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2023年5月22日月曜日

松山観光(2)松山城、湯月城、子規記念博物館

 






 四国愛媛(伊予)の松山観光をつづける。道後温泉のあとは、ランチをはさんで、松山城へ。

現存12天守の一つ。平山城。1602年関ヶ原の戦いで戦功のあった加藤嘉明が築城。城の登り口のところには馬上の銅像がたっていた。

平山城といっても、標高131mの勝山の上に建っている。ロープウェイやリフトでも登ることができるが、もちろん歩いて登った。

城郭をぐるぐる回りながら登っていき、ようやく天守閣に達する(1枚目の写真)。松山市街がすべて見渡せる絶景(2枚目の写真)。さっきまで散策していた道後温泉街ものぞむことができる。その向こうには石鎚山も顔をのぞかせていた(3枚目の写真の左上)。

下城して、道後温泉街にあるホテルにチェックイン。宴会まではまだ時間があったので、ひとり抜け出して、松山市立子規記念博物館を訪れた。

松山城は近世の城である。中世の松山には、河野氏が築いた湯築城があった。その場所は道後温泉のすぐ隣である。現在、湯築城史跡公園として整備されている。その中に博物館はある。市立のわりには立派なハコ物である(4枚目の写真)。

正岡子規は松山の出身。明治時代、短歌、俳句などの分野で近代日本文学の革新運動を行った。松山を訪れた漱石とも交流している。

松山は日露戦争をたたかった秋山兄弟の出身地でもある。もちろん子規とも交流があった。司馬遼太郎の『坂の上の雲』に詳しい。再読していくつもりが、できなかった。なにせ長い。

子規とはホトトギスのこと。夏の季語。ちょうどいまの時期、四王寺山や宝満山で鳴いている。「特許許可局」や「テッペンカケタカ」と鳴いているというのであるが、「ホトトギスヨ」としか聞こえない。

「ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞのこれる」の和歌があるとおり、鳴きつる方を眺めても声しか聞こえない。

子規は晩年、結核を患った。病状が進むと血を吐くことになる。ホトトギスは口のなかが赤い。そのため、血を吐きながら鳴いているといわれる。子規は、血を吐きながら歌や俳句を詠む自分をホトトギスになぞらえた。壮絶な名前である。

ここまでは知っていたけれども、晩年は脊椎カリエスも患い、激痛に苦しんでいたようだ。結核とカリエスの症状にくじけず、近代日本文学の革新運動にとりくんでいたのだから、やはり偉人である。

あまり知られていないが、子規は草創期の野球を楽しんだ。坊ちゃんカラクリ時計の脇にはバットを持った子規の銅像が花を愛でていた(5枚目の写真)。

2021年6月27日日曜日

心にかかる松島の月ー「月がきれいですね」


  ・・・まづなつかしく立ち寄るほどに、月、海に映りて、昼の眺めまた改む。江上に帰りて宿を求むれば、窓を開き二階を作りて、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ。

この月は、おくのほそ道の冒頭、「松島の月まづ心にかかりて」とあった月です。当初からの旅の目的であり、芭蕉一行はその目的を果たしたわけです。

芭蕉の紀行文には他に「野ざらし紀行」「鹿島詣」「笈の小文」「更科紀行」があります。このうち「鹿島詣」「更科紀行」も月見を目的にする旅です。5つの紀行文のうち3つが月見が目的だったわけです。月見の旅がよほど好きだったのでしょうね。

こういう旅の目的は日本独自ではないかという人がいます。しょんべん小僧、人魚姫、マーライオンを見に行く旅はあっても、しょんべん小僧広場で月を見たいという感性は欧米人にはないのではないかというのです。

俳句をつくるときに、一物仕立てと取り合わせという2つの方法があります。前者は一つの季語に集中して作る方法で、後者は他のものと取り合わせて作る方法です。

鹿島の月、更科の月、松島の月は、それぞれの名所と月との取り合わせです。松島だけでも十分に美しいのだけれども、それに月を取り合わせるとさらに数倍美しい効果をうみます。

