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2024年2月14日水曜日

『使える禅』

 

 『使える禅』(曹洞宗住職桝野俊明監修・朝日新聞社刊)。京都国立博物館「東福寺展」のグッズコーナーで購入した。

「東福寺展」を鑑賞することにより、禅・禅宗に関するバラバラな知識が集約され体系的な理解がうながされたことは先述のとおり。さらに、この本を購読することで、その理解が深まった。

栄西は喫茶の習慣を日本にもたらし、喫茶の週間はわれわれの朝食から夕食まで日常一日の生活の隅々までインプットされている。

おなじく禅の考え方も、われわれの生活のあちこちに染みこんでいると感じた。まず「主人公」にはじまり「日々是好日」まで、われわれが普段禅とは無関係と思って使っている言葉が禅語であることに驚く。

禅の最大の特徴は「禅即行動」。「身体での実践」を重視している。まずは「調身、調息、調心」。身(姿勢)を調えれば息が調う。息が調えば心も調う。

過去や未来でなく「いまここ」「自分がやるべきこと」だけに集中する。過去は変えられない。失敗や恥ずかしいことは何度考えてもモヤモヤする。未来は考えれば考えるほど不安になる。一番よいのは「いまここ」に集中して「自分がやるべきこと」をひとつずつ実践していくことだ。

高校時代の校長先生が朝礼で「稲刈りで重要なことは目の前の稲束に集中することだ、田全体をみわたすと気が遠くなりやる気が失せる」とおっしゃっていた。

弁護士の顧客に多いのは「いまここ」に集中できず、過去や未来について堂々巡りをして悩んでいる人たちだ。

そのような人たちの注意を「いまここ」に引きつけ、いまやるべきことを一つずつ実践していただく。われわれの仕事をいいかえれば、そういうことだ。校長先生のお言葉をお借りすることも多い。

一度しかない人生、心を強く持ち、「今」なすべきことだけに全力を傾けられる自分を身体の実践「行」を通して作る。このような考え方は、禅を学んだわけではないが、自分も日々実践しているところだ。

修行を通じて悟りに至る。修行で重視されているのは坐禅と禅問答。前者を重視するか、後者を重視するかで、臨済宗や曹洞宗といった流派の違いとなる。

しかし日常生活の行いすべてが修行となる。自分は山歩きは歩く禅だと考えてきた(禅のことは知らないままに)。

禅のもとの意味は「静慮」。心を集中して正しく思惟するため坐禅を組むこと。坐る禅だけでなく、歩く禅でも、心を集中して正しく思惟することができるのではないだろうか。

2023年12月14日木曜日

東福寺展@京都国立博物館

 





 スタバのあと。そうだ、東福寺展@京都国立博物館へ行こう!ということで、でかけた。

紅葉が残る時期だったのでリアル東福寺へも行きたかったが、インバウンドが回復した京都は京都駅からしてすでにすごい雑踏。東山に並ぶ観光寺院の周辺はとてもとても。紅葉というより人々の頭を拝見することになりそうだったので、あきらめた。

京都国立博物館はほんとうにひさしぶりだ。高校時代に訪れたことははっきりしているが、社会人になってからは1,2度だろうか。

東福寺は、奈良の東大寺と興福寺の二文字をとって名付けられた鎌倉時代の大寺院。いまもすごい大きさだが、当時はもっとすごかったのだろう。

禅宗(臨済宗)寺院である。こんかいの展示を拝見して、東福寺と禅宗のことがよくわかった。

これまで東福寺は5回以上訪れている。が、重森三玲(岸和田城の石庭でご縁がある。)の作庭とかは嘆賞しても、このような理解がなされることはなかった。

東福寺は、1236年、摂政九条道家の発願。上皇を中心とする京都勢が武家の鎌倉勢に敗れた承久の変が1221年であるから、その後のことである。

日本史の教科書では、それ以後、武家の世となる。けれども、その後においても、公家がこのような巨大な大寺院を建立する経済と政治力をもっていたことに驚かされる。

開山は禅僧の円爾。同じ臨済禅を伝えた栄西ほど知られていない。日本史の教科書に記述がなかったかもしれない。けれども、中国・宋で禅の修行をし、南宋禅林の巨匠であった無準師範から法を嗣いだ。

