2024年3月11日月曜日

曲水の宴に留学生を招く会

 



 3月の第1日曜日には、太宰府天満宮で曲水の宴が催行される。われわれ太宰府ロータリークラブはこれに留学生を招く会を毎年おこなっている。国際理解と国際親善の促進が目的。

午前中は少し雪か雨もよいだったが、天気は回復にむかった。初春の令月にして気淑く風和らぎ・・・。梅花は見ごろは過ぎていたが、まだまだ咲いていた。

ロータリークラブには3種の留学生制度がある。そのうち、高校生の交換留学生とホストファミリー、米山奨学生とカウンセラーをお招きした。ノルウェー、フィンランド、韓国、ドイツなど9か国からの学生ほか40名の参加である。

曲水の宴は、文字通り、くねくねと曲がった水路沿いに出席者が並んで座り、水路を流れてくる杯が自分のまえを通りすぎるまでに和歌を詠む行事である。

水に流すという言葉があるが、古来、水辺で禊(みそぎ)をしていた。世界遺産である大峰山に登ったときも、前日、滝ごりや護摩焚きで斎戒沐浴した。曲水の宴は、古代中国でこうした禊が発展したものだという。

東晋の時代、書の達人である王義之も蘭亭でおこなわれた曲水の宴に参加した。そして漢詩集の序文として有名な「蘭亭序」を書き残している。

日本では、日本書紀には古い記事があるようだが、確実なのは文武朝以降。奈良時代を経て平安時代にさかんにおこなわれた。天満宮でおこなわれているのは、平安時代のものの再現。女官が十二単を着、和歌を詠む。

留学生たちはNHK大河「光る君へ」をみているだろうか。みている人は、あああの時代かと理解しただろう。

平安絵巻であるから時間はのんびりと流れる。紅白歌合戦のように次から次へと歌が披露されるわけではない。朗詠もろうろうとおこなわれる。一つの和歌が終わって、つぎの和歌がはじまるまで間がある。

毎日分刻みのスケジュールに追われる留学生たちに日本文化がどこまで伝わったであろうか。少なくとも、よい気分転換になったことだろう。みな表情が和んでいる。

2024年3月10日日曜日

「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(5)

妙法蓮華経巻第一@1900年敦煌莫高窟出土
妙法蓮華経方便品@1900年敦煌莫高窟出土
妙法蓮華経化城喩品@1900年敦煌莫高窟出土

 今展でいちばん感動したのはこれら。1900年敦煌莫高窟で発見された妙法蓮華経(法華経)。

井上康の小説『敦煌』で主人公趙行徳が、映画「敦煌」で佐藤浩市が戦火の敦煌から命をかけて救い出した敦煌文献の一つである。

法華経は大乗仏教の教え。特別な修行を経た者だけでなく、誰もが平等に成仏できることが説かれている。

方便品は、仏が瞑想から覚めて、それまでの方便(たとえ話)ではなく真実を説く。

化城喩(けじょうゆ)は、化城のたとえ話。長く困難な道のりに、衆生はあきらめそうになる、リーダーはあの城で一休みしましょうといって衆生の気力を回復させるという話。

少女の菅原孝標女は夢をみ、僧侶から法華経第5巻を早く習うよう指導される(更級日記)。しかし、彼女はこれにしたがわない。第5巻には女人成仏を説く部分があるのに。

これら貴重な経典類は莫高窟内の洞窟に隠されていた。誰が、いつ、どのような理由でそのようなことをしたのか?

1900年に敦煌文献が発見されてから誰しもがその疑問をもった。小説『敦煌』は井上靖による、その鮮やかな回答だった。

さきにMIHO MUSEUMでみたように、「光る君」藤原道長も、吉野山金峯山寺に自筆写経を納経している。


きのうの「光る君へ」では、花山天皇を退位させる兼家の陰謀に加担していた。それを懺悔する気持ちもあっただろうか。

百名山の吾妻山連峰には一切経山という山がある。安部貞任が一切経を埋めたからという。経塚山という名の山は全国に数多い。

福岡と佐賀の県境にも、九千部山(くせんぶさん)がある。むかし若い僧が台風と病気に苦しむ村人を救うため、山頂で法華経を一万部読誦しようとした。が、あと千部というところで美しい女に誘惑されて果たせなかった・・・、それが名の由来という。

命をかけて永遠の真理を救出するのも人間なら、一時の誘惑に負けて挫折するのも人間である。

2024年3月7日木曜日

「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(4)

