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2021年5月26日水曜日

はなれて奏でる(5)


  「おくのほそ道」の有名な冒頭

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

よく言われるように、李白の詩「春夜 従弟の桃花園に宴するの序」を下敷きにしています。  

 夫れ

 天地は 万物の逆旅なり

 光陰は 百代の過客なり

ここから芭蕉が旅へ誘うのに対し、李白はやっぱり宴に誘います。嗜好の違いですからやむを得ません。

 「おくのほそ道」の末の松山の段。

 末の松山は、寺を造りて末松山といふ。松の間々皆墓原にて、翼を交はし枝を連ぬる契りの木も、つひにはかくのごときと、悲しさもまさりて、塩竃の浦に入相の鐘を聞く。

 これは白居易の「長恨歌」から

 天に在りては願わくは比翼の鳥となり

 地に在りては願わくは連理の枝とならん

玄宗と楊貴妃がモデルで、永遠の愛を誓う言葉。比翼連理という四字熟語になっています。ただし、いまの若い人に言っても、怪訝な顔をされるでしょう。

 これもまた有名な平泉の段。

 さても、義臣すぐってこの城にこもり、功名一時の叢となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。

 これは杜甫の「春望」から。

 国破れて山河在り

 城春にして草木深し

 時に感じては花にも涙を濺ぎ・・・

 むすびは、松島とならぶ絶景といわれた象潟の段。

 俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。

 象潟や雨に西施がねぶの花

西施は中国絶世の美女の名。李白が好んで詩の題材としました。

 ここでは再度、先に紹介した白居易の「長恨歌」から。

 太液の芙蓉 未央の栁

 芙蓉の面の如く 栁は眉の如し

 此に対して如何ぞ涙の垂れざらん

 また蘇軾の「湖上に飲す 初めは晴れ後に雨ふる」から。

  山色空濛として 雨も亦奇なり

  西湖を把って西子に比せんと欲すれば

  淡粧濃抹総べて相宜し

 芭蕉の頭のなかでは、時空をへだてた李白や杜甫とも詩のハーモニーが奏でられていたことでしょう。が、漢詩の素養に乏しいわれわれの頭のなかで、芭蕉ほどにはハーモニーを奏でていないのではないかと心配です。

2021年5月25日火曜日

はなれて奏でる(4)


 はなれて奏でる。こんかいは時空とも大きくはなれた中国古代の大詩人たちと奏でる。-出会うことのない二人の出逢い。運命の歯車が、いま動き出す(『君の名は。』)。みたいな。

 写真は、寺社建築を手がける知人の社長さんがSNSに投稿していたもの。茶室の写真を見るだけでも、背筋が伸び心が澄む感じがします。掛け軸になんと書いてあるか読めますか。

 「行きては水の窮まる處」

 「座しては看る雲の起きる時」

盛唐の詩人、王維の「終南の別業」の一部です。

 中歳 頗る道を好み

 晩に南山の陲に家す

 興来たれば毎に独り往き

 勝事空しく自ら知る

 行きては水の窮まる處

 座しては看る雲の起きる時・・・

50歳くらいから山歩きを再開し、山にハマった自身の心境にこれほどピッタリな詩はありません。

 さてつぎは絵本。読んだことありますか。シュルヴィッツの『よあけ』。

夜明け前の閑かな湖のほとり
月が湖を照らし山々は漆黒
そこにいま朝が訪れる・・・

これも唐代の詩人・柳宗元の詩「漁翁」から。

 学生時代にマーラーの交響曲をよく聴きました。長大な曲が多いなか、第1番「巨人」、第4番のつぎに聴きやすいのが9番目の交響曲「大地の歌」。

 Dunkel ist das Leben, ist der Tod!(生は暗く、死もまた暗い!)

歌曲のような交響曲で、ベートヴェンの第9のように歌がついています。これも原詩は漢詩であると知っていましたか。ぼくは最近知りました。

第6楽章まであり、李白の「悲歌行」、銭起の「效古秋長」、李白の「宴陶家亭子」、同「採蓮曲」、同「春日酔起言志」、孟浩然「宿業師山房待丁大不至」・王維「送別」を原詩としているそうです。

時空を超えてマーラーにたどりつくまでに、複数の詩人がアレンジを加えています。そのため対応関係がはっきりしないものもあり、原詩としているというのはそういう意味です。

 きょう最後に紹介する漢詩は、張継の「楓橋夜泊」。わが事務所から歩いて3分、西鉄通りにある中華料理屋・大京園の壁に拓本がかかっています。

 月落ち鳥啼いて 霜天に満つ

 江楓漁火 愁眠に対す

 姑蘇城外 寒山寺

 夜半の鐘声 客船に到る

さすが西鉄通り、中華料理屋にも文化の香りが。そうと知れば、なにげない定食の味にもハーモニーが生まれます。

 「分かる」とは、Aと非Aを分けること。しかし、さいきんは、まったく無関係だと思っていたAとZがつながったときも「分かった!」と思うことが増えました。

あれれ。きょうは芭蕉まで話がたどりつけず。ではまた。

2021年4月17日土曜日

黒羽の桃翠





黒羽に戻ります。城代家老・浄法寺さんの俳号は桃雪、弟は桃翠。兄弟で俳句をたしなみ、芭蕉一行をもてなしました。

かれらの俳号は芭蕉の弟子だからでしょう。芭蕉は芭蕉と名乗る前は桃青と号していましたから。

芭蕉は自己の句風、すなわち蕉風をより高めるため、先輩歌人や禅僧に謙虚に教えを請うていました。それのみか、中国の詩人にもあやかろうとしたのが桃青という号です。

誰にあやかろうとしたのかわかりますか。中国の大先人、大詩人といえば、李白と杜甫です。どちらでしょう(笑)。

はい、李白ですね。李はスモモ、李白というのは白いスモモという名前です。芭蕉は李白にあやかって、青い桃と号したわけです。

おくのほそ道の冒頭「月日は百代の過客にして」とか、平泉の段「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」とか、李白・杜甫に対するリスペクトは明らかです。

前者は、李白の「春夜桃李の園に宴するの序」の冒頭、「夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり」から。後者は杜甫の「春望」から。

では、杜甫ではなく、李白の名前にあやかったのはぜでしょう?杜甫より李白の詩のほうが好きだった可能性もありますが、李白にあやかったほうが季語が入るという理由ではないでしょうか(笑)。

桃翠は実際には翠桃と名乗っていたようです。おくのほそ道の本文の記載が桃翠となっているのは誤記であるとの文献もあります。しかし、そうとはかぎらないように思います。芭蕉は翠桃より桃翠のほうがよい、あるいは、すくなくとも語呂がよいと考えた可能性があります。

翠桃は、芭蕉から桃翠と俳号を与えられたにもかかわらず、自分でこれをひっくりかえし翠桃と名乗っていた可能性だってあります。翠桃がそうした理由は黒羽と関係しているかもしれません。黒い羽の翠の桃になるので、かえって座りがよいので。

また緑ではなく翠というのも意味深。翠はカワセミとも読み、混じりけのない綺麗な羽をもつ鳥が由来です。黒い羽と平仄があうと思いませんか。

あるいは、ただ単に、すいとーとと思ったのかもしれません(なぜ、そこで博多弁?)。