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2022年12月22日木曜日

安曇野@ブラタモリ

(大王わさび農場のワサビ田)
(穂高神社若宮西のケヤキ、井上靖の短編小説『欅の木』のモデル)
 
 本ブログで10月17日「立山・浄土山でご来迎に迎えられる」18日「雲上の絶景」19日「立山雄山・大汝山」20日「下山後の楽しみ」と投稿した。覚えておられるだろうか。

 http://blog.chikushi-lo.jp/2022/10/blog-post_17.html

 http://blog.chikushi-lo.jp/2022/10/blog-post_18.html

 http://blog.chikushi-lo.jp/2022/10/blog-post_19.html

 http://blog.chikushi-lo.jp/2022/10/blog-post_20.html

20日「下山後の楽しみ」では、登山の翌日、安曇野観光をしたとだけ書いた。具体的には、大王わさび農場と穂高神社を訪ねた。

そうしたら先日、ブラタモリで安曇野をやっていた。タモリが訪ねたのも同じところだった。まず、大王わさび農場。

われわれは無邪気にワサビ味のソフトクリームおいしい!などとやってきただけ。タモリはちがう。なぜ、ここにワサビ田があるのかというところからはじまる。たしかに。

ワサビは伊豆などの山間の沢でしか育たないと思っていた(石川さゆりの「天城越え」の歌詞参照)。安曇野は野というぐらいだから平野(盆地)である。

しかし農場は、わさび田湧水群の一角にある。安曇野は松本盆地の北部にあり、北アルプスの山々に降った雨が梓川や穂高川となって扇状地をつくっている。そこへやはり北アルプスに降って伏流した水が湧水となって出てきている。水清く、ワサビ田に最適となっている。

大王の名は八面大王から。大王はこの地にいたという伝説上の鬼。坂上田村麻呂に退治されたという。農場内に洞窟があり、なかにお墓がある。また神社もある。

次に穂高神社。わさび農場の西、車で10分くらいのところにある。ここにあるのは本宮(里宮)で、上高地に奥宮、奥穂高岳の山頂に嶺宮がある。日本アルプスの総鎮守である。

毎年9月27日に行われる例大祭が有名。われわれが訪れたのは、その前日9月26日。露店が並ぶなど祭礼の準備がなされていた。ブラタモリの撮影も祭礼のとき。おそらく同じころだったのだろう。ニアミス。おしい。

例大祭は御船祭である。あれ?と思わないだろうか。山のなかなのに、なぜ、御船なのか。

その答えは安曇氏は海神であるワタツミの末裔だから。記紀に出てくるという。しかも安住族の出身地は福岡の志賀島あたりとされる。

ヤマトタケルが熊襲征伐に出向く途中、筑紫で土蜘蛛が激しく抵抗したため、志我神(志賀島にある志賀海神社)を祀ったという。かくて穂高神社は福岡とも深いつながりがあるのである。

われわれが穂高岳をめざすのは、かかる古からの縁にひかれてであろうか(笑)。

2022年11月23日水曜日

淡路島へ



  ワールドカップ、日本がドイツに勝った。ベッケンバウアーが活躍していた時代を知る世代としては、隔世の感がある。だれかどこかの王様に頼んで、きょう一日休みにならないだろうか。

・・・さて、休みになりそうもないので、旅をつづけよう。徳島のつぎは淡路島にむかった。淡路上陸は初である。

淡路は阿波へ行く道の意味だ。都から徳島へ行くほうが正順だろう。こんかいは逆順である。淡路島は日本列島で最初にできた島である。と日本神話にある。

 ・・そこで地上に戻って、前と同じように天の柱の回りを廻った。
 そしてまずイザナキが(筆者注、前回とは逆の順で)、
 「ああ、なんていい女なんだ」と言い、それに続いてイザナミが、
 「ああ、なんてすてきな男」と言った。
 こう言い終えてから性交を行った。それによって生まれたのが、
 淡道之穂之狭別島(アハヂ・ノ・ホノサ・ワケのシマ)、次が
 伊予之二名島(イヨ・ノ・フタナのシマ)。・・(『古事記』池澤夏樹訳・河出書房)。

