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2024年5月7日火曜日

怪鳥会の春遠征(4)光る君誕生の地・石山寺へ

 


 怪鳥会春遠征の中日は雨予報だった。われわれは山行を観光にきりかえた。近江舞子から琵琶湖を時計まわりに一周して観音めぐりをするプラン(『星と祭』井上靖著)を推した。しかしこの日の夕方、岸和田でさる用事があったので時間が足りない。

 やむなくいま話題の「光る君へ」にちなんで石山寺詣をすることにした。番組ではちょうど吉高由里子が寺を訪れたばかりだった。

 近江舞子からJRで大津まで戻り、京阪に乗り換えた。ラッピングはもちろん「光る君へ」仕様だ。このアングルだと吉高は藤原紀香に似ている。


 京阪石山寺から雨のなか、瀬田川ぞいに南へあるいた。10分ほどで東大門。東大門でありながら、どこぞのように狭き門ではない。懐をひろげるようなデザインが石山寺の偉容と寛容を表現している。左右で仁王さんがにらみをきかせているが。


 境内に入ると、光る新緑が美しい。まさに浄土への道である。


 燈籠には、兼家・道兼の策謀で退位させられ、西国三十三所めぐりを創始された花山法王の名前が。「光る君へ」気分をいやがおうにも盛り上げる。


 石山寺は、文字どおり石山のうえに築かれた寺。石山は硅灰石の岩塊。国の天然記念物である。石さえも白く光る。


 本堂(国宝)。本尊は如意輪観世音菩薩。像は硅灰石の上に安置されている。

 石山寺は西国三十三所めぐりの観音霊場の第十三番札所である。平安時代の観音信仰の隆盛のとき、奈良の長谷、京都の清水とともに三観音として厚い崇敬を集めた。


 本堂・相の間には、紫式部が参籠したという「紫式部源氏の間」がある。いまも式部が筆をとっている。 


 月見亭。石山寺は平安時代から伝わる月見の名所。東側が瀬田川沿いに開けているためである。


 月見亭からは瀬田川・瀬田の唐橋だけでなく、琵琶湖ものぞめる。紫式部は琵琶湖に映る月影をみて、源氏物語の須磨・明石の段の着想を得たという。湖面に映る月影をみるにはやや距離がある。


 とまれ、「光る君へ」を離れても、新緑が美しく光る。


 藤も光る。普段見るものより、紫が濃い。


 ツツジはいまからだったが、その美しさを彷彿とさせた。センダンは若葉より・・もとい、ツツジは若葉より芳し。

2021年12月13日月曜日

槙尾山・施福寺参拝記

 








 講演の日は東岸和田のビジネスホテルに泊まった。駅周辺は様変わりしている。この辺りはむかし、父が勤めていた会社があったところだ。新日鉄の耐火レンガをつくる会社だった。

父の会社が東岸和田にあったため、高校2年までは岸和田で暮らした。オイルショックによる需要減退のため、大阪にあった事業所の半分くらいを閉鎖することになり、岸和田の事業所は閉鎖された。

2つ隣の泉佐野にも事業所があったので、高校3年時はそこ(日根野)で暮らした。父は一足はやく九州へ単身帰った。

それがなければ関西の大学を受験し、別の人生を歩んでいただろう。結局、九州の大学を受験し、以後、こんにちまで九州で暮らすことになった。

 講演の翌日は槙尾山に登り、施福寺を参拝した。小中学生のとき、3度ほど訪ねたことがある。一度は山中で道に迷った。人生初の山道迷いである。

厳しい山道・坂道を登らないと参拝できない。西国三十三所の4番札所である。西国三十三所めぐりはわが国初の終活ツアーだそうである。中興の祖は花山法王。花山法王もこの山中で道に迷ったらしい。

ありがたいことに諸仏は撮影可。未来の仏である弥勒菩薩が本尊で中央。左脇侍が十一面千手観音。この観音は札所の本尊である(三十三所は、観音さまの札所めぐりであるので、寺の本尊のほかに、札所の本尊があることが多い。)。

他にも、珍しい方違観音、馬頭観音もいらっしゃる。花山法王が山中で迷われた際、馬頭観音のお導きで寺にたどりついたという。足の神さまである。

展望所からは岩湧山が見えている。寺からはダイヤモンドトレイルといって、岩湧山や金剛山への道がのびている。金剛とはダイヤモンドのことだ。いずれも子どものころ登った懐かしい山々である。

寺をすこし下ったところからは、大阪平野・和泉市街、大阪平野、神戸、六甲山が見渡せた。

2021年8月17日火曜日

那谷ー白き秋の風

 

(那谷寺の奇石、笑っているよう)

