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2024年1月21日日曜日

安宅

 

 大濠公演能楽堂で、お能を観劇した。観世流・特別講演。

演目は、神歌(独吟)、高砂(連吟)、羽衣(舞囃子)と正月らしい・おめでたいもの、その後山姥(舞囃子)、杜若(一調)を経て、締めは安宅(能)。狂言は樋の酒。

山姥は、遊女一行が善光寺詣を志して、越中・越後の国境にある境川に至り、そこから上路山を越えようとしたところ山姥にであう曲。

杜若(かきつばた)は、『伊勢物語』に材を取り、諸国一見の僧が三河国の八橋で、杜若の精にであう曲。前シテの女は、在原業平の故事を語る。「唐衣(からころも)着つつ馴れにし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思う」。業平はかって旅の心を詠んだ。この歌には、か・き・つ・は・たの言葉が詠み込まれている。

安宅(あたか)は、歌舞伎・勧進帳のもととなったもの。加賀の国安宅の関を舞台に、頼朝の追求を逃れる義経、弁慶ら主従が富樫某の詮議をかわし、虎口を脱する曲。

チケット発売は昨年10月14日であるから正月の能登地震は思いもしていなかったであろう。しかし、なにかその発生を予感したかのようなラインナップになっている。

安宅は加賀・小松空港からすぐ。立山、劔や薬師岳に登る際には、小松空港から越中富山をめざす。途中、弁慶と富樫の像が立っている。そこを通るたびにこの故事を思う。

弁慶は、白紙の巻物を勧進帳と偽って読み上げたり、主人の義経を打擲するなどの知恵と胆力でもって虎口を脱する。しかし歴史は義経・弁慶主従に味方せず、やがて主従は奥州の地で頼朝勢に滅ぼされてしまう。

この曲はわれわれに何を語っているのだろうか。とおい先のことはともかく、いま・ここにある課題の克服に集中しよう。そう教えてくれているように受けとめた。

2023年1月16日月曜日

能「土蜘蛛」



 土曜日は大濠能楽堂で観能。日本全国能楽きゃらばん 観世流 特別講演。

 http://www.ohori-nougaku.jp/lineup/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%A8%E5%9B%BD%E8%83%BD%E6%A5%BD%E3%81%8D%E3%82%83%E3%82%89%E3%81%B0%E3%82%93%E3%80%80%E8%A6%B3%E4%B8%96%E6%B5%81%E3%80%80%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%85%AC%E6%BC%94

演目は、能「土蜘蛛」(つちぐも)、狂言「粟田口」ほか。

能はもともと将軍や高級官僚が聴衆だったので、むずかしい。高尚である。庶民を聴衆として発達した歌舞伎や文楽とはちがう。

現代でも理解者・支援者がすくないのが実情。そのため相撲にあやかり、全国きゃらばんを行い、理解者・支援者の輪をひろげようとされているのだろう。

観世流というのは主役であるシテ方の流派の一つ。シテ方だけでも五流が伝わる。芸能として難しく、理解者・支援者がすくないのに、五流も伝わるというのは関係者の並々ならぬ努力のたまものだろう。

土蜘蛛は、みなさんもハイライトだけはテレビでみたこともあるだろう。土蜘蛛が手から蜘蛛の糸をクリスマスのクラッカーのように繰り出す、あれである。

冒頭、源頼光が脇息にもたれて伏せっている。頼光は平安時代の武将で、摂津源氏の3代目(ライコウとも読む。)。大江山の鬼退治で知られる。

大江山は京から遠く、魑魅魍魎が跋扈する世界である。百人一首、小式部内侍の和歌でご存じだろう。

 大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天の橋立

みなさんは「からつくんち」に行かれたことがあるだろうか。唐津で11月初旬におこなわれる。14台の曳山をひいて街中を練り歩く。

その11番目が「酒呑童子と源頼光の兜」である。頼光が酒呑童子という鬼の首を切ったところ、首は宙を飛び、頼光の兜にかぶりついたという。類をみない意匠。曳山が近づいてくるとド迫力。

武名たかき頼光であるが、本作では土蜘蛛の毒気にあてられたのか、病に伏せり、土蜘蛛の化身の襲撃を受ける。

土蜘蛛を退治するのは頼光自身ではなく、その家来である独武者(ひとりむしゃ)である。独武者と呼ばれるが、一人ではない。ややこしい。昔は一人だったのかもしれない。

しかも能の主役(シテ)は独武者ではない。土蜘蛛である。ここが能のミソ。異界の者が主役なのである。

現代人のわれわれは、等身大の主人公に感情移入することにより物語の世界に入っていく。現代であればラスボスが主役なのである。ここも能にとりつきにくい理由の一つだろう。

平安時代の土蜘蛛は、大江山の酒呑童子とおなじく、実際は山賊の類いかもしれない。土蜘蛛のアジトは大江山ではなく葛城山である。

しかし土蜘蛛という言葉じたいは古く、古事記にでてくる。そこではヤマト王権が全国を支配する際、恭順しなかった各地の土豪がそのように呼ばれている。

かく言うと他人事のようだが、われらが九州でいえばクマソタケルがそうである。筑紫君磐井などもそうだろう。時の政府の言うことを聞かない連中を土蜘蛛と呼ぶのであれば、国賠裁判を提起する弁護士だってその類いかもしれない。あはは。

ともあれ、最後は紙吹雪ならぬ糸吹雪で大団円。吹雪はきらいだが、紙ならば楽しめる。

2023年1月9日月曜日

能「緋桜」、「安達原」

 