淡路の次に生まれた二つ目の島は四国である。身は一つだが顔が四つあった。それぞれ名前があって、それが愛媛、讃岐、粟(阿波)、土佐である。

ちなみにその次が隠岐で、その次が筑紫島(ツクシのシマ)である。この島にも四つの顔があり、それが筑紫、豊、肥、熊曾である。いうまでもなく、わがちくし法律事務所の名はこの古事に由来する。

さてクイズ。淡路島は何県でしょう?江戸時代には阿波の蜂須賀家が淡路を領していた。が、お家騒動があり、廃藩置県では徳島県ではなく兵庫県に編入されてしまった。

単なる歴史的事実のようだが、そうではない。テレ朝で「路線バスの旅」という番組をやっているがご存じだろうか。あれをみていればわかるが、路線バスは都道府県ごとに路線が設定されている。

徳島県から兵庫県へむかう路線バスはない。路線バスの旅だから高速バスを利用することもできない。しかたなく県境を歩きなど他の方法で突破することになる(番組では)。

わが旅のよいところは高速バスが利用できることである。高速バスを利用して、徳島から兵庫県の本州側(明石海峡大橋の北側)にある舞子をめざした。途中、鳴門海峡にかかる鳴門大橋を渡る。

鳴門はいわずとしれた渦潮の名所である。「門」は水門、つまり海峡の意味だから、音が鳴り響くほど渦潮がはげしい海峡という意味だ。

 夜中ばかりに船を出だして、阿波の水門を渡る。夜中なれば、西東も見へず。
 男女、からく神仏を祈りて、この水門を渡りぬ。・・・

紀貫之が女と称して書いた『土佐日記』の一節。土佐国主(知事)の仕事を終え、京へ帰る道中。鳴門を通過しなければならない。平安時代は難所だった。

難所なのに、なぜ夜中に船を出したのだろうか。危ないではないか。思うに、鳴門の渦潮は潮の干満によって引き起こされる。満潮と干潮だから1日2回である。満潮の際には太平洋側から瀬戸内海側に潮が流れ込み、鳴門海峡を潮が南から北へ流れる。それが渦を引き起こす。干潮のときは逆である。おそらく貫之が帰朝したときは、夜中であれば渦潮が発生しない時期だったのだろう。

潮の干満は太陽や月の引力により引き起こされる。であれば、太陽や月がわれらの上空にくれば満ち、地球の反対側にまわれば干きそうなものだが、そうではないらしい(以下、文系のぼくには理解不能。なお、本ブログにおける理系の知識は全般的に不正確である。それを言えば文系知識もそうであるが。ともかく最後は自分で確認してくだされ。)。

大島真寿美の直木賞受賞作に『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(文春文庫)がある。人形浄瑠璃作者の近松半二の生涯を描いたもの。渦には激しい波乱のイメージがある。

かかる難所であるが、いまは鳴門大橋でひとまたぎである。この日、高速バスが鳴門大橋を通過したのは午前11時ころ。10時10分ころをピークとする南流の残影があったはずだが、残念ながら、バスの車窓からは見えなかった。

しばらくはバス旅。淡路島デカい。地図をみて抱いていたイメージとは大違いだ。どこまでも畑が広がっている。食材の宝庫だけある。いうまでもなくタマネギが有名である(写真1)。ワールドシェフ王料理大会なども開催されているようだ。

明石海峡を渡り、舞子の高速バス停で降りる。明石海峡大橋上部の連絡橋を反対側にある高速バス停へ行く。そして路線バスに乗り換えて、ふたたび淡路島に戻る(逆行)。

舞子の連絡橋から明石海峡とその向こうの淡路島をのぞむ(写真2)。海峡が逆光を反射して美しい。

 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守 源兼昌

2021年12月26日日曜日

週末反芻読書

 



 いよいよ歳末。うちの事務所も仕事はきょうまで。あすは大掃除、今年の総括会議、望年会の予定です。ご用のかたは今日中に。

この間旅がおおかったので、週末は反芻読書。それぞれ、どの旅の、どの名所と関係あるか分かりますか。

まず『古事記』。日本文学全集1。池澤夏樹訳。解題は三浦祐之。三浦しをんの父。これは古市古墳群の1つ目、白鳥古墳の関係。ヤマトタケルノミコトが白鳥となって羽を曳いて飛んでいったというところです。

