2026年3月9日月曜日

謡曲『玉鬘』をみて

 

 さいきん、お能をみる機会が2度あった。1度目は『玉鬘(たまかずら)』と『春日明神』、2度目は『楊貴妃』である。場所はいずれも大濠公園能楽堂。シテ(主役)は順に今村嘉太郎、森本哲郎、今村嘉太郎の各氏である。

 『玉鬘』(室町時代)の元ネタは『源氏物語』(平安時代)。玉鬘は頭中将と夕顔の娘である。頭中将(とうのちゅうじょう)は光源氏の親友でライバル。夕顔の元カレである。しかも交際当時、玉鬘という子までもうけていたというのであるから、光源氏も心穏やかでいられるはずはない。それが物語のドライブとなる。

 夕顔は17歳の光源氏の恋の相手。可憐で美貌な女性で、素朴で奥ゆかしい魅力がある。垣根に夕顔の花が咲いていたことから夕顔。しかし、夕顔は廃屋での密会中に生霊に襲われ、19歳の若さで悲劇的な死をとげる。悲劇的な死をとげた美貌の女性の思い出が男性の心から去ることはない。光源氏はいつまでも心にわだかまりをかかえることになる。

 玉鬘は人知れず筑紫で成長し、苦難の末、美貌の娘となって京に戻る。長谷寺でかっての二女・右近と奇跡的な再開をとげ、光源氏の養女となる。頭中将の娘である出自は伏せられ、その美しさゆえに多くの貴公子から熱い視線を浴びる。玉鬘は実父との再会を願う。

 第22帖から第31帖までは、玉鬘を主役とした「玉鬘十帖」とも呼ばれる。いまでいえば『源氏物語』ヒット後のファンサービス。早死にしたものの、後日談を知りたいファンの期待に応えたスピンオフ作品だろう。

 謡曲『玉鬘』は『源氏物語』に取材しつつも、違う人物造形のように思える。謡曲のあらすじはこう(http://www.tessen.org/dictionary/explain/tamakazura)。

 【前場】旅の僧(ワキ)が大和国 長谷寺を訪れると、門前を流れる初瀬川を小舟に乗って遡る一人の女(前シテ)に出会う。初瀬の里の秋景色を眺めつつ、参詣を済ませた二人。その後、女は境内の〝二本(ふたもと)の杉”へと僧を案内する。この杉は、源氏物語の昔、玉鬘内侍にゆかりの木であった。運命に翻弄され続けた玉鬘の生涯を語る女、その物語に涙する僧へ、女は自分こそ玉鬘の霊魂であると仄めかすと、回向を願いつつ姿を消す。

 【後場】その夜、僧の弔いの声にひかれ、玉鬘の霊(後シテ)が現れた。仏の救済を願いつつも、恋の妄執に囚われ続ける玉鬘。彼女はいくたび払ってもまとわり続ける乱れ髪に苦しみつつ、多くの男性達から想いを寄せられてきた生前の記憶を懺悔する。しかし彼女はそんな執心を翻そうと宣言すると、過去の記憶と決別し、ついに成仏を遂げるのだった。

 旅僧(ワキ)が名所旧跡で現地の霊(前シテ)に出会い、後に正体(後シテ)を現して舞いを舞う二場(前場・後場)構成の複式夢幻能である。

 複式夢幻能は、フロイトが創始した精神分析そのものである。精神分析は、意識下=無意識に抑圧された感情を葛藤を夢分析や自由連想法で言語化し、自覚(意識化)することで心の問題を治療する心理療法である。

 主に、不安障害、強迫性障害、パーソナリティ障害などの治療に用いられ、深い自己理解と生きづらさの解消を目指す。複式夢幻能というくらいだから、夢分析そのものである。

 能では言語化によるテラピーのほか、音楽療法も併用されている。音楽療法とは、音楽がもつ生理的・心理的・社会的な働きを活用し、健康の維持や回復、生活の質の向上を目的として行うリハビリの一種である。

