ラベル 尾花沢 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 尾花沢 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年12月6日水曜日

マジカルミステリーツアー(2)

 

 翌朝目が覚めた。深夜に目覚めることもなく、うなされることもなく、座敷わらしに会うこともなく、神隠しにあうこともなく。朝の光のなか、さっそく一風呂浴びた。さっぱりした。贅沢。食堂はやはり一人。昨夜の嵐はややおさまっている。

鳴子御殿湯駅まで歩いてJR陸羽東線に乗る。鳴子温泉駅で下車。鳴子峡まで歩くが、紅葉はまだまだ(10月上旬ゆえ)。

駅に戻り、陸羽東線を東へ向かう。途中、堺田という駅がある。駅をおりれば芭蕉が泊まった封人の家がある。

 ・・・やうやう(あれ?パソコンが固まって動かなくなった。しばらくして回復。)として関を越す。大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。三日風雨荒れて、よしなき山中に逗留す。

 蚤虱馬の尿する枕もと(のみしらみうまのばりするまくらもと)

さらにJRでいくと赤倉温泉駅がある。そこからおくのほそ道の旅の最大の難所、山刀伐峠(なたぎりとうげ)をめざす。名前だけでも恐ろしい。

時間の関係で、登山口までタクシーを利用し、そこから峠まで往復する計画だった。10分ほどしてずんぐりした体格の青年の運転するタクシーがやってきた。おくのほそ道の記述が頭をよぎる。

 あるじのいはく、これより出羽の国に大山を隔てて、道定かならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。「さらば」といひて人を頼みはべれば、究きょうの若者、反脇指(そりわきざし)を横たへ、樫の杖を携へて、われわれが先に立ちて行く。

青年運転手によると、山刀伐峠は登山口から峠までを往復しても悪くないが、やはり尾花沢まで抜けたほうがいいという。しかもタクシー代は登山口までの往復料金にまけてくれるという。

青年の好意に甘えて、そうすることにした。登山口ではスマホで写メを撮ってくれた。そうしていると、驟雨がやってきた。

クマがでるという。運転手はクマ脅しの道具を貸してくれた。残念ながら、おくのほそ道の旅のように、道案内まではしてくれないらしい。

おくのほそ道の記述にたがわず、深山幽谷、樹齢数百年と思われるブナの美林がつづいていた。そこを九十九折りに登っていく。深閑としている。かすかな異音にクマではないかと怯える。他に誰も人はいない。

・・・あるじのいふにたがわず、高山森々として一鳥声聞かず、木の下闇茂り合ひて夜行くがごとし。

ようよう峠についた。やはり人はいない。東屋のほか、子持ち杉、子持ち地蔵尊が祭られている。温泉街で買った弁当、それとミカンを食す。鳴子温泉で買ったのに、ミカンは熊本県産である。くまモンのマークがついている。

食べ物のにおいにクマが寄ってくるといけないので、そそくさと食べ終わる。一服することもなく、尾花沢(最上)側へ降りていく。・・・そろそろ山の中腹かと思うころ、驚いて跳ね飛んだ。人生で最長不倒距離を跳んだ。

なんと、300キロはあろうかという成獣のクマが昼寝していた。クマが寝るのであれば、うつ伏せであろうが、仰向けに寝ていた。まるでくまモンのイラストのよう。死んでいたのかもしれない。慌てて逃げ出したので、生死の確認はできなかった。

転がるようにして坂を駆け下りた。タクシーとの待合せ場所についた。ひゃーたすかった。芭蕉の記述以上に怖い思いをした。ふうー。

・・・雲端につちふる心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水を渡り、岩に躓いて、肌に冷たき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せし男のいふやう、「この道必ず不用のことあり。恙なう送りまいゐらせて、仕合はせしたり」と、喜びて別れぬ。後に聞きてさえ、胸とどろくのみなり。

あのクマは山の神だったのだろうか。この日、カメラの不具合で写真は一枚も撮れていなかった。登山口で青年運転手が撮ってくれた写メだけが手もとに残った。なんと、芭蕉の句を入れ、写真立てに入れてプレゼントしてくれた。

それにしても息もとまりそうな、不思議な体験だった。

2021年7月26日月曜日

おもひでの尾羽沢

 




 尾花沢にて清風といふ者を尋ぬ。かれは富める者なれども、志卑しからず。都にもをりをり通ひて、さすがに旅の情けをも知りたれば、日ごろとどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなしはべる。

