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2022年1月30日日曜日

九州脱出ー玉鬘の旅


 
(大宰府政庁跡の紅梅)

 玉鬘(たまかずら)姫をまちかまえていたつぎの苦難は大宰府少弐の死。姫を養護する乳母一家は大黒柱をなくしてしまったわけである。残された乳母たちは姫をお連れして京に帰りたかったが、なかなかこれをはたせず。

さらなる苦難はがさつな男たちだ。姫は大人になり、美人だと評判に。近在の男どもが押し寄せてくるが、姫とは釣り合いがとれない。やむをえず姫には差し障りがあってなどと誤魔かす。

近所の男衆はみなあきらめたけれども、肥後の監(げん)という男はあきらめが悪い。そこはやはり「もっこす」なわけである。ついに屋敷に乗り込んできて、強く結婚を迫る。歌なぞ詠んでみせるが、むさ苦しく田舎ぶりが甚だしい。

ことここに至っては一時の猶予も許されず、姫と乳母一家は九州を脱出。ほうほうのていで都にたどりつく。・・・

紫式部は九州には来ていないだろうから、書いてあることはすべて文字の上か耳学問だろう。読んでいてあれ?と思うことがある。

少弐といえども大宰府の役人であるから大宰府政庁の近くに住んでいたと思われる。しかし乳母らは肥前に住んでいたとある。

それでは基山あたりだろうか。大野城と基肄城は兄弟城であるから可能性はある。肥後の監が懸想したというのだから、熊本に近かったであろうし。

通勤はどうしたのだろう。いまなら自家用車かJRを利用して基山に住んでいる人が太宰府市役所に通勤しているかもしれない。しかし平安時代である。馬だろうか。

と思いながら読み進めると、九州脱出の段にこのような記述がある(引用はいつもの林望先生のもの)。

 〈これでもう二度と、姉さまとは会えないかもしれない。・・・ここで何年も暮らしたとは言っても、どうしても見捨てがたいというほどの所でもないけれど・・・〉と妹は思う。けれども、あの松浦の宮の前の渚と、姉さんに別れるのだけは、何度も何度も、振り返り振り返りするほどに名残が惜しまれるのであった。・・・

などとある。松浦の宮とはいまの鏡神社だし、渚は虹ノ松原だろう。すくなくとも脱出の際、船出したのは唐津のようだ。さらに京都に戻ってからの話であるが、こうある。

 この近くに、八幡の宮という神社がありますが、それは筑紫のほうでも、姫君がいつも参詣しては祈っておられた松浦の宮、そして筥崎の宮と、ご神体を同じくする社です。あの肥前を発って来るときも、松浦や筥崎の宮に、多くの願立てをなさっておいでであったし。・・・

すると肥前というのは唐津のことか。唐津からだと、大宰府まで通勤するには絶望的に遠いのだけれど。

さらに混乱させるのは筥崎の宮。基山から参拝するにも唐津から参拝するにもかなり距離がある。というわけで、姫らが住んでいた肥前がどこかは謎である。

平安時代の京都に住む紫式部が九州の地理に精通していないのはやむを得ない。現代のわれわれだって東北地方の地理については似たようなものだ。しかし読みながら、あれ?と思うのである。

  

2012年1月31日火曜日

竈門岩 by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 宝満山にけっこう登っている人でも
 けっこう知らないのではないでしょうか?

 九合目の立標のちょい先を
 左に入ります。

 道標もわかりにくく
 道もはっきりしないため、見過ごしがち。

 足場の悪い道をすこし登るとあります。
 竈戸岩。

 写真のとおり「仙竈」と書かれており
 これもやはり博多聖福寺の仙涯さんによるもの。

 3つの巨岩が
 むかしのカマドの形をしています。

 さいきんは火力のつよいガスコンロが主流ですが
 すこしまえは薪をつかっていました。

 薪で煮炊きをしようとすれば、石をこのような形に組み
 その上に鍋をかける必要があります。

 八百万(やおよろず)の神に、かまどの神さまがいて
 火を使う場所に祀られます。

 火の神であるとともに
 農業や家畜、家族を守るともされます。

 竈→家庭料理→家族団らんとイメージはつながります。
 かまどの神さまが健在であれば孤食などとは無縁でしょうが。

 宝満山は別名、竈門山といわれますが
 この岩が名前の由来とも。

 もっとも福岡藩の儒者・貝原益軒は
 竈門山の由来について他説を主張(『筑前国風土記』)。

  「山上にいつも雲霧がかかり
  竈で煮炊きしているように見えるので」

 この説もあなどれず
 『拾遺和歌集』にこんな歌が。

   春はもえ 秋はこかるる かまと山
   
         かすみも霧も けふりとそ見る

                       元輔

 詞書によると、元輔が筑紫へ下り
 竈門山の麓に宿泊したおりのこと。

 道ばたの木に「春はもえ…」と書き付けてあったのを見て
 下の句をつけたとか。

 元輔は清少納言の父・清原元輔だそう。
 肥後守として赴任した際のことでしょうか。

 竈門神社から左手の坂をくだると
 九州登山情報センターがあります。
 
 そこからとちょっと車道をのぼると
 宝満山登山口。鳥居が建っています。

 ふつうはすぐに登りはじめるのですが
 もう5メートルほど車道をのぼります。

 すると右手に歌碑があり
 元輔の歌が書かれています。
 
 竈門岩に戻ってお隣には
 亀の頭を乗せたような巨岩「亀岩」が。

 子孫繁栄と長寿を祈りましょう。
 左手からぐるっとまわって登ることもできます。

 また竈門岩から少しくだったところに
 「益影の井」があります。

 手前の説明板に
 こういう解説が。

  宝満山中には、五所秘水といって、霊水が湧き出る泉があり
  その中で一番神聖な泉が益影の井です。

  筑前国族風土記に「人がこの水に影を写すと、老顔も<益々>
  若く少壮の如く写るので益影の井と名付けられた」と

  また「応神天皇が粕屋郡宇美町で御誕生の折に
  この水をわかして産湯にされた」など

  その外、雨乞いの祈祷水など
  昔より信仰と伝説に富んだ霊験あらたな若返りの泉であります。

 この水をわかした場所が
 竈門岩だとか。ほんとうでしょうか?

 ま、そういうこともあってか、竈門神社には玉依姫のほか
 神功皇后と応神天皇も祀られています。

 神功皇后が宇美町で応神天皇を産み(ウミ)
 志免町でおしめ(シメ)を換えたのだとか。

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               ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