三大季語として、雪(冬)、月(秋)、花(春)といわれます。ぼくはこのうち雪と花には超シビれますが、月はあまりピンとこないほうです。みなさんはどうですか。

一つには、むかしは陰暦だったということがあるかもしれません。朔日の新月にはじまり、3日の三日月、6~8日目ころに上限の月、14、15日目に望月(満月)、21、22日目ころに下限の月、そして朔日の新月。それが28日周期で毎月繰り替えされる。そうなると、やはり月の動き、見え方がとても気にならざるをえません。

芭蕉が月見を好きだった理由は、ここら辺にありそうです。月は太古から月でありながら常に変化し無常。不易流行を体現しているからです。

筑紫野市でも二日市温泉・天拝公園で観月会がもよおされています。天拝山に月の取り合わせだけでも美しいですが、女性の浴衣姿との取り合わせは、数十倍の効果をうみますね。これなら月オンチのぼくでもピンときます。

ところで観月会で女性に「月がきれいですね」というのは、勇気が必要であると知っていましたか。

夏目漱石が英語の教師をしていたとき、I love you.を教え子が私は愛すと訳したところ、漱石は「日本人はそんなことは言いません。月がきれいですね。とでも訳しておきなさい。」と言ったとか。さすが。

※漱石は新婚旅行で二日市温泉を訪れています。きっと月がきれいだねと言ったことでしょう。

 温泉のまちや踊ると見えてさんざめく 漱石

2019年1月16日水曜日

原田マハさんトークショー


 吾輩も猫であるにゃ。名前はもうあるにゃ。飛梅太というにゃ。
 これまで,どこで生まれたかにゃんとも検討もつかなかったにゃ。にゃんでも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶していたにゃ。
 きょう作家の原田マハさんのトークショーにいってみたところ,吾輩の出生にまつわる秘密がすべてわかったにゃ(写真の本を読めば,吾輩の出生の秘密がすべてわかるにゃ)。
 吾輩のことが語られるのを聞いてちょっぴり恥ずかしかったが,ユーモアたっぷりのトークショーで楽しかったにゃ。
 南無阿弥陀猫南無阿弥陀猫。ありがたにゃありがたにゃ。

2018年10月24日水曜日

顧問先企業の社員研修旅行に参加して


        (金鱗湖ほとりのシャガール美術館)  

 先週末はある顧問先企業のご招待で,社員・研修旅行に参加させてもらいました。

 1泊2日で,行き先は別府・由布院。おいしい料理を堪能し,温泉でひごろの疲れをいやし,リフレッシュしました。

 ノリが体育会系の会社で,わたくしも社員さんたちといっしょに白黒タイツを着せられ,錯覚ダンスというのをやらされました。これって,みんなが自主的にやっている分にはいいけど,そうでなければパワハラだよねと思いながら踊りました。

 企業というのは,それぞれの理念や目的にむかって組織的に行動する人の集まりです。目的を高く達成するには,できるだけ結束したほうがいい。でもあまり結束を強くすると窮屈で息苦しい。

 「知に働けば角が立つ,情に棹させば流される,意地を通せば窮屈だ,とかく人の世は住みにくい。」夏目漱石の『草枕』冒頭の言葉はいまもそのまま生きています。

 この難しいところを絶妙のバランスをとりながら組織を運営していく,人として人間らしく楽しみながら生きていく。それが大切なのでしょうね。

2012年2月8日水曜日

『ビブリア古書堂の事件手帖』



 「宝満山は婚活パワースポットだった!」シリーズを
 書きながらも、何冊か本を読んだので、簡単紹介。

 まずは読みやすさから三上延さんの
 『ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワークス文庫)