  太宰府プラムカルコアで能「緋桜」、狂言「樋の酒」、能「安達原」を観た。

写真館を経営されているUさんのお誘いだったが、「緋桜」のシテ役が今村嘉太郎さんだったので、あわせてご挨拶等いただいた。

「緋桜」は宝満山にまつわる新作能。森弘子先生が解説。大宰府権帥として下向した大江匡房は、桜の名所として都まで名のしられた竈門山へ。竈門山は宝満山の旧名。麓の神社名に名残をとどめている。

緋桜のもとで前シテの女があらわれ、美しい桜のいわれを語る。天智天皇がここでつぎの歌を詠んだという。

 散るたびにもえこがれても惜しきかな 竈門山なる緋桜の花

匡房が夢見心地でいると、太鼓の音に誘われ、後シテである緋桜の精があらわれ、美しい舞を舞う。

天智天皇は中大兄皇子時代に九州に来ている。白村江の戦いに敗れたときだ。宝満山にも登ったかもしれない。しかし歌はどうだろう。万葉集には掲載されていないようだ。竈門が「火」→「緋」をみちびいたのだろうか。さらに狂言の「樋」を導いたのかも。

謡曲「安達原」のもととなったのは、黒塚の鬼婆伝説。伝説はふるく平安時代からあったようだ。平兼盛の歌。

 みちのくの安達が原の黒塚に 鬼こもれりと聞くはまことか

筋は福音館書店の絵本「みるなのくら」と同じ。一夜の宿を借りたところ、主人の婆が自分の寝所をのぞいてはならぬの言い置いて外出。みるなといわれればよけいに見たくなるのが人情。

日本人の歴史とともに古い。古事記にもある。イザナギは死んだイザナミが恋しくて黄泉の国へ行く。そこで覗いてはならぬといわれたのに覗いてしまう。イザナミは腐敗してウジにたかられていた。イザナギは驚いて逃げ出すが、イザナミは追っかける。

山幸彦はトヨタマヒメから出産のときは見ないでといわれるが、見てしまう。トヨタマヒメはなんとサメの姿に。・・。

そもそも人を食らう鬼婆だから追っかけてくるのか、見るなと禁止したのに約束を破って寝所をのぞかれた恥をそそぐために追いかけてくるのか分からない。不思議な筋。

写真は安達太良山の登山口でみたご来光と黒塚。安達原は安達太良山の麓にあるのだ。智恵子さんは、男心をわしづかみにする鬼女の末裔だったかもしれない。

2022年12月25日日曜日

映画「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」

 

  「山ばかり行ってますね。」といわれるので、年末は、文化活動にもいそしもうと考えた。

その結果、大野城イオンで映画「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」、博多座で文楽(人形浄瑠璃)「端模様夢路門松」「曲輪文章」、太宰府プラムカルコアで能「緋桜」狂言「樋の酒」能「安達原」を観た。

https://www.20thcenturystudios.jp/movies/avatar2

https://www.hakataza.co.jp/lineup/202212/bunraku/index.php

https://dainokai.com/appearance/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%9B%9E%E3%80%80%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E5%BA%9C%E4%BB%A4%E5%92%8C%E8%83%BD/

まずは「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」(3D)。例の55歳以上割引の1,100円では足りず、1,500円かかった。2時間20分の大作であるし、3D用メガネ代が100円かかったから。

劇場で観る価値あると言っておこう。前作を観ておいたほうが分かりいいに決まっている。そもそも「アバター」というタイトルは前作を観ておかないと分からないかもしれない。

例によってネタバレしないように中身を要約すれば、「ダンス・ウイズ・ウルブス」と「若草物語」と「タイタニック」と「もののけ姫」と「グランブルー」とある種のRPGとを足して6で割ったような感じだろうか。

「:ウェイ・オブ・ウォーター」というぐらいだから、前作が山と空を舞台としていたとするならば、海洋を舞台にしている。

CG画面、3D画面の進化が著しい、すばらしい。はじめのうちこそ少し違和感を覚えるが、そのうちその世界に没入してしまう。

すごいお金がかかっているんだろうね。CMもすごい。西鉄天神駅には大画面の動画CMが繰り広げられている。

これほどの娯楽大作とプロモーション戦略に日本の伝統芸能勢はどう対処できるのだろうか。

2022年3月7日月曜日

曾根崎心中

 

 先週土曜日は人形浄瑠璃・文楽の観劇。演目は『曾根崎心中』(写真左)。近松門左衛門作。大野城まどかピアでの地方公演。

文化庁の後援及び日本芸術文化振興会の助成事業。博多座公演と比べて安い。このパンフレットも500円と格安。大阪まで観に行くことを考えると夢のよう。でも入りは半分弱くらい。とてももったいない。

梅田から御堂筋を南にブラブラしていると、東側にお初天神(露天神)がある。曾根崎心中は、そのお初と徳兵衛が恋をまっとうし、心中した話。生玉社前の段、天満屋の段、天神森の段からなる。お初天神は、最後の段の舞台で、2人が心中した場所である。

初の世話物。いまでいえば、時代劇ばかりの番組編成のなかに、はじめて現代ドラマをもちこんだもの。大ヒットした。カムカムの伏線はじつは近松がしかけたのだった。

文楽はお能よりわかりやすい。もともと客層がちがう。お能を観ていたのはいまでいえば高級官僚ら、文楽を観ていたのは庶民。そういうこともあるのか、文楽には字幕がついている(文語であるが、耳だけでなく目を使えるというのが断然ちがう。)。

