2011年12月19日月曜日

『クライマーズ・ハイ』(6) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 去年の今ごろ、『ノルウェイの森』は「魔の山」
 =阿美寮に登って下りてくる話だと書きました。

 『クライマーズ・ハイ』も、主人公・悠木が「魔の山」に挑みます。
 しかも2つ。

 ひとつは、日航機事故の報道=御巣鷹山
 ふたつは、谷川岳(衝立岩)。

 谷川岳のほうも
 779人(『クライマーズ・ハイ』)もが遭難死した魔の山。

 悠木は、1985年8月12日夕、谷川岳に向かおうとした矢先
 日航機事故の報に接し、こちらのほうの魔の山に挑むことに。

 しかもいつもの自由な行動は許されず、日航全権デスクに任命され
 リーダーとして会社組織を率いることを強いられます。

 大久保事件・連合赤軍事件の手柄をいつまでも自慢したい上司らは
 日航機事件を若手の手柄にさせじと妨害工作をしかけてきます。

 これまで気ままな友軍記者をやっていた悠木は若手とのパイプも細く
 彼らをうまく指導していけるか不安がいっぱい。

 悠木の所属する地方新聞社は、未曾有の大事件に取り組むには
 スタンスが定まりませんし、人的・物的装備も不足しています。

 悠木は生い立ちに引け目があり、自分の息子との関係をはじめ
 社の上司、部下らの人間関係にいまひとつ自信がもてません。

 こうした不安要素をいくつも抱えながら
 魔の山に果敢に挑んでいきます。

 『クライマーズ・ハイ』が刊行された2003年当時は
 先に書いたとおり、薬害肝炎事件を立ち上げたばかりのころ。

 こちらも1万人以上といわれる未曾有の薬害被害者を出した
 大惨事。

 原告団、支援者、若手弁護士や他地域の弁護団と協働しつつ
 被告の国や製薬大企業と裁判闘争をすすめていく必要がありました。

 なので
 悠木の巻き込まれた立場、心情にはおおいに共感しました。

            ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

『クライマーズ・ハイ』(5) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 ジョギングをすると最初は苦しいばかりですが
 慣れると途中からふっと幸福感が訪れます。

 ランナーズ・ハイの状態ですね。
 むかし先祖が狩りをしながら幸せだったころの名残りでしょうか?

 これに対しクライマーズ・ハイは、登山者の興奮状態が極限まで達し
 恐怖感が麻痺してしまう状態のこと。

 大きなヤマ(困難)にぶちあたると、火事場のバカヂカラを出す必要からか
 われわれは興奮するように設計されているようです。

 しかし他方で、山は危険がいっぱいですから
 判断を誤りやすい危険な状態でもあります。

 クライマーズ・ハイは、登山家たちがそういう状態にあるのではないかと
 自分を戒めるための言葉のようです。

 司法修習の2年目の夏(弁護修習中、お盆直前)、1985年8月12日
 日本航空123便が墜落事故を起こしました。

 東京・羽田から大阪へ向かうジャンボジェットで
 群馬県の御巣鷹山の尾根に墜落。 

 乗員乗客524人のうち死亡者数は520人
 死者数は当時国内で最多、単独機では世界最多。

 亡くなった方が残した家族へのメッセージに
 涙しました。

 墜落までの恐怖の時間であってさえも
 家族への愛を表現する勇気をおしえられました。

 この事故がわれわれにさらに鮮烈な印象を残したのは
 奇跡的に4人の生存者がいたことでしょう。

 少女が救出された際の映像が
 いまも想起されます。

 事故以降、なんども福岡と東京を飛行機で往復しましたが、その都度
 たとえ墜落しようと人間らしく生き、あるいは死にたいと願いました。

 この事故に遭遇した群馬県の地方紙の記者・悠木とまわりの群像を描いたのが
 横山秀夫さんの『クライマーズ・ハイ』(文藝春秋 2003年)。
 単行本が出版されたのが薬害肝炎事件を提訴した年の夏です。
 もちろん読みました。

 薬害肝炎救済法が成立した2008年
 夏に谷川岳に登り、その際にも文庫で再読しました。 

 佐藤浩一さんでテレビ・ドラマ(NHK 2005)
 堤真一さんで映画(2007)にもなりました。

 このキャスティングだけで
 観てみたくなったでしょ?

