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2021年6月30日水曜日

瑞巌寺(1)




  十一日、瑞巌寺に詣づ。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎、出家して入唐、帰朝の後開山す。

瑞巌寺といえば、われわれが小学生のときは、音楽の副読本により、民謡「斎太郎節」を習いました。♪エンヤードット 松島~の 瑞巌寺ほどの 寺もない~という。ドリフターズがアレンジしたやつです。いまはもう習わないのでしょうか。

いま瑞巌寺は、奥州平泉の中尊寺、毛越寺、出羽の立石寺とともに「四寺回廊」という観光・巡礼コースになっています。

このあたりのお寺はだいたい慈覚大師・円仁が創建したとされています。円仁は最澄のあとをついだ天台宗の高僧で、上記四寺はみな円仁の創建と伝えられています。

ところが瑞巌寺は現在、臨済宗のお寺。黒羽の雲巌寺、京都の妙心寺や博多の聖福寺などとおなじです。あれれ。いつのまに。

瑞巌寺はもともとは天台宗だったところ、鎌倉時代のなかごろ、臨済宗になっています。その際の開山が芭蕉のいう真壁の平四郎あらため法身禅師です。

時代は5代執権・北条時頼のとき。かれは、水戸黄門のモデルになった人で(つまり、水戸光圀本人は諸国を漫遊するような人ではなかった)、諸国を旅して民情視察を行ったという廻国伝説があります。

能『鉢木』の題材にもなっていて、日本史の教科書にコラムで紹介されていました(ご恩と奉公の封建関係を示す逸話として)。いまはどうでしょう。北鎌倉などを散策していると、精進料理屋の看板に見かけますが。

ある雪の日、旅の僧が上州で難渋して、貧乏武士である常世の家に宿を請いました。常世は、たいせつにしていた梅、桜、松の鉢の木を薪にして暖をとり、貧しいながらできるかぎりのもてなしをします。そして零落し貧しくとも鎌倉武士のはしくれとして、「いざ、鎌倉」のときは鎌倉にはせ参じるつもりだと話します。

後日、関東武士団に鎌倉集合の号令がかかりました。集まった武士のなかに、痩せ馬に乗った常世の姿もありました。旅僧はじつは北条時頼。水戸黄門でいえば「ええい、ひかえ、ひかえい。ここにおわすはどなたとこころえる・・。」の場面です。時頼は常世の奉公に対し、梅、桜、松の名のつく領地を与えます。

この時頼が瑞巌寺あたりを廻国した際、法身に命じて、天台宗から臨済宗にあらためさせたのだとか。中世ですからお寺も領主さま、時頼としては自分の息のかかった寺にしたかったのでしょうね。

ところで『鉢木』の名台詞のなかに「松はもとより煙にて、薪となるも理や」というのがあります。それが江戸時代、徳川家=松平氏に遠慮して、「松はもとより常磐にて、薪となるは梅桜」と変えられていたとか。

江戸時代の人たちは、言葉や名前を大切にし、言霊とかも信じていたのでしょうね(もちろん、言論の不自由もあったでしょうが)。ここらあたりに、松尾・芭蕉が松や松島がだいすきだった理由の一端があったのでしょう。この線で行くと、彼は松の尾、徳川=松平の隠密だったという説の傍証にもなりそうです。ははは。

2021年5月2日日曜日

鬼滅の契約書

 


先日、いまさらというか、ようやくというか、鬼滅の刃(きめつのやいば)のアニメを見ました。

知らない方のためにざっくりと書くと、「鬼」に家族を殺された主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)が、鬼殺隊(きさつたい)という組織に入って鬼を倒す話です。

「最近の若い子の間で流行っているやつでしょ」と、おじさん的思考で距離を置いていましたが、巣籠もりのアマゾンプライムで一気に見てしまいました。

 

さて、今回は、契約書の話です。

法律の世界も、簡単に言えば「約束は守りましょう」の世界。どういう「約束」をしたのかを明確にする意味でも、契約書をつくることは大事です。

 