そもそも人形劇だからわかりやすいということもある。大きな人形を3人で操縦する。世界でも例をみないという。

ストーリーと人形のせりふは舞台右手に座っている太夫がよく通る声で語る。その横では大きな三味線が劇をもり立てる(これはいまのテレビドラマでもそうだ。役者の演技はそこそこでも背景にながれる音楽の美しさに感動してしまうことがある。)。

わが?三浦しをんがファンである。『あやつられ文楽鑑賞』『仏果を得ず』(いずれも双葉文庫)の著作がある。まずはこのへんに手をだし、やがてその術中にはまり、あやつられてみてはいかが。


2022年1月18日火曜日

初観能ー『翁』『福の神』『石橋』

 

 新大阪駅の文楽ポスターの俤(おもかげ)付けで、能観劇の話。

 日曜日は大濠公園能楽堂で観世流の特別公演。昨年いっぱい同能楽堂の耐震工事やコロナ禍のため公演はなく、ひさしぶり。

お能には上掛二流(観世・宝生)と下掛三流(金春・金剛・喜多)の5流がある。

観世流は室町時代の観阿弥が初代。その息子が有名な世阿弥。室町幕府三代将軍・足利義満に認められ、世阿弥が能を完成させた。現在の宗家は二十六世・観世清和氏。昭和三十四年生まれだから、同い年だ。

正月公演なうえに、大濠公園のリニューアル記念公演でもあり、演目は『翁(おきな)』『鶴亀』『狂言 福の神』『老松』『石橋(しゃっきょう)』など、めでたいものづくし。「うわぁ、お能のおせち料理や~(彦摩呂ふうに)」。

『翁』は古態を残していて、〝能にして能にあらず”といわれる。翁、千歳(せんざい)、三番叟(さんばそう)の三役がめでたい謡と舞を重ねる。「うわぁ、めでたい舞の三段重ねや~(彦摩呂ふうに)」。三番叟は、みなさまも柳川さげもんで見たことがあるでしょう。

『福の神』は出雲大社に初詣にでかけた二人組が福の神から生き方の指導を受ける。豊かになりたいという二人にご託宣。いわく、金銀ではなく、心の持ちようという元手が必要であると。なるほど。

〆は『石橋』。中国・インドの仏跡をめぐる寂昭がワキ僧。中国の清涼山をおとずれたところ、深い谷にかかった細く長い石橋が行く手に。橋のむこうは文殊菩薩の浄土。寂昭が渡ろうとすると、生半可な者には渡れないといわれてしまう。

橋上で紅白の牡丹のあいだを紅白の獅子が華麗に舞い遊んで終局。めでたきものとして「唐獅子・牡丹」のとりあわせは有名であるが、典拠はこの『石橋』である。また歌舞伎の連獅子の元もこれ。

登山をしていると「蟻の戸渡り」などという両側が切れ落ちた断崖絶壁を行くことがある。今後そのような場所で牡丹と獅子があらわれたら、先へすすむことを断念するとしよう。

2021年10月28日木曜日

能郷白山登山記ー猿楽ことはじめ

 







 土曜の朝、大垣の天気は快晴。・・・だったが、天気予報をみていると、福井のほうの山には雨がふると言っている。あれれ。どうしよう。

きょうの目的地である能郷白山(のうごうはくさん)は、1617mの二百名山である。百名山の白山とは別ものだ。

岐阜と福井の県境に位置している。むこう側は福井県の越前大野である。日本百名山の荒島岳や福井恐竜博物館にほどちかい。天気予報どおりであれば、少なくともむこう側は雨だ。

南のほう、御在所岳に目的地を変更する案も頭をかすめたが、当初の計画どおり能郷白山を目指すことにした。

電車の時間まで1時間ほどあったので、朝食後、大垣城まで散歩した。車もすくなく、散歩をするにはよい街だ。散歩をしている人も多い。

目的地までは樽見鉄道を利用する。といっても九州人にはわかるまい。岐阜県は山国だ。山の間を渓谷を削り、大きく3つの川が流れ、それにそって鉄道がはしっている。

東から順に、JR高山本線、長良川鉄道、そして樽見鉄道だ。JR高山本線は飛騨高山を経て富山に至る。詳しくは明日。

長良川鉄道は郡上八幡を経て終点、北濃へ行く。終点の北に、二百名山の大日ヶ岳があり、いちど乗ったことがある。

樽見鉄道は、大垣駅内にホームがあることからもわかるとおり、もとは国鉄で、いまは三セクになっている。かつてはセメント輸送の要だったようだが、トラック輸送に代わられ、存続が危ぶまれている。

そのため、イベント列車などの工夫がこらされ、行も帰りもカラフルな列車だった。車両は一台で、もちろんワンマンカーだ。

大垣駅をでると、さっそく西に伊吹山が美しい姿を現す。他の山が緑におおわれた円錐形であるのに対し、石灰岩がむきだしのカクカクした姿だ。

その北側には山並みが続いている。真北には能郷白山が望めるはずだが、どれかは特定できない。春になれば、最後まで雪が残るらしい。そのころであれば、特定できるだろう。

途中、左手にやはり石灰岩の採掘をしている山があった。かつてセメント輸送をしていたのは、ここからだろうか。

綾部をすぎると、根尾川沿いになる。とても美しい川だ。列車は川をなんども渡って上流をめざす。

神海(こうみ)をすぎると、乗客はぼくだけになった。川幅はせまくなり渓谷になる。鉄橋をわたる間、美しい川が垣間見える。アユ釣りがさかんだそうだ。帰りに、釣りをしている人を見かけた。

