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2022年12月6日火曜日

大宰府政庁跡・四王寺山お鉢めぐり(1)

 



 
 四王寺山歩きは、だいたい大宰府政庁跡からスタートする。いまの行政区である太宰府市という場合は「太」を使うけれども、昔の行政区である大宰府をさす場合は「大」である。ちなみに「宰」はつかさどるという意味。大きくつかさどるのか、太くつかさどるのか。

いつもは南の朱雀の入口側から、四王寺山を背にした正殿跡側をのぞむ。けれども、この日は横から記念碑と西の藏司丘陵側をのぞんでみた。背後は月山丘陵。その影が前面を覆っている。藏司丘陵に日が当たってクローズアップされ、海に浮かぶ島のようだ。

九州は北部もだいたいシイ・カシの常緑広葉樹林帯だ。常緑広葉樹はまたの名を照葉樹という。香椎照葉はこれからきている(と思う。)

常緑樹(照葉樹)は冬も葉が落ちない。葉の表面がツルツルしていて、日光を反射して照るので照り葉。表面がクチクラと呼ばれる脂質ポリマーでキューティクルされている(クチクラとキューティクルは同じ語源)。

人の手が入っていないところはシイかカシの樹ということだ。冬も暗いめの色の緑の森を形成することになる。

大宰府政庁跡の西側の側道には、桜が植えられている。桜は落葉樹だ。春だけでなく秋の紅葉も楽しめる。路側にはすでに落葉がたまっている。東側から日が差し込み、路がゼブラ模様になっている。

西側の側道を北に詰めると、政庁跡の北西角に神社がある。令和の名の由来となったといわれる坂本神社である。大伴旅人が梅花の宴を催した大宰府の長官屋敷跡と推定されている地の一つ。発掘調査の結果は否定側に傾いているようだ。

その前をさらに北に進むと、四王寺山の登山道となる。途中で右に入ると岩屋城跡を経るコースもある。しかし、この道をまっすぐ登る。

途中、沢を登るところもあり、変化に富んでいる。四王寺山にはいくつも登山道があるのであるが、このコースは登りに利用するとよいだろう。下りだと、沢の部分は足下に注意が必要だ。

土塁のあるところまで登りつめると、そこからは稜線の周回路となる。いわゆるお鉢めぐりだ。周回路の両側の樹が道を覆い、トンネルのようになっている。ここでも日がまだらに射し、美しい樹影を見せている。

お鉢めぐりの周回路はよく踏まれていて、楽しい山歩きが楽しめる。ただし、ところどころ注意をしないと、いつのまにか意図したところとは違うところへ出てしまう。

周回路にはところどころ展望所が用意されている。南向きの展望所からは筑紫野や大野城市の市街が広がっている。その向こうには天拝山、九千部山、そして背振の山塊をのぞむことができる。そして青空。東側はレースのような薄雲がかかっている。開放感にすかっとする。

四王寺山は標高が400m程度なので、稜線部もだいたい常緑樹林帯がつづく。しかし、北側の小石垣城門跡から先まで行けば、紅葉が楽しめる。一つの枝の葉が、緑から黄色、橙・オレンジ、赤ととりどりに変化して美しい。そして一部に日が射し、部分的に輝かしている。

2021年10月20日水曜日

歩く瞑想(2)

 

 歩く瞑想といっても、目をつぶって歩くわけではない。五感をフル稼働させて、自然と交流しよう。大宰府政庁跡、空も大地も開放感がすばらしい。背後は四王寺山である。日本が白村江の戦いに敗れたあと、古代山城である大野城が築かれた。

 政庁の左奥には、令和の里として有名になった坂本神社がある。梅花の宴が催された大宰府長官邸跡と推定される場所の一つである。坂本神社の裏手には、古木が一つ残されている。蔦類にまとわりつかれているのか、間貸ししているのか。


 政庁のまわりは水路があり、セキレイのカップルが仲良く遊んでいる。ご先祖はイザナギとイザナミに性交の仕方を教えたという栄誉を与えられている。夫婦仲がよいのとしぐさが由来だろう。

 
 坂本神社のまえを四王寺山に向かうと登山口がある。しばらくいくとクサギの実がなっている。森の宝石のようだ。だが名前のとおり、葉をさわると臭い。美しいけれども臭い、人間でもそういう人がいる。つきあいが難しい。

 四王寺山は円錐ではなく、お鉢のようになっている。ぐるっと一周しよう。お鉢めぐりという。稜線にはツワブキがたくさん咲いている。ツワブキを見ると、いつも妻夫木聡→ロトセブンを連想してしまう。もうちょっと仕事を選べないものか。

 などと考えていたら、アサギマダラが優雅に飛来した。南は南西諸島から北は新潟あたりまで、長距離の渡りをすることで知られている。2~3週間まえには、フジバカマに群れていた。もうみな南の島に渡ってしまったのではないか。迷子かな。

 お鉢のうえには、たくさんの石仏がまつられている。三十三の観音様だ。観音様は三十三のお姿に変化し、迷えるわれわれを救ってくださる。こちらは千手観音様。
 
 山頂稜線からの眺め。正面は天拝山。道真公が都への帰還を祈った。すぐ下に大宰府政庁跡も見えている。よく見れば、左手にわが事務所も見えているはずだ。
 
 すこし下ると、岩屋城跡がある。高橋紹運が島津軍を迎え撃ち、玉砕した場所。兵どもが夢の跡だ。街中にある緑が水城跡だ。大野城から延びる尾根に接続している。右手の博多湾から攻めてくるであろう、新羅・唐の連合軍に対する備えだ。

 下山すると、観世音寺・戒壇院の裏に戻る。コスモスが揺れている。コスモスは秩序と調和の象徴だ。歩く瞑想により、心にコスモスを回復できれば、ありがたい。

2021年2月8日月曜日

1300年前の福岡県知事は?

 


いまの福岡県知事は小川洋知事。
では1300年前の福岡県知事はだれでしょう?

正解は山上憶良。
当時は福岡県ではなく筑前国、役職は守(かみ)。

令和ゆかりの梅花の宴に参宴しています。
宴がどこで催されたのか?坂本神社以外にも比定地はあるようです。

彼が詠んだ妻をしのぶ歌が伝わっています。
もちろん万葉集に。

大野山霧立ち渡るわが嘆く
  息嘯の風に霧立ちわたる

大野山はいまの四王寺山
歌碑の背景にやさしくたたずみ、いまもわれわれを見守ってくれています。

なお、四王寺山のうえには昔、朝廷の倉が並んでいたようです。
焼き米が原には、炭化した米がいまでも見つかります。

ん?朝廷の倉というと、御倉?
山のうえの御倉?・・・そうなのか?