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2024年1月9日火曜日

海保・日航機衝突事故との遭遇(1日目)

 





 室の八島参詣を終え、野州大塚駅から東武線の普通、急行電車を乗り継いで東京をめざした。浅草と日光の間を往復する特急は全席指定で完売されており、乗車することができなかったからである。

羽田の飛行機の予約は19時15分であり、急ぐ旅でもなかった。途中、春日部と草加にも立ち寄ることにした。いずれも『おくのほそ道』ゆかりの地だから。

『おくのほそ道』本文にはこうある。

 ことし、元禄二年にや、奥羽長途の行脚ただかりそめに思ひ立ちて、呉天に白髪の恨みを重ぬといへども、耳に触れていまだ目に見ぬ境、もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり。(角川ソフィア文庫)

しかし『曽良随行日記』にはこうある。

 廿七日夜 カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余。

つまり、実際には春日部に泊まったにもかかわらず、芭蕉はそのまま書くことを嫌い、草加宿に泊まったと創作したのである。なぜかは分からない。読んだかぎりでは誰もうまい説明をしていない。

この謎に挑戦すべく春日部と草加の両街を訪ねてみることにした。しかし、・・・。この謎を解くヒントは、少なくとも現代の春日部にはない。と言ってよかろう。クレヨンしんちゃんがいるばかりである。気疲れしたので(登山ザックが重いこともある。)、草加で下車することはパスした。

かくて2時間ほど早く空港に着いた。福岡空港には21時ころの到着になりそうなので、少し早い夕食を食べることにした。

食堂街を歩いていて、窓からオレンジ色の光が漏れていることに気づいた。6階展望デッキに行くと、ちょうど日が没するところだった。美しい。夕陽の右手には富士山が浮かび上がっていた。(日没は16時40分)

夕食をして搭乗ゲートでくつろいでいた。18時ころ、後ろの男性が「滑走路で火事だそう、きょうは帰れんかも・・」と電話しているのが聞こえた(後で分かったとおり、この時・第4滑走路では日航機から奇跡の脱出劇が行われていた。)。

しばらくしてゲートの備え付けのテレビで、海保機と日航機との衝突事故のニュースが流れていた。この時点で空港・日航側からはなんのアナウンスも説明もない。

列車事故等では乗客を安心させるため、くどいほど状況について説明がなされるが、この事故については何の説明もなかった。このあともそうである。パニックを避けるためかもしれないが、いまの時代、テレビや携帯でアクセスできるので状況説明は必要であろう。

やがてニュース映像では、機体が火に包まれた。これから搭乗しようとしている人々にとっては、控えめにいっても気持ちの映像ではない。

事務所メンバーだけのライングループがある。そこへ状況を投稿した。すると、同じ事務所の井上弁護士もやはり、いまからANA便に乗る予定だと回答があった。こちらの投稿を見て、はじめて事故の発生を知ったようだ。説明がないのはANA側も同じらしい。C滑走路であるから、むこう(第2ターミナル)からは機体炎上の様子も直接見ることができたようだ。

ANA便は早々に欠航となった。日航のほうはそれより30分は決断が遅れ、結局は欠航になった。それはそうだろう。事故原因が判明しないかぎり、他の飛行機を飛ばすわけにはいかないのだから。

新幹線は名古屋まで行くにしても20時ころが最終である。もう間に合わない。①まずはきょうの宿を確保しなければならない。援助者の手を借りて、浅草寺にあるホテルを押さえることができた。泉岳寺(赤穂浪士の墓があることで有名)であれば京急で直通である。より近場のホテルはANA便の人たちが押さえてしまったあとである。

つぎに必要なのは、②預けた手荷物の回収と③航空券予約の振替である。まずは手荷物回収場所へ向かった。上からの指示が来ていないのでしばらく待つよう言われる。しばらく待たされて、手荷物は2階カウンターで返却することになったと連絡がある(こちら側の担当者の一部は「信じられない。」などとブツブツ言っている。手荷物を返す場所は預けたカウンターより、ここのほうが適切ではないかとの意見である。このことの真偽は、このあとの現実が語っている。たくさんの便、たくさんの重い荷物を返却するのであるから、預けたカウンターに作業を集中させるのは無理がある。上のほうがこの方法を選択する際に現場の意見を聴取しなかったことは明らか。)。