禅を創始したのは面壁9年にして悟りを得たダルマである。ダルマは中国に渡り、禅宗を開いた。弟子たちによって代々受け継がれた。

中学の美術の教科書だったか、切断した腕を差し出す慧可が描かれていたが、かれが2代目である。以降も系図がはっきりしている。したがって、巨匠であった無準師範から法を嗣いだ円爾も栄西に負けず劣らない(かもしれない)。

かれは日本に帰国する際まず博多に上陸した。そして大宰少弐・武藤資頼(太宰府に墓が残る。)に依頼され承天寺を創建した。いまも博多区に伽藍が残る。

承天寺には宝満山の麓にも別院が存在する。宝満山に登り、うさぎ道を竈門神社方面へおりる。内山城跡をみて、すこしくだると右手に山門がある。

円爾は、その後上洛して、東福寺を開山した。その後も、円爾と師の無準との交流は途絶えることなく、手紙や書などの交流を欠かさなかった。いまもむかしも変わらぬ、仰げば尊し我が師の恩・・。

などなど学ぶことができた。

2021年10月20日水曜日

歩く瞑想(2)

 

 歩く瞑想といっても、目をつぶって歩くわけではない。五感をフル稼働させて、自然と交流しよう。大宰府政庁跡、空も大地も開放感がすばらしい。背後は四王寺山である。日本が白村江の戦いに敗れたあと、古代山城である大野城が築かれた。

 政庁の左奥には、令和の里として有名になった坂本神社がある。梅花の宴が催された大宰府長官邸跡と推定される場所の一つである。坂本神社の裏手には、古木が一つ残されている。蔦類にまとわりつかれているのか、間貸ししているのか。


 政庁のまわりは水路があり、セキレイのカップルが仲良く遊んでいる。ご先祖はイザナギとイザナミに性交の仕方を教えたという栄誉を与えられている。夫婦仲がよいのとしぐさが由来だろう。

 
 坂本神社のまえを四王寺山に向かうと登山口がある。しばらくいくとクサギの実がなっている。森の宝石のようだ。だが名前のとおり、葉をさわると臭い。美しいけれども臭い、人間でもそういう人がいる。つきあいが難しい。

 四王寺山は円錐ではなく、お鉢のようになっている。ぐるっと一周しよう。お鉢めぐりという。稜線にはツワブキがたくさん咲いている。ツワブキを見ると、いつも妻夫木聡→ロトセブンを連想してしまう。もうちょっと仕事を選べないものか。

 などと考えていたら、アサギマダラが優雅に飛来した。南は南西諸島から北は新潟あたりまで、長距離の渡りをすることで知られている。2~3週間まえには、フジバカマに群れていた。もうみな南の島に渡ってしまったのではないか。迷子かな。

 お鉢のうえには、たくさんの石仏がまつられている。三十三の観音様だ。観音様は三十三のお姿に変化し、迷えるわれわれを救ってくださる。こちらは千手観音様。
 
 山頂稜線からの眺め。正面は天拝山。道真公が都への帰還を祈った。すぐ下に大宰府政庁跡も見えている。よく見れば、左手にわが事務所も見えているはずだ。
 
 すこし下ると、岩屋城跡がある。高橋紹運が島津軍を迎え撃ち、玉砕した場所。兵どもが夢の跡だ。街中にある緑が水城跡だ。大野城から延びる尾根に接続している。右手の博多湾から攻めてくるであろう、新羅・唐の連合軍に対する備えだ。

 下山すると、観世音寺・戒壇院の裏に戻る。コスモスが揺れている。コスモスは秩序と調和の象徴だ。歩く瞑想により、心にコスモスを回復できれば、ありがたい。

2021年10月19日火曜日

歩く瞑想


  戒壇院の掲示板、よくみると右上に座禅の案内が貼ってある。座禅の効能は、心を落ち着け、不安や悩みがクリアになることだ。

人生に、山あり谷あり。ときには自分だけで心をコントロールできず、宗教の助けが欲しくなることもある。しかし入信するとなると、あらたなしがらみが厚くなりそうだ。そこで宗教色を脱して、瞑想やヨガにより同様の効果を得ようとするようになった。それがマインドフルネスだ。

