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2024年1月17日水曜日

川中島古戦場

 



 『更科紀行』関連の旅はきのうまでに書いたとおり。途中、川中島古戦場、上田城、四阿山(撤退)も訪れたので、それらについても報告しておこう。

 まず、川中島。姥捨駅から見えていた。千曲川と犀川とに挟まれた三角地帯。島ではないのであるが、両側を大河に挟まれているので島とみたてられているのだろう。

一枚目の写真は、千曲川(松代大橋から)。五木ひろしの歌がある。

 ♪一人たどれば草笛の
 音色哀しき千曲川・・

向こうが北側・日本海で、北にむかって流れている。左岸が川中島。古戦場は左端に木立がみえているあたり。

川中島の中央やや南部に川中島古戦場がある。長野駅からバスで20分。

二枚目の写真は、川中島古戦場内・八幡社にある一騎打ちの銅像。右手・馬上で太刀をふるっているのが上杉謙信、左手・床几に座ったまま軍配で応戦しているのが武田信玄。両雄が直接対峙し、一騎打ちした有名な場面である。

海音寺潮五郎の歴史小説『天と地と』で有名。NHK大河ドラマにもなった(1969年)。上杉謙信役は石坂浩二だった。当時小学生だったが、石坂の謙信には血湧き肉踊った。

上杉側の旗には「毘」と書いてある。毘沙門天の毘である。毘沙門天は戦の神様。四天王のうち多聞天とおなじ、北方を守っている。敵方はこの旗を見るだけで震え上がったという。銅像のある八幡社も武運の神である。

対する武田側の旗はいわゆる「風林火山」。孫子から。

 其疾如風 其の疾きこと風の如く
 其徐如林 其の徐(しず)かなること林の如く
 侵掠如火 侵掠すること火の如く
 不動如山 動かざること山の如し

上杉謙信は越州(新潟県)、武田信玄は甲斐(山梨県)の大名である。信州(長野県)はその中間地帯にあり有力大名がいなかったことから、両雄の草刈場となっていたのだろう。

川中島は三角地帯の2辺を大河で1辺を山で囲まれていたので、雌雄を決する決戦場として最適だったのだろう。川中島の戦いは主なものだけで5回、12年におよんだという。地元民としては大迷惑だったにちがいない。

両雄がこのような地域戦を繰り返している間に、信長が上京して天下に覇をとなえることになった。両雄とも武としてはすぐれていたかもしれないが、信長の政治感覚に敗れたのである。

意外なことに、境内には芭蕉の句碑もあった。

 十六夜もまだ更科の郡かな

令和の世になってもまだ、人は争いを繰り返し、醜態をさらしている。真如の月があまねく照らす日はいつなのか。

2023年6月26日月曜日

関西の旅(5)総持寺、勝尾寺、箕面滝

 





 最終日は豊橋周辺にある芭蕉句碑をめぐる予定だった。

ここらあたりから名古屋にかけては芭蕉のお弟子さんがたくさんいた。主だったお弟子さんの家で、芭蕉は句会を催した。いまでいえば、歌舞伎の地方公演、相撲の地方巡業、歌手の全国ツアーのようなものだろうか。

そのため、このあたりには芭蕉の句碑がたくさんある。

 寒けれと二人旅ねそこのもしき 豊橋市湊町・築島弁天社

 道のべの木槿は馬に食われけり 豊橋市小松原町・東観寺

しかし、伊賀上野、伊良湖崎と来て、句碑めぐりにはすこし飽きた。どうしよう?