                   ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月18日日曜日

『クライマーズ・ハイ』(4) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 ある板金塗装業者に税務調査
 そして税金が少ないと、税務署が増額処分。

 煎じ詰めると、同業者にくらべて儲け方が下手
 というのがその理由(同業者比率に基づく推計)。

 そんなバカな!
 と裁判闘争。

 苦労して、一部勝訴
 税務署の推計・課税の仕方が杜撰という判断でした。

 意気揚々と記者レク。
 でも司法記者さんたちの反応はいまいち。

 そのレクが終わってから訊かれました。
 「最近、なんか面白い事件ないですか?」

 う~ん。そういえば
 きょうこんな判決もらったけど。

 交通事故の後遺症に関する判決で
 男子中学生の顔のキズについて女子と同様の損害を認めたもの。

 司法記者クラブ内はがぜん活気づき
 翌朝刊ではそちらのほうが大きな記事になったことでした。

 弁護士からすると、税金裁判に勝つほうがずっと難しくて価値がある
 のですが、そんなこと読者はあまり興味がないというわけです。 

 ま、2つとも記事にはなって
 うれしいのはうれしかったのですが…。 

 弁護士の事件に対する評価と記者さんたちのニュース・バリュー
 に対する評価のちがいを実感したことでした。

                  ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月15日木曜日

『クライマーズ・ハイ』(3) by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 弁護士になりたてのころ
 こんな事件がありました。

 ある男性(夫)からの依頼。妻が警察官と不倫したので
 慰謝料を請求したいとのことでした。

 相手が相手なので
 妻の証言だけでは弱い。

 証言の裏をできるだけ
 とることにしました。

 いっしょに入ったという
 ラブホテルにも行きました。

 保安上ラブホテルは自動車のナンバーを控えているので
 当日、証言どおりの自動車が出入りした裏付けが得られました。

 家出中の妻の仕事先をその警察官が紹介していたので
 そこへも行きました。

 中洲・南新地のソープで
 ま昼間から調査に行くのはちょっと気がひけましたが。

 当時は、キャナルシティ(96年オープン)が建つ前ですから
 いまよりずっと入りにくい雰囲気でした。

 かくして証拠を固めたうえ交渉しましたが
 ラチがあきません。

 そこで提訴しました。
 予想されたことですが、被告側は頑強に否認。

 それでも証人尋問が終わったところで
 裁判官が被告側に和解を勧告しました。

 「妻をソープ(受付ですが)に紹介していて
 男女関係が無かったという心証はとれない」と。

 その結果、被告側も観念して
 慰謝料を支払う話となりました。

 被告が金策をするのを待つあいだ
 もう一期日が必要になりました。

 その間、どこからか事件のことを聞きつけて
 ある記者くんが取材にきました。

 「慰謝料を払う以上、不倫を認めたことになりますよね?」
 「ま、普通そうでしょう。」

 ところがその後、記者くんは被告側の弁護士からも
 アホなことに、コメントをとろうとしたらしい…。

 しばらくして裁判所から、和解条項に「和解成立後、事件のことを
 口外しない」という1項を入れたいと連絡がありました。

 被告側の弁護士が裁判官に泣きついてきたそうな。
 ま、普通そうなりますよね。

 依頼人の意向を尊重して
 不本意ながら和解を成立させました。

 和解後、記者くんから和解内容の確認を求められましたが
 「ノー・コメント」。

 その対応えに、記者くんはプリプリしてましたが
 「お門違いでしょう。」といいたい気持ちでした。

 マスコミとのお付きあいの難しさを学んだ
 最初の経験でした。

 (注:相手方のコメントをとるなといっているのではなく
 時期が悪いといっていだけなので、念のため)

                ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年12月14日水曜日

『クライマーズ・ハイ』(2)



 マスコミと弁護士の関係はいろいろですが
 大規模集団訴訟においてはおおむね応援してもらう関係です。

 水俣病第3次訴訟のあと
 南九州税理士会違法献金事件

 薬害エイズ事件・福岡訴訟
 ハンセン病訴訟

 薬害肝炎訴訟
 と応援してもらいました。

 あまり詳しいことは書けませんが
 マスコミと弁護士は情報を介してギブ・アンド・テイクの関係。

 裁判や運動の情況を会見やレクを通じて
 報道してもらう関係にとどまりません。

 弁護団がもっている情報を提供しつつ
 マスコミが知っている情報を教えてもらったりします。

 水俣病第3次訴訟のころ
 相手方は「国」でした。

 その後、「国」のなかもいろいろで
 行政と立法は意外と別で
 
 行政も厚生労働省、法務省
 政府・官邸筋などに分かれ

 厚生労働省も大臣と官僚、官僚も部署によって
 それぞれ考え方が違うことが分かります。

 そんなこと政治学の教科書に書いてあるでしょ!
 ということですが

 実際に裁判をやっていると
 被告は「国」だと抽象的にとらえがち。

 現場の訟務の人たちと話していると
 法務省は薬害肝炎の解決に消極的なように思えます。

 でも幹部やバックヤードでは
 意外と患者側を支持してくれたりもするのです。

 「国」の内部の支持、不支持の色分けや
 力学はマスコミのほうが断然詳しかったりします。

 大規模集団訴訟では、このような情報を入手しつつ
 運動をすすめていく必要があります。

 ただ魚心あれば水心
 マスコミ側ももちろん記事になるネタを知りたいし書きたい。

 彼らの主な行動基準は
 2つ。

 ①取りこぼし(自社だけ報じない)は困る。
 ②スクープしたい。でも、抜かれるのはイヤ。

 これが、おつきあいするうえで困った点。
 クローズを前提にしたお話が記事になったりするので。

 これを避けるためには、信頼関係が必要
 誰とでもおつきあいするわけにはいかなくなります。
  
 (つづく)

