2023年6月26日月曜日

関西の旅(5)総持寺、勝尾寺、箕面滝

 





 最終日は豊橋周辺にある芭蕉句碑をめぐる予定だった。

ここらあたりから名古屋にかけては芭蕉のお弟子さんがたくさんいた。主だったお弟子さんの家で、芭蕉は句会を催した。いまでいえば、歌舞伎の地方公演、相撲の地方巡業、歌手の全国ツアーのようなものだろうか。

そのため、このあたりには芭蕉の句碑がたくさんある。

 寒けれと二人旅ねそこのもしき 豊橋市湊町・築島弁天社

 道のべの木槿は馬に食われけり 豊橋市小松原町・東観寺

しかし、伊賀上野、伊良湖崎と来て、句碑めぐりにはすこし飽きた。どうしよう?

まず思い浮かんだのは、伊勢物語の八橋伝承地を訪ねること。有名な「東下り」(第九段)で、むかしおとこは東国を旅する。

三河の国、水ゆく川のくもてなれば橋を八渡せるによりて八橋と名のついた場所にて休息。ほとりにはカキツバタが美しく咲いていた。

むかしおとこは、カ・キ・ツ・バ・タという五文字を句頭において旅のこころ、望郷のこころを詠んだ。
 
 から衣きつつなれにしつましあれば はるばる来ぬるたびをしぞ思ふ

古今集では在原業平の歌として紹介されている。ここから伊勢物語の主人公むかしおとこは在原業平であるとされるが、どうだろう?実際には東国を旅したことはないらしい。この案は句碑めぐりと同じ理由でボツに。

次に思い浮かんだのは古戦場めぐり。むかし桶狭間や関ケ原をめぐったことがある。このあたりは古戦場には事欠かない。設楽ヶ原・長篠の古戦場は近そうだ。『どうする家康』で、さいきんやったばかりだ。でも、なんとなくそんな気分ではない。

そういえば、先日、大場敬介先生とお話をしていて、大徳寺聚光院にある千住博氏による障壁画『滝』の話になった。頭のなかでそのイメージが広がった。見たい!・・と思ったが、現在は公開されていないようだ。残念。

などなどと考えたすえ、西国三十三所めぐりの続きをすることにした。観音さまに願い事があったから。訪ねたのは22番総持寺と23番勝尾寺。

総持寺は、京都で在来線に乗り換え、JR総持寺駅(茨木市)で下車。徒歩5分ほど。真言宗。本尊は千手観音さん。パソコンが千住観音と誤表記した。無理もない。

『今昔物語集』にもみえる縁起は、こう。猟師たちに捕らえられた大亀を買い取って助けてやった。その子どもが川に落ちた。観音さまに祈ると、先の亀が子どもを助けた。浦島太郎に似ている。亀は長生きなうえ、義理堅いいきもののようだ。

JR総持寺駅から新大阪駅へ向かい、御堂筋線で千里中央。そこからタクシーで勝尾寺(かつおうじ)へ。

中学社会科の授業で、固い紙を何段も張り合わせて大阪府の地図を作った。いちばん印象に残っているのは京都との境にある男山。その次がこの箕面のあたりである。大阪府は北のほうがヒョウタンの首ようになっている。しかも標高があがっていくので独特の地形になるのだ。

真言宗。本尊は十一面千手観音さま。八面六臂の活躍というが、十一面。しかも千手。庶民の願いに応えるため、仏さまもたいへんだ。

ここは「勝ちダルマ」が有名。大小さまざまなダルマが売られているし、おみくじもダルマみくじである。境内いたるところにダルマが奉納?されている。4つ目の写真は沙羅の木の花であるが、よく見るとダルマの実が2つなっている。

「勝ちダルマ」が名物になったのは、勝尾寺(かつおうじ)の語呂あわせだったのだろう。達磨は禅宗の開祖だから、真言宗とはやや宗派があわない。弘法も語呂の誤りか。

帰りには、箕面大滝に寄った。句碑や寺など人工物もよいが、やはり自然がいちばんである。

2023年6月25日日曜日

関西の旅(4)ハマナデシコとモンキアゲハ

 