創世記のカインとアベルは兄が弟を殺しますが、ヤマトタケルは兄を殺します。これを恐れた景行天皇は彼にたいし熊襲や出雲、さらには東国の平定をもとめます。そこからかれの冒険がはじまります。古事記のなかで、もっともビビッドな部分。

つぎに『西国三十三所めぐり』。これは壺阪寺、長谷寺、槇尾山・施福寺、葛井寺にいったため。表紙は長谷寺の本尊十一面観音。10メートルを超える巨像。特別拝観により、特別に下から仰ぎ見つつ、足をお拭いすることができました。

『平家物語』は旅と直接の関係はありません。道明寺訪問をきっかけに『菅原伝授手習鑑』を読み、その流れで『義経千本桜』を読んだため。その原作の確認です。

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』もそう。おなじ本で近松門左衛門の『曽根崎心中』、『女殺油地獄』を読んだため。門左衛門の弟子にあたる近松半二が『妹背山婦女庭訓』を書き上げるまでの物語。また大阪まで文楽をみにいきたくなりました。

活字読書でつかれたら、岩合光昭さんの『ねこの京都』。表紙は河井寛次郎記念館のあのネコです。訪問したときは書斎で丸まってましたが、この写真はスリムでまだ若いころ。

かくて神話の時代から、古代、平安、鎌倉、江戸、明治、現代までをタイムトラベルしたのだニャ。

2021年12月14日火曜日

古市古墳群訪問記

 






 槙尾山の翌日は、古市古墳群を訪れた。大阪平野の中央部に、百舌鳥・古市(モズ・フルイチ)古墳群がある。堺に百舌鳥古墳群、羽曳野市・藤井寺市に古市古墳群が分布している。

4世紀後半から6世紀前半にかけて、この地域に古墳が200基も作られた。2年前に世界遺産に登録されている(1番上の写真)。

200基もあるので、とても一日ではまわれない。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のある百舌鳥古墳群のほうが有名であろう。が、道明寺や葛井寺にも寄ってみたかったので、古市古墳群のほうをまわることにした。

JR天王寺から近鉄阿部野橋に向かう。近鉄南大阪線に乗り、古市で降りる。藤井寺、土師ノ里、道明寺、どこからでもまわれるのであるが、たまたま急行が先発だったので古市で降りた。

古市は羽曳野市だ。羽曳野の名は古代の英雄ヤマトタケル(日本武尊)に由来する。死後、白鳥となってこの地に舞い降り、天高く飛び去ったようすが「羽を曳くが如く」だったという(古事記、日本書紀)。

古代の官道である竹内街道が市内を東西に貫いている。源平合戦などで源氏というときは、河内源氏のことをいうが、ここは河内源氏・頼信の本拠地でもある。

駅前を西に向かう。白鳥の交差点を南に折れ、竹内街道を西に折れる。入口に「日本武尊御陵参拝道」の石柱がたっている(2番目の写真)。

まもなく白鳥陵古墳。先のヤマトタケル伝説から羽曳野市の名前の由来となったもの。住宅地のなかにあり、のどかだ(3番目の写真)。

日本最初の歴史書は古事記と日本書紀。8世紀初めに編纂された。それより前は歴史ではなく、中国の魏志倭人伝などの断片的記載を除き、口承や考古学の時代である。

ヤマトタケルが活躍した時代を西暦に機械的に換算すると1世紀らしい。白鳥陵古墳が築造されたのは古墳時代中葉だから5世紀ころか。300~400年のズレがある。

古事記や日本書紀が編纂された時代からみて300年前のことである。われわれからみて江戸時代中期の話である。よく分からないというのがほんとうのところだろう。

白鳥の交差点まで戻り、北(市役所方面)へ向かう。左手に墓山古墳がある。ミズナラだろうか、茶色く黄葉している(4番目の写真)。

さこから北東をめざすと誉田御廟山古墳がある。実際の被葬者は明らかでないが、またの名は応神天皇陵だ。

外濠部が畑に浸食されたりしていて測るのが難しいが、墳丘長は約420メートル。大仙陵古墳に次ぐ大きさであり、日本第2位の大王陵である。大きすぎて、ドローンでも飛ばさないかぎり、地上からでは一枚の写真におさまりきれない(5番目の写真)。