 歌唱、楽器演奏、音楽鑑賞など(舞踏を含めてよいだろう。)を通じて、認知症のケアや脳の活性化、ストレス軽減、身体機能の向上を支援し、高齢者から子どもまで幅広く活用されている。

 舞台上の玉鬘だけでなく、感情移入していた我々もカタルシスを得ることができた。カタルシスは、心の中に貯まった悲しみ、怒り、不安などのネガティブな感情を解放し、すっきりと浄化された気分になる心理的な癒やし効果のことである。感激することによる観劇セラピーといってよかろう。

2026年3月8日日曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(6)

 

 現金を交付した際に発行された領収書には、但書に事業用資金として融資された旨の記載があった。この事業の内容が何なのかについて、B社は、知らないととぼける途もあったとは思うが、A社の設立資金、事業資金であると説明した。

 そうなると問題を生じた。A社は設立後、事業不振であった。令和4年3月末、Aは同社社長を辞任する旨申し出て、5月15日には、社長の座をB社会長の子と交替していた。

 3月25日の425万円についてはともかく、7月8日の105万円及び9月30日の510万円についてはおかしい。A社社長を退任後に、Aに対しA社の事業資金を融資したことになるからである。

 当方はその点を攻め立てたが、B社からは何の説明もないまま証人尋問期日を迎えた。そしてB社長は、この点について、AがA社社長を退任した事実を知らなかったとシラをきった。

 こちらは5月15日以降、9月30日までの社内メールを提出していたものの、たしかに、AのA社社長退任を明言したやり取りは存在しなかった。ために、法廷での追及はいま一歩のところで攻めきれなかった。

 裁判は証人尋問終了後ただちに結審され、判決言渡し期日が決められた。あとは天運に祈るばかりと思われた矢先、Aから社内LINEグループとそこでのやり取りの存在を教えられた。

 グループにはB社長も加わってやりとりし、AのA社長退任の事実も話題になっていた。B社長がAの退任の事実を知らないはずはない。決定的証拠である。なぜもっと早く言わなかったのかと思ったが、悔やんでもしようがない。

 やり取りを証拠化して、弁論の再開を求めた。しかし、高等裁判所はこの申請を却下した。調べるもなくAの勝訴という趣旨なのか、調べてもAの敗訴は揺るがないという趣旨なのか。・・・

 判決期日。高等裁判所は、一審判決を破棄して、B社の請求を棄却した。Aの全面勝訴である。やった!。

 ・・・その後、B社は上告して、たたかいの場は最高裁へ移された。争いはつづく。

2026年3月5日木曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(5)

 

 令和4年3月25日に交付したとされる425万円について、B社は、2月17日から3月24日まで6回にわたり引き出した金員を、3月25日にまとめて交付したと主張していた。その旨、一審の口頭弁論調書に明記されている。

 しかしながら、同日の領収書とされる甲2号証の但書には「事業資金貸し出し(R4年2月、3月分)として」と記載がある。B社の主張と証拠には乖離がある。そう追及した。するとB社は、2月と3月の2回に分けて貸与したと主張を変えた。主張をコロコロと変えると信用を失う。一般社会でも法廷でもおなじである。

 前回貸与されたとする令和3年11月30日から令和4年3月25日までの間のB社とAとの間のメールをすべて提出した。しかしながら、そこには3月25日の現金交付に関するやりとりは一切記載されていない。不自然である。

 令和4年7月8日に交付したとされる105万円についても、B社は、6月30日から7月8日まで3回にわたりひきだした金員を、7月8日にまとめて交付したと主張していた。

 この事実関係にも奇異な点がある。3回のひきだしのうち2回は、7月8日横浜のローソンのATMでおこなわれているからである。しかも金額は20万円と15万円である。

 広島の会社であるB社が福岡の社員であるAに対し現金105万円を交付するのに、横浜のATMで出金するのは奇異である。2回にわけて出金する理由もない。しかもそこから福岡まで出掛けてきて現金を交付したと言い張ったのであるが、無理がある。