ところで山歩きにも、そのような効果がある。空海をはじめ行者が山々をめぐって修行したのは、そのような効果を期待してのことだろう。

過去でも未来でもなく、現在に注意を向ける。いま・ここで起こっている事実を客観的に観察するよう努める。そうすると、将来の不安や悩みなどネガティブな感情に振り回されにくくなる。

などと言うとむずかしい。しかし、くよくよするなとか、気持ちを切り替えろとか、子どものころから言われてきたことだ。ただ、単にくよくよするなとか言われても、どうしていいか分からない。くよくよしないようにしようと思っても、ついついネガティブな場面、ネガティブな感情にとらわれてしまう。

そんなかた、戒壇院に参禅する勇気がなければ、裏の四王寺山に登りましょう。歩く瞑想効果が得られますよ。人生に、山あり谷あり。ただし迷走しないように。

2021年10月18日月曜日

天気予報が外れた日には


 「週末はまとまった雨が降るでしょう。」と栄作さんが言っていたので、先週末は遠出の計画をとりやめて、家ですごすつもりにしていた。ところが朝起きると晴れ間が広がっていた。栄作さん、またですか。

栄作さんの漢字がこれでよかったかなとグーグルさんに尋ねようとして、「天気予報 栄作」と打ち込むと、予測変換候補のなかに「天気予報 栄作 当たらない」というのがあった。ははは。

やむなく急遽、大宰府政庁跡ふきんから四王寺山まで散策することにした。いつもの定番コースである。

菩提樹の花のころ以外は素通りする戒壇院だけれども、あるポスターが目をひいた(このままでは小さいので、写真をクリックして拡大してくだされ)。そう、左端のポスターである。

真ん中に七色の丸が描かれ、上から時計回りに、五、隹、足、矢の4つの漢字というか、その一部が書かれている。さて真ん中にくる漢字は何?

答えは、口。そう、それぞれの漢字の一部に口の字をあてはめれば、吾、唯、足るを、知る、となる。有名な竜安寺のつくばいで知っている人も多かろう。知らない?こんど竜安寺に行ったときに、注意して見物してくだされ。

先日、ヘミングウェイの身体性のところで、マインドフルネスや禅の考え方との共通性を書いた。その際、禅の考えに関するこの点にも触れた。そのため、いつもは目をひかないポスターに視線が吸い寄せられたのである。

 若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は即ち富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すといえども、安楽なりとなす。不知足の者は富むといえども、しかも貧し。不知足の者は常に五欲のために牽かれて、知足の者のために憐憫せらる。是を知足と名づく(遺教経)。

計画していた遠出はできなかったが、健康に散策ができることに、心から満足することができた。おかげさま。幸せだ。

2021年10月14日木曜日

目のまえの稲を刈れ


  いまもまだヘミングウェイを反芻している。読書力・鑑賞力にすぐれているわけではないので、すぐれている人たちの頭を借りる必要がある。

ゼネコンだって、自社だけでビル1棟を建てているわけではない。他社に外注しながら工事を進めているのである。・・参考書を読むいいわけとしては、いささかおおげさか。

なにごともそうだけれども、ある極端から逆の極端へ振れながら前進していく。それまでの時代は、理性や言語の存在が自明のことであり、絶対的に信頼されていた。

ヘミングウェイの時代は、逆サイドにスイングし、理性や言語に懐疑を投げかけた。

フロイトが発見した無意識が最大だろうけれども、ウィリアム・ジェイムズが提唱した意識の流れもすくなからぬ影響を世に与えた。

それまで人間の意識は静的・スタティックなものと考えられていたけれども、動的・ダイナミックなものでありたえず流れているものだという。コロンブスの卵。言われてみれば、あたりまえだ。

これを文学に応用したのが、意識の流れや内的独白の手法だ。ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で使用されている。

ぼくはきのうの出来事について考えていた。あのとき、なぜ、ぼくは彼女に告白できなかったのか・・・。ふつうは、このような書き方だ。地の文と頭のなかの思考の境界ははっきりしている。読みやすい。

