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2023年6月15日木曜日

笈の小文(4)わびさび

(明石海峡)

 『笈の小文』には、四時を友とすといいつつ、秋が描かれていない。それはヘミングウェイがいうところ「氷山の理論」による省筆によるものである。と書いた。こう書くと、ヘミングウェイは芭蕉より300年くらい後の人であるから、ちがうのではないかという意見もあろう。

しかし俳句という文芸そのものが、ある意味「氷山の理論」によってつくられている。「氷山の理論」とはこうだった。

もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない。その文章が十分な真実味を備えて書かれているなら、読者は省略された部分も強く感得できるはずである。動く氷山の威厳は、氷面下に隠された八分の七の部分に存するのだ。

そもそも俳句のばあい、五七五の17文字でつくらなければならないという制約がある。小説のように、言葉を尽くして、すべてを描ききることはできない。

17文字であれば、氷面上の部分だけしか描写できない。氷面下に隠された八分の七の部分は読者の想像にゆだねるほかない。

もちろん『笈の小文』は紀行文であるから、小説のように書くこともできたであろう。しかし芭蕉の頭のなかでは句作とおなじ意識がはたらいていたのではなかろうか。

芭蕉の俳句には「わびさび」の精神があるといわれる。わびさびとは、質素なものにこそ趣があると感じる心や、時の経過によってあらわれる美しさをいう。それは以下の代表句にあらわれている。

 古池やかわずとびこむ水の音

 閑さや岩にしみ入る蝉の声

紀行文も、「わびさび」の精神で書くとき、もっとも大事な部分を省筆して、読者の想像にゆだねることになる。

一番の例は『おくのほそ道』の松島の段。松島(の月)は『おくのほそ道』の旅のクライマックスである。しかるに、芭蕉は句をつくっていない・・ことになっている。

 松島やああ松島や松島や

人口に膾炙しているが、偽作。

 島々や千々に砕けて夏の海 (「蕉翁句集」)

実際にはこの句を詠んだ。しかし『おくのほそ道』では、松島のあまりの素晴らしさに詠めなかったことになっている。いわく。

 ・・その気色窅然として、美人の顔を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山祇のなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽くさむ。・・予は口を閉じて眠らんとしていねられず。・・

『おくのほそ道』は冒頭、「松島の月まづ心にかかりて」にはじまる。こうして読者の期待をさんざんじらしたうえで、クライマックスでの省筆。読者のイメージは爆発せざるをえない。

『笈の小文』でも、クライマックスは吉野の桜である。ここでも芭蕉は実際には句を詠んでいる。

 花ざかり山は日ごろのあさぼらけ

しかしやはり『笈の小文』では句が詠めなかったことになっている。いわく。

 よしのゝ花に三日とゞまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、・・われいはん言葉もなくて、いたづらに口をとじたる、いと口をし。おもひ立たる風流、いかめしく侍れども、爰に至りて無興の事なり。

こちらも出発にあたり、「そゞろにうき立つ心の花の、我を道引枝折となりて、よしのゝ話におもひ立んとするに」とか、「よし野にて櫻見せふぞ檜の木笠」などと読者の期待をあおっている。そうして読者の期待を十二分にふくらませたうえ、クライマックスでのストイックな省筆。読者のイメージは爆発せざるをえない。

おなじようにして、芭蕉は『笈の小文』の秋を描かなかったと考えることはできよう。

※そういえば、芭蕉とヘミングウェイは似ている気がする。

2021年8月5日木曜日

市振の関ー遊女との別れ


(市振から、親知らず子知らずを望む)
 

(いちぶりの関跡)



 今日は親知らず・子知らず・犬戻り・駒返しなどいふ北国一の難所を越えて疲れはべれば、枕引き寄せて寝たるに、一間隔てて面のかたに、若き女の声、ふたりばかり聞こゆ、年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、越後の国新潟といふ所の遊女なりし。伊勢参宮するとて、この関まで男の送りて、明日は故郷に返す文したためて、はかなき言伝などしやるなり。白波の寄する汀に身をはふらかし、海士のこの世をあさましう下りて、定めなき契り、日々の業因いかにつたなしと、物いふを聞く寝入りて、
  朝旅立つに、われわれに向かひて、「行方知らぬ旅路の憂さ、あまりおぼつかなう悲しくはべれば、見え隠れにも御跡を慕ひはべらん。衣の上の御情けに大慈の恵みを垂れて、結縁させたまへ」と涙を落とす。不便のことにははべれども、「われわれは所々にてとどまるかた多し。ただ人の行くにまかせて行くべし。神明の加護、必ず恙なかるべし」と言ひ捨てて出でつつ、あはれさしばらくやまざりけらし。

 一つ家に遊女も寝たり萩と月

曾良に語れば、書きとどめはべる。

 おくのほそ道が歌仙の構造を俤にしているとすれば、市振の関は、名残りの折りの表と裏の境。これから起承転結の転から結へ。テーマは宇宙から別れへ。

親知らず子知らずは、北アルプス(飛騨山脈)の北端であり、峻険な山が海に突き出ています。そのため平地がなく、街道が海の際を通っています。日本海の荒い波のあいまをぬって、通過しなければなりません。ときには子どもが大波にさらわれたこともあったといいます。それが名称の由来です。古くから交通の難所として恐れられていました。