まず思い浮かんだのは、伊勢物語の八橋伝承地を訪ねること。有名な「東下り」(第九段)で、むかしおとこは東国を旅する。

三河の国、水ゆく川のくもてなれば橋を八渡せるによりて八橋と名のついた場所にて休息。ほとりにはカキツバタが美しく咲いていた。

むかしおとこは、カ・キ・ツ・バ・タという五文字を句頭において旅のこころ、望郷のこころを詠んだ。
 
 から衣きつつなれにしつましあれば はるばる来ぬるたびをしぞ思ふ

古今集では在原業平の歌として紹介されている。ここから伊勢物語の主人公むかしおとこは在原業平であるとされるが、どうだろう?実際には東国を旅したことはないらしい。この案は句碑めぐりと同じ理由でボツに。

次に思い浮かんだのは古戦場めぐり。むかし桶狭間や関ケ原をめぐったことがある。このあたりは古戦場には事欠かない。設楽ヶ原・長篠の古戦場は近そうだ。『どうする家康』で、さいきんやったばかりだ。でも、なんとなくそんな気分ではない。

そういえば、先日、大場敬介先生とお話をしていて、大徳寺聚光院にある千住博氏による障壁画『滝』の話になった。頭のなかでそのイメージが広がった。見たい!・・と思ったが、現在は公開されていないようだ。残念。

などなどと考えたすえ、西国三十三所めぐりの続きをすることにした。観音さまに願い事があったから。訪ねたのは22番総持寺と23番勝尾寺。

総持寺は、京都で在来線に乗り換え、JR総持寺駅(茨木市)で下車。徒歩5分ほど。真言宗。本尊は千手観音さん。パソコンが千住観音と誤表記した。無理もない。

『今昔物語集』にもみえる縁起は、こう。猟師たちに捕らえられた大亀を買い取って助けてやった。その子どもが川に落ちた。観音さまに祈ると、先の亀が子どもを助けた。浦島太郎に似ている。亀は長生きなうえ、義理堅いいきもののようだ。

JR総持寺駅から新大阪駅へ向かい、御堂筋線で千里中央。そこからタクシーで勝尾寺(かつおうじ)へ。

中学社会科の授業で、固い紙を何段も張り合わせて大阪府の地図を作った。いちばん印象に残っているのは京都との境にある男山。その次がこの箕面のあたりである。大阪府は北のほうがヒョウタンの首ようになっている。しかも標高があがっていくので独特の地形になるのだ。

真言宗。本尊は十一面千手観音さま。八面六臂の活躍というが、十一面。しかも千手。庶民の願いに応えるため、仏さまもたいへんだ。

ここは「勝ちダルマ」が有名。大小さまざまなダルマが売られているし、おみくじもダルマみくじである。境内いたるところにダルマが奉納?されている。4つ目の写真は沙羅の木の花であるが、よく見るとダルマの実が2つなっている。

「勝ちダルマ」が名物になったのは、勝尾寺(かつおうじ)の語呂あわせだったのだろう。達磨は禅宗の開祖だから、真言宗とはやや宗派があわない。弘法も語呂の誤りか。

帰りには、箕面大滝に寄った。句碑や寺など人工物もよいが、やはり自然がいちばんである。

2023年5月23日火曜日

松山観光(3)円満寺、法厳寺、石手寺(51番札所)、湯築城

 





 松山二日目の観光をどうするか?考えていたら、ホテルの部屋に、松山市内観光用の地図があった。これに従って歩くことにした。

地図といっても、子どものころ書いた宝探しの地図のようなもの。ざっくりとした概念図。おおよその方向と位置関係が分かる程度。そのため何度か道を間違えて、ドラクエふうお遍路旅になった。

まずは道後温泉本館のすぐ裏にある円満寺。縁結びのご利益があるという大きなお地蔵さまが鎮座していた(1枚目の写真)。お地蔵さまは子どもを守ってくれるという。カラフルなお守りがたくさん奉納されていた。

そこからさらに坂を登ると、法厳寺。時宗の開祖、一遍上人の出身地であるという。時宗は念仏踊りで知られているが、盆踊りの起源らしい。寺内には句碑が並んでいた。松山はどこへ行っても句碑がある。

寺に至る階段では子規と漱石が語りあったらしい(2枚目の写真)。ほんとうだろうか。

寺のまえを南に登ると、きのうも参拝した伊佐爾波(いさにわ)神社。きょうも晴れて、松山市街の絶景が見渡せた。さすがパワースポット。

次は、四国遍路51番札所の石手寺を目指した。しかしここからが迷った。地図では湯月公園テニスコート前を遠ってまっすぐいけそう。しかし行き止まり。地元の人に何度も尋ねて、寺をたずねあてた。

