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2022年11月23日水曜日

淡路島へ



  ワールドカップ、日本がドイツに勝った。ベッケンバウアーが活躍していた時代を知る世代としては、隔世の感がある。だれかどこかの王様に頼んで、きょう一日休みにならないだろうか。

・・・さて、休みになりそうもないので、旅をつづけよう。徳島のつぎは淡路島にむかった。淡路上陸は初である。

淡路は阿波へ行く道の意味だ。都から徳島へ行くほうが正順だろう。こんかいは逆順である。淡路島は日本列島で最初にできた島である。と日本神話にある。

 ・・そこで地上に戻って、前と同じように天の柱の回りを廻った。
 そしてまずイザナキが(筆者注、前回とは逆の順で)、
 「ああ、なんていい女なんだ」と言い、それに続いてイザナミが、
 「ああ、なんてすてきな男」と言った。
 こう言い終えてから性交を行った。それによって生まれたのが、
 淡道之穂之狭別島(アハヂ・ノ・ホノサ・ワケのシマ)、次が
 伊予之二名島(イヨ・ノ・フタナのシマ)。・・(『古事記』池澤夏樹訳・河出書房)。

淡路の次に生まれた二つ目の島は四国である。身は一つだが顔が四つあった。それぞれ名前があって、それが愛媛、讃岐、粟(阿波)、土佐である。

ちなみにその次が隠岐で、その次が筑紫島(ツクシのシマ)である。この島にも四つの顔があり、それが筑紫、豊、肥、熊曾である。いうまでもなく、わがちくし法律事務所の名はこの古事に由来する。

さてクイズ。淡路島は何県でしょう?江戸時代には阿波の蜂須賀家が淡路を領していた。が、お家騒動があり、廃藩置県では徳島県ではなく兵庫県に編入されてしまった。

単なる歴史的事実のようだが、そうではない。テレ朝で「路線バスの旅」という番組をやっているがご存じだろうか。あれをみていればわかるが、路線バスは都道府県ごとに路線が設定されている。

徳島県から兵庫県へむかう路線バスはない。路線バスの旅だから高速バスを利用することもできない。しかたなく県境を歩きなど他の方法で突破することになる(番組では)。

わが旅のよいところは高速バスが利用できることである。高速バスを利用して、徳島から兵庫県の本州側(明石海峡大橋の北側)にある舞子をめざした。途中、鳴門海峡にかかる鳴門大橋を渡る。

鳴門はいわずとしれた渦潮の名所である。「門」は水門、つまり海峡の意味だから、音が鳴り響くほど渦潮がはげしい海峡という意味だ。

 夜中ばかりに船を出だして、阿波の水門を渡る。夜中なれば、西東も見へず。
 男女、からく神仏を祈りて、この水門を渡りぬ。・・・

紀貫之が女と称して書いた『土佐日記』の一節。土佐国主(知事)の仕事を終え、京へ帰る道中。鳴門を通過しなければならない。平安時代は難所だった。

難所なのに、なぜ夜中に船を出したのだろうか。危ないではないか。思うに、鳴門の渦潮は潮の干満によって引き起こされる。満潮と干潮だから1日2回である。満潮の際には太平洋側から瀬戸内海側に潮が流れ込み、鳴門海峡を潮が南から北へ流れる。それが渦を引き起こす。干潮のときは逆である。おそらく貫之が帰朝したときは、夜中であれば渦潮が発生しない時期だったのだろう。

潮の干満は太陽や月の引力により引き起こされる。であれば、太陽や月がわれらの上空にくれば満ち、地球の反対側にまわれば干きそうなものだが、そうではないらしい(以下、文系のぼくには理解不能。なお、本ブログにおける理系の知識は全般的に不正確である。それを言えば文系知識もそうであるが。ともかく最後は自分で確認してくだされ。)。

大島真寿美の直木賞受賞作に『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(文春文庫)がある。人形浄瑠璃作者の近松半二の生涯を描いたもの。渦には激しい波乱のイメージがある。

かかる難所であるが、いまは鳴門大橋でひとまたぎである。この日、高速バスが鳴門大橋を通過したのは午前11時ころ。10時10分ころをピークとする南流の残影があったはずだが、残念ながら、バスの車窓からは見えなかった。

しばらくはバス旅。淡路島デカい。地図をみて抱いていたイメージとは大違いだ。どこまでも畑が広がっている。食材の宝庫だけある。いうまでもなくタマネギが有名である(写真1)。ワールドシェフ王料理大会なども開催されているようだ。

明石海峡を渡り、舞子の高速バス停で降りる。明石海峡大橋上部の連絡橋を反対側にある高速バス停へ行く。そして路線バスに乗り換えて、ふたたび淡路島に戻る(逆行)。

舞子の連絡橋から明石海峡とその向こうの淡路島をのぞむ(写真2)。海峡が逆光を反射して美しい。

 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守 源兼昌

2011年1月10日月曜日

 初登り・雪の宝満山


 8日(土)初登り
 雪の宝満山に登りました。

 (コース)
 西鉄二日市駅→筑紫野市大石→鳥追峠→カモシカ新道→カモシカ旧道
 →大谷尾根→キャンプ場→山頂→中宮跡→竈門神社→太宰府天満宮

 大石では雪がなかったところ、カモシカ新道は踏み跡がなく
 雪で途中で進んでゆけなくなり、あきらめかけましたが
 旧道にゆき、なんとか山頂へ。

 山頂は30センチメートルくらいの積雪
 それでも相当数の人が登られていました。

 ことしのように年末から年始にかけて何度も
 雪がふりつもることもめずらしいのでは?

 登ってゆきながらなんども雪に足をとられましたし
 樹木にふりつもった雪がふり、頭や顔が雪だらけに。

 「春の雪」で紹介したとおり、丸谷才一さんが定家に対抗して
 「新々百人一首」を編んでいます。

 丸谷さんが撰んだ百首の第1は
 
  み吉野の吉野の山の春がすみ立つを見る見るなほ雪ぞふる

                         紀貫之

 開巻第1首のテーマを春の雪にするのは
 きのう紹介したとおり、豊作を祈念する祝言として。

 ただ春がすみと降雪が併存するのかはちょと疑問?
 屏風歌ゆえ、実写したわけではないのでしょうが。
 
 紀貫之は、当時の高知県知事などをつとめながら
 かな文学の先駆である「土佐日記」を書き
 「古今集」編纂のリーダーとなっています。

 古今集は春夏秋冬の歌にはじまり
 春の歌は立春、春雪、鶯、若菜、柳と移りゆく季節が
 緻密かつ絶妙に配されています。

 仮名序は紀貫之が書いたとされます。

  やまとうたは、ひとのこころをたねとして
  よろづのことのはとぞなれりける。

  世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば
  心におもふことを、見るもの、きくものにつけて
  いひいだせるなり。

  花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば
  いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。

  ちからをもいれずして、あめつちをうごかし
  めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ
  をとこをむなのなかをもやはらげ
  たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。

  …

 さて、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける
 ということですから、みなさまも一首いかが?