2023年10月17日火曜日

太宰府路散策(1)坂本八幡宮、大宰府政庁跡


 土曜日はわが事務所のアクティビティ同好会で、太宰府路を散策した。同会は基本的に自主練で、アプリをつうじて各人の活動状況が知れるというもの。今回は初の合同参加企画となった。

午前10時に西鉄都府楼前駅に集合。ときどき雲に覆われるも秋晴れの晴天であった。子ども2人(小6と6歳)を含む総勢5人で出発。ときおりキンモクセイが香り、秋の気配濃厚である。

同駅の近くには刈萱の関跡があるのであるが、メンバーの要望で省略。むかしは大宰府政庁への出入りは自由でなく、関所で検問が行われたのであろう。刈萱は説経節の石堂丸になっているし、関屋の地名のもとになっている。

水城小学校・学業院中学校前を通り、坂本八幡宮へ。八幡宮は、令和のゆかりの地として全国的に有名となった。

それは、八幡宮が大宰府(太宰府ではない。)政庁跡の北西角にあり、大宰帥(大宰府の長官)であった大伴旅人の屋敷跡の候補地の一つとなっているからである。

そのころの文献はあまり残されていない。じゃなにが根拠かというと万葉集の一節である。

万葉集によると、大伴旅人は、九州の官人を集めて、梅花の宴を催した。そのなかには筑前国主の山上憶良もいた。

そのときの歌が32首残されている。その序文にこうある。

 初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす・・

「このなかに令和が隠れている、令和をさがせ!」
子どもたちは、すかさず探しだした。

八幡宮前からは四王寺山の登山口への道がのびているが、きょうは山へはいかない。裏の田畑側から政庁跡へ。

畔道からバッタがつぎつぎと飛び出していく。ハーモニカの演奏をしているグループや虫取りをしている親子がいる。

大極殿跡で記念撮影。奈良の平城京跡は建物が復元されているけれども、こちらは礎石のまま。ぼくはこちらのほうが好きだ。イメージを触発されるし、広々とした空間が開放感を呼ぶ。

                                      続く。

2023年10月15日日曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(7)風穴と養蚕

 

 くじゅう山系の北東部に黒岳がある。くじゅう山系は放牧の結果か草原が多いのであるが、黒岳の山麓は原生林が残っている。いまの時期は紅葉が美しい。男池湧水群から歩いて黒岳に向かう途中、大船山との境に、風穴がある。

大きな岩々のすきまが縦穴の洞窟になっている。深さは2メートルほどあり、奥は広間のようになっている(写真は、中から外を覗いたもの。)。その昔、大船山か黒岳の山体が崩壊したとき、岩々が堆積し、その際、偶然にできたと思われる。外気に比べて内部は冷涼な温度となっていて、7月まで氷が残っている。

そこに看板がかかげられていて、「大正年間に蚕種を保存するための天然冷蔵庫として利用されました。」と説明が書いてある。これまでは「ふ~ん。」となんとなく飲み込んでいたのだが、こんかい諏訪の地元の人の説明で、その意味がよく分かった。

前回紹介した野麦街道の手前に稲核(いなこき)の集落がある。そこにも風穴がある。ここでもバス内のアナウンスでおなじような説明がある。その説明も「ふ~ん。」ぐらいの理解だった。

養蚕というのは、農家が桑を栽培し、蚕(カイコ)を育て、繭を生産する一連の営みのこと。その先、繭から生糸を繰りだし、生糸からシルクを作って販売するのが製糸紡績業である。

製糸紡績業のほうは、機械化され工業化されている。それに対し、養蚕業のほうは農家がやっているものだから、それほどの工夫もないものだと思っていた(失礼)。だがそうではない。

カイコの先祖は蛾の一種。それを人間が飼い慣らし家畜化したものである。カイコは500個ほどの卵を産む。卵は春に孵化する。孵化した幼虫は桑の葉を食べ、脱皮を繰り返し、やがて糸を吐き、繭をつくる。

自然の営みであれば、年に一度しか、繭から生糸をとることができない。ところが、ある人が工夫して、卵を風穴に入れて冷やし保存してみた。すると、孵化が遅れ、夏でも秋でも生糸がとれるようになった。

つまり、収量は3倍。これにより、日本の生糸の輸出は、最大の輸出産業にまで成長したという。なるほど。明治大正期、生糸が日本の輸出産業の雄ということは教科書に書いてあったが、そのような創意工夫があったことは知らなかったなぁ。

2023年10月12日木曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(6)片倉館と野麦峠

 