 
菩薩座像
馬頭観音


如来像
 
 シルクロードを東へ西へ文物が運ばれた。東から西へは絹や陶磁器が。西から東へもさまざまな文物が。その最大のものはやはり仏教である。仏教東漸。

菩薩座像は河南省竜門石窟近くから出土。唐代のもの。コルセットを着用した女性のようにウエストをしぼった姿が印象的。右脚をおろし、豪華な装飾品をつけている。優雅。インドのグプタ美術の影響である。

仏像というのはぶっちゃけ偶像崇拝だ。エホバ神がモーゼにさずけた十戒でも、偶像崇拝は禁止されている(旧約聖書、出エジプト記)。映画「十戒」では、金の子牛像を崇拝した罪深き人々は割れた大地の間に落ちていった。

旧約聖書をベースにしているユダヤ教、イスラム教は偶像崇拝を禁止し、キリスト教ではカトリックではゆるやか、プロテスタントでは厳格であろうか。

仏教でも、もともとは仏が人間の姿で表現されることはなかった。菩提樹、仏足石、法輪などで象徴的に表現された。星の王子さまで言われるとおり、大切なものは目に見えない。

それに畏怖の感覚もあろう。こういう感覚は古代から日本でもある。『源氏物語』が読みづらいことの一因として、登場人物の呼び名がくるくる変わることがある。本人の名前を呼ぶことがはばかられるため、官職名で、女性のばあいさらに親の官職名で呼んだりするからだ。

話を戻す。じゃいつころから、どこで、仏が人の姿に造形されるようになったのだろうか。それは、♪そこにいけばどんな夢もかなうという~遙かな世界、ガンダーラである。

ではなぜ、ガンダーラでは仏が人間の姿に造形化されたのか?この答えは世界史の雄大さを実感させてくれる。キーマンは、あのマケドニア王アレクサンドロス大王である。

ガンダーラはインダス川上流部に位置している。この地域は、アレクサンドロス大王が大東征をおこなった東端にあたっている。

東征後、西はギリシア・エジプトから東はインダス側流域に至る大帝国が建設された。域内では東方の文化と融合した新しいギリシア風文化が普及した。いわゆるヘレニズム文化である。

東方の文化というばあい、ここでは仏教である。それがギリシア文化と融合した。ギリシアでは神々が人の姿で造形されている。仏も人の姿で造形化されたことは必然である。

ガンダーラの仏がどこかギリシアの神々の面影を残しているのはこのためである。しかし、時代が下ってグプタ朝になると様式のインド化が進み、繊細・優雅な表現となった。こうして造形化された仏たちはシルクロード上を東へ向かった(東漸)。

むかしから観音様のなかに馬頭観音様がいらっしゃることに違和感をおぼえていた。しかし、仏教がシルクロードを東漸してきたのであれば、その間、騎馬民族がひごろお世話になっている馬が仏になるのも自然な流れかなと思う。

シルクロード各地の遺跡にのこる仏たちは、日本の仏たちのご祖先さまにちがいない。みな、法隆寺の百済観音、釈迦三尊像や、興福寺の仏頭にそっくりでいらっしゃる。

2024年3月6日水曜日

「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(3)

 
(駱駝俑)

(女子俑) 

 シルクロードのうち中国領内の部分が2014年「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」として世界遺産に認定された。西からいうと順に、新疆地域→敦煌→蘭州→西安→洛陽の各都市、各地域を結ぶ。

シルクロードは新疆地域からさらに西に延び、中央アジア、ペルシア、中東、トルコを経てローマに及ぶ。先の第一号ののち、第二号としてタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの関連遺跡など計34件が「シルクロード:ザラフシャン=カラクム回廊」の名で世界遺産に認定されている。それでもまだ全長6,400キロメートルの一部だ。

シルクロード上をいろいろな文物が東へ西へ行き来した。シルクロードというぐらいだから東から西へ絹が運ばれたことは間違いない。

東から西へは陶磁器も運ばれた。唐代の陶器は唐三彩だ。鉛釉を施した陶器で、主に副葬用に制作された(副葬品として墳墓から出土している。)。クリーム色・緑・白など三色を組み合わせていることから唐三彩と呼ばれる。

唐三彩は、物そのものだけでなく、技術も日本にも伝来している。あるいは、日本でその技術を真似ようとした。奈良三彩として有名。九州国立博物館にも所蔵されている。

https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=101343&content_part_id=0&content_pict_id=0

