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2024年5月16日木曜日

清・少納言って誰?(2)

 

 夜をこめて鳥のそらねははかるとも
         よに逢坂の関はゆるさじ

 夜があけていないのに、かの孟嘗君の食客のように、鶏の鳴き真似をしてだましても、逢坂の関の関守はだまされませんし、私もだまされて、すぐ戸を開けてあなたと逢ったりはしませんよ。

百人一首62番。さすが清・少納言の歌という感じ。漢文の素養がないと読み解けない。

清少納言とは、父は誰か、漢詩文の素養の由来、中宮定子のサロンとは、この歌が詠まれたいきさつ、『枕草子』とは、逢坂の関とは、かの孟嘗君とは、中宮定子と清少納言の運命、「光る君へ」・紫式部との関係等々、どこから書いてよいか迷う。が、まずは逢坂の関から



 2017年1月に訪ねた。雪が降りしきっていた。山城(京都府)と近江(滋賀県)の国境にある。

逢坂は、『日本書紀』によれば、九州ともご縁が深い神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来するという。

交通の要衝であり、現代では東海道線や国道一号線が走る。古代には、逢坂の関が置かれた。京都を守る三関(鈴鹿関、不破関、逢坂関)の一つ。

紫式部は、近江の石山寺に参籠して、源氏物語の着想を得たというのだから、行き帰りには当然この関を通過したはずである。




逢坂の関といえば、清・少納言のまえに、蝉丸の歌だ。


 これやこの行くも帰るも別れては
       知るも知らぬも逢坂の関

 これだよ、これ、これがあの、旅立つ人も、旅から帰る人も、知っている人も、知らない人も、別れてはまた逢う、逢坂の関だよ。

百人一首十番。リズミカルでなめらかな調べ。百人一首を習う際にはまっさきに覚えさせられた。謡曲『蝉丸』によれば、蝉丸は延喜帝の第4王子、盲目のため逢坂山に捨てられてしまう。

これがその逢坂の関である。蝉丸神社で参拝。蝉丸大神、猿田彦命、豊玉姫命を祀る。蝉丸大神は音曲をはじめとする諸芸道の祖神。

この日は雪が降りしきるあいにくの天気だったので、旅立つ人にも旅から帰る人にも出会わなかった。逢坂なのに残念。

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。

2022年1月13日木曜日

冬の旅(5)ー大津・長命寺

 







 29日は大津に宿泊。翌朝は、ホテルの窓から日の出がみえた。前面道を右にのぼっていくと国道1号線となり、近江と山城の境にある逢坂の関跡がある。百人一首・蝉丸の歌で有名。

 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関

芭蕉が「野ざらし紀行」で「大津に出る道、山路をこへて」つぎの句を詠んだのも、このあたり。

 山路来て何やらゆかしすみれ草

大津から新快速で東に戻って近江八幡駅で下車。前日にひきつづき西武バスの外観の湖国バスに乗る。近江八幡やヴォーリズ建築など観光スポットをスルーして長命寺をめざす。

車窓から東のほう、安土山をのぞむことができた。むかしの巡礼者は長命寺からここらへんを歩いて観音正寺に向かったはずだ。

終点・長命寺港のバス停で降りる。琵琶湖が美しい。湾をはさんで遠く三上山がこれまた美しい円錐形をみせている。

そこからは長い長い長い石段。808段もあるらしい。宝満山の難所に百段ガンギという石階段があるが、その8倍である。末広がりというより、末バテしそうだ。

前日のような雪はないが、なかなかな急勾配である。ちかくの大学生たちが5人ほど後ろから追いついてきた。こちらも負けじとペースをあげる。むこうが先に根をあげて途中休憩した。よし、勝った。いやいや、勝ち負けじゃないから。

長命寺は西国31番札所。やはり聖徳太子が開基。太子が刻んだという千手十一面観音が本尊。秘仏である。

本堂脇には「琵琶湖周航の歌」碑がある。

 西国十番 長命寺
 汚れの現世 遠く去りて
 黄金の波に いざ漕がん
 語れ我が友 熱き心

今津や彦根など湖畔で歌碑をみたことがあったが、このような山中にあるとは意外だった。ま、歌詞が長命寺のことを歌っているから当然といえばそうであるが。

境内の奥にすすむと太郎坊権現社がある。太郎坊は大天狗である。先ほどの大学生たちもあがってきた。拝殿の左手前に大きな石がある。むかしの磐座だろう。大学生のひとりが腰掛けて、雄大な琵琶湖の絶景をながめている。おそらく熱き心で。