終点の樽見に着いた。降りようとすると、運転手がビクっとした。乗客がいるとは思わなかったようだ。廃線が危ぶまれるはずだ。

駅前にタクシーはいない。甘かった。いちおう鉄道の終点駅であるから、タクシーの一台くらいは待っていると思ったのに。電話すると10分ほどお待ちください。が、20分待った。

運転手は若く、以下、運ちゃんと呼ぼう。会話がはずんだ。飛騨だけに林業が盛んなんだそうだが、花粉症に悩まされているそうだ。山頂付近は雪になっているかもしれないと脅された。うひゃ。

困ったことに、登山口まで歩いて1時間ほど手前の地点で降ろされた。林道が荒れて、ロープがはられ、車では入れないそうだ。

しまった。山と渓谷社のガイドブックにしたがい、往復のコースタイム5時間10分でギリギリの計画をたててきた。プラス往復2時間の歩きが入ると、帰りの列車に間にあわない。仕方がない。行けるところまで行って、戻ってこよう。

リサーチ不足だ。100名山のときは、こういうことはなかった。200名山ということで、甘く考えていた。

気もそぞろに歩き出す。雨が降り出した。傘をさす。日が差してきた。暑い。一枚脱ぐ。谷筋にでて、山から北西風が吹きおろしてきた。寒い。一枚着る。この日はずっとこんな感じだった。晴れては曇り、降ってはあがる。天気はめまぐるしく変化した。

かなり近くでシカが鳴く。キュイイイィィィーン。メスを求めるオスの鳴き声だ。とてももの悲しい。奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき。ほんとうにそうだ。

ザックから熊鈴をとりだしてつけた。チリン、チリン。運ちゃんによると、昨日、駅近くの公園でクマが目撃されたそうだ。ニュースでも昨日、窓をあけて車のなかで休憩していたら、クマに襲われたと言っていた。熊鈴をつけると、シカ、カモシカや他の小動物にもあえなくなってしまうが、やむを得ない。

しばらく行くと、林道上に野生のサルが群れていた。熊鈴の効果なし。7,8匹か。親子連れもいる。自然との対峙だ。動物園でお目にかかるのとは違う緊張感がある。連中がその気になって襲ってきたら、大けがは免れまい。

写真を撮っていたら、逃げ出した。ほっ。うち一匹が樹上でこちらを窺っている。さらに近づこうとすると、慌てて逃げ出した。

ギャッ、ギャッ。鳥が鳴いている。ホシガラスのようだ。ホシガラスは高山で見かける。この程度の標高でもいるのか。疑問に思ったが、鳴き声、姿ともそのようだ。

たしかに林道は荒れている。落石がところどころ散らばったままになっている。さらに行くと水流に土をもっていかれて、岩がむき出しになっている。川に削られて、橋が無くなっているところさえある。車が入れないはずだ。

ガイドブックの登山口まで小1時間かかった。ふう。キュイイイィィィーン。またシカが鳴く。人影はない。心細い。

谷川にかけられた心細い橋を渡る。急坂を登る。また急坂を登る。その間、雨が降ったり止んだりする。傘をさしたり閉じたりする。傘にするか、レインウェアにするか、判断が難しい。下手にレインウェアを着ると、内側から汗で濡れてしまう。

急坂を登りきると、小尾根の稜線だ。ようやく1合目。ブナの林が美しい。

さらに登ると、左側からくる本尾根と合流する。2合目だ。標高1000mを超えた。一瞬、前方の峰が白くなる。雪が降ったのであろうか。落ち葉にもよく見ると、白いものがついている。

惜しい。猿がいたあたりで、しぐれていれば、名句を吟じることができたのに。

 初しぐれ猿も小蓑を欲しげなり

老ブナ坂にさしかかると、ブナの幹が太くなる。樹齢をすぎて枯れているのもある。枯れても造形美を感じさせる。しぶい。

登頂はともかく、前山までは行きたかったが、山中で予定していた5時間10分の半分の時間になったので、撤退することとした。リベンジを誓う。

帰り道で、またサルの群れにあった。おなじ群れだろうか。人数というか、サル数がふえている。二匹で遊んでいるのもいる。楽しそうだ。

そういえば、運ちゃんから問題をだされた。なぜ、能郷と呼ばれるのか。

村中に白山神社があり、そこで年1度、能と狂言が奉納される。能が奉納される郷だから、能郷なんだそうだ。4月13日。ちなみに樽見はうすずみ桜も有名。うまくすれば両方みることができる。

能楽のご先祖さまは猿楽だ。能舞台にもそう書いてある。なるほど、お前たちのご先祖さまが、われわれ人間のご先祖さまに、お能を教えてくれたのか。ありがとうよ。

※猿楽ことはじめは、杉田玄白著『蘭学事始』のもじり。言われなくとも分かる?すみません、読者を信じきれなくて。

2021年5月13日木曜日

信夫の里・しのぶもじ摺りの石(1)



・・福島に宿る。明くれば、しのぶもぢ摺りの石を尋ねて、信夫の里に行く。遙か山陰の小里に・・。

福島駅から東に車で20分ほど行くと、遙か山陰に信夫(しのぶ)の里があります。そこにしのぶもぢ摺り石があります。ここも有名な歌枕です。

小倉百人一首に、河原の左大臣の歌が採られています。

 陸奥のしのぶもぢ摺り誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに

河原左大臣は、源融。光源氏のモデルといわれています。紫式部をかわいがった藤原道長がモデルの筆頭ですが、嵯峨天皇の子でありながら臣籍降下し源氏となったこと、彼が建てた河原院が光源氏の邸宅・六条院のモデルと思われることなどが根拠です。