「光る君へ」の放送にあわせてか、越前市で越前国府の発掘に取り組んでいるニュースが放送されていた。越前は紫式部の父である藤原為時(岸谷五朗)が県知事として赴任したところ。式部も同行したとされる。

https://artexhibition.jp/topics/news/20240205-AEJ1848029/

その際、発掘のボランティアが語っていたのだが、緑釉のかかった陶片を発掘するとお宝発見なのだそう。当時一般的には須恵器、土師器の時代であるから、緑釉陶器は国府など重要施設だけで使用されていたから。当時は宝石ほどの価値があったことだろう。

シルクロードで発見される唐三彩は、場所柄からラクダ。日本の動物園にいるラクダくんたちとはちよっと違う。頼れる存在だったのだろう、力強い表現になっている。

そして唐美人。ふくよかな顔と優雅な立ち姿。鮮やかな釉に輝くショールは、三越のショーウインドウに輝く高級ブランドをもしのぐ魅力を放っている。

2024年3月5日火曜日

「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(2)

 

 きのうと同じ瑪瑙象眼杯(めのう・ぞうがん・さかずき)。1997年に、新疆ウイグル自治区にあるイリ市昭蘇県の歩間古墳から出土した。

「シルクロードといえば、正倉院の宝物、中島敦『李陵』、井上靖『楼蘭』、『敦煌』、玄奘三蔵・『西遊記』などわれわれにも親しい」と書きつつ、例えがいささか古いと感じた。

最近でいうとNHK・BSで、イギリスの旅行会社が主催し、イスタンブールから西安(長安)までバスツアーをする番組をやっていた。でもこれをみた人はすくなかろう。

その他なにかなかったっけ? 堺雅人の「VIVANT」はどうだろう? ドラマにはバルカ共和国がでてくる。ドラマの内容的に実在国ではさしさわりがあるので架空国である。

でも中央アジアに位置し、中国、ロシア、モンゴル、カザフスタンに囲まれた内陸国であるとされる。その4国の境となると、シルクロードよりだいぶ北のようだ。

https://www.google.com/maps/place/%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3+%E3%80%92070000+%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%81%EF%BC%9D%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%AC%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%A4/@46.9384528,74.6886673,4.56z/data=!4m6!3m5!1s0x42b9d22b58e9118f:0xe71ae621b1479ab3!8m2!3d49.2491419!4d87.0018929!16s%2Fg%2F1hc5qdqfs?entry=ttu

本展の目玉である先の瑪瑙象眼杯が出土したイリ市はどこだろう?

https://www.google.com/maps/place/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD+%E6%96%B0%E7%96%86%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%AB+%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%95/@44.3953929,75.5710294,5.75z/data=!4m6!3m5!1s0x38791aab067cee27:0x1325d3f1b296596b!8m2!3d43.9168899!4d81.32416!16zL20vMDI1aHNs?entry=ttu

イリ市は中国、カザフスタン、キルギスの3国境である。天山北路の最西にある伊寧の辺り。

瑪瑙象眼杯の説明では、民族往来の舞台、胡人の活動とオアシスの遺宝となっている。ここで胡人はイラン系のソグド人のことだ。プレ・シルクロードといえばよいだろうか。漢人が行き来する前から、シルクロードを往来してお宝を運んでいたのである。

瑪瑙(めのう)はどこから来たのだろう?残念ながら、瑪瑙はありふれた鉱物で世界各地で算出するようだ。日本でしか採れないとなれば、井上靖に習って、日本からイリ市に至る瑪瑙の数奇な運命を推理し、創作することができたのに。

2024年3月4日月曜日

「世界遺産 大シルクロード展」@アジア美術館(1)

 

