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2024年5月15日水曜日

清・少納言って誰?(1)

 


 
 きのう歴史探偵で「清少納言と枕草子」をとりあげていたので、きょうから清少納言。 

 https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/6XVLZRRX8Q/

「光る君へ」を視聴していて、発音がちがうなぁと思ったのはぼくだけではあるまい。気になるのは「清・少納言」である。

いままでは「せいしょうなごん」とダラッと読んでいた。それがドラマでは「せい・しょうなごん」と発音している。そうなのか?

「清・少納言」とは、清原氏の少納言という意味だ。それならば、たしかに「せい・しょうなごん」なのだろう。

 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ
          末の松山波こさじとは

 約束しましたよね。お互いに涙のたまった袖をしぼりながら、あの末の松山を波が越えることがないように、私たちの愛も決して将来変わることがないのを(それなのに、あなたは変わってしまった)。

 百人一首42番、清原元輔の作。元輔は清少納言の父である。劇中、大森博史が演じていた。紫式部の父・藤原為時とは学者仲間という感じ。

この歌は本歌取りでつくられている。本歌はこれ。

 君をおきてあだし心をわが持たば
         末の松山波も越えなむ  東歌 古今集

 もしあなたをさしおいて浮気心を私が持ったならば、あの末の松山を波が越えてしまうだろう 

末の松山は宮城県多賀城市にある。仙台駅から多賀城駅まで電車で20分ほど、駅から歩いて10分ほどである。

https://www.google.com/maps/place/%E6%9C%AB%E3%81%AE%E6%9D%BE%E5%B1%B1/@38.2725102,140.9933707,14z/data=!4m6!3m5!1s0x5f898f570db3b603:0x9539d52b40a2cb2d!8m2!3d38.2877561!4d141.0034366!16s%2Fg%2F11flbt99pb?entry=ttu

多賀城市には奈良時代から東北経営の中心であった多賀城がある。九州の大宰府と類似の機能を担っていた。ために両市は姉妹都市の関係にある。

末の松山は、名にし負う、立派な松がはえている。すこし丘になっている。ちかくには、やはり百人一首92番二条院讃岐の歌の歌枕である沖の石もある。

https://www.google.com/maps/place/%E6%B2%96%E3%81%AE%E7%9F%B3/@38.2844608,140.9911493,14z/data=!4m6!3m5!1s0x5f898f5720ef153f:0xd6138bf3ddf63a85!8m2!3d38.2868342!4d141.0033366!16s%2Fg%2F11bvvxb111?entry=ttu


 古今集が編纂されたのは905年。その30数年まえである貞観11年(869年)には大地震と大津波がこの地方を襲ったものの、末の松山は被害を免れたという。それから、大津波でも波が越さない地として有名になったらしい。

末の松山は東日本大震災の大津波のときにも波が越さなかったらしい。それほどの地をひきあいにだして愛を誓うことこそ末おそろしい。劇的効果としては元輔の和歌のほうがすぐれているかもしれないが、東歌程度にしておくのが本当なのではなかろうか。

https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20210308-OYT8T50014/ 

※現代語訳等は『ビギナーズクラッシック日本の古典 百人一首(全)』谷知子編によった。

2021年8月3日火曜日

象潟(きさがた)


(南に鳥海、天をささへ)


 


(ネムの花)

 江山水陸の風光数を尽くして、今象潟に方寸を責む。酒田の港より東北のかた、山を越え、磯を伝ひ、いさごを踏みて、その際十里、日影やや傾くころ、潮風真砂を吹き上げ、雨朦朧として鳥海の山隠る。暗中に模索して「雨もまた奇なり」とせば、雨後の晴色また頼もしきと、蜑の苫屋に膝を入れて、雨の晴るるを待つ。その朝、天よく晴れて、朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟を浮かぶ。まづ能因島に舟を寄せて、三年幽居の跡を訪ひ、向こうの岸に舟を上がれば、「花の上漕ぐ」と詠まれし桜の老い木、西行法師の記念を残す。江上に御陵あり、神功皇后の御墓といふ。寺を干満珠寺といふ。この所に行幸ありしこといまだ聞かず。いかなることにや。この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天をささへ、その影映りて江にあり。西はむやむやの関、道を限り、東に堤を築きて、秋田に通ふ道遙かに、海北にかまへて、波うち入るる所を汐越というふ。江の縦横一里ばかり、俤松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。