2011年12月13日火曜日

『クライマーズ・ハイ』



 これまで当ブログを読んだといってこられたのは
 お客さまか知人、友人のかたがた。

 それが先日らい、Y新聞の記者さんから
 ブログのことでご連絡をもらいました。

 ブログ中のある事件のことで
 取材をしたいとのことでした。

 依頼者に連絡したところ、お断りとのことでしたので
 残念ながら記事にはなりませんでした。

 とはいえ、さすが社会面に強いY新聞
 当ブログまでのぞいていただき、恐縮です。

 (N新聞の人はここでは
 知人・友人に入れさせてもらいます。)

 弁護士をしていると
 マスコミの方々とのおつきあいもいろいろでてきます。

 大は集団訴訟から
 小は交通事故など一般事件まで。

 さいきんでは子どもの友人が記者になったので
 法律用語について確認の問合せをうけたりもしています。

 86年に弁護士になってから96年の政治解決まで
 水俣病第3次訴訟をお手伝いしたことがありました。

 水俣病という未曾有な被害に対するものだけに
 裁判闘争にもながい歴史があります。

 西日本新聞の聞き書きシリーズ(社説のページ)が
 いま、おもしろいです。

 語り手は、私の師匠筋にあたる馬奈木昭雄弁護士
 聞き手は、阪口由美記者。

 タイトルは「たたかい続けるということ」
 このところ、ちょうど水俣病の裁判闘争あたりです。

 馬奈木弁護士がいま語っている、チッソという加害企業だけを
 被告とする訴訟が第1次訴訟です。

 時代は、高度経済成長の光と影があらわとなった70年代
 いわゆる四大公害裁判がたたかわれたころです。

 この訴訟に被害者側が勝利して
 企業との間で補償協定が結ばれます。

 これに基づき
 行政(熊本県)が水俣病患者を認定する制度ができます。

 ところが行政は狭い病像論に基づき
 多数の患者を切り捨てていきます。

 司法認定と行政認定は違う
 と、行政はうそぶいたのです。

 その病像論と切り捨て路線を争ったのが
 水俣病第2次訴訟です。
 
 (ちなみに、薬害肝炎訴訟の解決枠組みとしては
 被害者を司法認定する制度となっています。

 たかく評価されているところですが
 水俣病のたたかいの教訓に学んだものです。)

 第2次訴訟も被害者側が勝利しますが、その後も
 行政認定と司法認定は違うとされ、被害者は放置されたまま。

 これではいつまでたっても被害者全員の救済がはかられないとして
 国と熊本県をも被告として提訴したのが第3次訴訟でした。

 漁業を中心とする地域全体が壊滅的打撃を受け
 被害者らは全国に散っていました。

 そのため、熊本地裁、福岡高裁だけでなく、被害者が移住した先の
 東京地裁、京都地裁、大阪地裁、福岡地裁でも裁判が係属。

 こうした複雑な構図を反映して
 政治解決を前にした新聞の論調もさまざまでした。

 一般の人はだいたい一紙しか読んでいないので
 どの新聞も同じことを書いていると思っています。

 でも実際はスタンスの違いによって
 ニュースソースの違いによって、紙面が違います。

 国との間で太いパイプを持つ
 ある全国紙は一面トップで国の解決案をリークしたりします。

 地元紙は県庁とのパイプが太く
 県庁の意向を反映した記事になっています。

 もちろん患者・被害者の立場にたって
 報道してくれるマスコミもいます。

 毎日のように開かれた弁護団会議では
 まず新聞各紙を前に情勢討議をやりました。

 国がこのような情報をリークした裏には
 ○○の意図があるはずだ!いや、そうじゃない!…と。
 
 (つづく)

2011年12月12日月曜日

死者の思いは



 今年もたくさんのかたが亡くなりました。
 東日本大震災で亡くなった方々

 かわいがってくれた先輩、親族
 お世話になった方

 司法研修所の同期・同級性
 弁護士仲間

 ともに裁判をたたかった仲間
 依頼者の方…

 みなさまのご冥福を
 お祈りします。

  「死者の思いは残された者が決める、
   と僕の敬愛する作家が言っていました。

   死者を荒ぶる者にするのも安らげる者にするのも
   生者の解釈次第だと」

           (『ヒア・カムズ・ザ・サン』から真也)