瑪瑙象眼杯@イリ市昭蘇県


車馬儀仗隊@漢代

 福岡市立美術館から東へ移動するとアジア美術館。地下鉄でいくと、大濠公園→赤坂→天神→中洲川端と3駅の移動だ。

わずか3駅だが、そこには広大な地球を4分の1周してしまう「大シルクロード展」が待っている。

シルクロードはご承知のとおり、古代から交易の路として栄え、各地で多様な民族が興亡し、多彩な文化が花開いてきた。

シルクロードといえば、正倉院の宝物、中島敦『李陵』、井上靖『楼蘭』、『敦煌』、玄奘三蔵法師・『西遊記』など、われわれにも親しい。

最近ブラタモリで「奈良・正倉院~なぜ1,300年もお宝を守れた?」をやっていた。番組のテーマは副題にあるとおりだったが、冒頭、あの螺鈿紫檀五絃琵琶が登場した。撥面には螺鈿でラクダが描かれている。シルクロードの砂漠を行き交ったラクダだ。

 https://shosoin-ten.jp/articles/detail/000177.html

またBSでは佐藤浩市が趙行徳を演じた映画「敦煌」をやっていた。北宋の時代。殿試に落第した行徳は洛陽の都で肉として売られていた西夏の女を救出した(女は原作では裸である。が、さすがに映画では三田佳子を裸にするわけにもいかず着衣のままだった。)。ここから数奇な運命がはじまる。

行徳は女から西夏文字を記した布切れをお礼にもらう。そして西夏文字を学びたいと思いたち、シルクロードを西へ向かう。しかし、無理矢理軍隊に入隊させられ、ウイグル王女と恋仲になり、・・・最後は戦火の敦煌から仏典を救出し、莫高窟に隠匿する。

これは1900年、敦煌・莫高窟における仏典の発見に材を得ている。なぜ、そのような場所に、そのような経典が埋もれていたのか。この歴史の謎に対する、井上靖による、なるほどな回答だ。だが、井上靖のメッセージはそれだけではない。

官僚や武人としての成功、ウイグル王女との恋愛、漢民族を凌駕しようという西夏王の野望など、人間にはたくさんの欲望や野望がある。しかしそれらはしょせん一夜の夢にすぎない。永遠に残るのは信仰、あるいは精神の拠り所への人間としての貢献である。井上靖のすばらしいメッセージである。

2024年3月3日日曜日

福岡市立美術館 コレクション展と常設展


インカ・ショニバレCBE「桜を放つ女性」
田中千智《生きている壁画》

木内克「エーゲ海にささぐ」

インカ・ショニバレCBE「ウィンド・スカルプチャー(SG)Ⅱ」

 ローマ展の横で、福岡市美のコレクション展をやっていた。現代美術は鑑賞がむずかしい。むかし(1985)大野信が書いた『抽象絵画への招待』(岩波新書)を読んで、現代美術がすこし分かった気がした(残念ながら絶版)。


抽象画家として、宇佐美圭司やジャクソン・ポロックを紹介していた。と思う。



話は飛ぶが、いまNHKBSで「舟を編む~私、辞書つくります」をやっている。原作も読んだし、映画もみたが、どちらとも違う味わい。あらためてテレビドラマ化した意気込みが伝わる。

きのうは主人公のみどり(池田ライザ)が先輩に教えられて語釈の勘所を学ぶ。「血潮」や「みずきしげる」の語釈を通じて。

「手のひらを太陽に」の歌を知っているだろう。

 ♪ぼくらはみんな生きている
  生きているから歌うんだ・・・
  手のひらを太陽にすかしてみれば
  まっかに流れるぼくの血潮・・・

という、あの歌。作詞はだれあろう、やなせたかしである。『それいけ!あんパンマン』のあの作者なのだ。これを知るだけで、血潮という言葉に血潮が通う。

みずきしげるは、ゲゲゲの鬼太郎の作者である。それだけでなく『総員玉砕せよ』も書いている。みずきしげるの膨大な人生・エピソードのなかから、そういう取捨選択をする。その作業のなかで、無味乾燥に思えていた辞書の語釈に「血潮」が通っていることを学ぶ。なるほど。

大野の『抽象絵画への招待』を一言でいえば、抽象絵画とは「現代人の血潮をワクワクさせるもの」である(昔一度読んだきりなので、誤読、他の作品との混淆の可能性がある。)。

それ以来、現代絵画を理解できたかどうかで判定することをやめた。血潮がワクワクするかどうかで判定する。理解しようとするより、ストライクゾーンがひろがることうけあいだ(といいつつ、上記写真を見ると、自分の鑑賞姿勢が全然いけてない気がする。)。

コレクション展のあとは常設展だが、撮影禁止だ。各自、市美のHPを検索してくだされ。野々村仁清の色絵吉野山図茶壺がだいすきだ。市美よ、よくぞ収集してくれた。


常設展を鑑賞したら、外にでる。よい天気だ。屋外常設展示が映える。大濠公園の開放感のなか、作品たちも楽しそうだ。