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2023年4月3日月曜日

雉も鳴かずば撮られまい

 

 大宰府政庁跡あたりを歩いていたら、桜もそろそろ終わりで、桜吹雪が散り敷いていた。すると、ギャギャッという動物園で聞くような鳴き声が。

一瞬、猿かなにかと思ったが、よく考えてキジだと思い当たった。このあたりでキジにであうのは3回目である。出会わないけれども、鳴き声だけ聞こえたことも2度ある。

鳴き声のしたほうへ接近していくと、左手方面から右手方面へキジくんが歩いている。かれもまたお散歩中のようである。

これまでは近づくと逃げてしまっていた。今回は3度目のせいか、ちかくまで寄ってもあまり逃げようとはしなかった。おかげで、かなり近くで写真を撮ることができた。

よく見ると、すごく派手だ。顔面は真っ赤。お面をかぶっているよう。歌舞伎役者も顔負け。デコルテには紫とエメラルドグリーンのチョーカー。胸のあたりはビロードような緑。背中は緑と茶でリズミカルなうろこ模様。そして尻尾が水平にピントのびて美しい。

あいにく吉備団子を持参していなかった。30分もあれば梅が枝餅を買ってこれそうだが、間に合いそうもない。残念ながら、鬼退治の家来にしそこねた。

雉も鳴かずば撃たれまい。あまりよい意味のことわざではない。たとえば、悪代官と越後屋が謀議をしている・・。

 越後屋:お代官さま、最近、神田町の佐平治のやつがわれわれのことをしきりと嗅ぎ回っていますぜ。

 悪代官:心配するな。始末するよう、配下の者にすでに指示しておる。

 越後屋:さすがお代官さま、手回しが早い。それにしても佐平治のやつ、雉も鳴かずば撃たれまいに。

みたいな。わがキジくんも鳴かなければ、写真に撮られることもなかったろう。つまり、キジも鳴かずば撮られまい。

ところで、キジはケーンケーンと鳴くといわれる。しかし、そうは聞こえない。さきに書いたようにギャギャッと聞こえる。動物の鳴き声というか金属音ぽいというか。

どちらでもよいかもしれないが、芭蕉の句があるので、そうもいかない。『笈の小文』に、つぎの句がある。

 ちゝはゝのしきりにこひし雉の声

笈の小文の旅中、杜国とともに高野山を訪ねたときの句。奥の院には戦国武将の墓がたくさんある。松尾家は武家でもはしくれのほうだったらしいが、その墓もあったらしい。

これには本歌がある。

 山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ

行基菩薩の詠という。ほろほろでないことは明らかだけれども、ケーンケーンなのか、ギャギャッなのか。句の印象はだいぶ違う。

後者の「鋭く哀切な響き」に芭蕉の父母への愛を感じるべきなのであろう。もちろん雉、雉鳴くは春の季語である。

2021年6月24日木曜日

雄島が磯ー胡蝶の夢

 


 塩竈から船を借りて松島に渡った芭蕉一行は、雄島の磯に着きました。 

 雄島が磯は、地続きて海に出でたる島なり。雲居禅師の別室の跡、座禅石などあり。松の木陰に世をいとふ人もまれまれ見えはべりて、落穂・松笠などうち煙りたる草の庵、閑かに住みなし、いかなる人とは知られずながら、まづなつかしく立ち寄るほどに、月、海に映りて、昼の眺めまた改む。

雄島は松島の多島の一つ。芭蕉が書いているように、陸の一部のようでもあり、島であるようでもあり。陸にも海にも通じている地形です。

そこから、この世とあの世をつなぐ場であるとされ、死者の霊魂が行き来する霊場になりました。高野山もそうであることから「奥の高野」と呼ばれました。

もちろん雄島は歌枕。百人一首の殷富門院大輔の歌はご存じでしょう。
 
 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらじ

本歌は、黒塚の段ででてきた源重之のこの歌。

 松島や雄島の磯にあさりせし 海人の袖こそかくは濡れしか

芭蕉は歌枕・雄島を訪ねながら、こうした色恋の歌には一切触れず、雲居禅師や世をいとふ人々に心をよせています。どうしてでしょう。 

雲居禅師は、瑞巌寺を中興した臨済宗の禅僧。雲巌寺の段にでてきた仏頂和尚の師匠です。雲巌寺も臨済宗の寺でした。仏頂和尚は芭蕉の禅の師匠ですから、雲居禅師は大師匠にあたります。

禅宗は、知識を得ることではなく、悟りを開くことが目的。悟りとは、生きるものの本性である仏性に気づくことであり、仏性とは言葉による理解を超えたものを認識する能力のことだそうです。

悟りは、言葉ではなく、座禅などを通じ感覚的・身体的に伝えられます。が、雲居禅師は、平易な念仏で民衆を教化したという異色の禅僧です。

師匠の師匠であり、感覚的・身体的に伝えられている禅の精神を平易な念仏で人々に伝えたという雲居禅師を芭蕉が慕うのは当然です。

では世をいとふ人はどうでしょう。世をいとふ人としては、すでに須賀川の段で、大きなる栗の木陰を頼む僧がでてきました。世の人の見付けぬ花や軒の栗の人です。

芭蕉が世をいとふ人に心をよせるのは、仏頂和尚に教えてもらった『荘子』の影響です。いわゆる老荘思想のうち荘のほうです。あるがままの無為自然を好み、人為を嫌います。俗世間を離れ、無為の世界に遊び、自由に生きることを求めます。胡蝶の夢です。

禅や『荘子』を学んだことが、蕉風に影響を与えたことは当然でしょう。ものの姿や動きをそのまま平明な言葉で写しとること、やたらと手を加えないこと、いらぬ趣向や工夫を捨て去ること。おくのほそ道の旅を経て芭蕉がつかんだ「かるみ」の考えは『荘子』の考えそのものです。

仏果ならぬ、仏頂を得たことが蕉風飛躍の足がかりになったわけです。先達はあらまほしき事なり。

などと思うほどに、はや日も暮れ、松島の月がのぼりました。続きはまた来週。今夜はストロベリームーンが見られるかな。