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2024年1月21日日曜日

安宅

 

 大濠公演能楽堂で、お能を観劇した。観世流・特別講演。

演目は、神歌(独吟)、高砂(連吟)、羽衣(舞囃子)と正月らしい・おめでたいもの、その後山姥(舞囃子)、杜若(一調)を経て、締めは安宅(能)。狂言は樋の酒。

山姥は、遊女一行が善光寺詣を志して、越中・越後の国境にある境川に至り、そこから上路山を越えようとしたところ山姥にであう曲。

杜若(かきつばた)は、『伊勢物語』に材を取り、諸国一見の僧が三河国の八橋で、杜若の精にであう曲。前シテの女は、在原業平の故事を語る。「唐衣(からころも)着つつ馴れにし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思う」。業平はかって旅の心を詠んだ。この歌には、か・き・つ・は・たの言葉が詠み込まれている。

安宅(あたか)は、歌舞伎・勧進帳のもととなったもの。加賀の国安宅の関を舞台に、頼朝の追求を逃れる義経、弁慶ら主従が富樫某の詮議をかわし、虎口を脱する曲。

チケット発売は昨年10月14日であるから正月の能登地震は思いもしていなかったであろう。しかし、なにかその発生を予感したかのようなラインナップになっている。

安宅は加賀・小松空港からすぐ。立山、劔や薬師岳に登る際には、小松空港から越中富山をめざす。途中、弁慶と富樫の像が立っている。そこを通るたびにこの故事を思う。

弁慶は、白紙の巻物を勧進帳と偽って読み上げたり、主人の義経を打擲するなどの知恵と胆力でもって虎口を脱する。しかし歴史は義経・弁慶主従に味方せず、やがて主従は奥州の地で頼朝勢に滅ぼされてしまう。

この曲はわれわれに何を語っているのだろうか。とおい先のことはともかく、いま・ここにある課題の克服に集中しよう。そう教えてくれているように受けとめた。

2021年5月30日日曜日

源義経主従と奥州藤原氏の鎮魂(2)

 

 源義経主従と奥州藤原氏なのですが、源義経、弁慶、佐藤兄弟、藤原清衡、藤原忠衡(和泉三郎)及び十郎権頭兼房らが登場人物になります。

主役の義経はご存知でしょう。平治の乱で敗れた源義朝の九男(九郎判官と呼ばれます。)、本来なら切られてしまうところ助命されて、鞍馬寺に預けられました。

一の谷の戦いをはじめ、身ごなしが軽く軍事的天才だったことから、鞍馬の天狗に武術を習ったとされています(鞍馬天狗もさぞや鼻が高かったことでしょう。)。

弁慶が配下になったのは、京の五条の橋の上。唱歌・牛若丸にあるとおり。

♪京の五条の橋の上
 大のおとこの弁慶は
 長い薙刀ふりあげて
 牛若めがけて切りかかる・・・

太宰府にも五条小橋がありますが、薙刀をふりあげるには狭いようです。

義経は長じて奥州に下り、奥州藤原氏三代目・清衡の庇護を受けました。そして関東で兄・頼朝が旗揚げするやはせ参じ、以後、頼朝軍の先頭にたって戦闘を戦いました。

一の谷、屋島、壇之浦の戦いで連戦連勝、平家を滅ぼします。下の写真は、関門海峡・壇之浦での八艘飛びの様子。

戦勝の最大の功労者だったものの、戦後、頼朝の了解を受けずに官位を受けるなど政治音痴だったために頼朝に追われることに。ロレンスの末路とおなじです。

義経主従が落ち延びる様子は、能や歌舞伎の題材に好んで取り上げられています。義経千本桜、船弁慶、安宅など。

なぜでしょう。新田次郎の小説でも、武田信玄の上昇話より武田勝頼の没落話のほうが人間ドラマとして面白いんです。

義経がふたたび頼ってきたことから、奥州藤原氏も頼朝に滅ぼされる運命の渦に巻き込まれてしまいます。こうして義経主従、奥州藤原氏の悲劇の幕が切って降ろされます。

頼朝にとって義経はほんとうに利用しがいのある駒になりました。平家打倒の際には最大の貢献をしてくれましたし、打倒後は武家政権を確立する口実を与えてくれたうえ、金や馬など莫大な財産をもっていた奥州を手に入れる口実まで与えてくれたのですから。

当時から、庶民はこれはひどい、あんまりじゃないかと思ったわけです。そして義経はつよい恨みを残して死んだにちがいないと思いました。頼朝や武家のまわりでなにか事故があると、義経の怨恨にちがいないと・・・。こうして誰かが義経らの鎮魂をすることが必要になるんですねぇ。