 諏訪湖のほとりに昭和3年に建てられた立派な洋館が建っている(写真)。片倉館である。国の重要文化財。

いっけん役所ふうであるが、なかは温泉施設。深さ1.1メートルの1000人風呂で有名。このあたりでロケがおこなわれれば、かならず紹介される場所だ。上諏訪温泉群の中心的存在である。

われわれの会話。
「少女たちの生き血を吸って建てられたんやろうね。」
「たぶん、そうだね。」

この会話が読み解けるだろうか。ヒントはやはり諏訪湖のほとりに建てられているということだ。

むかし「あゝ野麦峠」という映画があった。森下愛子主演。山本茂実のノンフィクションが原作。同旨のものに『女工哀史』というルポルタージュもある。

明治・富国強兵政策の時代、岐阜県飛騨地方農家の10代の娘たちが、諏訪湖周辺の製糸工場で過酷な労働を強いられた姿を描く。

当時は労働基準法など労働者保護法制は存在しない。10代であっても少女たちは安価な労働力として死ぬほど(文字どおり)こき使われた。栄養も休養も感染症対策も十分でないことから、結核などの感染症がたちまち蔓延した。

長野県松本から上高地へ入る際、途中まで野麦街道となっている。奈川渡ダム(梓湖)のTころで分岐があり、左側へ登っていくと野麦峠である。これが原作・映画名にある峠である。北アルプスの乗鞍岳の南にある鞍部である。

いまなら飛騨高山から信州松本へ高速バスが運行している。長い長い安房トンネルが北アルプスを貫通し、岐阜県と長野県とを短時間で結んでいる。

しかし、ときは明治時代である。名古屋から迂回する鉄道便さえない。飛騨地方から諏訪地方へ行くには、北アルプスを越えていくしかない。峠越えは、装備も十分でない時代のことだから過酷。峠は女工たちの過酷な境遇を象徴する存在である。

片倉氏は、こうした製糸紡績事業により財をなし、片倉財閥を形成した。その事業のひとつが上記片倉館の建設である。

それで、「少女たちの生き血を吸って建てられたんだろうね」という感慨になる。むろん、こんな荒っぽいとりまとめをしたら、関係者から叱られることだろう。すみませぬ。

実際、地元の人の話をきくと、とても尊敬されているようだ。たしかに、料亭を借りあげ、芸者をかりあつめて飲めや歌えの大宴会を行い、あげくのはて玄関でお札を燃やしたという、どこぞの炭鉱王たちに比べたら、ずいぶん立派である。このような観光資源を残したのだから。

また片倉氏は、群馬にある富岡製糸場を買い取り、その存続・保存に尽くしたという。世界遺産に認定された後、富岡製糸場を訪ねたことがある。年輩の女性が糸繰りの様子を実演してくれたのが印象的だった。しかし、片岡氏の功績は知らなかった。

富岡製糸場は世界遺産となり、インバウンドを含むおおくの人を集めている。重要な観光資源として地元に貢献している。そうした恩恵を明治期の少女たちに還元してあげられればよいのだが。

2023年10月10日火曜日

最善を期待し、最悪に備える

 

  (那須朝日岳・冬期)

 この3連休期間中、各地で山岳遭難があいついだ。道迷い、転倒・滑落はもちろん、低体温症で亡くなった人が多かったのも目をひいた。なかでも那須朝日岳(標高1896m)で4人の方々が亡くなった遭難が大々的に報じられた。亡くなった方々のご冥福を祈りたい。

生存者がおられないので、遭難の原因・経緯はよく分からない。しかし報道によると、当日は20メートル以上の強烈な風が吹いていて、ロープウエイなどでは登山を控えるよう注意喚起をしていたようだ。

標高が1000メートルあがるにつれて気温は6度さがる。風速1メートルにつき、体感温度は1度さがる。那須高原で気温15度だとしても、朝日岳で風速20メートル吹かれると、体感温度は氷点下10度以下である。汗をかいて油断すると、低体温症の症状がすぐでてしまう。

実は自分もこの3連休中、東北の山旅を計画していた。秋田の森吉山、和賀岳、秋田駒ヶ岳を登る計画であった。

しかし連休2日前、東北では連休前半冷え込み強風が吹くことは予報されていた。そこで、やむなく初日と最終日(これは雨による)の登山はあきらめ、芭蕉の足跡をたどる観光に切り替えた(これは後に報告したい。)。

登山は、山という大自然を対象に、自己という変動する主体で臨むものである。対象も急激に変化していくし、自身の健康や体調も日々、時々刻々と変化していく。この両者の相関のなかで、時々の決断をしていかなければならない。