 日出の石門の背後は崖になっている。崖にはところどころにハマナデシコが咲いていた。そしてハマナデシコにはモンキアゲハが蜜を求めて群れていた。

アサギマダラが渡りをするのはやはり秋だそう。残念ながらいまの時期、アサギマダラを見ることはできなかった。

万葉歌碑のあたりにはフジバカマが植えられていた。アサギマダラの好物はフジバカマの蜜。秋にはフジバカマが咲き、アサギマダラが群れるのだろう。

ハマナデシコもフジバカマも虫媒花というわけだ。花は虫に蜜を提供するかわり、雄しべの花粉を雌しべに運んでもらっているわけだ。

相互依存。一方が絶滅してしまうと、他方も絶滅してしまう。

アサギマダラが渡りをするのは、このような花の蜜の北上を追ってのことだろう。鷹が渡りをするのも、これら昆虫を追ってのことだろう。

モンキアゲハの羽に黄色い紋があるのは、鳥除けのためにベランダに大きな目玉をつるすのと同じ効果があるのかもしれない。

花の蜜を求めて移動する養蜂家がいる。われわれも、山の花や紅葉を求めてあちこち移動する。花と相互依存する昆虫や、渡りをする生き物にはとても親近感を覚える。

2023年6月22日木曜日

関西の旅(3)伊良湖崎

 

 伊良湖崎では、自転車をレンタルして周辺を散策した。着岸してすぐのところに道の駅があり、そこで借りることができた。電動なので(初めて乗った)、らくちん。

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まずは遊歩道をとおって岬を半周した。突端に灯台がある。外国人が多い。ハマナデシコの花が咲いていて、モンキアゲハが蜜を吸っている。その写真を撮っていた。

灯台から先は太平洋がひろがっている。さきほどフェリーで通過してきた神島も見えている。案内板があり、南方から鷹やアサギマダラが渡ってくるとの説明がなされている。

半島を半周すると恋路ヶ浜に着く。恋人たちの聖地で、プロポーズの場所として人気のスポットだそう。そうなのか!残念ながら、自分では使えそうもない知識である。

西側の岩陰ではカップルが親密そうに話をしている。プロポーズだろうか。東側の浜辺では親子連れがボール遊びをしている。その向こうにはこのあとで向かう「日出の石門(ひいのせきもん)」が見えている。

あたりは海鮮の店が並んでいる。ちょうど昼どきだったので、タコのピザを食べた。おいしい。

そこから少し山に登るかたちで戻ると、万葉歌碑がある。麻続王の歌が紹介されている。この歌については以前書いた。http://blog.chikushi-lo.jp/2023/06/blog-post_9.html

途中、フジバカマを植えているので踏まないようにと注意書きがあった。フジバカマはアサギマダラの大好物である。

さて「日出の石門」へ。恋路ヶ浜から42号線を東へ向かう。まっすぐ行くと浜松に着くようだ。それなりの坂なのだけれど、電動自転車なのでなんのことはない。

左手にオーシャンリゾートホテルがあり、このへんのはずだがと思い、坂をくだりはじめたころ、右手に降りていく道が見つかった。

坂をおりると、「椰子の実」の歌碑があった。これについても前に書いた。http://blog.chikushi-lo.jp/2023/06/blog-post_14.html

さこから先、急な階段を降りると、火曜サスペンスにつかえそうな断崖である。♪ジャンジャンジャーン~頭のなかでメロディーが鳴る。

さらに階段を降りると、「日出の石門」に着いた。なかなかの奇岩である。独特の雰囲気がある。NHK大河「どうする家康」のロケもおこなわれたらしい。

案内板が立っている。そのまま引用しよう。

 日出の石門は、とても緻密で固いチャートという堆積岩でできている。
 このチャートは、約二億年前に、放散虫の殻などの珪酸分が、はるか南方の海洋底に沈殿してできた。
 その後、太平洋プレートの移動とともに、現在の位置に運ばれてきた。
 層状に堆積したチャートは、海底地すべりや強い圧力で衝突したため変形した。うねるような褶曲や、褶曲を断ち切る断層は、過去の変動の記録でもある。
 石門の洞穴は、断層により破砕されもろくなった部分が、長い間に波の力で浸食されて、海食洞になったものである。

