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2021年8月2日月曜日

鶴岡・酒田


 


 羽黒を立ちて、鶴が丘の城下、長山重行といふ武士の家に迎へられて、俳諧一巻あり。左吉もともにおくりぬ。
 川舟に乗つて酒田の港に下る。淵庵不玉といふ医師の許を宿とす。

 あつみ山や吹浦かけて夕涼み

 暑き日を海に入れたり最上川

 庄内平野は、沖積平野で中央部を最上川が流れています。その南部に鶴岡、北西部に酒田が位置しています。

あつみ山は鶴岡の南西、吹浦は酒田の北にあります。句会を開くにあたり、地元の地名をおりこんでご挨拶です。あつみ→暑い、吹浦→吹く、涼み→涼しという縁語をつかってユーモアたっぷり。

最上川をおりこんだ句は、五月雨を集めた句につづいて2句目です。いずれもスケールの大きな句で、よほど最上川の大いさに感銘を受けたのでしょう。

暑き日には、①熱い太陽のこと、②暑い一日という両説あります。②でしょうか。暑き日々も、そろそろ立秋(8月7日)が近づき、涼しい風がふきはじめています。

先に紹介したとおり、鶴岡は出羽三山に登るときに降りたった駅です。朝日連峰の縦走を終えて戻ってくる駅でもあります。人口12万人の小さな街ながら品格があります。丸谷才一や藤沢周平を輩出した街です。

藤沢周平の小説には海坂藩を舞台にしたものがいくつかあります。海坂は架空の名で、庄内藩と城下町鶴岡がモデルになっています。藤沢の代表作『蝉しぐれ』も海坂藩を舞台にしています。

『蝉しぐれ』は、跡目争いに巻き込まれる武士の苦悩を描いている点で、山本周五郎の『樅の木は残った』に似ています。ですが、原田甲斐は重臣であったのに対し、牧文四郎は下級武士のせがれであり、ガラリといろあいの異なる青春小説です。

このブログの文脈で蝉しぐれというと、どうしても閑かさやの句を思い浮かべてしまいます。芭蕉は蝉の声のなか宇宙の閑かさを聴きとりましたが、牧文四郎はなにを聴きとったのでしょうか。とまれ、ご一読くだされ。

酒田には2度訪れています。1度目は鳥海山に登ったとき。2度目は朝日連峰を縦走したあとです。後者のとき、涼しい風がふきはじめるどころか、台風が襲来して飛行機が飛びませんでした。やむなく山形新幹線を乗り継いで東京へむかうことにしました。

まずは鶴岡から山形新幹線の北端の駅である新庄をめざしました。その際の乗換え駅が余目駅でした。プラットホームを歩いていると、「おくりびと/ロケ地」のプレートがありました。

映画『おくりびと』には、芭蕉が触れた刀鍛治とおなじく、いっけん不浄とおもわれている納棺師という仕事も、人間と人生の深いところに触れる道であることが示されていました。そういえば、『蝉しぐれ』でも文四郎が父の「おくりびと」となる場面がありました。

プレートには、大悟(もっくん)の妻(広末涼子さん)が故郷に帰るシーンで、ちょうどこの場所に立っていましたとありました。そうでしたね、『おくりびと』の背景には、美しい鳥海山が聳えていました。

この日は残念ながら台風接近のためガスがかかっています。晴れていれば、鳥海が雄大な裾野を広げていたことでしょう。そして、もっくんの弾くチェロの音が聞こえてきたことでしょう。あーあのチェロの音色が聴きたくなりました。

2021年7月29日木曜日

出羽三山ー羽黒山


 (羽黒山国宝五重塔)

 (出羽三山神社@羽黒山頂)

 六月三日、羽黒山に登る。図司左吉といふ者を尋ねて、別当代会覚阿闍梨に謁す。南谷の別院に宿して、憐憫の情こまやかにあるじせらる。
 四日、本坊において俳諧興業。

 ありがたや雪をかをらす南谷

 五日、権現に詣づ。当山開闢能徐大師は、いづれの代の人といふことを知らず。延喜式に「羽州里山の神社」とあり。書写、「黒」の字を「里山」となせるにや、羽州黒山を中略して羽黒山といふにや。出羽といへるは、「鳥の羽毛をこの国の貢に献る」と、風土記にはべるとやらん。月山・湯殿を合はせて三山とす。当寺、武江東叡に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かかげそひて、僧坊棟を並べ、修験行法を励まし、霊山霊地の験効、人貴びかつ恐る。繁栄長にして、めでたき山と謂つつべし。

 羽黒三山は修験道の山岳信仰の場。羽黒山は現世の幸せを祈る山(現在)、月山は死後の安楽と往生を祈る山(過去)、湯殿山は生まれかわりを祈る山(未来)であり、羽黒三山の旅は生まれかわりの旅とされます。

羽黒三山には2013年10月に登りました。福岡からだと新潟空港まで飛行機で行き、そこから特急いなほで鶴岡駅まで。鶴岡駅から羽黒山の麓まで車で20分ほどです。

一日目は羽黒山に登り、麓の宿坊に泊まりました。羽黒山は標高414メートル、ほぼ四王寺山とおなじ高さです。

図師は、染物師。阿闍梨は、天台宗高僧の職名。権現は、仏が神の姿を借りて現れたとする神号(本地垂迹)。

能除大師は、崇峻天皇の第三皇子・蜂子皇子のこと。崇峻天皇が蘇我氏に殺害されたとき、出羽に逃げたところ、羽黒権現が示現し、羽黒三山を開いたとされます。人々の苦悩をよく除いたことから、能除大師と呼ばれました。

武江東叡は、上野の寛永寺のこと。止観は、天台宗でもっとも大切な教義。妄念を止め精神を集中し道理を悟ること。円頓融通は、円満にして偏らず、すみやかに成仏し、すべてをまんべんなく悟ること。

ここらあたりの解説は、曽良によるものでしょう(室の八島の段参照)。いまでいえば、博識なガイドつきで羽黒三山詣でをしているかんじでしょうか。

2011年3月27日日曜日

 英 彦 山



 27日、いつものメンバーで英彦山に登りました。
 ことし2度目の山会。

 福岡県の添田町と大分県の山国町にまたがり、標高1,200m
 岩崎元郎さんの新日本百名山、日本二百名山の一つ。

 「日子山」が嵯峨天皇の勅命により「彦山」
 霊元法皇の院宣により「英彦山」となったとか。

 羽黒山(山形県)大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」
 とされる霊山。
 
 ながいあいだ聖域として尊ばれ、守られてきたため
 豊かな自然が残っています。

 豊前坊→高住神社→望雲台→北岳→中岳(昼食)→英彦山神社上宮→南岳
 →材木岩→大南神社→鬼杉→玉屋神社→奉幣殿→別所駐車場のコース

 北側斜面、谷筋にはまさかのなごり雪が残っていたものの
 南側斜面、尾根筋にはマンサクが咲き、冬と春が交錯していました。

 高住神社、英彦山神社上宮、大南神社、玉屋神社、奉幣殿では
 被災地のいちにちも早い復興を祈りました。