2023年6月26日月曜日
関西の旅(5)総持寺、勝尾寺、箕面滝
2023年6月25日日曜日
関西の旅(4)ハマナデシコとモンキアゲハ
日出の石門の背後は崖になっている。崖にはところどころにハマナデシコが咲いていた。そしてハマナデシコにはモンキアゲハが蜜を求めて群れていた。
アサギマダラが渡りをするのはやはり秋だそう。残念ながらいまの時期、アサギマダラを見ることはできなかった。
万葉歌碑のあたりにはフジバカマが植えられていた。アサギマダラの好物はフジバカマの蜜。秋にはフジバカマが咲き、アサギマダラが群れるのだろう。
ハマナデシコもフジバカマも虫媒花というわけだ。花は虫に蜜を提供するかわり、雄しべの花粉を雌しべに運んでもらっているわけだ。
相互依存。一方が絶滅してしまうと、他方も絶滅してしまう。
アサギマダラが渡りをするのは、このような花の蜜の北上を追ってのことだろう。鷹が渡りをするのも、これら昆虫を追ってのことだろう。
モンキアゲハの羽に黄色い紋があるのは、鳥除けのためにベランダに大きな目玉をつるすのと同じ効果があるのかもしれない。
花の蜜を求めて移動する養蜂家がいる。われわれも、山の花や紅葉を求めてあちこち移動する。花と相互依存する昆虫や、渡りをする生き物にはとても親近感を覚える。
2023年6月22日木曜日
関西の旅(3)伊良湖崎
伊良湖崎では、自転車をレンタルして周辺を散策した。着岸してすぐのところに道の駅があり、そこで借りることができた。電動なので(初めて乗った)、らくちん。
まずは遊歩道をとおって岬を半周した。突端に灯台がある。外国人が多い。ハマナデシコの花が咲いていて、モンキアゲハが蜜を吸っている。その写真を撮っていた。
灯台から先は太平洋がひろがっている。さきほどフェリーで通過してきた神島も見えている。案内板があり、南方から鷹やアサギマダラが渡ってくるとの説明がなされている。
半島を半周すると恋路ヶ浜に着く。恋人たちの聖地で、プロポーズの場所として人気のスポットだそう。そうなのか!残念ながら、自分では使えそうもない知識である。
西側の岩陰ではカップルが親密そうに話をしている。プロポーズだろうか。東側の浜辺では親子連れがボール遊びをしている。その向こうにはこのあとで向かう「日出の石門(ひいのせきもん)」が見えている。
あたりは海鮮の店が並んでいる。ちょうど昼どきだったので、タコのピザを食べた。おいしい。
そこから少し山に登るかたちで戻ると、万葉歌碑がある。麻続王の歌が紹介されている。この歌については以前書いた。http://blog.chikushi-lo.jp/2023/06/blog-post_9.html
途中、フジバカマを植えているので踏まないようにと注意書きがあった。フジバカマはアサギマダラの大好物である。
さて「日出の石門」へ。恋路ヶ浜から42号線を東へ向かう。まっすぐ行くと浜松に着くようだ。それなりの坂なのだけれど、電動自転車なのでなんのことはない。
左手にオーシャンリゾートホテルがあり、このへんのはずだがと思い、坂をくだりはじめたころ、右手に降りていく道が見つかった。
坂をおりると、「椰子の実」の歌碑があった。これについても前に書いた。http://blog.chikushi-lo.jp/2023/06/blog-post_14.html
さこから先、急な階段を降りると、火曜サスペンスにつかえそうな断崖である。♪ジャンジャンジャーン~頭のなかでメロディーが鳴る。
さらに階段を降りると、「日出の石門」に着いた。なかなかの奇岩である。独特の雰囲気がある。NHK大河「どうする家康」のロケもおこなわれたらしい。
案内板が立っている。そのまま引用しよう。
日出の石門は、とても緻密で固いチャートという堆積岩でできている。
このチャートは、約二億年前に、放散虫の殻などの珪酸分が、はるか南方の海洋底に沈殿してできた。
その後、太平洋プレートの移動とともに、現在の位置に運ばれてきた。