チャートといえば、みなさん受験期にお世話になった参考書を思い浮かべることだろう。毎日のコツコツとした努力の積み重ねが固い知識層となって、受験に合格する(はずだ)。

伊良湖崎は、とてもロマンチックなところだ。黒潮に乗って、鷹やアサギマダラが、そして椰子の実が渡ってくる。さらに、太平洋プレートの移動とともに、日出の門までが太平洋を渡ってきたのである。


2023年6月21日水曜日

関西の旅(2)神島

 

(フェリーから神島。左奥に霞んでいるのが伊良湖岬)

 関西の旅、つぎの目的地は伊良湖岬。『笈の小文』の旅で、流刑中の杜国を芭蕉が見舞い、ついでに訪れた。こんかいの旅で一番訪れたかったところ。

伊賀市駅からは伊賀鉄道で伊賀神戸まで。伊賀神戸から近鉄特急に乗り換え、鳥羽まで。鳥羽からフェリーに乗り、伊勢湾・伊良湖水道を横断。フェリーの着岸港が渥美半島の西端にある伊良湖岬。

伊賀神戸の駅舎ではツバメの夫婦が巣作りにはげんでいた。ちかくの田からくわえてきたとおぼしい泥をしきりに駅舎にへばりつけていた。

伊勢はスルー。ぜいたくな旅だ。5年ほどまえに子どもと訪れたので、よかろう。

鳥羽は50年ぶり。小学校の修学旅行で訪れたきり。小学生なのに、真珠養殖の様子を見せていただいた。せっかく教えていただいたが、真珠とは無縁の人生である。

鳥羽~伊良湖崎は地図で見ると近いが、伊勢湾フェリーで所要1時間。船旅はいい。とても旅情をかきたてられる。しかも、

ちょうど中間点に神島(古名、歌島)がある。


と、これだけ読んでピンときた人はそうとうな文学通。

神島は三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台である。小学生のときに、文学全集で読んだ。どきどきした。とくに「その火を飛び越して来い」というところ。

以下、ほぼウィキからの受け売りであるが、とても興味深いので、紹介する。

三島は世界旅行をし、古代ギリシア熱が高まった。そして古代ギリシアの恋愛小説「ダフニスとクロエ」のプロットを生かした小説を書くことを構想。

ギリシアの神々ならぬ日本の神々の存在を意識できる場所を探し、伊勢の文化圏である神島を選んだ。三島が参考にした万葉集の歌はこれ。

 潮騒に伊良虞の島辺漕ぐ舟に妹乗るらむか荒き島廻を 柿本人麻呂

持統天皇が伊勢神宮参宮と舟遊びをかねて伊勢に旅した時、都で留守番をした人麻呂がお供の女官を想って詠んだとされる。「伊良虞」は、伊良湖岬もしくは神島のことである。

伊良虞は伊良湖岬もしくは神島のことと言われてもピンとこない。しかし、写真を見てほしい。伊勢(鳥羽)から見ると、神島も伊良湖岬も島々にしか見えない。

かくて、神々のすまう日本のエーゲ海を横断して、伊良湖岬へ向かったのだった。

2023年6月20日火曜日

関西の旅(1)伊賀上野

 



 週末、関西を旅した。
 
 最初は伊賀上野。京都から琵琶湖線・新快速で草津まで。そこから草津線で甲賀を経て柘植まで。さらに関西本線に乗り換え、伊賀上野まで。そこからは伊賀線で上野市駅まで。

上野市駅は別名、忍者市駅。甲賀あたりから、どこもかしこも忍者推しである。忍者の案山子があちこちでわれわれの動静を監視し、忍者のゆるキャラのまわりに人が集まって撮影会をやっている。

江戸城(皇居)の西側に半蔵門がある。服部半蔵が守備した門だから半蔵門。服部半蔵は伊賀忍者である。伊賀忍者が有名なのは、織田信長に蹂躙されたものの、徳川幕府につかえたから。幼稚園のころの水筒は「伊賀の影丸」が描かれていた。