河原院(東六条院)はいまの渉成園(枳穀邸)。東本願寺と鴨川の間にあります。名前からして、昔は鴨川までおよぶ広大な敷地だったのでしょう。

融はここに陸奥の塩竃をモデルとして庭をつくり、わざわざ難波の浦から潮水を運ばせて塩を焼かせたといいます。庭造りの好きなおじさんはいまもいっぱいいますが、その先駆者ですね。河原院は河原左大臣という呼称の由来でもあります。

陸奥の塩竃はあとで芭蕉一行も訪れます。われわれものちほど訪れましょう。

いまの渉成園(枳穀邸)には塩竃がなかったように思いますが、京都の南西にある、在原業平ゆかりの十輪寺で、塩竃を見たことがあります(写真)。

融は河原院がだいすきだったようで、死後も亡霊となって、後の所有者である宇多院のまえにあらわれたという話が宇治拾遺物語にあります。

宇多院「あれは誰そ」
融「ここの主に候ふ翁なり」
院「融の大臣か」
融「しかに候ふ」
院「さはなんぞ」
融「家なれば住み候ふに、おはしますがかたじけなく、所狭く候なり。いかが仕るべからん」
院「それはいといと異様の事なり。故大臣の子孫の、我に取らせたれば、住むにこそあれ。わが押し取りてゐたらばこそあらめ、礼も知らず、いかにかくは恨むるぞ」
と高やかに仰せられければ、かい消つやうに失せぬ。

建物売買の際の告知事項として、その建物内部で人が死亡したかどうかがあります。そのような事情があった場合、心理的瑕疵となり、買主に告知しなければなりません。河原院も融の亡霊が悪さをしていたのであれば、心理的瑕疵の可能性ありだったでしょうね。

また融と河原院を題材にした謡曲『融』もあります。融は本作ではワキ僧を悩ませることもなく、われわれともども美の世界にいざなってくれます。世阿弥作、本来の曲名は『塩釜』。

融は陸奥の塩竃にならって庭造りをするほど、陸奥がだいすきだったようです。ただし、彼の官暦にはたしかに陸奥出羽按察使があるのですが、実際には赴任しなかったのではないでしょうか。

実際に赴任したかどうかはともかく、彼の陸奥に対する愛はひとかたならず、河原院をつくったほか、前記しのぶもぢ摺りの歌を残したというわけです。ようやく歌の話までたどりつきましたが、執務時間となったのでその解説は次回。

2021年5月11日火曜日

安達原・黒塚

 

浅香山で花かつみをさがしあぐね、芭蕉はあきらめて福島に向かいました。途中、二本松より右に切れて、黒塚の岩屋を「一見」しています。

芭蕉は触れていませんが、黒塚については謡曲があります。曲名は「黒塚」もしくは「安達原」です。

熊野山伏の祐慶がワキです。例によって諸国をめぐって修行中、安達原で日が暮れてしまいました。しかたがないので野中のぽつんと一軒家に宿を請います。

あるじの女は薪を採りに山に出かけます。出がけに、決して閨(寝室)を見るなと言い残して。にもかかわらず、山伏の従者が閨を見ると死骸の山。あわてて逃げ出すと鬼女が追いかけてくる・・という話です。

この鬼女伝説はふるく王朝時代にはあったようです。この鬼女伝説をもとにした歌を平兼盛が詠んでいるからです。

兼盛は白河の関で、すでに登場しました。その時の歌はこれでした。

 たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと

百人一首にはつぎの歌が採られています。

 しのぶれど色にいでけりわが恋は 物や思ふと人のとふまで

その兼盛には友人がいました。源重之です。重之は藤原実方とも仲がよかったようで、実方が陸奥に下向した際、いっしょに行ったようです。重之も百人一首に歌が採られています、つぎの歌です。

 風をいたみ岩うつ波の己のみ くだけて物を思ふころかな

ふたりとも歌もうまい、女にももてるというライバルどうしだったようです。一方の重之は、父が安達原に土着し、たくさんの妹がいました。これを知った兼盛がひやかしに詠んだのが次の歌でした。

 陸奥の安達原の黒塚に 鬼こもれりといふはまことか

兼盛がこんな歌を詠んだのは、重之の妹たちに下心があったことはもちろんでしょうが、ふたり共通の認識として鬼女伝説がすでに存在したからです。

兼盛による「まことか」という質問に対する答えが謡曲の「黒塚」「安達原」という趣向になっています。「まことだよ」ということです。

子どもが小さいころ、「みるなのくら」という絵本を読み聞かせていました。福音館書店刊、おざわとしお再話、赤羽末吉画の美しい絵本です。

ある貧しい若者がうぐいすの声に誘われて山奥に迷い込み、美女がもてなす。その屋敷のくらを見るなと言われたにもかかわらず、男は見てしまう・・。

再話というからには、いまもそのような伝説が残っているということです。いまも昔も、女に見るなと言われて、それを守れた男はいません。見るなと言われると条件反射的に見てしまう、男はそのようにDNAにプログラムされているのです。

昔話「鶴の恩返し」もそうです。昔話は、「見るな」と言われたのに見ると怖い目にあうよという、男に対する教えなのでしょうか。むしろ、バカな男に「見るな」と言っても無駄だよという、女子に対する教えではないでしょうか。あはは。

李白・杜甫や先輩歌人たちには言及していますが、芭蕉は謡曲にはまったく触れていません。なぜでしょう。じぶんが謡曲中の諸国「一見」の僧そのものであるとの認識だったからでしょうか。

2021年4月26日月曜日

白河の関、卯の花のかざし


 