層状に堆積したチャートは、海底地すべりや強い圧力で衝突したため変形した。うねるような褶曲や、褶曲を断ち切る断層は、過去の変動の記録でもある。
石門の洞穴は、断層により破砕されもろくなった部分が、長い間に波の力で浸食されて、海食洞になったものである。
チャートといえば、みなさん受験期にお世話になった参考書を思い浮かべることだろう。毎日のコツコツとした努力の積み重ねが固い知識層となって、受験に合格する(はずだ)。
伊良湖崎は、とてもロマンチックなところだ。黒潮に乗って、鷹やアサギマダラが、そして椰子の実が渡ってくる。さらに、太平洋プレートの移動とともに、日出の門までが太平洋を渡ってきたのである。
2023年6月21日水曜日
関西の旅(2)神島
2023年6月20日火曜日
関西の旅(1)伊賀上野
2023年6月19日月曜日
笈の小文(5)源氏物語か平家物語か
『笈の小文』と秋の関係について、もう一つの考えは『笈の小文』には秋の景を描ききれなかったということが考えられる。
それは弟子の乙州が芭蕉の死後、『笈の小文』と『更科紀行』をセットで出版したことにあらわれている。
『笈の小文』の旅と『更科紀行』の旅は、実際には同じ旅。すなわち江戸を出発し、故郷の伊賀で年を越し、流刑中の杜国と関西の歌枕を旅し(京都で別れ)、さらに名古屋から木曾谷を経て信州更科で月見をして江戸に帰るという旅である。
旅行記であれば、一つのストーリーで完結したはず。しかし創作を含む紀行なので、芭蕉のなかで迷いがあったのではなかろうか。最後まで迷いは解決せず、未定稿のまま残されたのではなかろうか。
その迷いは、『更科紀行』を合体した構成にするのか、分離した構成にするのか。合体させれば、冬、春、夏ときた『笈の小文』の旅は秋で完結することになる。しかし、そうすることを憚らせる事情があった。
『笈の小文』は単なる四季の旅の記録ではない。愛する杜国との逃避行の旅の記録でもある。伊良湖岬で出会い、伊勢で合流した二人は、吉野の桜を愛で、関西の歌枕を尋ね、須磨・明石を経て、京都で別れる。
むかしある少年Aの付添人をしたことがあった。成人と異なり、少年には試験観察という中間処分がある。そのまま最終処分をすれば少年院送致になるのだが、がんばれば立ち直れるのではないかという少年用の処分。
試験観察には家庭でおこなうものだけでなく、家裁が委託した仕事先でおこなうもの(補導委託)がある。少年Aは筑後地区で仕事を提供する補導委託先に半年ほど預けられた。
ところが、しばらくして彼は補導委託先から逃げ、当職のもとを訪ねてきた。もう18時を過ぎていた。追い返すわけにもいかない。家庭裁判所(当直)にはその旨一報を入れた。
とりあえずその日は近くのホテルのツインの部屋を借りて、ふたりして宿泊した。そして翌朝、家裁にあらためて連絡した。
家裁では大騒動に発展していた。ま、非行少年が逃亡したわけだから、逃亡罪という犯罪である。当職も下手をすると、その援助罪が成立する可能性があった。家裁からはきつくお叱りを受けた。
流刑中の杜国と芭蕉の旅を読むと、いつもこの事件のことを思い出す。芭蕉たちは、つかまれば大罪を問われる覚悟をしていただろう。愛の逃避行である。
関西各地の歌枕を旅した芭蕉たちは須磨までやってきた。目の前は明石海峡を経て淡路島。明石海峡は須磨と明石を左右に分けている。いわく。
淡路島手にとるやうに見えて、すま・あかしの海右左にわかる。呉楚東南の詠もかゝる所にや。物しれる人の見侍らば、さまゞの境にもおもひなぞらふるべし。
呉楚東南の詠とは、むかし漢詩でならった杜甫の「登岳陽楼」である。いわく。
昔聞く洞庭水、今上岳陽楼、呉楚東南折、乾坤日夜浮
芭蕉たちは、地形的に、大きな岐路に立っていた。文学的にも岐路に立っていた。源氏物語路線か平家物語路線かである。
源氏物語では罪を得た源氏は須磨で流寓したのち、明石で罪をあかして都へ帰っていく。平家物語では、平家の公達や女房たちの多くはここで滅亡してしまう。
芭蕉は、実際の旅でも、『笈の小文』の筆のうえでも、ここで迷ったのではなかろうか。そのすえ、平家物語の滅亡のイメージが優勢となり、杜国と分かれる決心をすることになったと思われる。