伊賀を訪れるのは2度目。20年ほどまえ、子ども連れで忍者屋敷を訪れた。「忍たま乱太郎」の影響だっただろうか。さっぱり記憶が残っていない。

駅の南側に句碑がある。

 さまざまの事おもひ出す桜哉

桜の季節にくれば、さまざまのことを思い出すだろうか。

こんかい忍者は封印し、芭蕉の生まれ故郷ということで訪れた。上野市駅前にはさっそく芭蕉の銅像が立って、出迎えてくれる。すっくと立って、孤高の姿である。

伊賀上野は歩いて回れる距離感だ。上野市駅から西へ5分ほど行くと芭蕉の生家がある。当時のものではないそうだが、雰囲気は味わえる。

もちろん句碑も立っている。

 故郷や臍のをに泣としのくれ

 冬籠りまたよりそはん此はしら

駅の北側に戻ると伊賀上野城跡(上野公園)。公園に入ってすぐ東側に芭蕉翁記念館がある。芭蕉やお弟子さんたちの直筆の文章や句が展示されている。

城内北側には俳聖殿がある。新人のボランティアガイドのおばちゃんが近寄ってきて、あれこれ解説してくれる。「何に見えますか。」「きのこ?」「ちがいます。」ヒントは一枚目の写真。

もちろん、天守閣にも登った。東西南北、市内を見渡すことができた。東には明日行く予定の鈴鹿山脈方面も見渡せた。

2023年6月19日月曜日

笈の小文(5)源氏物語か平家物語か

 


 『笈の小文』と秋の関係について、もう一つの考えは『笈の小文』には秋の景を描ききれなかったということが考えられる。

それは弟子の乙州が芭蕉の死後、『笈の小文』と『更科紀行』をセットで出版したことにあらわれている。

『笈の小文』の旅と『更科紀行』の旅は、実際には同じ旅。すなわち江戸を出発し、故郷の伊賀で年を越し、流刑中の杜国と関西の歌枕を旅し(京都で別れ)、さらに名古屋から木曾谷を経て信州更科で月見をして江戸に帰るという旅である。

旅行記であれば、一つのストーリーで完結したはず。しかし創作を含む紀行なので、芭蕉のなかで迷いがあったのではなかろうか。最後まで迷いは解決せず、未定稿のまま残されたのではなかろうか。

その迷いは、『更科紀行』を合体した構成にするのか、分離した構成にするのか。合体させれば、冬、春、夏ときた『笈の小文』の旅は秋で完結することになる。しかし、そうすることを憚らせる事情があった。

『笈の小文』は単なる四季の旅の記録ではない。愛する杜国との逃避行の旅の記録でもある。伊良湖岬で出会い、伊勢で合流した二人は、吉野の桜を愛で、関西の歌枕を尋ね、須磨・明石を経て、京都で別れる。

むかしある少年Aの付添人をしたことがあった。成人と異なり、少年には試験観察という中間処分がある。そのまま最終処分をすれば少年院送致になるのだが、がんばれば立ち直れるのではないかという少年用の処分。

試験観察には家庭でおこなうものだけでなく、家裁が委託した仕事先でおこなうもの(補導委託)がある。少年Aは筑後地区で仕事を提供する補導委託先に半年ほど預けられた。

ところが、しばらくして彼は補導委託先から逃げ、当職のもとを訪ねてきた。もう18時を過ぎていた。追い返すわけにもいかない。家庭裁判所(当直)にはその旨一報を入れた。

とりあえずその日は近くのホテルのツインの部屋を借りて、ふたりして宿泊した。そして翌朝、家裁にあらためて連絡した。

家裁では大騒動に発展していた。ま、非行少年が逃亡したわけだから、逃亡罪という犯罪である。当職も下手をすると、その援助罪が成立する可能性があった。家裁からはきつくお叱りを受けた。

