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2023年1月29日日曜日

一片の氷に世界を見る(1)

 


 高校時代の同級生がSNSに、氷の写真を投稿した。大雪予報だったにもかかわらず、大阪市内では雪が降らなかった。けれども、氷ははったということだった。

この写真の美しさはどうだろう。氷だけにフォーカスして、背景に広がる大阪市内はボカシている。いつも写真にセンスを感じる。

なにかものを言いたくなったので、「一片の氷に世界を見る(Wブレイクふう)」とだけコメントした。これだけでは意味が分からないかもしれないけれども、くどい説明は嫌味かなと思ったのだった。

すると高校時代の恩師が、解説のコメントをつけてくださった。

To see a World in  a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower
(一粒の砂に世界を見、野の花に天国を見る)
ウィリアム・ブレイク( イギリスの詩人)
補足説明をばさせていただきました。

たしかに、先のコメントだけでは意を尽くしていない。いつも、ご配慮ありがとうございます。

先生のアシストもあり、その後のやりとりも盛り上がった。インターネットの普及により、人間の嫌な面が増幅されるようにもなった。しかしそれまでにはなかった楽しい交流が果たされることもある。利用する側の心しだい。

2022年5月31日火曜日

幹を理解する


 きょうから6月。6月は恋愛の季節だと言っていたが、ほんとうだろうか。ギリシア・イタリアのように乾燥した気候ならともかく。暑くてしょうがない=アツくてしょうがないという洒落かな。

写真は戒壇院のクワの実。赤い実と紫の実がなっている。ギリシア神話には「ピュラモスとティスベ」という悲恋話がある。それによると、赤と紫は二人の血の色らしい。桑の花言葉は「知恵」。

さて一般に弁護士の仕事は相談からはじまる。警察に逮捕されたから留置場に面会にきてくれというのは例外だ。

六法というのは文字どおりルール・ブック。野球やサッカー、将棋やトランプのルールとおなじだ。ルールを曲げることはできない。何百人もの国会議員がつくった法律を1人の裁判官が曲げることはできない。難しくいれば三権分立だ。

相談からいきなり裁判を起こすということはない(起こされている場合は別だ。)。まずは交渉してみる。しかし、交渉で解決しなければ裁判になる。その場合、裁判官がルールを曲げることはないとなれば、交渉だからといってルールを曲げることはできない。

まずはそのことを理解してもらう必要がある。たとえば、共同相続。農家の長男からすれば、納得できないかもしれないけれども、このルールは曲げられない。それはおかしいと何度も押し問答になる。しかしここは譲れない。

紛争の構造は、概ねツリー状になっている。話せば長くなるけれども、要はこうだと幹をとらえてほしい。それなのに、枝葉に気をとられて、なんど説明しても幹を把握できないことがある。

最近は、インターネットの普及により、事前に学習してこられる方が増えた。当該ケースでは無関係の質問をたくさんされる。それにお答えしてもよいのだけれども、脇道にそれてしまって、根幹の理解がおろそかになってしまう。そのようにご説明するのだけれども、枝葉への興味が尽きない。・・・

問題解決は引越とおなじですよ。まずは大きな家具の置き場所を決めないと、ゴミ箱はあとからでもよいでしょ。そのようにも説明する。人間の思考にはメモリィなどの制約から、すべての問題をいちどに考えることができない。それで問題解決にはプライオリティを決めることが重要になる。それでも、どうしてもゴミ箱をどこに置くかが気になってしょうがない。・・・

弁護士37年。弁護士の仕事でいちばん難しいのは、やはり相談だと思う。

2011年2月25日金曜日

 やけに滑ると思ったら



 インターネットやフェイスブックによる情報共有の力が
 中東に民主化のうねりをおこしています。

 ハンセン病訴訟や薬害肝炎をたたかうなかで
 メールなどの威力は知っているつもりでしたが、ここまでとは…。

 われわれの人生の後半になってこれらツールが普及してきたわけですが
 若いころにあったら人生が変わっていたでしょうか?

 これらツールによって知識がより豊富になり
 人生が豊かになっていたでしょうか?必ずしもそうでないかも。

 若い弁護士と山に登っていて閉口するのは

 御嶽山の話をしていて
 木曽節(木曽のなぁ~御嶽山はなんじゃらほい)を知らない!

 羅臼岳にいっしょに登っていて、知床旅情(しれ~とこ~の岬に~
 はななす~の咲くころ~)を知らない!

 ことですね。

 また若い弁護士+司法修習生と話していて、「夜目遠目傘の内」とか
 「コタツのなかはなぜ赤い?」等の雑学を知らないのにもビックリ。

 わたくしの冗談はよく滑るのですが、できが悪いのは甘受するとして
 共通の素養が欠けているために滑ることが多いと勘ぐってもいます。

 共有している(はずの)言葉の意味をズラすことによって生じる違和感を
 笑いの源泉にしているのに、そもそも言葉を知らないでは話になりません。

 インターネットってあんまり知識拡大には役立ってないのかなぁ?
 とか思います。そんなときには。
 

2011年1月27日木曜日

 「ソーシャル・ネットワーク」



 フェイスブック(Facebook)の創始者M・ザッカーバーグが
 サービスを立ちあげ、それに関わった友人らと知的所有権
 の帰属をめぐり法的に争うさまを描いた映画。

 若者の交友ツールとあまく見ていたら
 最近はフェイスブックのことを聞かない日がないくらい。

 5億人超という莫大なソーシャル・ネットワークを形成し
 チュニジアの政変やエジプトのデモのツールでもあるらしい。

 人間に性欲がなければインター・ネットがいまほど普及しなかった
 という説を聞いたことがありますが、フェイスブックも
 人間の根源的な欲求をうまく刺激して普及しているのでしょう。

 フェイスブック立ちあげのきっかけは
 冒頭、エリカ(注:日本のエリカさまとは別人)と口論になり
 「アンタがモテないのは性格がサイテーだからよ」と振られたこと。

 映画の終盤、ザッカーバーグは知的所有権闘争にも勝利し
 莫大な富を手にするも、友人・知人をつぎつぎに失い孤独…。

 ソーシャル・ネットワークづくりに非常に有効なツールの開発者が
 ソーシャル・ネットワークを失い、絶対的な孤独のなかでエンド。

 映画の題名が、ずばり「フェイスブック」ではなく
 「ソーシャル・ネットワーク」なのはこの皮肉を示唆するもの
 でしょうか?

 人間の幸福とはなにか?
 考えさせられるところです。

 いまのところフェイスブック関連の事件はありませんが
 ミクシィ(mixi)の仲間うちでの不倫事件というのはありました。

 相手方は不倫の事実を否認していましたが
 他のメンバーのブログを分析することにより
 証言の矛盾を突き、アリバイを崩すことができました。

 コミュニケーションを円滑に、あるいは、深くするために
 互いのプライバシー情報をオープンにしていく以上
 ときに自分の首をしめる諸刃の剣にもなりうるわけです。

 フェイスブックのアイデアの一部を提供し、知的所有権を争ったのは
 ハーバード大学ボート部に所属するウィンクルボス兄弟ら。

 頭もよくてボートも漕げるという人たちは太平洋の東西を問わず
 いるんですねぇ。