写真はかろうじて前方部の一角(北西角)が写っている。奥の方、後円部ははるかかなただ。右奥は二百名山の金剛山。前方部は山を指している。まるで、山をめざせという指示アイコンのようだ。

さらに北に行くと古村(室)山古墳がある(6番目の写真)。誉田御廟山古墳は柵があって立入禁止だったが、こちらは立入自由で公園になっている。親子が球技をして遊んでいる。被葬者もこのほうが毎日楽しいのではなからろうか。

そこから西に行くと、岡ミサンザイ古墳(7番目の写真)。これも実際の被葬者は明らかでないが、仲哀天皇陵に治定されている。

仲哀天皇はヤマトタケルの子、また神功皇后の旦那さまである。そのため、香椎宮に祭られていたりして、九州ともご縁がある。

2012年12月6日木曜日

物語のつながりとかさなり





三浦さんの『神去なあなあ夜話』は
村の創世神話からはじまり

これまでそこに生きてきた人たちの息づかいが
めんめんとつながっている物語。

それら神話や物語によると
神去山の神はオオヤマツミ。

そのブ○でないほうの娘が
木の花咲くや姫。

木の花咲くや姫は
天孫ニニギの妻。

村の人々はそれら神々を
いまもなお畏れ敬っているのだ。


木の花さくや姫ときいて
おや,とおもう?

さいきん出てきた。
どこだったっけ?

そう,芭蕉が『おくのほそ道』で
室の八島明神を訪ねた段。


 同行の曽良いはく,室の八島の神は
 木の花咲くや姫の神と申して,富士一体なり。

 無戸の室に入って焼きたまふ,誓いのなかに
 火々出見(ホオリ)の尊生まれたまひし。

 これにより
 室の八島と申す。


木の花咲くや姫は
富士山の神さま(浅間神)とされる。

室の八島明神の神さまは
やはりこの姫だというのだ。


芭蕉らが江戸を出るとき
富士の峰がかすかに見えていた。

室の八島(栃木県)で
曽良の解説を聞いた芭蕉の脳裏には

富士のイメージのつながり
があったろう。


コノハナサクヤ姫はニニギと結ばれて
たった一夜で懐妊してしまった。

ために,ニニギに疑いをかけられ
これをはらす必要に迫られた。

そこで出口のない(無戸の)部屋に入り
火をかけた。

言っていることが嘘なら焼け死ぬし
ほんとうであればそうならない。

むかしは近代的な裁判制度がないので
こんな形で真否を占ったわけです。

結果,姫はみごとに生還
証言の真実性が証明されたのだった。

すなわち
懐妊した子はニニギの子。

火のなかから生まれたのは3子で
うち2人は有名な海幸・山幸だ。

この神話上のエピソードから
室の八島(竈のこと)と呼ばれているわけ。


と,曽良が芭蕉に解説した。
さらに

 また煙をよみならはしはべるも
 このいはれなり。

と,うんちくを語る。
これは藤原実方の歌を指す。

  いかでかは 思ひありとも 知らすべき
              室の八島の 煙ならでは

コノハナサクヤ姫が室に火をかけた
エピソードを踏まえている。


また,このしろという魚を禁ず
というしきたりもあるという。

このしろを焼くと人体を焼くような悪臭がすることから
姫のエピソードを踏まえ,食を禁じられているのだとか。

江戸時代のことゆえ
「この城を喰う」というダジャレと関連も指摘されている。


芭蕉は江戸出立時の富士のイメージを再起しつつ
神話からこんにちまでの物語のつらなりを記す。

そのうえで
縁起の旨,世に伝ふこともはべりし,と結ぶ。


神去山の神さまはオオヤマツミで
姫の父だから,さらにえらい話だ。

三浦さんも,オオヤマツミから現代にいたる
神去村の物語のつらなりを語っている。

そうとすれば,ふたつの作品は
共通の構造をもっているわけだ(強引か?)。


三浦さんの父は三重県出身で
立正大学教授の三浦祐之氏。

『口語訳 古事記』(2002年)
がベストセラーになっている。

神去村の物語に父娘の物語の層も
隠れているのでせう。