流刑中の杜国と芭蕉の旅を読むと、いつもこの事件のことを思い出す。芭蕉たちは、つかまれば大罪を問われる覚悟をしていただろう。愛の逃避行である。

関西各地の歌枕を旅した芭蕉たちは須磨までやってきた。目の前は明石海峡を経て淡路島。明石海峡は須磨と明石を左右に分けている。いわく。

 淡路島手にとるやうに見えて、すま・あかしの海右左にわかる。呉楚東南の詠もかゝる所にや。物しれる人の見侍らば、さまゞの境にもおもひなぞらふるべし。

呉楚東南の詠とは、むかし漢詩でならった杜甫の「登岳陽楼」である。いわく。

 昔聞く洞庭水、今上岳陽楼、呉楚東南折、乾坤日夜浮

芭蕉たちは、地形的に、大きな岐路に立っていた。文学的にも岐路に立っていた。源氏物語路線か平家物語路線かである。

源氏物語では罪を得た源氏は須磨で流寓したのち、明石で罪をあかして都へ帰っていく。平家物語では、平家の公達や女房たちの多くはここで滅亡してしまう。

芭蕉は、実際の旅でも、『笈の小文』の筆のうえでも、ここで迷ったのではなかろうか。そのすえ、平家物語の滅亡のイメージが優勢となり、杜国と分かれる決心をすることになったと思われる。

2023年6月15日木曜日

笈の小文(4)わびさび

(明石海峡)

 『笈の小文』には、四時を友とすといいつつ、秋が描かれていない。それはヘミングウェイがいうところ「氷山の理論」による省筆によるものである。と書いた。こう書くと、ヘミングウェイは芭蕉より300年くらい後の人であるから、ちがうのではないかという意見もあろう。

しかし俳句という文芸そのものが、ある意味「氷山の理論」によってつくられている。「氷山の理論」とはこうだった。

もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない。その文章が十分な真実味を備えて書かれているなら、読者は省略された部分も強く感得できるはずである。動く氷山の威厳は、氷面下に隠された八分の七の部分に存するのだ。

そもそも俳句のばあい、五七五の17文字でつくらなければならないという制約がある。小説のように、言葉を尽くして、すべてを描ききることはできない。

17文字であれば、氷面上の部分だけしか描写できない。氷面下に隠された八分の七の部分は読者の想像にゆだねるほかない。

もちろん『笈の小文』は紀行文であるから、小説のように書くこともできたであろう。しかし芭蕉の頭のなかでは句作とおなじ意識がはたらいていたのではなかろうか。

芭蕉の俳句には「わびさび」の精神があるといわれる。わびさびとは、質素なものにこそ趣があると感じる心や、時の経過によってあらわれる美しさをいう。それは以下の代表句にあらわれている。

 古池やかわずとびこむ水の音

 閑さや岩にしみ入る蝉の声

紀行文も、「わびさび」の精神で書くとき、もっとも大事な部分を省筆して、読者の想像にゆだねることになる。

一番の例は『おくのほそ道』の松島の段。松島(の月)は『おくのほそ道』の旅のクライマックスである。しかるに、芭蕉は句をつくっていない・・ことになっている。

 松島やああ松島や松島や

人口に膾炙しているが、偽作。

 島々や千々に砕けて夏の海 (「蕉翁句集」)

実際にはこの句を詠んだ。しかし『おくのほそ道』では、松島のあまりの素晴らしさに詠めなかったことになっている。いわく。

 ・・その気色窅然として、美人の顔を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山祇のなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽くさむ。・・予は口を閉じて眠らんとしていねられず。・・

『おくのほそ道』は冒頭、「松島の月まづ心にかかりて」にはじまる。こうして読者の期待をさんざんじらしたうえで、クライマックスでの省筆。読者のイメージは爆発せざるをえない。

『笈の小文』でも、クライマックスは吉野の桜である。ここでも芭蕉は実際には句を詠んでいる。

 花ざかり山は日ごろのあさぼらけ

しかしやはり『笈の小文』では句が詠めなかったことになっている。いわく。

 よしのゝ花に三日とゞまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、・・われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとじたる、いと口をし。おもひ立たる風流、いかめしく侍れども、爰に至りて無興の事なり。

こちらも出発にあたり、「そゞろにうき立つ心の花の、我を道引枝折となりて、よしのゝ話におもひ立んとするに」とか、「よし野にて櫻見せふぞ檜の木笠」などと読者の期待をあおっている。そうして読者の期待を十二分にふくらませたうえ、クライマックスでのストイックな省筆。読者のイメージは爆発せざるをえない。

おなじようにして、芭蕉は『笈の小文』の秋を描かなかったと考えることはできよう。

※そういえば、芭蕉とヘミングウェイは似ている気がする。