私は、契約書に関して、ずっと疑問に思っていることがあります。

●●●●(以下「甲」という。)と●●●●(以下「乙」という。)とは・・・

のように、契約の当事者をなぜか「甲」、「乙」と表記する慣例についてです。

 

契約書としては、契約の当事者が誰なのかを特定できてさえいればよく、別に「甲」、「乙」でないといけないという決まりはありません。

「乙さん」、なんて、「おっさん」みたいな響きで、なんか嫌です。

それこそ、水戸黄門好きの方であれば、

●●●●(以下「助」という。)と●●●●(以下「格」という。)とは・・・

にしたっていいはずです。

助さん格さんの方が、契約後も争わなさそうですし。

 

それなのに、なぜか「甲」、「乙」にすることが多いです。

そもそも「甲」、「乙」って何でしょうか。

 

「甲」、「乙」は、

「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」とつづきます。

「十干(じっかん)」という古代中国の陰陽五行説にのっとった観念なのだそうです。

世界が「木・火・土・金・水」の5つの要素からなり、それぞれ「陰」と「陽」に分かれるという考え方のことなのだとか。

 

十干も、訓読みすると、読み方が変わります。

甲(きのえ)

乙(きのと)

丙(ひのえ)

丁(ひのと)

戊(つちのえ)

己(つちのと)

庚(かのえ)

辛(かのと)

壬(みずのえ)

癸(みずのと)

 

これ、鬼滅の刃の、鬼殺隊(きさつたい)の中の階級に使われています。アニメを見ただけだと、音声でしか聞かないので、「十干」のこととは気付いていませんでした。

主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)も、最初は一番下の階級の癸(みずのと)から始まります。

 

と、いうことですので、慣例に従って契約書をつくる場合、10番目の当事者になれば、炭治郎と同じ、「癸(みずのと)」になれます。

10人も契約の当事者はおらん!という方は、契約書作成の際に「炭治郎と同じがいい!」と一言お声かけください。「癸(みずのと)」をサービスいたします。

 

富永

2021年2月10日水曜日

語感の気持ちいい法律用語は?

 

渋谷のスクランブル交差点に掲示された「墾田永年私財法」と書かれた謎の巨大広告が注目されているそうです。


明治「明治プロビオヨーグルトR-1」が受験シーズンに合わせて打ち出した企画で、


「受験勉強で覚えた『語感の気持ちいい言葉』:墾田永年私財法」


という看板なのだそう。他にも色々あるようですが、なかなか面白いなあと思いました。


それならば、語感の気持ちいい法律用語は何でしょうか。私の独断と偏見によりベスト3を選びました。


第3位:囲繞地通行権(いにょうちつうこうけん)


決して言いやすいわけではないですが、なぜか口にしたくなる語感のよさがあります。公道に通じない土地(袋地)からその土地を囲んでいる他の土地(囲繞地)を通るときには、「囲繞地通行権!」とひと言ことわって通ることにしましょう。



第2位:遺留分減殺請求権(いりゅうぶんげんさいせいきゅうけん)


被相続人から「お前に遺産はやらん」と言われても、最低限保障される権利です。

2019年7月1日施行の相続法改正により「遺留分侵害額請求権」(いりゅうぶんしんがいがくせいきゅうけん)となってから、やや語感のよさが失われた感があります。かっこいい法律用語ランキングでも「詐害行為取消権」(さがいこういとりけしけん)と上位を争う強者です。


そして、第1位は・・・



第1位:背信的悪意者排除論(はいしんてきあくいしゃはいじょろん)


これは言いたい。司法の正義を期待する市民からすれば、まるで水戸黄門のよう。

「登記がなくても大丈夫。なぜなら相手は背信的悪意者だからです!」

根拠は信義則なのですが、信義則違反者排除論、などと命名しなかったのは、きっと語感の気持ちよさを重視した結果なのでしょう。


富永


2017年12月4日月曜日

『水戸黄門』のように,なぜ正義が勝たないのか?筑紫野市の弁護士の回答


          (嵐山・亀山の紅葉)

