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2023年6月29日木曜日

大学入学選考で黒人など人種考慮は違憲@アメリカ連邦最高裁

 


 今朝、NHKニュースが報じていた。ハーバード大学などが入学選考で黒人などに下駄をはかせている措置について、アメリカの連邦最高裁が違憲と判断したと。

憲法の平等条項に違反するという保守派の学生らの訴えにこたえたもの。45年前の最高裁判決(すなわち、人種考慮は合憲とした判断)を覆した。

この判決について、多様性を損なうとバイデン大統領は批判していた。

憲法の保障する「平等」とは何か?形式的平等か実質的平等か。機会の平等か結果の平等か。

フランス革命期の「平等」は形式的平等だった。国王の恣意による、国民の自由・平等の侵害を許さないという文脈だから、それでよかった。

その後、資本主義が発達し、貧富の格差を生じた。そのため、形式平等を保障することが結果において不平等を招来することとなった。

その後の憲法は、このような経済的不平等を是正する社会権を保障する。社会権を保障する憲法が保障する「平等」は、形式的平等では足りず、実質的平等をいうのではないか。

残念ながら、いまの日本では、実質的な不平等が生じる社会になってしまっている。平等に受験ができるといっても、所得の格差によって事実上、受験ができない家庭の生徒が増えた。教育(塾代)に10万円かかるようになれば、月収20万円の家庭の生徒は勉強や受験をすることができないだろう。

米国では長らく黒人などに下駄をはかせることが合憲だとされてきた。そうしなければ、キャンパス内はいわゆるWASPだらけになってしまうから。

成績だけで考慮せよというのも、一見もっともである。しかし、社会に存在する貧富の格差を前提にすれば、貧困層に下駄をはかせることのほうが、ほんとうの平等というものではないか。

バイデン大統領が指摘する多様性が損なわれるという指摘も、今日的で重要だ。

多様性(ダイバーシティ)の尊重は、日本でもその重要性が認められてきている。SDGs(持続可能な開発目標)の観点からも重要だ。多様性を尊重する企業こそが、競争でも優位であるとの研究結果もでている。

米最高裁はいまトランプ大統領時代に指名された保守派の判事が多数を占めている。そのため、民主党のバイデン大統領と意見を異にする判断がつづいている。

先日も、中絶する権利を認めなかったばかりだ。こちらもそれまでの最高裁判例を半世紀ぶりに覆した判断だった。大きな揺り戻しが進行している。アメリカよ、どこへ?

それでも、米最高裁は、このようなスイングを繰り返しながら歴史を進めてきている。いつもいつも保守的な判断しかできない日本の最高裁よりマシである。

2011年8月9日火曜日

 お盆が近づけば



 お客さんと雑談をしていて
 何月ころが忙しいですか?とか訊かれます。

 よく2月と8月がヒマだとか
 月末、年度末が忙しいだとかいわれるアレです。

 弁護士の場合、お客さんの都合というより
 裁判所の都合に左右されます。

 年度末は裁判官の異動時期なので
 裁判期日の件数が減り、割と自由な時間ができます。

 夏も裁判官が交代で夏休みをとるので
 期日が減り、その分自由な時間がとれます。

 あとやはり感じるのは、お盆の前後に
 相続、遺産分割、遺言がらみの相談や依頼が増えます。

 先祖に想いをいたすとき
 ついでに祖父母の言葉や財産を思い出すのでしょうか?

 日本では戦後憲法14条の平等原則により
 遺産分割も兄弟姉妹間で平等に分割するのが原則になりました。

 でもやはり、長男が全部相続するという意識の強い家や地域もあり
 また親のめんどうを見た人、見なかった人の意識の違いなども。

 貰いすぎを調整する特別受益や遺産への貢献を評価する寄与分
 といった微調整制度はあります。

 それでもやはり人間ですから
 人のことは過小に、自分のことは過大に評価しがちです。

 そこのところを
 うまいこと調整するのが裁判所や弁護士の仕事です。

 ことしも立秋(8日)を過ぎて、お盆が近づいても
 まだまだ暑い日々が続いていますが、ご自愛ください。
 

2010年11月24日水曜日

 カインの末裔の遺産相続



 すみません、更新はまだかとDMいただきました。
 今朝は8:20からドクター面談が入っていたので
 (交通事故の後遺障害について)
 遅くなりました。 

 さてカインの末裔である
 われわれの遺産相続の話のつづき。

 民法の定める相続制度は共同相続=分割相続
 配偶者を別格として
 被相続人(亡くなった人)の子は、兄弟姉妹みな平等扱いです。

 これを民法は
 相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する
 各共同相続人は、その相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する
 子が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする
 などと定めています(898~900条)。

 原則として長子だけが家督をつぐ
 戦前の家督相続制度とはちがいます。

 個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して
 相続法を制定しなければならないとする
 憲法24条の要請によるものです。
 
 共同相続は「自分の生活は自分でめんどうをみる」
 自己責任の考えにつながっています。

 この点、家督相続が戸主による親族の扶養をともない
 共同体的な拘束のある制度であったのとちがうところです。

 共同相続は日本の現状にもあっているように思います。

 亡父はサラリーマンで、遺産は自宅と預貯金のみ
 配偶者、子2人もサラリーマンか専業主婦という
 標準的な家庭のばあい
 一般的には妥当な結論がみちびかれます。

 もともと家督相続は江戸時代の武家の相続法に由来するもので
 現代の日本に武士はいませんから、その方面の必要性はありません。

 でも長男が実家で両親と同居して家業(酒屋など)を守り
 他の弟姉妹が東京・大阪へ出て行ってしまっているようなばあい
 平等分割ではどうかな?
 というケースがないではありません。

 特段このような事情はなくとも昔ながらの慣行で
 長男がすべて相続すべきものという考えの方もおられます。

 ですが、ことは制度論です。
 どのような制度にも一長一短があります。
 
 1つの制度ですべての案件をうまく解決することは不可能
 100件のうち70~80件をそこそこ解決できればOKです。

 残りの20~30件は遺言などを利用して
 うまく承継していただくことを予定しています。

 とはいえ
 これらの事案で遺言書が作成されていないこともままあります。
 (へたに遺言のことをきりだすと、「俺を殺すきか!」などと
 叱られたりしますから)

 そのようなばあい
 両親と同居し家業をついでいた長男としては平等分割に不満
 これに対し、他の兄弟姉妹は平等分割を要求したりします。

 特別受益や寄与分といった調整制度はあるものの
 納得をえられないこともあります。

 本人たちで協議してもまとまらなければ
 ①家庭裁判所で調停
 それでもまとまらなければ
 ②家庭裁判所裁判官が審判
 という手続きになります。

 申し立てをすると1か月後くらいに
 第1回期日の呼び出し。

 福岡家裁は中央区大手門のバス停の真ん前
 エレベーターで4階へ
 書記官室で受付をします。

 申立人控室と相手方控室にわかれて待機
 申立人側から順次、個別に事情を聴かれます。

 当事者どうしの協議でまとまらなかったものが
 調停だとまとまることがあります。
 なぜでしょう?

 当事者だけで話すと
 カインの末裔であるわれわれは
 どうしても妬み・憎悪などの感情にとらわれてしまいます。

 ところが
 調停委員という第3者を間にはさむことで
 これら感情をむきだしにすることがはばかられる空気が。

 こうしてどちらかというと理性的な話ができ
 調停がまとまることになります。
 
 これがカインの末裔として
 妬み・憎悪などの感情にとらわれがちなわれわれの性(さが)と
 調停制度の肝です。