到着ロビーを出て、2階カウンターへ向かう。2階はすでに長蛇の列である。第1ターミナル内を2重に折れて1往復半の行列ができている。しかたなく、最後尾に並ぶ。前には岡山から来たという夫婦。どうやら息子さんが箱根駅伝を走り、その応援にきた帰りのようだ。しきりに駅伝のニュースをチェックしている。待ち時間を有効に使える人はいい。

しばらく並んでその列が手荷物回収の列ではなく、航空券予約の振替のために並んでいる列であるが判明した。長蛇の列であるので、先頭がどこにつながっているのか分からない。なんの説明もないし、個別の係員に訊いても分からない。一人旅であるので手分けして前方まで確認に行くこともできない。

手渡されたチラシで、列に並ばなくても、ネットで明日の便の予約をすることができることが分かった。あわてて画面を操作する。60過ぎの人間にはつらい作業だ。ため息がでそうになった。まわりを見回すと、より高齢のかたがた、子連れのご夫婦がみなぐったりした表情をしている。

何度かの試行錯誤のすえ、あすの9時10分発の便を予約することができた(それより早い便は、チケットの振替作業などをしていて間に合わないと思われた。)。チケットの振替は明日の作業だ(新たに航空券を買うとなると5万円以上要する。振替であれば、すでに支払済みの航空券を流用することができる。5万円はえらい違いなので、振替作業を行わざるを得ない。)。

明日の便が確保できただけでも奇跡と思えた。正月なので明日は満席で明後日以降しか帰れないかなと思っていたからだ。明日はまで正月3日なので、帰省帰りの人びとの事前予約が少なかったのだろう。

かくてチケット振替の列にムダに並んだすえ、脱出することができた。岡山から来ていた夫婦にチケットで明日の予約をしていた夫婦にネットでできますよと教えるが、疲れた顔で見返すばかりである。なにかできない理由があるのだろう。宿泊も浅草寺の某ホテルをおさえることができた旨教えるも、今夜は空港泊まりだなどとボヤいておられる。

ここに至ってようやくアナウンスが流れはじめる。手荷物回収のためカウンターは○番までなどと指示している。同カウンターへ向かう。

カウンター内は30歳前後の女性地上係員が数名で対応している。現在対応しているのは311便、○○便、○○便、○○便の4便のようだ。ぼくが乗る予定だったのは333便。いまのところ対応していない。

ふしぎと誰も声を荒げたりしていない。ときどき思うように行かなかった乗客が地上係員に食ってかかるカスタマーハラスメントの場面に出くわすことがある。きょうはそういうことがない。機体が炎上するという前代未聞の映像を見たせいだろうか。

きけば311便の人たちは機内で1時間ほども待たされ、欠航が決まったようだ。搭乗ゲートでくつろいでいたわれわれより優先されるのは当然であろう。

地上係員さんたちの奮闘には頭がさがった。たくさんの重いスーツケースをあっちへ運び、こっちへ運びしている。腰痛という労災が多発することが懸念された。普段は華やかな職場だが、きょうは地獄だ。

なかなか荷物ははけていかない。あたりまえだ。多くの人々はチケット振替の大行列に並んでいるのだから。前の便の荷物がはけていかないせいか、われわれの荷物もなかなか出てこない。

1時間ほど待って、ようやく荷物を回収することができた。京急電車の乗り口へ急いだ。途中、空港泊を決めたとおぼしき人々が列にも並ばず、階段に腰掛け、ただ時間が経過するのを待っていた。

かくて、もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう泉岳寺といふ宿にたどり着きにけり。

・・・ここでこの日はようやく終わったと言いたいが、もう一波乱。なんと、先に予約した9時10分の便の欠航となったのだ。ここでも援助者の手を借りてなんとか、10時10分の便を再予約することができた。これも奇跡と思えた。(帰福のための奮闘は翌日へつづく。)

2024年1月8日月曜日

初詣は室の八島(大神神社)


 


 みなさま明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

 ことしの初詣は栃木県のパワースポット大神神社(おおみわじんじゃ)。なんで大神神社に初詣をすることになったのか?