スタバでコーヒーを飲む。舌をヤケドした。人間の体はなぜかくも脆弱なのか。心もそうだ。彼女がなんだっていうんだ。あれ、あの娘は彼女かな。ちがった。それにしても似ているな。後ろ姿、特に髪の色がそっくりだ。・・・。意識の流れ・内的独白だと、こんなかんじ。地の文と心のなかのことが説明もなく接続されるので、まことに読みにくい。

修業時代のヘミングウェイを教育した一人はガートルード・スタイン。彼女はラドクリフ出身で(われわれの世代で、ラドクリフというと『ある愛のうた』を思い浮かべてしまう。)、そこでウィリアム・ジェイムズの講義を受けたのだという。ウィリアム・ジェイムズはプラグマティズムの本しか読んだことがなかった。このような人的なつながりを示されると新鮮だ。

さて、理性や言語に懐疑を投げかけたヘミングウェイは、どうしたか。身体性を重視した。身体性を重視すると、頭でいろいろ考えず、いま・ここに意識を集中することになる。

ヘミングウェイの作品は、都会にあるスタバで知的な会話をするのではなく、戦争、釣、闘牛、猟など野性的・非人間的な環境下で身体性があらわになる行動をすることになる。

苦難に直面したとき、人は将来の不安を考えがち。うちに来られる相談者や依頼者も、将来の不安の大きさを自力で抱えかねている。思考があちこち拡散してしまい、うまく苦難に対処できていないことが多い。

こういうときに、どうすればよいのか。

 いま考えられることってあるか、と老人は思った。何もない。何も考えずに、次に襲ってくるやつを待つ。それしかない。(『老人と海』)

せっかく釣り上げた獲物の大きなカジキを横取りしようと、サメがつぎつぎと襲って来る。そいつらと闘う場面。将来の不安を考えてもどうしようもない。いま・ここの闘いに集中するしかないのだ。

これは、現在のマインドフルネスの方法論と一致している。禅の方法論もそうだ。吾・唯・足るを・知るというやつだ。

わが高校の校長先生の朝礼のあいさつはおおむね退屈だった。が、いまでも覚えているのは稲の刈り方だ。「稲を刈るときゃ、広い田んぼを見わたしてはいかん、目のまえにある稲束を刈ることに集中することだ。」

将来の不安にうまく対処できない相談者に対し、いつも校長先生のこの言葉を紹介する。皆さん、なんとなくわかったような顔をされる。そうそう、それでいいんです。

2021年6月24日木曜日

雄島が磯ー胡蝶の夢

 


 塩竈から船を借りて松島に渡った芭蕉一行は、雄島の磯に着きました。 

 雄島が磯は、地続きて海に出でたる島なり。雲居禅師の別室の跡、座禅石などあり。松の木陰に世をいとふ人もまれまれ見えはべりて、落穂・松笠などうち煙りたる草の庵、閑かに住みなし、いかなる人とは知られずながら、まづなつかしく立ち寄るほどに、月、海に映りて、昼の眺めまた改む。

雄島は松島の多島の一つ。芭蕉が書いているように、陸の一部のようでもあり、島であるようでもあり。陸にも海にも通じている地形です。

そこから、この世とあの世をつなぐ場であるとされ、死者の霊魂が行き来する霊場になりました。高野山もそうであることから「奥の高野」と呼ばれました。

もちろん雄島は歌枕。百人一首の殷富門院大輔の歌はご存じでしょう。
 
 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらじ

本歌は、黒塚の段ででてきた源重之のこの歌。

 松島や雄島の磯にあさりせし 海人の袖こそかくは濡れしか

芭蕉は歌枕・雄島を訪ねながら、こうした色恋の歌には一切触れず、雲居禅師や世をいとふ人々に心をよせています。どうしてでしょう。 

雲居禅師は、瑞巌寺を中興した臨済宗の禅僧。雲巌寺の段にでてきた仏頂和尚の師匠です。雲巌寺も臨済宗の寺でした。仏頂和尚は芭蕉の禅の師匠ですから、雲居禅師は大師匠にあたります。