(大石のうえの石山寺)

(青空に白き秋の風)

(四王寺山三十三石仏めぐり)

 さいきん、トミーファンから、いきなり「トミーの投稿はまだか」と訊かれます。ちょっとまて。その物言いは失礼でしょう。まずは毎日投稿している者に対しネギライの言葉があってしかるべきではないかろうか。それをすっとばして本音だけをぶつけてくる。そう言う態度でよいのだろうか。ブツブツ・・・(笑)。

 思いのほか小松に長居してしまいましたが、芭蕉一行はふたたび南に向かいました。

 山中の温泉に行くほど、白根が岳、後にみなして歩む。左の山際に観音堂あり。花山の法皇、三十三所の巡礼を遂げさせたまひて後、大慈大悲の像を安置したまひて、那谷と名付けたまふとや。那智・谷汲の二字を分かちはべりしとぞ。奇石さまざまに、古松植ゑ並べて、萱葺きの小堂、岩の上に造り掛けて、殊勝の土地なり。

 石山の石より白し秋の風

 那谷(なた)、ご存知でしょうか。九州人にはあまり知名度がないのではないでしょうか。でもありがたいところです。一度どうぞ。

花山の法皇はご存知でしょうか。こちらは古文で登場されました。『大鏡』「花山院の出家」として知られる段。大学受験のラジオ講座のテキストで学んだ記憶です。

藤原兼家が自分の外孫(のちの一条天皇)を即位させるため、陰謀により、花山天皇を出家・退位させます。迫真の描写でドキドキしました。

花山天皇はダマされて退位させられたのですが、その後は仏道にまい進されました。西国三十三所めぐりの中興の祖とされています。

西国三十三所めぐり、ご存知でしょうか。そういえばどこかで見たことあるなぁという感じではないでしょうか。ま、興福寺の南円堂で旗を見たことぐらいはあるのではないでしょうか。

一番札所の熊野・那智山をはじめとして、関西33か所の観音霊場を巡礼するというものです。なぜ33か所かというと観音さまが33のお姿に変身して庶民をお救いになられるからです。

キャッチコピーは「1,300年つづく日本の終活の旅」。なるほど。そろそろ旅をはじめねばという気にさせられます。

自身は、①那智山寺、②紀三井寺、③粉河寺、④槇尾寺、⑥壺阪寺、⑦岡寺、⑧長谷寺、⑨興福寺・南円堂、⑬石山寺、⑭園城寺、⑮今熊野観音寺、⑯清水寺、⑰六波羅蜜寺、⑱六角堂、⑲革堂、⑳吉峯寺、㉑穴太寺の17か寺に参ったことがあります。あと16か寺、がんばりたいと思います。

みなさんも意識はしていなかったけれども、先の興福寺・南円堂のほか、長谷寺、石山寺、清水寺、六波羅蜜寺などの有名どころは参られたことがあるのではないでしょうか。

石山寺は、琵琶湖の南にあります。大きな石の上に建てられ、名前の由来となっています。紫式部が源氏物語を書いたところとしても有名。芭蕉がのちに住まいした幻住庵もちかくにあります。

さて、三十三所の最後は谷汲山・華厳寺です。花山法皇は、西国三十三所めぐりを終えたのち、那谷を訪れ、ここで観音さまに出会います。そこで、ここは素晴らしいということで、一番の那智の那、三十三番の谷汲の谷をとって、那谷と名付けたのでした。A‐Zカードみたいなネーミングです。

このような由緒があるわりには、あまり知られていません。北陸という地の利がないせいでしょうか。それともPRが下手・・・(以下、自粛)。

石山の石より白しの句の「石山」がなにをさすかは説がわかれています。普通石山といえば石山寺のことです。写真の石もそうですが、苔むしていてあまり白くみえないので、説がわかれているのでしょうか。

秋風が白いというのもお約束です。九州人にはお馴染みの北原白秋がそうです。春は青、青春ですね。夏は朱(あか)、宮尾登美子や今野敏に『朱夏』という小説があります。冬は玄(くろ)、幻冬舎という出版社がありますが字がちがいますね。中国の五行思想に基づくもので、中国とは気候も異なると思いますが、秋の風はやはり白いと思います。

西国三十三所を九州人がめぐるのはたいへん。そこで江戸時代、博多の人たちは九州人でもめぐれる三十三所を定めました。四王寺山の三十三石仏めぐりです。甲子園の土ではないけれども、三十三所の土を持ち帰り、それぞれの観音さまに対応する石仏を設置しました。

わが事務所でも昨秋、四王寺山に登り、お参りしましたよ。コロナの終息をお祈りしました。運動不足で、青い息でした(青息吐息)。