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2024年3月18日月曜日

九千部山(2)深い森と僧侶の心とリップ・ヴァン・ウィンクル

 




 高速鳥栖ICをおり、佐賀県道31号を西へ。JR肥前麓駅あたりをすぎ、立石バス停の分岐を右へ入る。沼川河川プール駐車場で車をおり、御手洗の滝をめざして歩きはじめる。

ウグイスが鳴いている。とても上手だ。人間とおなじく上手い下手がいる。とくにここは谷間のエコーが効いている。その効果をわかっていて、ここで鳴いているのだろうか。

川沿いに遡上すると、尾根にとりつく。その先は鳥の鳴き声も聞こえず、深い森がひろがっている。

他の登山者とも出会わない。ほんとうに静かな山旅だ。気候もさいてき。登っていても汗をかかず、ときおり涼しい風が吹いている。

深い森の奥に、志半ばで美女の幻に負けた僧侶の心も隠されているだろうか。

石谷山に着いた。ここらあたりはアカガシの森が広がっている。樹齢100~200年とおぼしき大木もちらほらする。アカガシは常緑樹で、緑の葉をしげらせている。

さらに進むと、落葉した高木があらわれる。ブナ、ナラ、リョウブなどの落葉樹。九千部の山頂付近は、ほぼ落葉樹におおわれ、いまはまだ葉を落としたまま。

花の季節も未だ。藪ツバキが咲いているぐらい。あちこちでミヤマシキミが赤い実をつけていた。ある株は実とともに花のつぼみもかかえていた。山の春もそこまで来ている。

帰りにアカガシの大木の根元で休憩した。静か。寝てしまいそうだ。みなに置き去りにされて、目覚めると20年経っていたということになりそう(リップ・ヴァン・ウィンクル)。

2024年3月17日日曜日

九千部山(1)名前の由来と深草の少将のみた幻

 
山頂から。テレビ塔ごしに背振山

 土曜は九千部山(845.7m)に登った。怪鳥会のメンバー4人で。基山のサービスエリアで合流して、登山口をめざした。

参加者のひとりMさんがのっけから変な夢をみたと、昨夜の夢を紹介した(夢の内容は省略)。悪夢は延々と繰り返しみるが、良夢は実現寸前に目が覚めてしまう。不思議だ。

九千部山は福岡県那珂川市と佐賀県鳥栖市にまたがる背振山系の山。筑紫野市からみると南方、基山の奥に鎮座している。

なぜ、九千部山と呼ばれているのか。アジア美術館「大シルクロード展」敦煌における法華経発掘ところで紹介した(http://blog.chikushi-lo.jp/2024/03/blog-post_11.html)が、再説する。

山名の由来については、ある民話がある。そして紹介者によって微妙なニュアンスの違いがある。ウィキペディアによるとこうだ。

むかし天暦5年(951年)頃、隆信沙門という若い僧侶が台風と病気に苦しむ村人のため山頂で法華経を49日間で一万部(1万回)読誦する決心で山に籠もった。

あと7日目という夜に白蛇に遭遇、その後美しい女の幻に誘惑され負けてしまう。

満願の50日に僧侶を探しに来た村人は、谷の岩陰で骸となった僧侶を発見する。こうして読誦が「九千部」に留まったため、これが山名となったという。

僧侶が白蛇に遭ったり、美女の幻をみたり、そのときがちょうど九千部読誦したときだったなどの事実は、いったい誰が目撃したり、聴取したりしたのだろうか。反対尋問の種は尽きないが、この話は江戸時代に書かれた「歴代鎮西史」に記述があるようだ。

このままでは青少年の教育上よくないと判断されたのだろうか、僧侶が女の幻に誘惑され負けてしまったくだりが省略されてしまっているバージョンもある。

 https://sagamichi.jp/kusenbu/

人生の最も大切な、あるいは、味わいのある部分を省略してしまうのはどうなんだろう。

山頂部の案内によると、僧侶は極度の疲労の結果、白蛇や美女の幻覚をみたのだという説明になっている。これが最も説得力があると思う。山の遭難体験記を読むと、遭難して山中で一週間も生存していると、幻覚・幻聴の症状があらわれるというから。

ところで、この話は深草の少将の「百夜通い」に似ている。少将は小野小町を愛した。小町は「私のもとへ百日間通いつづけたら結婚してもいい」と言った。少将は九十九夜通ったが、最終日は雪が降り、雪山(伏見山のあたり)で遭難したため叶わなかったという。

深草の少将は凍死寸前、小町と結ばれる幻をみただろうか(いまどきなので少将は柄本佑、小町は吉高由里子で、イメージを思い浮かべてくだされ)。

われわれの良夢が実現寸前で目が覚めてしまい叶わないのは、深草の少将のたたりかもしれない。