禅宗は、知識を得ることではなく、悟りを開くことが目的。悟りとは、生きるものの本性である仏性に気づくことであり、仏性とは言葉による理解を超えたものを認識する能力のことだそうです。

悟りは、言葉ではなく、座禅などを通じ感覚的・身体的に伝えられます。が、雲居禅師は、平易な念仏で民衆を教化したという異色の禅僧です。

師匠の師匠であり、感覚的・身体的に伝えられている禅の精神を平易な念仏で人々に伝えたという雲居禅師を芭蕉が慕うのは当然です。

では世をいとふ人はどうでしょう。世をいとふ人としては、すでに須賀川の段で、大きなる栗の木陰を頼む僧がでてきました。世の人の見付けぬ花や軒の栗の人です。

芭蕉が世をいとふ人に心をよせるのは、仏頂和尚に教えてもらった『荘子』の影響です。いわゆる老荘思想のうち荘のほうです。あるがままの無為自然を好み、人為を嫌います。俗世間を離れ、無為の世界に遊び、自由に生きることを求めます。胡蝶の夢です。

禅や『荘子』を学んだことが、蕉風に影響を与えたことは当然でしょう。ものの姿や動きをそのまま平明な言葉で写しとること、やたらと手を加えないこと、いらぬ趣向や工夫を捨て去ること。おくのほそ道の旅を経て芭蕉がつかんだ「かるみ」の考えは『荘子』の考えそのものです。

仏果ならぬ、仏頂を得たことが蕉風飛躍の足がかりになったわけです。先達はあらまほしき事なり。

などと思うほどに、はや日も暮れ、松島の月がのぼりました。続きはまた来週。今夜はストロベリームーンが見られるかな。

2021年4月15日木曜日

どいつもこいつも、雲巌寺(2)


吉永小百合のあとを慕っておじさんたちは雲巌寺を訪れているわけですが、芭蕉のあとにもたくさんの連れがゾロゾロとついてきました。

雲巌寺に杖を曳けば、人々進んでともにいざなひ、若き人多く道のほどうち騒ぎて、おぼえずかの麓に到る・・。

吉永小百合は知らず、芭蕉は閉口したのではないでしょうか。なぜなら、芭蕉は物見遊山にでかけたのではなく、禅の師匠である仏頂和尚の修行の跡を見にいったのだったからです。

芭蕉の凄みは、常に現状に満足せず、絶えず自らの殻を破り、自己否定を繰り返すなかで、あたらしい道・遠くの理想を求めつづけた点にあると思います。

その姿勢は常に謙虚で、あらゆる分野の先人を師とあおぎ、それをヤスリにして自己を磨きつづけました。

現代経営の言葉でいえば、優れた先進企業の実例をベンチマークしつつ、経営革新(イノベーション)をしつづけるということでしょう。

こうして芭蕉は和歌や旅の師匠だけでなく、禅の師匠にも謙虚に教えを請い、師が修行した跡を訪ね、求道の糧としようとしたわけです。

ところが、芭蕉のこのような厳しい心のうちを知らない連中がたくさん付いてきて、ワイワイ騒いだというのですから、芭蕉の苦り切った心のつぶやきが聞こえてくるようです。まったくもう、どいつもこいつも・・・。

しかし、吉永小百合はおらずとも、雲巌寺の佇まいは芭蕉の期待を裏切らなかったようです。

山は奥のある景色にて、谷道遙かに、松・杉黒く、苔しただりて、卯月の天今なほ寒し。十景尽くる所、橋を渡って山門に入る。

美文がすばらしい。

さて、かの跡はいずくのほどにやと、後の山によぢ登れば、石上の小庵、岩窟に結び掛けたり。妙禅師の死関、法雲法師の石室を見るがごとし。

そして一句。

 啄木も庵は破らず夏木立 (きつつきもいほはやぶらずなつこだち)

夏木立のなか、キツツキがあちこちの木に穴を空けているけれども、さすがに師匠が修行した庵は尊くて穴を空けるのを憚ったようだ・・。古びるもの、滅びるもののなか、古びざるもの、滅びざるものへの求道精神は明らかです。