親知らずは、地形的に軍事的な要衝でもあり、承久の乱でも激戦がたたかわれました(朝廷軍の敗北)。隠岐にながされる途中、順徳院はそのことに思いをはせたのでしょうか。

子が波にさらわれて親子が離別してしまうという親知らず子知らずは、おくのほそ道のテーマが宇宙から別れへ変わることを告げるには絶好の名前です。

そういえば、一つ前の直江津も、森鴎外の『山椒大夫』の舞台として知られていました。これも、母子が人さらいにより引き裂かれる話でした。すでに別れのモチーフは、文月はの句のなかに潜んでいたわけです。

親知らず子知らずは、北アルプスの北端ですが、「糸魚川静岡構造線」の北端でもあります(その東側がいわゆるフォッサマグナ)。ここに西南日本と東北日本との地学上の境もあります。ひょっこりひょうたん島のように、西南日本と東北日本が別々のところから流れてきて、ここで合体し日本列島が誕生したわけです。

市振へは「あいの風とやま鉄道」で向かいます。糸魚川からだと20分弱、富山からだと1時間半の行程です。

市振で、芭蕉は艶っぽい体験をしています。遊女から同道を求められたのです。でも芭蕉はこれを断っています。求道の妨げになると考えたのでしょう。そんなぁ、いっしょに行ってやればよいのに・・・。別れのテーマのエピソード・ワンです。

芭蕉が色恋を話題にすることに違和感をおぼえる人もいるかもしれません。ですが芭蕉はこのとき46歳。まだまだ恋や愛を語れる歳でしょう。

それに連句(歌仙)には、すでに紹介した初折れの表・裏、名残りトランプや将棋のように細かいルール(式目)があって、きまったあたりで月や恋に関する句を詠まなければなりません。市振の段は、歌仙でいう「恋の座」なのです。

もちろん、遊女が萩で芭蕉が月だとか、そうじゃないとか、いろいろな鑑賞があります。萩の花言葉は「思案」です。

結びに「曾良に語れば、書きとどめはべる」とありますが、曾良の随行日記にはその記述はありません。ここから、このエピソードじたいが芭蕉の創作であるといわれています。

芭蕉がここで遊女を登場させたわけは能の『山姥』にあるのではないでしょうか。市振の関のすこし西側に境川が流れているからです。

「山姥の山廻り」という曲舞をうまく演じて人気を博した都の遊女が善光寺詣でを思い立ちました。境川から山越えをしようとしたところ日が暮れてしまいました。宿を貸そうという女があらわれたのですが、実はそれがほんものの山姥でした。山姥は境涯を語り舞っていずこかへ消えていったのでした。

もちろん境川の名前の由来は越後と越中の境を流れる川だからですが、この曲では現世と異界との境でもあったのでした。

おくのほそ道の場面転換を行ううえで、市振の関以上の舞台はありません。

2021年6月27日日曜日

心にかかる松島の月ー「月がきれいですね」


  ・・・まづなつかしく立ち寄るほどに、月、海に映りて、昼の眺めまた改む。江上に帰りて宿を求むれば、窓を開き二階を作りて、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ。

この月は、おくのほそ道の冒頭、「松島の月まづ心にかかりて」とあった月です。当初からの旅の目的であり、芭蕉一行はその目的を果たしたわけです。

芭蕉の紀行文には他に「野ざらし紀行」「鹿島詣」「笈の小文」「更科紀行」があります。このうち「鹿島詣」「更科紀行」も月見を目的にする旅です。5つの紀行文のうち3つが月見が目的だったわけです。月見の旅がよほど好きだったのでしょうね。

こういう旅の目的は日本独自ではないかという人がいます。しょんべん小僧、人魚姫、マーライオンを見に行く旅はあっても、しょんべん小僧広場で月を見たいという感性は欧米人にはないのではないかというのです。

俳句をつくるときに、一物仕立てと取り合わせという2つの方法があります。前者は一つの季語に集中して作る方法で、後者は他のものと取り合わせて作る方法です。

鹿島の月、更科の月、松島の月は、それぞれの名所と月との取り合わせです。松島だけでも十分に美しいのだけれども、それに月を取り合わせるとさらに数倍美しい効果をうみます。

三大季語として、雪(冬)、月(秋)、花(春)といわれます。ぼくはこのうち雪と花には超シビれますが、月はあまりピンとこないほうです。みなさんはどうですか。

一つには、むかしは陰暦だったということがあるかもしれません。朔日の新月にはじまり、3日の三日月、6~8日目ころに上限の月、14、15日目に望月(満月)、21、22日目ころに下限の月、そして朔日の新月。それが28日周期で毎月繰り替えされる。そうなると、やはり月の動き、見え方がとても気にならざるをえません。

芭蕉が月見を好きだった理由は、ここら辺にありそうです。月は太古から月でありながら常に変化し無常。不易流行を体現しているからです。

筑紫野市でも二日市温泉・天拝公園で観月会がもよおされています。天拝山に月の取り合わせだけでも美しいですが、女性の浴衣姿との取り合わせは、数十倍の効果をうみますね。これなら月オンチのぼくでもピンときます。

ところで観月会で女性に「月がきれいですね」というのは、勇気が必要であると知っていましたか。

夏目漱石が英語の教師をしていたとき、I love you.を教え子が私は愛すと訳したところ、漱石は「日本人はそんなことは言いません。月がきれいですね。とでも訳しておきなさい。」と言ったとか。さすが。

※漱石は新婚旅行で二日市温泉を訪れています。きっと月がきれいだねと言ったことでしょう。

 温泉のまちや踊ると見えてさんざめく 漱石