途中、にきたづ会館というのがあった。額田王の歌にでてくる熟田津である。いまでは海岸線まで遠いが、むかしはここら辺まで海岸線が進入していたのであろうか。

石手寺(いしてじ)は関西テイストでディープな雰囲気だった。もちろん真言宗。ここもまたパワースポット。本堂の前には弘法大師がいつも握っておられる金剛杵がゴールドに輝いていた(3枚目の写真)。

ミシュランガイド(観光・日本編)で☆を獲得している。本堂奥にはマントラ洞窟があり、まさにドラクエ探検の雰囲気だった(礼を失していれば、すみません)。

参拝後はいったん道後温泉方面に戻る。そして、中世河野氏が君臨した湯築城史跡公園を散策(4枚目の写真)。

公園には、水辺の宝石といわれるカワセミを狙うカメラマンたちがたむろしていた。そのよこでは、道後温泉の開湯伝説に伝わるシラサギの子孫のそのまた親戚だろうか、アオサギも遊んでいた(5枚目の写真)。

2012年1月22日日曜日

宝満山は婚活パワースポットだった! by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 きのう「運命の人」やってましたね。
 政治家グループもなかなかでした。

 いちばん似ていたのが田中角栄さん。
 でも「よっしゃ、よっしゃ」感がやや足りないかも。

 そのつぎは福田赳夫さんでしょうか。
 大平正芳さんは「あー、うー」感が足りません。

 佐藤栄作首相はちょっとかっこよすぎでしょう。
 「華麗なる一族」からの伝統?キャスティングなのでしょうか。

 社会党の横路孝弘さんは若いころ、あんな感じだったのでしょうか。
 楢崎弥之助さんはカットされていましたね。

 それはさておき「宝満山は婚活パワースポットだった!」
 いよいよです。

 宝満山もさいきんは山ガールがいっぱい。
 山ガールのメッカ(=宗教上の拠点)です。

 これも宝満山が婚活パワースポットだからでしょう。
 (ほんまかいな?)

 きのうも本ブログ用の写真を撮りに登ったところ
 山ガールがいっぱいでした(ずっと雨だったのに)。

 さてどこから話をはじめるか迷いますが
 あたらしいところで(といっても近世)芭蕉句碑などいかが?

 宝満山に芭蕉句碑などあったっけ?と思われるかたもいるでしょう。
 うっかりすると見逃してしまいます。

 胸突き八丁とはよくいったもので
 宝満登山も8合目あたりがいちばんきつい。

 このあたり下ばかりみて
 息をきらして登ってしまいがち。

 でも百段がんぎを登りきり、七合目・西院谷九坊の跡地を過ぎたら
 100マートルほど登った右手にあります。

 こんど注意して
 登ってみてください。

 中宮跡まで行ったしまったら
 登りすぎ。

 句碑にはこうあります。

   世の人の 見付ぬ花や 軒の栗
  (よのひとの みつけぬはなや のきのくり)

 なぜ七~八合目のこんなところに句碑をおいたのか知りませんが
 まさに世の人の見つけにくいクリならぬ句碑。

 この句は芭蕉の「おくの細道」から採られています。
 いまの福島県、須賀川の段。

  この宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧あり。
  橡ひろふ太山もかくやと閒に覚られて、ものに書きつけ侍る。其詞

   栗といふ文字は西の木と書いて、西方浄土に便ありと
   行基菩薩の一生、杖にも柱にもこの木を用い給ふとかや。

 栗の花は地味で目立たず、世人も目をとめて見ることもないが
 そんな栗の花のような人こそいいんじゃないでしょうか。

 地味で見た目はちょっとだけど
 秋にはおいしい栗がたくさん食べられますよ。

 そういえば先日、福岡中小企業家同友会の新春講演会での話。
 中小企業経営にとっては「闘かわない経営」がお奨め。

 競合他社と闘かわないためには
 ポジショニングが大事だそう。

 修行や神頼みにいくまえに、まずは見方を変えてみましょうよ
 そうすれば、運命の人が見つかるかもよ(芭蕉)。

             ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