なんとか間にあいました。この記事を4月中に書きたかったのです。なぜか?本文を読んでくだされ。

関東と東北の境を守るのは白河の関です。かって東北地方は、あこがれの地であるとともに、生きて帰られるかどうかわからぬ土地でした。白河の関は、そのような地から来るものを阻むとともに、そこへ入っていくゲートでした。

白河の関を越えるには、決死の覚悟が必要でした。芭蕉は、おくのほそ道の冒頭で、春立てる霞の空に、白河の関越えんといちおうの覚悟は示しています。それでも関東を歩いているうちは、あれこれ迷いがあったようです。ですが、いよいよ白河の関に着いたとき、腹は固まりました。いわく。

心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ。

関所は物理的・地理的境界であるだけでなく、精神的・霊的な境界でもありました。境界というのは中央の王権のおよびにくい土地であり、霊的なものや魔物が出てきやすい場所だからです。

そのような場所で、芭蕉は「諸国一見の僧」(能のワキ)となり、先輩歌人たちの霊を次々と召喚します。

先ず召喚したのは平兼盛。10世紀の歌人で三十六歌仙の一人、赤染衛門の父です。彼がこの関で詠んだ歌は

 たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと

この関は奥羽三関の一つにして、風騒の人が心をとどめました。次に召喚したのは能因法師。11世紀に活躍したやはり三十六歌仙の一人、旅の歌人で西行の先輩。彼が詠んだ歌は

 都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関

第三に召喚したのは源頼政。12世紀保元・平治の乱で活躍した武将。能に『頼政』という曲があります。彼が詠んだ歌は

 都にはまだ青葉にて見しかども 紅葉散り敷く白河の関

芭蕉たちが訪れたのは、青葉の梢があはれな時期でした。が、先輩歌人たちとその歌を次々と召喚することにより、芭蕉たちの耳には秋風が吹く音がし、眼前には紅葉散り敷く情景が広がりました。

第四、第五に召喚したのは竹田大夫国行、藤原清輔。藤原清輔は12世紀の歌人・歌学者。彼の歌論書『袋草子』に、竹田大夫国行がこの関を越えるときに、能因の歌に敬意を表して、冠をかぶり直し、衣服を着替えて通ったという話がありました。

これを踏まえた曽良の句は

 卯の花をかざしに関の晴れ着かな

竹田大夫国行の故事にちなみ、この関を越えるときに、能因の歌に敬意を表して、冠をかぶり直し、衣服を着替えて通りたいものだ。残念ながら、そのような立派な衣装のもちあわせがないので、そこいらに咲いている卯の花を頭に刺し、これを飾りにして関を越えよう。卯の花は卯月(旧暦4月)に咲くから卯の花。

2021年4月25日日曜日

遊行柳(4)


同行がトミーであるせいか、謙虚に学べと口うるさく繰り返してしまい、最後には老馬にまで学べとまで言ってしまいました。これがほんとうの老馬心、もとい老婆心でしょうか。

さて芭蕉が学ぼうとする諸先輩のうち最上の先輩は西行です。かれは武士出身で法師となり歌人であったばかりか、なにより旅人だったからです。おくのほそ道の有名な冒頭にも、西行を筆頭とする古人へのリスペクトはあきらかです。

月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり・・。

その西行もしばし立ち寄ったという遊行柳。昔の人の申し置きしは、鳥羽の院の北面、佐藤兵衛憲清出家し、西行と聞こえし歌人、この国に下りたまひしが、頃は水無月半ばなるに、この川岸の木の下に、しばし立ち寄りたまひつつ、一首を詠じたまひしなり(能『遊行柳』)。

 道の辺に清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ

これを受けて、おくのほそ道の遊行柳の段。

清水流るるの柳は、蘆野の里にありて、田の畔に残る。この所の郡主戸部某の「この柳見せばや」など、をりをりにのたまひ聞こえたまふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日この柳の陰にこそ立ち寄りはべりつれ。

そして、一句を詠じたまひしなり

 田一枚植ゑて立ち去る柳かな

西行の立ちどまりつれをひきつぎ、立ち去って物語を完成させる芭蕉なのでした。

さあ、これでみちのくへの旅の準備は万全です。鏡のまえで装備の点検をする必要もありません。いざ出陣、もといいざ出発。

2021年4月22日木曜日

遊行柳(1) 鎮魂の旅


おくのほそ道の旅、那須野の段の〆は蘆野の遊行柳(ゆぎょうやなぎ)です。遊行柳といえば、有名な能があります。

能にはいろんな曲がありますが、おおくの曲は筋立てがおなじです。諸国一見の僧が名所・旧跡にたちより、里人からその謂われを聞き、そこの霊を鎮魂するためお経をとなえていると、霊があらわれてお礼の舞を舞い、成仏していくというものです。

能はふつう前場(中入り)後場の2幕ものになっています。西洋の劇のように幕が下りる代わりに、中入りにより場面が切り替わったという約束ごとになっています。能の主役はシテ、脇役をワキといいます。ふつう前場と後場の主役は同じで、霊的な存在。前シテは霊の仮の姿、後シテは霊そのものです。

こういう霊が主役の能を夢幻能、そして前場と後場の2幕となっているものを複式夢幻能といいます。能の傑作はほとんど複式夢幻能となっています。『遊行柳』も複式夢幻能です。

遊行上人が白河関にやってくると、そこに老人が現れます。老人はむかしの遊行上人が通った古道を教え、そこに生えている銘木「朽木柳」に案内します。そしてむかし西行が立ち寄って歌を詠んだ故事を伝え、消えてしまいます。