 ミステリのうち
 アームチェア・デティクティブものです。

 つまり、名探偵ホームズにあたる人は
 何らかの事情でアームチェアから動けません。

 ジェフリー・ディーヴァーの
 『ボーン・コレクター』などが典型です。

 脊椎不随となったリンカーン(D・ワシントン)がベッドにいながら
 相棒とぶつかり・協力しながら事件を解決していきます。

 このホームズにあたるのが
 本好きで博識でくだんの古書店を経営する篠川栞子さん。

 もちろん美人で○○(セクハラといわれそうで、書けません)。
 男性読者としてはついつい肩入れしてしまいます。

 名探偵ホームズもそうですが、主役が寝ていて動けないとなると
 動ける相棒(狂言回し)のワトソン君が是非とも必要です。

 それがひよんなことで店を手伝うようになった
 俺こと五浦大輔くん。

 古書で「だいすけ」。なんかひっかかりません?
 このブログでも最近紹介した本と関係しています。

 舞台は北鎌倉
 古書に北鎌倉ですから、それだけでももう満足。

 というわけにもいかないので
 さわりをもうすこし。

 ミステリというからには謎があるわけですが
 それは古書の来歴に関するものなんですね。

 古書の書き込みや蔵書印などから
 推理を展開して謎を解いていく。

 問題となる古書のラインナップは
 つぎのとおり。

 夏目漱石『漱石全集・新書版』(岩波文庫)
 小山清『落ち穂拾ひ・聖アンデルセン』(新潮文庫)

 ウ”ィノグラードフ・クジミン『論理学入門』(青木文庫)
 太宰治『晩年』(砂子屋書房)

 しぶいですね。
 正直いって、私はどれも読んだことがありません。

 でも大丈夫
 読んだことがなくても読みたくなりますから。

 それぞれが独立した4話の短編集になってますから
 とても読みやすいです。

 ためしに読んでみて下さい。

2011年11月29日火曜日

三四郎はそれからいかに門を出たか?



 『門』夏目漱石著(新潮文庫)
 をなぜか再読。35年ぶりぐらいか。

 なぜ再読することになったのか
 思い出せません。歳だ~。

 再読しようと積ん読していたら
 他の本に目うつりしてしまい、気づいたら時間が経過…。

 その結果、なぜ再読することになったのか
 わからないまま再読。

 夏目漱石の前期3部作の掉尾を飾る作品
 (のはず)

 三浦しをんさんが『三四郎はそれから門を出た』(ポプラ社)
 と、うまくタイトル化しているとおり。

 でも正直、『三四郎』、『それから』を読まずに
 これだけを再読するとなんのことやらという感も。

 過去については略奪愛を示唆するのみで
 詳しい記述はありません。

 現在については叔父夫婦との間の遺産問題、弟の扶養問題など
 せいぜいが気がかり程度の事件が生起するだけ。

 崖の上のポニョならぬ大家さんとの親交といった伏線を
 ひろっていくうち、ついに略奪愛の被害者・安井との対決か!?

 とおもいきや、主人公・宗助は問題の解決をもとめて
 禅寺の「門」をくぐる。

 しかし、そこで宗教的な解決が得られるわけでもなく
 娑婆に戻ると、安井は蒙古へと帰ったあと。

 かくて危機は回避され、宗助夫婦に春が訪れ
 「本当に有難いわね。漸くの事春になって」(妻・御米)。

 よかない!宗助もそう思ったのか
 「うん、然し又じき冬になるよ」で幕。

 対決を回避し、時間による解決に身をゆだねる
 このような手法はわれわれの実務ではよくおこなわれます。

 しかし、小説としては
 どうなん?

 『門』が緊張を回避し、このような微温的な解決になったことにつき
 漱石の体調悪化が取りざたされています。

 われわれがとる解決方法も体調に左右されることがあるので
 このような指摘も一定あたっているのでしょう。

 (もちろん、いや、あれはあれでいいんだ!
 という漱石擁護派の方もいらっしゃいます。)

 漱石が『門』を書く際にモデルとした寺は
 鎌倉の円覚寺とされています。

 ところが、漱石自身がその後むかったのは伊豆の修善寺
 そこで大吐血し生死の間を彷徨う危篤状態に(「修善寺の大患」)。

 この時、一時的な「死」を体験したことは
 その後の作品に影響を与えることとなったとされます。

 漱石は後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』
 へと立ち向かっていきます。

 病気にかぎらず、われわれもいろいろな問題に遭遇して
 人生の門をくぐらざるをえません。

 それは人生である以上
 避けられないものです。

 問題はそこからいかに出るか
 出てからなにをなすか、ではないでしょうか?