 象潟や雨に西施がねぶの花

 汐越や鶴脛ぬれて海涼し

   祭礼
 象潟や料理何食ふ神祭り 曽良

 蜑の家や戸板を敷きて夕涼み 美濃の国の商人 低耳

   岩上に雎鳩(みさご)の巣を見る
 波越えぬ契りありてや雎鳩の巣 曽良

 文中にあるとおり、象潟は、おもかげ松島に通いて、また異なり。松島は笑うがごとく、象潟は憾むがごとし。寂しさに悲しみを加えて、地勢魂を悩ますに似たり。

東西横綱対決、東の横綱が松島で、西の横綱が象潟。松島は太平洋側のせいか陽、象潟は日本海側のせいか陰です。

芭蕉の格調高き美文も、いずれ劣らぬものになっています。松島「島々の数を尽くして」、象潟「江山水陸の風光数を尽くして」。松島「江の中三里」、象潟「江の縦横一里」、松島「その気色窅然として、美人の顔を粧ふ」、象潟「寂しさに悲しみを加えて、地勢魂を悩ますに似たり」など好対照。

「雨もまた奇なり」は蘇軾(蘇東坡)の「飲湖上初晴後雨」、水光瀲灔として晴れてまさに好し、山色空濛として雨もまた奇なりから。略して、晴好雨奇といいます。

呉越同舟という言葉がありますが、戦国時代、呉と越ははげしい戦を繰り返していました。その際、越が呉に献上した美人が西施。呉の王は西施におぼれ、ついには国を滅ぼしてしまいました。美人のことを傾城といいますが、このことです。

この詩は、このあと西湖と西施を比べようとすればと続き、美しい水景色と美しい西施を対比するイメージを導きます(松島も西湖をはぢずとされていました。)。

そして淡粧濃抹総べて相宜しと結びます。雨に煙る景色は西施のうす化粧、キラキラ晴れの景色は濃い化粧。どちらもすばらしく甲乙つけがたいというわけです。

こうして見てくる、雨のち晴だったという芭蕉たちの天気も、蘇東坡の詩にあやかるための文飾なのかもしれませんね。

蜑の苫屋に膝を入れて雨の晴るるを待つたのは、あとで出てくる能因の歌にあやかったものです。

 世の中はかくても経けり象潟の 海士の苫屋をわが宿にして

能因は、海士の苫屋をわが宿にして象潟で三年幽居したというのですが、ほんとうでしょうか。かれは歌のためならなんでもする人だったようです。白河の関で紹介した歌について、有名な噂があります。

 都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関

 能因はこの歌を作ったものの、じっさいには白河の関に行ったことがなく、そこで旅にでたらしいと噂を流し、家にこもって日焼けをしたうえで、この歌を公表したというのです。あはは。(能因はじっさいには奥州を旅しています。でもこのような噂があったのは、ほかでもそのようなケレン味のある振舞いがあったということでしょう)

「花の上漕ぐ」と詠まれし桜の老い木とあるのは、西行が詠んだとされる次の歌(なにせ、500年前の歌ですから、桜も老い木のはず)

 象潟の桜はなみに埋れて 花の上漕ぐ海士の釣り舟

ネムの木は、夜になると葉が閉じて垂れ下がります。なので、眠むの木。西施の瞳も眠たげだったのでしょうか。もちろん芭蕉も西施に会ったことはなかったでしょうが、ネムの花のようだといわれれば、そんな気がしてきます。花言葉は歓喜。

波越えぬ契りありてやは、末の松山の段で紹介した次の歌を踏まえています。

 君をおきてあだし心をわが持たば 末の松山波も越えなむ

 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは 清原元輔

岩上を波が越えたかどうかは分かりませんが、芭蕉が訪問した100年後、象潟は大地震で土地が隆起してしまい、潟としての風景は失われてしまいました。芭蕉が信じた大自然の景観さえ、不易ではなかったんですねぇ。

2021年6月14日月曜日

末の松山


沖の石からすこし歩くと、末の松山に着きます。末の松山も有名な歌枕。どんな大波でもここを越えることはないとされます。それを踏まえて

 君をおきてあだし心をわが持たば 末の松山波も越えなむ 東歌

わたしが浮気をするようなことになれば、末の松山を波も越えることでしょう(そういうことはないですよ)。

これを本歌にして、ひねったのが清原元輔の有名な歌  

 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは 

詞書に「心変はりて侍りける女に」とあります。清原元輔の歌は百人一首でみなさんもご存じのことと思います。元輔は清少納言の父で、『後撰和歌集』の撰者、当時を代表する歌人・歌学者。

この歌をさらにひねったのが芭蕉のおくのほそ道。

 末の松山は、寺を造りて末松山といふ。松間々皆墓原にて、翼を交はし枝を連ぬる契りの末も、つひにはかくのごときと、悲しさもまさりて、塩竈の浦に入相の鐘を聞く。

「翼を交はし枝を連ぬる契り」は、白居易の「長恨歌」から。白居易は、清少納言の『枕草子』に香炉峰の雪ならんと中宮定子が尋ねた際のもととなった漢詩の作者。

「長恨歌」は玄宗皇帝と楊貴妃の愛を歌ったもの。その契りの言葉。

 天に在りては願わくは比翼の鳥となり
 地に在りては願わくは連理の枝と為らんと

「地上の星」の歌詞みたいですが、比翼の鳥は、夫婦が一枚ずつの翼で並んで飛ぶ鳥。連理の枝は、二本の木でありながら枝が繫がっているものです。

若いころ絶対あだし心をもたないよと契った恋人たち、翼を交わし枝を連ねる契りを結んだ夫婦。不易の愛を誓った彼らも、ついには墓に入ってしまうのだなぁ、悲しいなぁ・・ごーん。

