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2023年5月16日火曜日

残雪の槍ヶ岳(3)蝶ヶ岳からの展望

 




 上高地から3時間歩いて横尾に着いた。きょうはここで宿泊。横尾から振り返ると、前穂とその北尾根が輝いていた(1枚目の写真)。美しい(しかし連休中、3人が滑落し、うち2人が亡くなっている)。

もともとは、まず常念岳に登り、稜線を縦走して蝶ヶ岳に登り、そして横尾に下山する計画だった。しかし、2日目午前中の天気は荒れるとの予報だった。強風と大雨。そこで急遽、常念岳を断念して、上高地から横尾入りすることに計画変更した。

天気予報の精度は格段に向上している。明日は14時から雨が降るというと、ほんとうに14時から雨が降り出すから驚きだ。山の天気が変わりやすいのは変わらない。けれども、天気予報の精度が向上したことにより、登山の安全性が増していることは間違いない。

他方でコロナ禍以降困っているのは、山小屋が完全予約制になったことだ。むかしはどんなに混雑していても、布団1枚に3人寝かしてでも、泊めてくれた。しかしコロナ禍以降、そういうわけにはいかなくなった。

むかしだったら、常念小屋で天気の回復をまって、蝶ヶ岳へ縦走していただろう。しかし山小屋の完全予約制により、そうもいかなくなった。その先の横尾山荘や槍ヶ岳山荘の予約が流れてしまったり、予約できなくなってしまうからだ。そのため、常念岳の登りを断念して、上高地から横尾にショートカットしたというわけだ。

2日目、午前9時まではかなりの雨量だが、それ以降は1ミリ程度と予報されていた。山荘で一日潰すのはもったいない。そこで、9時過ぎに小屋を出て、蝶ヶ岳(2677m)に登ることにした。

上高地の標高は1500mだから、標高差1200m。宝満山の標高が800mであるから、その1.5倍である。5時間半くらいのコースタイムだろうか。

雨のなかを出発したが、1時間程度で雨はあがった。この日、蝶ヶ岳に同じコースで登ったのは4グループ6人(くだりのときにさらに2グループ3人に出会った)だった。

5合目くらいから残雪となった。アイゼンを装着する。先行していたおじさんが先に進むかどうか迷っている。

夏道はみえない。オオシラビソの木につけられた道標やペンキマークを目印に登ることになる。トレースはあったりなかったり。ときどき判断に迷うところもあったが、おおむね地形に沿って登ることができた。

稜線部は雪が溶けて夏道が露出していた。しかし風が強い。夏であれば登山者が行き交っているところ、誰も歩いてはいない。

振り返ると、槍ヶ岳から穂高の稜線をのぞむことができた(2枚目の写真)。空は曇っているが、稜線にガスはかかっていない。

右端が槍ヶ岳。中央やや右に凹んでいる部分が難所として知られる大キレット。その左は穗高連峰である。

穗高連峰を拡大してみる(3枚目の写真)。右から北穗高岳、涸沢岳、奥穗高岳、前穂高岳。涸沢岳から下にエプロンのように白くなっているところが涸沢(左側に岩が点々とみえているのはザイテングラード)である。

さらに左手、南を見ると、木曾の御嶽山をのぞむことができた(4枚目の写真)。神々しい。霊峰と呼ぶにふさわしい。

2011年2月25日金曜日

 やけに滑ると思ったら



 インターネットやフェイスブックによる情報共有の力が
 中東に民主化のうねりをおこしています。

 ハンセン病訴訟や薬害肝炎をたたかうなかで
 メールなどの威力は知っているつもりでしたが、ここまでとは…。

 われわれの人生の後半になってこれらツールが普及してきたわけですが
 若いころにあったら人生が変わっていたでしょうか?

 これらツールによって知識がより豊富になり
 人生が豊かになっていたでしょうか?必ずしもそうでないかも。

 若い弁護士と山に登っていて閉口するのは

 御嶽山の話をしていて
 木曽節(木曽のなぁ~御嶽山はなんじゃらほい)を知らない!

 羅臼岳にいっしょに登っていて、知床旅情(しれ~とこ~の岬に~
 はななす~の咲くころ~)を知らない!

 ことですね。

 また若い弁護士+司法修習生と話していて、「夜目遠目傘の内」とか
 「コタツのなかはなぜ赤い?」等の雑学を知らないのにもビックリ。

 わたくしの冗談はよく滑るのですが、できが悪いのは甘受するとして
 共通の素養が欠けているために滑ることが多いと勘ぐってもいます。

 共有している(はずの)言葉の意味をズラすことによって生じる違和感を
 笑いの源泉にしているのに、そもそも言葉を知らないでは話になりません。

 インターネットってあんまり知識拡大には役立ってないのかなぁ?
 とか思います。そんなときには。