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2023年11月5日日曜日

ブラタモリ「敦賀~すべての道は敦賀に通ず?~」

 


 ブラタモリで敦賀をやっていた。本ブログでとりあげた秀吉・家康、芭蕉・おくの細道や銀河鉄道999的世界に一切触れることはなく。

やはり「道」という観点から編集したせいだろうか。「道」という観点からすればなおさら秀吉・家康、芭蕉・おくの細道、銀河鉄道に触れてもよさそうなものなのに。監修を受けた研究者がみな畑違いだったせいだろうか。

敦賀湾から海をのぞむと水平線が見えない。つまり、北側、東側、西側の3方を海に囲まれている(すこし北上すると北西側が日本海にひらけている。)。古代から天然の良港として発達してきた。

近世では北前船が行き交い、昆布が名物となったことが番組でよく分かった。北方の昆布が敦賀で名物となったのは、近世までは日本海側が物資の大動脈だったからである。

そのことは、いちど秋田県の酒田にいけばよくわかる。酒田は庄内平野の北端にある。往時、酒田の商人は庄内平野の米を上方へ運んで巨万の富を得たのである。そのさまは、井原西鶴が『日本永代蔵』に活写したとおりである。

もちろん、その繁栄がそのままいまでもみられるわけではない。だけれども、山居倉庫として残っており、往時をしのぶことができる。さらには、吉永小百合が歩いた空気も感じられるかもしれない。

https://ameblo.jp/yu-tu-0101/image-12342041718-14106270310.html

さて幕末、列強と下関線戦争が勃発するや、京・大坂への米の搬入をどうするかという問題を生じ、敦賀から琵琶湖へむけて運河を掘ったようだ。

明治期、運河に代わり、鉄道が。新橋-横浜間と同時に計画されたというから、その重要性は明らか。

鉄道の停車場は金ヶ崎にあったようだ。『どうする家康』放映中でもあったし、秀吉・家康の退却戦のエピソードの紹介があると思ったが、なし。

鉄道から先、船はどこへ向かったかというとウラジオストック。そこからシベリア鉄道で欧州全域に向かうことができたようだ。

①日本国内から敦賀までの鉄道キップ、②敦賀からウラジオストックまでの船券、③ウラジオストックからベルリンまでの鉄道キップが1枚となったキップが紹介されていた。船便の半分くらいの日数でヨーロッパへ行けたようである。

日本からロシアを経てヨーロッパへ自由に行き来できた時代の貴重な歴史的なお宝である。いまは飛行機でされ自由に飛ぶことができない。タイトルの「すべての道は敦賀に通ず?」に「?」とあるのはこの意味でもあるだろうか?

2023年6月13日火曜日

笈の小文(2)椰子の実


  というわけで、『笈の小文』は何度か読んでいたのだけれど、いま一つ浸りきれないと思っていた。芭蕉が自分で書いたものかどうか分からないし、未定稿だし、『おくのほそ道』に比べて地の文が少なく、はなはだ読みにくいのである。

『笈の小文』に出てくる土地々も、『おくのほそ道』に比べると、発句が1句あるきりで地の文がなかったりする。伊良湖崎も、そういう意味で字面では理解しつつも、抽象的な存在であった。

ところが昨年末、恩師がここを訪ねたとSNSに投稿された。そして島崎藤村の「椰子の実」の歌碑も見学されたという。

藤村は『夜明け前』を書いたあの藤村である。藤村の「椰子の実」の歌はこう。

 名も知らぬ遠き島より
 流れ寄る椰子の実一つ
 故郷の岸を離れて
 汝はそも波に幾月
 旧の木は生いや茂れる
 枝はなお影をやなせる
 われもまた渚を枕
 孤身の浮寝の旅ぞ
 実をとりて胸にあつれば
 新なり流離の憂
 海の日の沈むを見れば
 激り落つ異郷の涙
 思いやる八重の汐々
 いずれの日にか国に帰らん

先に書いたとおり、伊良湖崎は本州の南端。南の国から鷹も渡ってくれば、椰子の実も渡ってくるのである。もしかすると、アサギマダラも渡ってくるかもしれない。

先日「ブラタモリ」で、種子島をやっていた。種子島には世界最大規模の海流である黒潮が南からやってくる。戦国時代、種子島銃を舶載したポルトガル船がやってきたのも、黒潮に流されてのことだという。

日本には南からいろんなものや文化がやって来るのだ。藤村はそれをきわめてロマンチックに歌っている。

しかしである。藤村はわがことのように歌っているが、実は椰子の実を見つけたのは、学友だった柳田國男である。柳田國男は『遠野物語』を書いたあの柳田國男。藤村は柳田から聞いた話を歌にしたてた。いまふうに言えば、藤村は柳田の経験をパクったのである。しかし、ここまで立派な歌になると、単なるパクリとはいえない。

話を戻すと、恩師の投稿をきっかけに、俄然、頭のなかを鷹や椰子の実やアサギマダラらが行き交い、伊良湖岬という名が生き生きと脈打つようになった。

かくて、旅好きとしては、是非一度尋ねてみたいと思うようになった。『笈の小文』をいま読み返している理由は、そういうことである。

2022年12月22日木曜日

安曇野@ブラタモリ

(大王わさび農場のワサビ田)
(穂高神社若宮西のケヤキ、井上靖の短編小説『欅の木』のモデル)
 