例によって、年末年始は雪山登山を計画していた。元日は長野県北部にある佐久平に宿泊し、2日は浅間山(あさまやま)に登る計画だった。

浅間山は標高2568メートルの日本百名山。活火山である。火山情報で安全を確認して登らなければならない。明日はなんとか登れそうだ。

佐久平は東横インホテルに宿泊。窓からは雪化粧した浅間山が美しく見えていた。よい山旅ができそうだと期待はふくらんだ。

ところが同日16時10分、能登半島地震が発生。ホテルは9階建てで、その4階に泊まっていた。ミシミシとホテルの躯体がしなる音が体感で1分ほども続いた。北信は震度5弱だったそう。震度5弱であの揺れ、震度7ともなれば強烈な揺れだったと思う。震源地近くの方々の被災と不安に思いを馳せた。

新幹線や在来線もとまってしまい、2日も影響が残ることが懸念された。帰りの飛行機の予約は2日19時15分発。そのため、浅間山登山は中止することにした。

 さて、1日空いた2日の予定をどうするか。交通機関の混乱をおそれて、長野をはなれ関東をめざしたほうがいい。あれこれ考えて、おくのほそ道の旅程のなかで未踏の室の八島を訪ねることにした。この室の八島こそ、栃木県のパワースポット、大神神社である。

室の八島は栃木県にある。江戸深川を出立した芭蕉が、草加(じっさいは春日部)宿の次、日光の前に記述しているのが室の八島。だいたいそのあたり。

ですがなかなかに行きにくい。佐久平から新幹線で高崎まで、そこから両毛線で栃木まで、新栃木で宇都宮線に乗り換えて野州大塚まで。最後は東武線。日光行きの全席指定の特急はたくさん通過するけれども普通電車は1時間に2本ほど。

 おくのほそ道によると室の八島はつぎのとおり。

 室の八島に詣す。同行曽良がいはく、「この神は木の花咲耶姫の神と申して、富士一体なり。室戸に入りて焼きたまふ、誓ひの御中に、火々出見の尊 生まれたまひしより、室の八島と申す。また煙をよみならはしはべるも、このいはれなり。はた、このしろといふ魚を禁ず」。縁起の旨、世に伝ふこともはべりし。(角川ソフィア文庫)

同行者曽良の紹介文でもある。曽良は有能な秘書であり、有能なツアーガイドでもあった。神社の縁起にも詳しかった。

コノハナサクヤヒメはアマテラスの孫であるニニギノミコトの妻。父の大山津見神は姉のイワナガヒメもいっしょに嫁がせようとしたが、ニニギは拒否。コノハナサクヤヒメは美をイワナガヒメは長命を約束していたが、ニニギが長命を拒否したため、その子孫は短命になったという。

富士山には富士浅間神社(センゲンジンジャ)が祀られているが、その神もコノハナサクヤヒメ。富士山と同一の神である。むかしは富士山も火山活動をしていたから、浅間神社の神がコノハナサクヤヒメであることは肯ける。そのいわれはこう。

ヒメは一夜にしてみごもった。ニニギはほんとうに俺の子かと疑った。疑いを晴らすため、神の子であれば火にも焼けじと誓って、ヒメは戸のない室に火を放ち、そのなかで出産した。ヒメもご気性が激しかったようで。無事、ホホデノミコトを産んだ。

火々出見の尊はホホデノミコト。文字どおり火のなかから出てきたから。神武天皇の祖父とされ、神話では山幸彦(ヤマサチ)として有名である。

芭蕉はそのゆえに室の八島と申すというが、これだけでは分からない。その昔にはこの地に八つの島があったからだという。いまは境内に池と小さな島がしつらえれている。

煙をよみならはしはべるというのは、たとえば、藤原実方のこの和歌。

 いかてかは思ひありとも知らすへき室の八島の煙ならては 

意中の人に恋の思いをどうやって知らせようか、室の八島の煙であればともかく。そうではないので。

このしろといふ魚を禁ずというのは、「この城」を焼くにつながるから。

これほどのパワースポットなれど、人々はみな日光へ向かったのか、境内はそれほど混雑もみられず。落ち着いて参拝をすることができた。このあと、航空機事故に遭遇することになるとは、この時点では思いもよらず・・・。

2022年1月31日月曜日

長谷寺へー玉鬘の旅

 