その場合に使う方略は、「最善を期待し、最悪に備える」ことだ。いまふうに言えば、プランBを用意しておくということか。

遠征登山は半年~数ヶ月前に計画し、交通機関や宿を手配することになる。数ヶ月先の天気などわかりっこない。そのため、計画をたてる際には、よい天候を期待しつつも、豪雨・暴風への備えも怠れない。したがって、山の計画とともに、観光・旅のプランも立てるようにしている。

最近の天気予報はすごい。このポイントでは明日の13時から3ミリ程度の雨が降り、北西の風5メートル程度などという予報がピタリと当たる。お金を出せば、そこまで正確な天気予報を入手することも可能だ。

一般には「天気と暮らす」(てんくら)で十分だ。「那須岳」×「天気」のキーワードで検索すれば、上位で表示されることだろう。明日、那須岳に登ることが適切かどうかを、3時間単位で、AないしCランクで判定してくれる。C判定となれば、迷いなく登山を断念して観光に切り替えるべきである。

一人登山であれば、あまり問題はない。しかし、グループ登山、ツアー登山となると方向転換が難しいだろうと思う。

ぼくもいままでグループ登山の際、台風接近により縦走を断念したことが一度ならずある。その場合、あとから考えれば行けたのではないかと後悔すること必定である。リスクが2~3割となれば断念することになる。

逆に言えば、7~8割の確率で行けるということである。つまり、「無理すれば」行けるということでもある。そこが難しい。

問題は、その旅の目的は何かである。ピークハントを目的にすると、無理に行ってしまいがちである。これに対し、家に無事に帰ることを目的にすれば、自ずと答えは導かれる。

今回の遭難報道に接し、上記のように思った次第である。自分になんかあったとき、このブログが引用されることのないよう、心したい。

※なお、山岳遭難対策、低体温症対策の教科書は『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』(ヤマケイ文庫)である。白馬岳で遭難した北九州グループなど低体温症で亡くなるときは全員が亡くなることが多く、原因や経緯がはっきりしないことが多い。しかし、トムラウシ山の遭難は、15人のツアーでガイドを含め8人が亡くなったものの、7人の生存者がいたため経緯が詳細に調査され、その原因と対策が考究されている。

※ブログを読んでいただいている方は気づかれたと思うが、きょうは常体である。ブログでは、常体と敬体とをむやみに混交しないほうがいいと言われる。ここしばらくは敬体で書いてきた。しかしやはり内容により常体のほうがよいときもある。

2023年10月9日月曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(5)4日間で日本百名山4座

 

 この旅はまもなく結婚予定のカップルと私の3人の旅となってしまいました。計画段階では違うメンバー構成だったのだけれど、途中で1人が参加できなくなってしまい、その代わりに1人があらたに加わった結果、こうなったのでした。

むかし同じ事務所の迫田弁護士夫婦と屋久島の宮之浦岳に登ったことがありました。そのときは3人とも若かったせいか、同じ部屋で川の字になって寝たりして、疎外感はそれほどではありませんでした。

しかし、今回はさすがに年齢も離れていますし、新婚旅行に紛れ込んだおじゃま虫か、せいぜいが同行カメラマンという感じでした。ははは。

日本百名山といえば、その選択基準が①高さ、②歴史、③品格などとされており、一座登るのに2~3日かかるのが一般です。しかし今回はそこを工夫して4日間で4座登る計画をたてました。

登ったことのある人は分かると思いますが、深田久弥の時代はともかく、いまの時代はロープウエイやビーナスラインなど道路が整備され、4日間で4座を登ることは十分に可能です。

そして天気にもめぐまれました。やはり、ひごろの行いでしょうか。みなの体力もなんとかもって、無事、4日間で4座を登ることができました。2人も大感激、大満足の様子でした。感謝、感謝。

2023年10月4日水曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(4)フォッサマグナ・糸魚川静岡構造線

 


 きょうは、諏訪湖で交差しているもうひとつの大断層、フォッサマグナの西端・糸魚川静岡構造線の話です。フォッサマグナは学校で習ったのではないかと思います。これもナウマンが発見したものです。