夜、念仏を唱えていると、老柳の精が現れ、感謝し舞を舞います。夜明けとともに消えていき、あとには朽ち木の柳だけが残っていました。

おくのほそ道の旅で芭蕉がやっていることは、この諸国一見の僧がやっていることと同じです。念仏こそ唱えませんが、僧形で俳句をつくり、義経や佐藤兄弟など無念を残して死んだ霊を鎮魂していきます。

2019年1月17日木曜日

松と梅のめでたさ


 成人式は能楽師・今村嘉太郎さん主催の能楽新春コンサートにいってきました。新年を言祝ぎ,とても晴れやかで楽しい会でした。

 演目は,『高砂』,『老松』,『東北』など。いずれも松や梅がでてきて目出度い,新年の門出にふさわしいもの。江戸城では正月,必ずこの3曲を演っていたそうです。

 『高砂』は結婚式の定番なので,みなさんご存知でしょう。相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で人生を言祝ぐめでたい曲です。ワキは九州阿蘇宮の神官ですから,九州とゆかりがあります。舞台は播磨国の高砂の浦。高砂の松と住吉の松の精がでてきます。松は冬でも枯れず緑であることから,人は古来,その生命力に憧れ,あやかりたいと考えてきたんですね。

 『老松』は,地元太宰府ゆかりの曲です。福岡県民ならずとも,大宰府にながされた菅原道真公を追って京都から飛んできた「飛梅」の話はご存知でしょう。天満宮のむかって右手にいまも花を咲かせていますね。昨日書いた原田マハさんのトークショーにでてきた猫の名も「飛梅太」でした。飛梅の話にはつづきがあって,松がそのあとを追ってきたのです。その名も「追松」。曲名では『老松』となっていますが,「追松」と表記したほうがもとの話とあいやすい。高砂は松と松のカップルでしたが,この曲では梅と松のカップルです。梅もまた冬のさなかに,他の花に先駆けて花を咲かせるので,生命力,さきがけとしての魅力,凛とした姿勢,希望などを感じさせます。松ととも古来愛されてきたゆえんでしょう。

 『東北』(「とうほく」ではなく,「とうぼく」と読むそうです。)は,前2曲とちがい,九州とのゆかりはありません。筆者はむかし岸和田に住んでいたのですが,そちらとゆかりがあります。岸和田はむかし和泉国と呼ばれていました。百人一首のなかに,和泉式部という女流歌人がいることはご存知でしょう。式部は夫が和泉守だったことから,和泉式部と呼ばれるようになったそうです。岸和田には「和泉式部ゆかりの恋の淵」なるものがあります。

 さて式部は,これまた有名な中宮彰子につかえていました。藤原道長の娘で,『源氏物語』を書いたことでも有名な紫式部もつかえていました。道長の没後,彼が建立した法成寺の東北に建てられたのが東北院です。その庭には,和泉式部が手植えした梅があります。その名は「軒端の梅」。

 謡曲『東北』には和泉式部の霊があらわれます。式部は歌舞の菩薩になっています。生前の思いでを語り,和歌の徳,仏教のありがたさを説いて舞をまいます。

  あらざらむ この世の外の 思ひ出に
        今ひとたびの 逢うこともがな

                       和泉式部

2017年12月20日水曜日

『熊野』


              (祇王寺)

 写真は祇王寺の庭です。竹林と広葉樹が接しています。竹林は嵯峨野らしいですし,紅葉も小倉山らしい。両方のハイブリッドです。祇王寺の名前は平家物語にある祇王の悲しい話に基づいています。祇王は平清盛に寵愛された白拍子でした。あるとき飛びこみ営業にきた仏御前に情けをかけたことから追い出されることになりました。嵯峨野で出家・隠棲しますが,清盛からさらなる辱めをうけます。世をはかなんで仏事にはげんでいたところ,仏御前がたずねてきて和解します。寺は,このような祇王や仏御前らの像などをつたえています。

 先日,能を鑑賞する機会がありました。大濠能楽堂で。知人のご招待です。演目は『熊野』。これを「くまの」と読んだら,能の知識がないこを暴露することになります。「ゆや」と読みならわしています。熊野は宗盛の愛妾の名前で,能の主役・シテです。

 この謡曲のもとネタはやはり平家物語で,「街道下」の巻のなかにあります。
 一の谷で捕らわれた平家の重衡が鎌倉に連行される途中のエピソード。重衡は単なる戦争犯罪人というだけでなく,奈良の東大寺などを焼き討ちした重大犯罪人であり,鎌倉では死刑を言い渡されることが見込まれています。

 道中池田の宿で,重衡は,熊野と宗盛の由緒をきかされます。ときは平家の全盛期,東国(池田の宿)に住む母が病気になったので帰りたいと熊野が申し出たにもかかわらず,宗盛はこれを許しません。そのとき,熊野が詠んだのがこの和歌。

  いかにせん 都の春も 惜しけれど
          馴れし東の 花や散るらん

 この和歌はこれだけで平家の貴公子・重衡の境遇に照らし,涙をさそうものがあります。

 でも,この和歌で詠まれ,花や散るらんと心配されているのは病気の母のことです。作者はこのエピソードをふくらませて,『熊野』の世界をつくりあげています。京都,清水寺に至る春爛漫の情景,それが華やかであればあるだけ熊野の内心の苦悩がいっそう際立つという構成です。
 見事というほかありません。 

2017年12月14日木曜日

ワキとしての弁護士


        (二尊院の紅葉,後ろは小倉山)