 本ブログで10月17日「立山・浄土山でご来迎に迎えられる」18日「雲上の絶景」19日「立山雄山・大汝山」20日「下山後の楽しみ」と投稿した。覚えておられるだろうか。

 http://blog.chikushi-lo.jp/2022/10/blog-post_17.html

 http://blog.chikushi-lo.jp/2022/10/blog-post_18.html

 http://blog.chikushi-lo.jp/2022/10/blog-post_19.html

 http://blog.chikushi-lo.jp/2022/10/blog-post_20.html

20日「下山後の楽しみ」では、登山の翌日、安曇野観光をしたとだけ書いた。具体的には、大王わさび農場と穂高神社を訪ねた。

そうしたら先日、ブラタモリで安曇野をやっていた。タモリが訪ねたのも同じところだった。まず、大王わさび農場。

われわれは無邪気にワサビ味のソフトクリームおいしい!などとやってきただけ。タモリはちがう。なぜ、ここにワサビ田があるのかというところからはじまる。たしかに。

ワサビは伊豆などの山間の沢でしか育たないと思っていた(石川さゆりの「天城越え」の歌詞参照)。安曇野は野というぐらいだから平野(盆地)である。

しかし農場は、わさび田湧水群の一角にある。安曇野は松本盆地の北部にあり、北アルプスの山々に降った雨が梓川や穂高川となって扇状地をつくっている。そこへやはり北アルプスに降って伏流した水が湧水となって出てきている。水清く、ワサビ田に最適となっている。

大王の名は八面大王から。大王はこの地にいたという伝説上の鬼。坂上田村麻呂に退治されたという。農場内に洞窟があり、なかにお墓がある。また神社もある。

次に穂高神社。わさび農場の西、車で10分くらいのところにある。ここにあるのは本宮(里宮)で、上高地に奥宮、奥穂高岳の山頂に嶺宮がある。日本アルプスの総鎮守である。

毎年9月27日に行われる例大祭が有名。われわれが訪れたのは、その前日9月26日。露店が並ぶなど祭礼の準備がなされていた。ブラタモリの撮影も祭礼のとき。おそらく同じころだったのだろう。ニアミス。おしい。

例大祭は御船祭である。あれ?と思わないだろうか。山のなかなのに、なぜ、御船なのか。

その答えは安曇氏は海神であるワタツミの末裔だから。記紀に出てくるという。しかも安住族の出身地は福岡の志賀島あたりとされる。

ヤマトタケルが熊襲征伐に出向く途中、筑紫で土蜘蛛が激しく抵抗したため、志我神(志賀島にある志賀海神社)を祀ったという。かくて穂高神社は福岡とも深いつながりがあるのである。

われわれが穂高岳をめざすのは、かかる古からの縁にひかれてであろうか(笑)。

2010年11月18日木曜日

 25の焦点



 きのうNHKブラタモリで
 タモリが旧岩崎邸をブラついていました。

 番組のおわりのほう
 タモリがベランダから外をみると
 旧岩崎邸の雰囲気をこわす
 近代的な鉄筋コンクリートの建物が写っていました。

 あれがわれわれの時代の司法研修所です。
 見逃したかたは再放送か
 YouTubeの「流出」映像(これはマズイか?)などを
 をご覧ください。
 
 旧岩崎邸は上野広小路の坂をのぼり
 千代田線湯島駅をすぎて右折
 湯島天神の北側、不忍池の西側辺りにあります。

 寮が千葉県松戸市・馬橋にあり
 常磐線・千代田線を利用して通勤していました。

 (残念ながら司法研修所と寮はその後
 埼玉県和光市に移転してしまっています。)

 1984年4月~7月までの4か月(前期)
 1985年12月~86年3月までの4か月(後期)
 計8か月間通い、学び?ました。

 広大な敷地はサッカーができるほど。
 修習の余暇に試合をし
 横須賀市長選に立候補した呉東正彦弁護士に
 膝蹴りをくって(競技はサッカーなのですが…)
 息が止まった思い出があります。

 旧岩崎邸と呼ばれるのは、この邸地を
 あの三菱財閥初代の岩崎弥太郎が購入したからです。

 龍馬伝にでてくる、あの岩崎弥太郎です。

 後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され
 藩の貿易に従事。
 坂本龍馬が脱藩の罪を許されて
 亀山社中が海援隊として土佐藩の外郭機関となると
 藩命を受け隊の経理を担当。
 長崎の土佐商会が閉鎖されると
 大阪で海運業に従事し、三菱商会(後の郵便汽船三菱会社)を設立。
 など
 幕末・維新の激動期
 地下浪人から大商人へとチェンジしていきます。

 そんな岩崎弥太郎がナレーターをつとめる
 「龍馬伝」が放映された2010年は
 われわれ38期司法修習生の卒業25周年でした。

 加賀・片山津温泉でひさしぶりに集合。
 なぜ加賀なのか?知りませんが
 加賀は松本清張の「ゼロの焦点」の舞台です。 

 25年前の初志を再確認するとともに
 おおくの問題を抱える現状において
 今後どのように仕事にとりくんでいくのかを
 同期と熱く語り合った周年行事でした。