2023年6月15日木曜日
笈の小文(4)わびさび
『笈の小文』には、四時を友とすといいつつ、秋が描かれていない。それはヘミングウェイがいうところ「氷山の理論」による省筆によるものである。と書いた。こう書くと、ヘミングウェイは芭蕉より300年くらい後の人であるから、ちがうのではないかという意見もあろう。
しかし俳句という文芸そのものが、ある意味「氷山の理論」によってつくられている。「氷山の理論」とはこうだった。
もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない。その文章が十分な真実味を備えて書かれているなら、読者は省略された部分も強く感得できるはずである。動く氷山の威厳は、氷面下に隠された八分の七の部分に存するのだ。
そもそも俳句のばあい、五七五の17文字でつくらなければならないという制約がある。小説のように、言葉を尽くして、すべてを描ききることはできない。
17文字であれば、氷面上の部分だけしか描写できない。氷面下に隠された八分の七の部分は読者の想像にゆだねるほかない。
もちろん『笈の小文』は紀行文であるから、小説のように書くこともできたであろう。しかし芭蕉の頭のなかでは句作とおなじ意識がはたらいていたのではなかろうか。
芭蕉の俳句には「わびさび」の精神があるといわれる。わびさびとは、質素なものにこそ趣があると感じる心や、時の経過によってあらわれる美しさをいう。それは以下の代表句にあらわれている。
古池やかわずとびこむ水の音
閑さや岩にしみ入る蝉の声
紀行文も、「わびさび」の精神で書くとき、もっとも大事な部分を省筆して、読者の想像にゆだねることになる。
一番の例は『おくのほそ道』の松島の段。松島(の月)は『おくのほそ道』の旅のクライマックスである。しかるに、芭蕉は句をつくっていない・・ことになっている。
松島やああ松島や松島や
人口に膾炙しているが、偽作。
島々や千々に砕けて夏の海 (「蕉翁句集」)
実際にはこの句を詠んだ。しかし『おくのほそ道』では、松島のあまりの素晴らしさに詠めなかったことになっている。いわく。
・・その気色窅然として、美人の顔を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山祇のなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽くさむ。・・予は口を閉じて眠らんとしていねられず。・・
『おくのほそ道』は冒頭、「松島の月まづ心にかかりて」にはじまる。こうして読者の期待をさんざんじらしたうえで、クライマックスでの省筆。読者のイメージは爆発せざるをえない。
『笈の小文』でも、クライマックスは吉野の桜である。ここでも芭蕉は実際には句を詠んでいる。
花ざかり山は日ごろのあさぼらけ
しかしやはり『笈の小文』では句が詠めなかったことになっている。いわく。
よしのゝ花に三日とゞまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、・・われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとじたる、いと口をし。おもひ立たる風流、いかめしく侍れども、爰に至りて無興の事なり。
こちらも出発にあたり、「そゞろにうき立つ心の花の、我を道引枝折となりて、よしのゝ話におもひ立んとするに」とか、「よし野にて櫻見せふぞ檜の木笠」などと読者の期待をあおっている。そうして読者の期待を十二分にふくらませたうえ、クライマックスでのストイックな省筆。読者のイメージは爆発せざるをえない。
おなじようにして、芭蕉は『笈の小文』の秋を描かなかったと考えることはできよう。
※そういえば、芭蕉とヘミングウェイは似ている気がする。

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