 涼しさをわが宿にしてねまるなり

 這ひ出でよ飼屋が下の蟾の声

 眉掃きを俤にして紅粉の花

 蚕飼ひする人は古代の姿かな 曽良

 奥羽山脈を山刀伐峠で越えて最上の庄にでました。そこは尾花沢です。花笠音頭発祥の地。

芭蕉は山刀伐峠を越えてたどりつきましたが、私は山形新幹線を大石田駅でおり、駅前から路線バスに乗って、芭蕉・清風歴史資料館を尋ねました。

バスのなかは、若い人がいっぱい。なんとこちらでは芭蕉人気がすごいなぁと関心していたら、かれらは資料館のさきにある銀山温泉まで乗っていってしまいました。

銀山温泉は、『おしん』の舞台になったほか、『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルの一つといわれ、若い人に人気らしい。

鈴木清風は紅花を商う豪商でした。芭蕉も清風宅をよほど気にいったのか、松島でさえ一泊しかしなかったのに、10泊もしています。句もたくさん作りました。

ねまるというのは、腐ることではなく、くつろぐこと。清風宅のもてなしに対する最大級のご挨拶です。

蟾はひき、ヒキガエルのことです。近年、宝満山を登るヒキガエルたちが太宰府市の市民遺産になりました。

紅花の咲く時期に山形をいちど訪れたいと思っています。スタジオジブリのアニメ映画『おもひでぽろぽろ』の舞台となったからです。いまさら自立を考える年でもないですが、一面の紅花畑をまえに、おもひでにひたるのも悪くないでしょう。

最後の写真はなにかわかりますか。葉はクワ、下のほうに写っている虫はカイコ(蚕)です。むかしは絹織物が高級衣服で、養蚕はとても大事な産業でした。が、化学繊維の普及により、なかなか難しい時代になりました。

ちなみに、写真は近年世界遺産となった富岡製糸工場跡で撮ったものです。製糸というのは生糸を製造するという意味です。蚕の繭から糸をつむぎ、よりあわせていく工程はとても神秘的でした。

2021年6月29日火曜日

松島夜泊ー旅愁


 (大観荘から松島湾をのぞむ)
 

 (天拝山のカササギ)

 おくのほそ道の旅を映画にするのなら、松島の夜のバックには唱歌「旅愁」を流してほしいですね。

1 更け行く秋の夜 旅の空の
  わびしき思いに 一人悩む
  恋しや故郷 懐かし父母
  夢路にたどるは 故郷の家路
  更け行く秋の夜 旅の空の
  わびしき思いに 一人悩む
2 窓うつ嵐に 夢も破れ
  遙けき彼方に 心迷う
  恋しや故郷 懐かし父母
  思いに浮かぶは 杜の梢
  窓うつ嵐に 夢も破れ
  遙けき彼方に 心迷う

本歌をふまえて歌を詠む方法が本歌どり。本歌の存在がはっきりとわかるやり方。そこまでいかないけれど、なんとなく匂うという連句の付句の手法が俤付(面影付)の方法です。

おくのほそ道のなかには、俤という言葉はところどころにでてきます。

 秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢なほあはれなり。(白河の関)

 五百年来の俤、今日の前に浮かびて、そぞろに珍し。(塩竈神社)

 眉掃きを俤にして紅粉の花 (尾花沢)

 俤松島に通ひて、また異なり。 (象潟)

塩竈の夜から松島の夜にかけて、張継の『楓橋夜泊』を俤にしているような気がしてなりません(西鉄通りの中華・大京園に拓本が掲げられていることは以前書きました。)。

 月落ち烏啼きて霜は天に満つ
 江楓 漁火 愁眠に対す
 姑蘇城外 寒山寺
 夜半の鐘声 客船に到る

詩人が江蘇・浙江に遊んだおり、船で蘇州までやってきたときの作ですが、「塩竈の夜に入相の鐘を聞く。」「船を借りて松島に渡る。」「およそ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮を堪ふ。」あたりの表現ぶりや、瑞巌寺との距離感、旅愁という主題などに俤を感じます。

 鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 中納言家持

百人一首に採られたこの歌は「月落ち烏啼きて霜は天に満つ」を基にしたものといわれています。烏が鵲になっていますが、カササギはカチガラスといいますから。

張継と家持はほぼ同時代人。張継が安史の乱のため江南に逃れた755年から、家持が没する785年まで30年の間に、12回、16回、17回の遣唐使が帰国していますので、そのどれかで誰かが伝えたのでしょう。いまでいえば本場ニューヨークで流行っている最新のヒットソングみたいなものだったでしょうから。

松島の夜→『楓橋夜泊』→鵲の歌→大伴家持とつなげておくと、つぎの石の巻にうまくイメージがつながります。そのことは石の巻の段で。