 「正義は必ず勝つ」といわれる。たしかに『水戸黄門』や『遠山の金さん』などではそうなっている。しかし,実務ではそうならないことも多い。みなさんは,日ごろから『水戸黄門』や『遠山の金さん』などをご覧になっていて,「正義は必ず勝つ」世界観になじんでいられるので,そのギャップに唖然とされることが多い。このギャップはどこから来るのだろうか。

 たとえば,1週間前の午後9時,家の前の暗がりで,Bに殴打され,全治2週間の怪我を負わされたとする。民事裁判でBに対し損害賠償が認められるには,上記殴打の事実について,(Bが否認すれば)こちらが証明しなければならない。たまたま目撃者がいればよい。でもいないことが多い。たまたま目撃者がいたとしても,どこの誰だか分からないことも多い。どこの誰だか分かっているのに,関わりあいになることを恐れて協力してくれないことも多い。そうすると,たかだか1週間前の事件なのに,正義が実現されないことになってしまう。

 では『水戸黄門』や『遠山の金さん』では,なぜ「正義が勝つ」ことになっているのであろうか?それにはこのようなカラクリがある。すなわち,『水戸黄門』では,風車の弥七が天井裏にひそんでいて,悪代官と越後屋の悪だくみを目撃している。『遠山の金さん』ではなんと,裁判官じしんが庶民のふりをして事件現場を目撃している。

 しかし,実際の裁判ではこのようなことはありえない。裁判官が事件の現場に偶然いあわせることは100%ありえないし,みずから捜査みたいのことをすることもありえない。また,仮に風車の弥七みたいな手下がいたとしても,悪代官の天井裏にいる時点で住居侵入罪で逮捕である。

 そうなると,悪事や事件を証明することができない。すなわち,正義が勝つことが難しい。みなさんは,ほかならぬ自分が見聞きし,体験した事実であるから,証明は十分と思っておられる。残念ながら,民事裁判では当事者の証言は証拠価値が著しく低い。加害者が嘘をついていると被害者が言っても,裁判官にはどちらが嘘をついているかの判定が難しいのである(このことも理解していただくことが難しい。でも自分が裁判官であったとして,Aが赤信号だったといい,Bが青信号だったといったときに,どう判定するのか想像していただきたい。)。

 かくて今日も正義が必ず勝つとはいえず,『水戸黄門』的世界観からして不満な人々が事務所をあとにしていかれることになる・・・。

2015年12月16日水曜日

法律相談のしかた②


 
 法律相談は算数の問題と答えとはちがって
 アドバイスや見通しについて行き違いが生じがちです。

 法律相談にはいくつも前提条件をおいて回答することになりますが
 前提をとばして「勝つ」という見通しだけが耳に残りがちです。

 裁判では,複数の事実の組合せの結果
 裁判に勝ったり,負けたりします。

 一般に法律相談の際には
 事実の存否を確定できません。

 裁判における主張・立証の結果
 裁判官によって事実の有無が判断されることになります。

 相談者にとっては,ごじぶんの心のなかでは
 それら事実の存在することが明白なのですが

 実際は,争いになりますので
 事実を裏付ける証拠が必要になります。
 
 この点,われわれは,「それらの事実が認められれば」
 勝てるでしょうねと見通しを述べることになります。


 相談される方は,勝ちたいという思いが強く
 前提事実は自明のように考える傾向があります。

 なぜでしょう?
 ぼくはテレビの影響かなと考えています。

 日ごろ,水戸黄門や遠山の金さんを見慣れているせいでしょうか
 たしかにテレビ番組では,毎回かならず正義が実現されます。

 しかし,それは風車の弥七が屋根裏から悪代官の謀議を盗み聞きしたり
 金さんが遊び人として街中を徘徊して現場に居合わせるからでしょう。

 しかし,日本の裁判官が現場に居合わせて
 じぶんで目撃したなどということは100%ありえません。

 その結果,日本の裁判では,立証ができないために
 必ずしも正義が実現されるとは限らないことになります。

 
 法律相談をされるときは,そこに注意して
 弁護士のアドバイスを聞くようにしてみてください。

 もちろん,こちらもできるだけ誤解のないように
 説明するよう努力します。