははじめてという人が1名、奈良には何度も来ているがまいどゴルフばかりで一度も東大寺を参拝したことがないという人が2名であった。なので、定番中の定番ではあるが、東大寺→春日大社→興福寺をご案内することにした。
まずは東大寺。南大門前をスタート。平安時代末・源平の争乱のさなか、平重衡により奈良・東大寺は焼き打ちされた。そして、勧進上人重源(ちょうげん)のなみならならぬ努力で復興した。
謡曲「安宅」や歌舞伎「勧進帳」で、弁慶は白紙の勧進帳を読み上げる。あれはこの東大寺復興のためのものである。当時、重源の指令を受けて多数の仏教者や行者が全国各地で勧進をおこなっていたなかでのことである。
南大門(国宝)。その木組み、組物がリズミカル。いつみてもほれぼれする。大仏様。中国宋から重源が輸入した最新デザインだった。南画からイメージされる柔らかな宋文化との違いに驚かされる。
勇壮な金剛力士・仁王像(国宝)。運慶・快慶作。武士の台頭による力強さを言われことが多い。が、いまの日本の状況に照らしても、被災後の「復興」による力強さを忘れてはならないだろう。
大仏殿(国宝)。こちらは戦国時代、松永久秀にも焼き打ちされた。ために江戸時代の作である。幅は創建時の3分の2らしい。どれだけ巨大だったのか。
八角燈籠(国宝)。大仏殿前にある。火袋の扉四面には雲のなかを駆ける獅子、その間の四面には楽器を奏でる天人がレリーフされている。天平時代のもの。ピアノ奏者の反田恭平がここでコンサートをやっていたが、天平人たちにも天上の音楽が聞こえていたことだろう。
盧舎那仏・大仏(国宝)。知恵と慈悲の光明をあまねく照らし出す仏。華厳経は釈迦が時間と空間を超えて仏となった瞬間を説く。偉大で、広大で、正しい仏の世界は菩薩の実践の華により飾られなければならない。重源による実践はその教えを体現したものである。
脇侍は如意輪観音菩薩と虚空蔵菩薩。観音は33の姿に変じて衆生を救済する。その一、如意輪観音は、意のまま(如意)に説法し、衆生の苦を抜き利益を与える。虚空蔵菩薩は、大空(虚空)のように無限の福徳・知恵をそなえ、衆生にあたえて諸願を成就させる。
そうした仏の世界の四方を武神の四天王がお守りする。南を増長天、西を広目天、北を多聞天(毘沙門天)、東を持国天が守備している。
大仏殿の外には、びんずる尊者が。釈迦の筆頭弟子。先日、善光寺でもお目にかかった。向こうは撮影禁止だったが、こちらは堂内の諸仏を含め撮影可だった。
大仏殿を出て坂を登り、三月堂・法華堂(国宝)へ。東大寺は大仏殿に目を奪われがちだが、どれか一つといえば、法華堂(あるいは、戒壇院)こそ見るべきところである。
法華堂は東大寺最古の建物。外観の優美さ。左半分が奈良時代の創建当時のもの、右半分があとから付けくわえられた礼堂。あとから付けくわえたにもかかわらず、見事な調和をなしている。
堂内もすばらしい。不空羂索観音(国宝)を中心に、梵天・帝釈天(国宝)、金剛力士像2体(国宝)、四天王立像(国宝)が絢爛豪華に並んでいる。残念ながら写真撮影は禁止。執金剛神像は秘仏なので、拝することができない。
その後はお水取りで有名な二月堂(国宝)へ。傾斜地に、お水取りをするための建物になっている。そのため、建物からの奈良市内の絶景がすばらしい。お約束の、大仏殿の鴟尾と生駒山も望むことができた。





