 横浜にいたB社の社長が福岡(空港がある福岡市内ではない。郊外の筑紫野市内である。)まで出向いて系列会社の社員に105万円の現金を交付したというのはいかにも奇異である。銀行送金でよいではないか。現金手交のわけは、Aがそう希望しただけというに尽きる。不自然不合理である。

 前回貸与されたとする令和4年3月25日から7月8日までの間のB社とAとの間のメールをすべて提出した。しかしながら、そこには7月8日の現金交付に関するやりとりは一切記載されていない。不自然である。・・・

2026年3月4日水曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(4)

 

 次に問題としたのは、B社がAに対し、令和3年11月30日350万円、令和4年3月25日425万円、令和4年7月8日105万円、令和4年9月30日510万円の現金を交付したという点である。

 そもそもいまどきこれら相当額の現金を手渡しということが常識的ではない。しかもB社は広島県にあり、Aは福岡県で勤務していた。いちいち広島から出掛けてきて現金を手渡したということは、非常識である。B2社の給与は同日に振込送金されていたのであるから、なおさらである。

 AはB社を筆頭とする企業グループの社員であったから、B社らとの間で、業務上のメールを頻繁にやりとりしていた。それらメールの履歴には、本件貸借に関するやりとりは存在しない。B社によると、すべて電話等による口頭のやりとりだという。これも常識でない。

 さらに交付したという現金の原資である。たしかに、B社の通帳からは各時期、各金額に一致する金員が払い戻されていた。しかし、令和4年3月25日に交付した425万円は、2月17日から3月24日まで6回にわたり引き出した金員をまとめて交付したものだという。

 これもおかしい。425万円を貸すのに、その原資となる現金をなぜ6回にわたり払い戻さなければならないのか。預金通帳記載のATMを調べると、広島県内各所のバラバラのATMである。不自然不合理である。

 さらにそのうち110万円は国・県の事業復活支援金が原資であることが判明した。事業復活支援金は、文字どおり、コロナ禍により事業が行き詰まった企業に対し、国・県がその事業が「復活」するよう支援するお金である。そのような窮状にある企業が新入社員に対し1390万円もの貸金をすることは不自然不合理である。

2026年3月3日火曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(3)

 

 B社は、Aに対し、会社設立の事業資金を貸与したと主張した。そして、実際に350万円を貸与したとされる令和3年11月30日の約1か月後である12月24日にはAを社長とするA社が設立されていた。

 Aによると、A社の設立はB社の指示によるものだという。このような主張だけでは到底裁判所の信用を得ることはできない。やはり証拠が必要である。

 訊くと、当時の社内メールが残っているという。それら多数の詳細なメールによると、確かに、B社が東京の行政書士に依頼し、A社設立に必要な書類の用意や手続を細々指示していることが判明した。

 そのうえ、A社の資本金は88万円という不思議な数字だったのであるが、これも送金されていた。送金主の名義はAとされていた。これではB社の関与を明らかにできない。しかし、会社設立後ただちにB社の指示で同金額はB社宛に返金されていた。これで会社設立時の資本金はB社が拠出したことが立証できただろう。

 その他、公証人の費用等こまごまとして会社設立費用はすべてB社が拠出した。

 さらにA社の所在地は、Aの所有するマンションであり、同マンションを利用して(B社の指示する)事業をしていた。またA以外に従業員はいなかった。つまり、資本金その他会社設立費用以外に特段の事業資金は必要なかった。

 B社は、AがA会社を設立する資金を欲し、その事業資金として350万円を貸与したと主張したのであるところ、A社設立にかかる事業資金は必要ないことが明かになった。

 まだまだこれだけでは十分でない。そうやすやすと高等裁判所は勝たせてくれない・・・。

2026年3月2日月曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(2)

 

 本件準消費貸借契約書については、本人の署名があり、かつ、実印が押捺されており、それに印鑑証明書が添付されている。民事訴訟において、この証拠は鉄板である。普通、これに穴を空けることはできない。

 ただし消費貸借は要物契約といわれており、契約だけでなく、現金の交付が必要である。B社は、現金を手渡したという。令和3年11月30日に350万円、令和4年3月25日に425万円、同年7月8日に105万円、同年9月30日に510万円。