 師走ものこりわずか。毎日が忘年会で,走り回っています。

 考えてみれば,われわれ弁護士の仕事も能のワキのようなものかもしれません。顧客さまであるシテ(仕手)に出会い,シテが謡い・舞うことを見守り,波立つ心情が鎮まっていくのを見届ける・・・。
 ワキとしての手腕は,シテが存分に謡い・舞い,鎮まることをどこまで支援することができるか,どこまで満足していただけるかということだと思います。

 昨夜は弁護士会議のあと,ちくし法律事務所の新人弁護士,向井悠人くんの二回試験合格祝賀会・歓迎会でした。期待の新人のご紹介はおって。乞うご期待。

2017年12月13日水曜日

『ニュー・シネマ・パラダイス』と『雪国』と能


 一人息子(高校生)がいる女性と『ニュー・シネマ・パラダイス』の話題となった。その人によると,あの映画をみるときには,主役の映画監督ではなく,映画監督の母親の視点でみてしまうのだそうだ。

 そのときは,それはかなり変則的な見方ではなかろうかと思った。映画は(小説などでも)観客が主役に感情移入して観るものであり,そうならなかったとしたら,作者なり制作者の失敗ではないだろうか。でもまぁ,映画なんて楽しんでなんぼだから,息子がいる母親が,話中の母親に感情移入して楽しむのもありかなぐらいに思った。

 しかし,今般,認識をあらためた。フェイスブックでやりとりをするなかで『雪国』が話題になったので,あらためて読みなおしてみた。これまでには気づかなかった点に,いろいろ思い当たった。なかでも,主人公と思っていた島村に関する注解(郡司勝義,新潮文庫175頁)。川端康成「島村は私ではありません。男としての存在ですらないようで,ただ駒子をうつす鏡のようなもの,でしょうか。」(昭和43年12月『雪国』について)。能でいえば駒子のシテに対するワキといえようか。

 能を知らなければ,この注解は意味不明だろう。少しでも囓れば,明白である。能における主役はシテである。この世に未練を残し,成仏できない霊的な存在であることが多い。これに対するワキは,諸国一見の僧であることが多く,シテを呼びだし,その鎮魂を行う存在である。つまり,主役は駒子(その純な生きざま)なのである。島村は彼女とその渦巻く感情を呼びだし,その純粋さを読者に伝える存在にすぎない。それであれば,島村に感情移入しているだけでは大事なことが見えない。このように理解して『雪国』を読めば,いろいろなことが見えてくるし,理解できるところもでてくる。なるほどなるほど。

 そういう立場に立てば,『ニュー・シネマ』についても,母親を主役として鑑賞することもあり得るように思えてきた。むしろ日本人の見方としては多数派なのかもしれない。少なくとも,伝統に忠実な見方といえるかもしれない。あるいは,企業などで社長型と参謀型・秘書型にパーソナリティが分かれるとすれば,後者の人たちはこのような鑑賞のしかたをしているのかもしれない。
 
 西欧人には主体性があるが日本人には主体性がないとかいう議論も,少なくとも中世以来のこのような日本人の心性と深くかかわっているのではなかろうか(飛躍しすぎ?笑)。

2012年9月25日火曜日

『謡曲・狂言』(2)




『謡曲・狂言』の〔狂言〕のほうは
『末広かり』,『千切り木』,『蟹山伏』の3作。

狂言は,いまでいうと
漫才やコントにあたるのでしょう。

崇高な霊的体験,愛や感動もいいけど
人間やはり下世話に楽しく笑いたい。

それが能とはちがう
狂言の存在理由でしょう。

ボケ(太郎冠者)とツッコミ(主人)の役割分担も
やっぱり必要。

絵画や写真で光と影のコントラストが
表現を生み出すように。

日常的,一般的な通念や権威を非日常的,特殊的に
ズラしたりひっくり返していく。

そこに笑いが生まれる。
なんかこっちの水のほうがあってるなぁ。

2012年9月24日月曜日

『謡曲・狂言』



能は,豊臣秀吉がパトロンとして
保護したことがきっかけで近世に隆盛したらしい。

信長につかえ,ひとたらしの天才といわれた秀吉こそ
人の表情のかすかな動きを読みとる芸のパトロンとしてふさわしい。


「能のかたち」展がおもしろかったので
博物館の売店で,関連本を買い,読みました。

例の「ビギナーズ・クラッシックス 日本の古典」シリーズの
網本尚子編・『謡曲・狂言』(角川文庫)。

謡曲として
『高砂』 初番目物(脇能)

『敦盛』 二番目物(修羅物)
『井筒』 三番目物(鬘物)

『隅田川』 四番目物(雑物)
『鵺』 五番目物(切能)

以上5作品が収められています。
初番から五番目まで,この順に演じられるらしい。

初番目物を序曲と考えれば
起承転結,交響曲の構成に似ています。

やはり人間を飽きさせず
舞台に引きつける工夫なのでしょうね。

『高砂』は結婚式でおなじみ
高砂と住吉の松の精の仲良くおめでたいお話。

『敦盛』は平家物語の有名な段
『井筒』は伊勢物語に材をとられています。

『隅田川』も伊勢物語の
例の都鳥の話をベースにしています。

『鵺』は,ご存知
源頼政の鵺退治の話です。

いずれもおなじみの話なので
さっと読めました。

修習生時代にいちど
国立劇場に連れていかれ,能を観ました。

当時,歌舞伎は楽しめたけれど
能はさっぱり(寝てしまいました)。

その後も,歌舞伎については博多座に
ご招待を受けたりして,観劇の機会がありました。

でも能はそのまんまに。
今回を機にいちど観劇してみたくなりました。