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2022年11月15日火曜日

大塚国際美術館(2)

 




 ひきつづき大塚国際美術館。王侯の時代であるルネッサンス・バロックを終え、市民の時代である近代に入る。

1つ目は、フェルメールの「デルフトの眺望」。オランダのマウリッツハイス美術館蔵。フェルメールは「真珠の耳飾りの少女」などのほうが有名。彼はいちどは時代の流れに埋もれたものの19世紀末に再発見された。再発見者のひとりは『失われた時を求めて』の作者マルセル・プルースト。小説のなかでもなんどか紹介されている。前景日が陰っているなか、街中一部の建物に日がさして輝いている。小説中の作家に「われわれはこのように書くべきだったのだ。」と言わせている。

2つ目は、マネ晩年の大作「フォリー・ベルジェールのバー」。大学1年のとき、ある美術全集の刊行がはじまった。第一作はマネでこの画が表紙だった。当時のこづかいで買うにはやや高かったが迷わず買った。魅了されるとはこのことだ。魅力的で素晴らしい画だが、よく見ると変なところがある。さてどこでしょう。

3つ目は、モネの「印象・日の出」。マルモッタン美術館蔵。さいきん福岡にもきたので、多くの人が見たでしょう。印象派の名の由来となった画。印象派は日本の浮世絵の影響を受けたせいか、日本人の感性になじみやすい。カメラの発達により、屋外の光陰を描いている点でも現代人になじみやすい。しかるに、本作にしても当時の画壇には受け入れられず、アオンチとしての印象派の結成をうながすことになったのである。

4つ目は、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」。オルセー美術館蔵。ルーブル美術館からセーヌ川をわたってすぐ。パリを訪れたことのある人なら誰しも散策するコースである。そこで先輩弁護士に遭遇したときは、さすがにびっくりした。むかしのオルセー駅を改造した美術館。印象派の絵画が並ぶ。こうして並べると、マネにモネをかけると答えはルノワールということがよくわかる。ルノワールといえば喫茶店の名前だと思っていた人は反省が必要。さすがにいないか。

5つ目は、セザンヌの「サント・ビクトワール山」。コートルード美術館蔵。セザンヌはビクトワール山をなんども描いているので、おなじタイトルの画が複数存在する。あれ?自分の知っているのと違うと思った人もいるだろう。彼は円錐や角柱など単純な立体に還元して自然を描くことができると考えていた。そのためか、構築的ながらも、すっきりした画面構成になっている。ピカソらのキュビズム(立体派)の到来を用意することとなったことが肯ける。

さて2回にわたって紹介した画のなかで、印象派の比重が大きくなった。これには好き嫌いもあるけれども、サイズの問題が大きい。市民が力をつけ、彼らが画を買うようになった。部屋に飾るのに大きなサイズはじゃまになる。小さなサイズは写真に撮りやすい。大きなサイズは写真に撮りにくい。美術館の照明により一部がテカったりするし。嘘だと思ったら、一度訪ねてみてくだされ。

2021年7月5日月曜日

あたらしい歌枕・登米


(モネの睡蓮@ビュールレ展)

  思ひかけずかかる所にも来たれるかなと、宿を借らんとすれど、さらに宿貸す人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明かして、明くればまた知らぬ道迷ひ行く。袖の渡り・尾ぶちの牧・真野の萱原などよそ目に見て、遙かなる堤を行く。戸伊摩といふ所に一宿して、平泉に至る。その間二十余里ほどとおぼゆ。

思いがけず石の巻に来て、宿を借りようとしたけれども借りられず、平泉にむけて出発したけれどまた道に迷い、袖の渡りなどの歌枕には行き損ねたらしい。またまたほんとうでしょうか。

ここも『曽良随行日記』によれば、事実と異なっていて、実際はそれなりのもてなしを受け、道迷いもなかったらしい。芭蕉がこのように旅程を困難に暗く書いているのは、念願の目的地である平泉や金色堂をより光かがやかすためであるとされています。

芭蕉は『笈の小文』で、紀行文とは何かについて、こんなことを書いています。

 抑、道の日記といふものは、紀氏・長明・阿佛の尼の、文をふるひ情を盡してより、餘は皆俤似かよひて、其糟粕を改る事あたはず。まして淺智短才の筆に及べくもあらず。其日は雨降、昼より晴て、そこに松有、かしこに何と云川流れたりなどといふ事、たれゝもいふべく覚侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずば云事なけれ。

小・中学校のときに、日記の書き方について、先生から指導されたとおり。朝起きて、顔洗って、歯を磨いて、ご飯を食べて、着替えて・・・ということを書いてもしかたがない。なにかしら新しいことや興味あることを書かないと、面白くないし意味がないというわけです。

 されども其所ゝの風景心に残り、山館・野亭のくるしき愁も、且ははなしの糧となり、風雲の便りともおもひなして、わすれぬ所ゝ跡や先やと書集侍るぞ、猶酔者の妄語にひとしく、いねる人之譫言するたぐひに見なして、人又亡聴せよ。

とは言っても、いろいろと旅の思い出などを書き連ねるので、フィクションと思って話半分に聞いて欲しい。なるほど、分かりました。

松島から平泉まで、姉歯の松、緒絶えの橋、袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原という5つの歌枕がありましたが、全部スルー。各歌枕の地元の観光協会としてはさぞかし悲憤慷慨でしょう。

「昔より詠み置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れて、道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代われば、時移り、代変じて、その跡たしかならぬことのみ」(多賀城碑の段)なので、歌枕を尋ねる気力が失せたのでしょうか。

そして歌枕をスルーして遙かなる堤を行く。遙かなる堤は北上川の土手です。そして芭蕉一行は、戸伊摩(といま)といふ所に一宿しました。

戸伊摩って、どこか分かりますか。いまの登米町(とよままち)です。登米って、どこか分かりますか。いまのNHK朝ドラ『おかえりモネ』で、主人公の百音ちゃんが夏木マリの家に下宿して森林組合の職員として働いているところです。

百音ちゃんは、いま気象予報士めざして勉強に励んでいます。ひとつまえの石の巻で、日和見(観天望気)の話をしましたので、うまいぐあいに響きあっています。

モネちゃんは百音と表記されていることから、音と関係が深いのでしょう。主題歌はBUMP OF CHICKENの「なないろ」です。なないろは、もちろん虹の色でしょうが、百音ともひびきあっているのでしょう。

歌を歌った場所が歌枕だとするなら、登米は最新の歌枕じゃないでしょうか。♪闇雲にでも信じたよ きちんと前に進んでいるって・・それでもいい これはぼくの旅

ということで、道迷いしながらも、芭蕉の旅は念願の平泉に至ったのでした。パチパチ。