 いまの時代にこのような高額現金を送金しないで手渡しということ自体に疑義がある。しかしB社は、各交付の際にAが作成し手渡したという領収書4枚を証拠として提出していた。

 領収書の署名はAの署名と酷似していた。Aは自分が書いたものではないと主張したが、裁判官は酷似していると判断した。印影も酷似している。

 そのうえ、B社の預金通帳の履歴である。令和3年11月30日ころに350万円、令和4年3月25日ころに425万円、同年7月8日ころに105万円、同年9月30日ころに510万円が引き出されている。Bはこれら引き出された現金をAに交付したと主張した。

 裁判所はこれらを踏まえ、Aの言い分をまったく信用しない態度であった。どうしたらいいだろう?

 実は、これらガッチリと組み立てられた証拠を崩すために、これといって決め手があるわけではない。筆跡鑑定や、領収書にAの指紋が残っていないはずだなどとAは主張した。しかし、これらの手法は刑事事件であればともかく、民事事件では一般的ではない。

 しかたがない。問題点を1つずつ丹念に突いていくしかない。

 第1の問題点は、AがB社のグループ会社であるB2社の新入社員であったことである。C社に勤務していたAはB社からヘッドハンティングを受け、入社を決めたところB2社に入社するよう指示された。

 入社は令和3年9月1日のことである。最初の借入があったとされるのが11月30日であるから、わずか3か月まえのことである。

 入社3か月の新入社員に350万円、ひいては合計1390万円ものお金を貸す会社は一般に存在しない。B社が金融機関であればともかく、そうではない。

 この点に関するB社の釈明は、AがC社を辞めて会社を設立し事業をしたいということだったので、その事業資金を貸与したというものである。A社が設立され、同社がC社関連の仕事などをまわしてくれれば、B社としてもうまみがあると考えたという。

 実際、令和3年12月24日、Aを社長とするA社が設立されていた。そのため、令和3年11月30日の350万円はA社の設立資金・事業資金として貸与したものであるというB社の主張には相当の合理性が存在した。さて、どうしよう?

2026年3月1日日曜日

1390万円の架空貸金請求・福岡高裁で勝訴(1)

 

 貸金ないし借金のことを民法上は消費貸借という。賃貸借などは借りたものをそのまま返すのに対し、消費貸借ではいったん費ってしまったうえで同額を返すので消費貸借という。

 さらに準・消費貸借という契約がある。売掛金や損害賠償などを合意により消費貸借に切り替える契約である。元となる契約は売掛金や損害賠償だけでなく、消費貸借でもかまわない。意味がないように思えるが、たとえば4本の貸借を1本として管理できれば楽なのである。

 AさんはB社に勤務していたところ、同社から1390万円を貸したから返せといって訴えられた。Aさんは借りていない。だから負けるわけないと思っていたところ、一審・福岡地裁では全面敗訴した。

 Aさんは控訴し、福岡高等裁判所に係属した。Aさんはこの裁判を当職に依頼したいと申し入れた。AIによると、一審で敗訴した判決が控訴審で覆される確率は1~2割以下であるのが実情。このような歩留まりの悪い訴訟はできれば遠慮したい。しかしAさんの熱意に負けて受任することになった。

 一審判決によると、B社はAに対し1390万円を4回に分けて貸した、令和3年11月30日350万円、令和4年3月25日425万円、令和4年7月8日105万円、令和4年9月30日510万円である。これを令和5年3月17日準消費貸借としたという。

 その決め手というべき証拠は準消費貸借の契約書である。Aの署名と実印の押捺がある。実務ではこれはかなり固い証拠である。Aはこれに署名・捺印したことは自分であり、間違いないという。

 そのほか4回分の領収書が提出されている。これにもAの署名と捺印がある。さらにB社の預金通帳が提出されている。ここから350万円、425万円、105万円、510万円の合計1390万円が引き出されている。

 ガッチリ証拠を固められてしまっている。はたして、どうすれば一審判決を覆すことができるのだろうか・・・。