写真(奥の山並み)は霧ヶ峰からみた北アルプス。右側に槍ヶ岳、左側に穂高連峰、中央部の凹は大キレットです。

フォッサマグナの西端・糸魚川静岡構造線は、名前のとおり、日本海岸の糸魚川から太平洋岸の静岡までの大断層です。

フォッサマグナと糸魚川静岡構造線は、違う概念です。フォッサマグナは日本列島を中央で分断する大きな溝。線ではなく、三次元の凹です。

そこはむかしむかし海でした。その凹に新しい土砂がたまって、いまのように東北日本と西南日本がひとつの列島としてつながったのでした。あら不思議。

そのフォッサマグナの西端の大断層が糸魚川と静岡を結ぶ構造線となっているわけです。

これに対し、東の端がどこかについては議論があります。北は新潟県の柏崎か新発田あたり、南は千葉あたりのようです。とにかく日本列島の中央部に大きな溝が存在したことは争いがありません。

ただし土砂がたまっただけでは説明できないところがあります。フォッサマグナの中央部には、北から妙高山、黒姫山、八ヶ岳、冨士山、箱根、天城山などの山々が連なっているからです。これらはマグマの上昇によるものと説明されています。

日本列島は、大陸プレートと太平洋プレートとフィリピン海プレートという3つのプレートが出会う場所にあります。それらのプレートが互いにおしくらまんじゅうをした結果、いまのような列島になりました。

太平洋プレートが東側から、フィリピン海プレートが南側から大陸プレートの下に沈み込むことにより、日本列島にシワがよったり、マグマが噴き出したりしたというのです。

霧ヶ峰(エアコンの名前ではありません。諏訪湖の北に位置する百名山です。)の涼しい風に吹かれ、北アルプスの山々をながめながら、そのような雄大な日本列島のなりたちに思いをはせました。

2023年10月3日火曜日

木曽駒ヶ岳、霧ヶ峰、乗鞍岳、美ヶ原(3)中央構造線

 


 諏訪湖で交差するフォッサマグナ西端・糸魚川静岡構造線と中央構造線、どちらもナウマンが発見したものです。が、中央構造線のほうが古い時代の日本列島の傷です。なので、こちらから。

写真は中央アルプスの木曽駒ヶ岳に登った際、千畳敷カールの上部から伊那谷(駒ヶ根市あたり)をのぞんだときのものです。向こうの山脈は南アルプスです。その左肩のあたりに富士山が顔をだしています(写真をクリックして拡大しないと見えないかも)。

富士山の右に、南アルプス塩見岳、左に白根三山。白根三山は左から、北岳、間の岳、濃鳥岳です。

中央構造線は、この南アルプスの手前の山麓を通っています。

ナウマンは西南日本の地質調査をしていて、西南日本を縦断する大断層を発見しました。中央構造線です。中央構造線を境として、日本海側を内帯、太平洋側を外帯と呼びます。

研究者がみなそうだと言わなければ信じがたいことですが、日本列島はその昔、ユーラシア大陸の東の端の一部でした。それが太平洋に漂いだし(ひょっこりひょうたん島のように)、いまの位置に来たというのです。

中央構造線ができたのは、日本列島が大陸の一部だったころのことです。そのころも太平洋プレートが大陸プレートの下にもぐりこんでいたわけですが、その際、太平洋上に存在した島々などをつぎつぎに大陸に付けくわえました(付加体)。内帯と外帯で地質が異なるので、そこに大断層があることがわかるのです。

以前、四国の吉野川と和歌山の紀ノ川が中央構造線上にあると書きました。

https://www.google.com/maps/place/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82/@34.1675541,134.3349377,139879m/data=!3m1!1e3!4m6!3m5!1s0x6000b28519bc7e79:0x8fce76d4fd4f71ca!8m2!3d34.2303678!4d135.1707405!16zL20vMGdwNWti?entry=ttu

中央構造線は紀ノ川にそって東へ向かい、伊勢から伊勢湾、渥美半島の北部を通って伊那谷(南アルプスと中央アルプスの間にある)に入っています。

むかし南アルプスの塩見岳に登った際、ふもとに大鹿村がありました。大鹿歌舞伎で有名なところです。村には中央構造線博物館があります。村は中央構造線上にあるのです。

そこから北上して、駒ヶ根市ふきんを通過し、さらに北の諏訪湖(正確には茅野)に至っています。

https://www.google.com/maps/place/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E6%B9%96/@35.3921221,137.8036806,194752m/data=!3m1!1e3!4m6!3m5!1s0x601c55605b0c35d5:0xcd199e65021b9b75!8m2!3d36.0492617!4d138.0853146!16zL20vMDczXzg1?entry=ttu

構造線は、諏訪湖のあたりで東西に12kmほどズレています。活断層の作用によります。これも日本列島が東側からおされて、構造線の北側が西にズレたものと推定されています。すごくないですか。