ところで「まつ山のなみ」は古今集の仮名序にも出てくる有名事件。869年の貞観津波を踏まえているとされます。その津波の際に末の松山を波が越えなかったことから歌枕になっているとか。

東北大震災の津波も、末の松山を越えることはなかったといいます。こうした津波をめぐる伝承を不易のものとして語り継ごうという動きもでているようです。

2013年3月5日火曜日

アンズ





裁判所へは
天神から歩くことがおおい。

岩田屋から西通りをへて
稚加榮のまえをとおります。

店の前には
アンズ(杏子,杏)が咲いていました。

アンズの名は
漢名の杏子から。

バラ科で,サクラの仲間
学名,Prunus armeniaca(アルメニアのサクラ)。

アルメニアは
トルコの東北方向にある地方。

Prunusは、ラテン古名のplum(スモモ)から。
スモモのほか,アーモンドやウメともちかい(ちかえだけに)。

正直,名札がかかっていなければ
これらの仲間との区別はむずかしい。

自分たちでもそのようで
容易に交雑するようです(種間の交雑は一般に起こらない)。


英名,アプリコット。
果実はアプリコット・ジャムなどにして食べられます。

名前のとおり,杏仁豆腐の味つけにも
使われるらしい。


種子も風邪の予防薬に。
ここから,「杏林」の故事があります。

  中国古代、呉の国に
  ある医者がいた。


  貧しい人からは治療代をとらない
  赤ひげのような人だった。

  軽い患者には杏を1株   
  重い患者には5株植えさせた。

  数年にして患者の家のまわりに
  杏の林ができた。

 
  以後,患者は病に
  かかりにくくなった。

 
  以来,杏林は
  良医の名となった。

この故事をふまえて名前をつけた
薬のメーカーがありますね。


飛鳥におわず仏像の目は
この種の形とされています(杏仁形)。


日本へは中国から伝来したため
別名,カラモモ(唐桃)。

  逢ふからも ものはなほこそ 悲しけれ
            別れむことを かねて思へば

清原深養父の歌でアンズのことが詠み込まれています。
どこだかわかりますか?

清原深養父の歌は
小倉百人一首にもとられています。

  夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
           雲のいづこに 月やどるらむ

孫が歌人清原元輔
曽孫が清少納言という血筋です。

2011年3月18日金曜日

 春はあけぼの



    契りきな かたみに袖を しぼりつつ

               末の松山 波こさじとは


                          清原元輔

 末の松山は宮城県多賀市
 この歌はいまでは違う意味によめてしまいます。
  
 清原元輔の娘は清少納言
 清少納言の初婚の夫は陸奥守(陸奥国の長官)の橘則光

 陸奥国は、畿内から見て山道と海道の奥に位置し
 道の奥で「みちのく」とも呼ばれ、中国風に略して奥州。
 
 概ね本州の北東部にあたる今日の福島県、宮城県、岩手県、青森県など
 今回の地震・津波・原発の被災地とかさなります。

   春は、あけぼの

   やうやう白くなりゆく山ぎは

   少し明りて…

                      枕草子・清少納言

 被災者のかたがたはいまだ眠られぬ夜を数えておられるでしょう
 すこしずつでも情況がよくなっていくことをお祈り申しあげます。
 

2010年10月23日土曜日

 宝満山



 春はもえ秋はこがるゝかまど山霞もきりもけふりとそみる(清原元輔) 

 清原元輔は清少納言の父。
 歌人で百人一首の歌が知られる。
 
 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪こさじとは

 かまど山は宝満山(830m)。
 肥後守(熊本県知事)になっているので、途中でたち寄ったのでしょうか。

 むかしの知事さんたちは職務はしらず歌なぞ詠んで風雅ですね。
 東国原さんたちも生ぐさい話はほどほどにして
 ときには歌なぞ披露していただければ
 ほ~っと思うのですが。

 「やば~い、やばくないこれ~。」

 山頂の景色に、山ガールたちの讃嘆のこえ。
 やばいのつかい方はちがっても、讃嘆のし方はちがわないみたいです。※

※いくらなんでもこれは「やばい」のつかい方として間違いと思いました。
 ところが、講談社「ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書Ⅱ」のオビに
 「やばいっ!
  まわりの景色が違ってみえます。」
 との用例が。
 やばいっ!