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2021年7月26日月曜日

おもひでの尾羽沢

 




 尾花沢にて清風といふ者を尋ぬ。かれは富める者なれども、志卑しからず。都にもをりをり通ひて、さすがに旅の情けをも知りたれば、日ごろとどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなしはべる。

 涼しさをわが宿にしてねまるなり

 這ひ出でよ飼屋が下の蟾の声

 眉掃きを俤にして紅粉の花

 蚕飼ひする人は古代の姿かな 曽良

 奥羽山脈を山刀伐峠で越えて最上の庄にでました。そこは尾花沢です。花笠音頭発祥の地。

芭蕉は山刀伐峠を越えてたどりつきましたが、私は山形新幹線を大石田駅でおり、駅前から路線バスに乗って、芭蕉・清風歴史資料館を尋ねました。

バスのなかは、若い人がいっぱい。なんとこちらでは芭蕉人気がすごいなぁと関心していたら、かれらは資料館のさきにある銀山温泉まで乗っていってしまいました。

銀山温泉は、『おしん』の舞台になったほか、『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルの一つといわれ、若い人に人気らしい。

鈴木清風は紅花を商う豪商でした。芭蕉も清風宅をよほど気にいったのか、松島でさえ一泊しかしなかったのに、10泊もしています。句もたくさん作りました。

ねまるというのは、腐ることではなく、くつろぐこと。清風宅のもてなしに対する最大級のご挨拶です。

蟾はひき、ヒキガエルのことです。近年、宝満山を登るヒキガエルたちが太宰府市の市民遺産になりました。

紅花の咲く時期に山形をいちど訪れたいと思っています。スタジオジブリのアニメ映画『おもひでぽろぽろ』の舞台となったからです。いまさら自立を考える年でもないですが、一面の紅花畑をまえに、おもひでにひたるのも悪くないでしょう。

最後の写真はなにかわかりますか。葉はクワ、下のほうに写っている虫はカイコ(蚕)です。むかしは絹織物が高級衣服で、養蚕はとても大事な産業でした。が、化学繊維の普及により、なかなか難しい時代になりました。

ちなみに、写真は近年世界遺産となった富岡製糸工場跡で撮ったものです。製糸というのは生糸を製造するという意味です。蚕の繭から糸をつむぎ、よりあわせていく工程はとても神秘的でした。

2021年7月19日月曜日

山刀伐峠ー切れ

(奥羽山脈・栗駒山) 


(最上の庄、晴れていれば向こうに月山が見える)

 あるじのいはく、これより出羽の国に大山を隔てて、道定かならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。さらばと言ひて人を頼みはべれば、究竟の若者、反脇差を横たへ、樫の杖を携へて、われわれが先に立ちて行く。今日こそ必ず危ふきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後に付いて行く。あるじの言ふにたがはず、高山森々として一鳥聞かず、木の下闇茂り合ひて夜行くがごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水を渡り、岩に躓いて、肌に冷たき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せし男の言ふやう、「この道必ず不用のことあり。恙なう送りまゐらせて、仕合はせしたり」と、喜びて別れぬ。後に聞こえてさへ、胸とどろくのみなり。

尿前の関は奥州と羽州の境にある関。奥羽山脈は奥州と羽州の境にある山脈。奥州は福島、宮城、岩手、青森、羽州は山形、秋田です。鳥の羽を献上したのが由来らしい。鳥の羽は矢羽根に使われ、つまり当時の軍需物資だったんですね。

奥州から羽州へ越える峠を越えるため、山刀(ナタ)でぶった切りました。これにより、初折りと名残りの折りの間の「切れ」はより鮮やかになりました。

むかしはわが家にもナタがありました。ノコギリやカンナとともに。当時は藪があちこちにありナタが必要でしたが、最近は見なくなりましたね。

一鳥聞かずは、王安石の「鐘山即事」からの引用、「山更に幽なり」と続きます。雲端につちふるは、「杜甫」の「鄭附馬宅宴洞中」からの引用。木の下闇は夏の季語から。自在です。

最上の庄は最上川が流れているところです。最悪の道中を経て、最上の庄に着きました。