 玉鬘(たまかずら)姫一行は京に着いたものの、そこから先は行くあてがない。将来の展望をもてないので、お付きのもののなかには九州に帰ってしまうものもでるしまつ。

しかたがないので神仏に祈ることに。まずは石清水八幡宮。これが先に紹介した松浦の宮や筥崎の宮とご神体がおなじところ。

おくのほそ道のなかにも、こういうくだりがある。

 室の八島に詣す。同行者曽良がいはく、「この神は木の花咲耶姫の神と申して、富士一体なり。・・・」

室の八島と富士山の浅間神社の神はコノハナサクヤヒメでおなじだというのである。じぶんたちの感覚では八百万の神さまはみな一体化してしまっているように思えるが、昔のひとは識別していたのだろう。

石清水八幡宮のつぎは長谷寺に参詣することになった。京都駅から検索すると、石清水八幡宮まで18キロメートル、長谷寺まで73キロメートルある。時速4キロメートルで歩いたとして、それぞれ片道4時間半、あるいは18時間余かかる。18時間となると一日では無理で、2日に分けても一日9時間歩かなければならない。

さすがに姫は駕籠かなと思いきや、そうでもないらしい(やはり林望先生の訳)。

 この市に着いてからは、もはや歩くなどという様子ではなく、あれこれ手当てをしてはみるけれど、もう足じゅうが血豆になって一歩も動くことができぬ・・・。

当時のお姫さまは日ごろどのように暮らしていたのだろう。深窓の令嬢の言葉どおり、屋敷のなかからめったに出歩かないのであれば、この旅はそうとうきつかっただろう。

いまの人はもっと深刻かもしれない。車社会であるから一日40キロメートル弱、9時間を2日間歩ける人はかなり少ないだろう。そうなると、本当は高貴な生まれであるにもかかわらず、源氏の君と会えないまま人生を終えざるをえない。残念(笑)。


2021年6月6日日曜日

笠島ー朽ち人の不朽の名

 


蔵王山を下山すると白石、そこから奥州街道(いまの国道4号線)を北上すると、まずは武隈(岩沼)です。ところが、おくのほそ道の本文では、その先にある笠島の段になっています。

道に迷ったという説もあるようですが、曽良の随行日記でも道迷いはありません。やはり、文学的な必要性による前後入替えと思います。ここでも芭蕉にしたがって、まず笠島にまいりましょう。

 笠島の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、人に問へば、「これより遙か右に見ゆる山際の里を、簑輪・笠島といひ、道祖神の社・形見の薄、今にあり」と教ふ。

またまた登場、藤原実方です。小倉百人一首51番に、かくとだにの歌が採られていました。そして、中宮定子、同彰子の夫であった一条天皇に「歌枕を見てまいれ」と左遷を命じられ、奥州まで下ってきた彼です。

「歌枕を見てまいれ」という言葉が頭のなかで鳴り響いたために、芭蕉も歌枕を見る旅にでたのでしょう。芭蕉の実方びいきは、ここら辺が原因かもしれません。

まずは復習。実方の最初の登場は、室の八島でした。室の八島の煙にちなんで、次の歌を詠んでいました。

 いかでかは思ひありとも知らすべき 室の八島の煙ならでは

つぎは浅香山の段。端午の節句なのに、奥州には菖蒲がありませんでした。しょう(ぶ)がないので、代わりに花がつみを軒にさしました。芭蕉も、実方にならって花がつみを探し回りました。

そしてここ笠島が実方の旅の終着点です。ここには道祖神の社があります。旅の神です。おくのほそ道の冒頭、芭蕉も「道祖神の招き」にあっています。

神社にはどこでも「下馬」と書かれていますが、実方は社前を乗馬のまま通ろうとして神罰を受け、死んだとされています。

辞世の歌

 陸奥の阿古耶の松を尋ねわび 身は朽ち人になるぞ悲しき

約200年後、この実方の墓を西行が訪れています。西行は2度も奥州を訪れています。そして実方を偲んで次の歌を詠んでいます。

 朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて 枯野の薄かたみにぞ見る

かくて里人が芭蕉らに「道祖神の社・形見の薄、今にあり」と教えたわけです。

実方と西行の歌は、不易流行の考えそのものを示しています。芭蕉がいまにいたる不朽の考えにたどり着いた決め手だったかもしれませんね。

 西行の訪問からさらに500年後、芭蕉一行は笠島を歩いています。

ところが、芭蕉は天候・行路不良と体調不良を理由に実方の墓参りをしていません。いわく。

 このごろの五月雨に道いとあしく、身疲れはべれば、よそながら眺めやり過ぐるに、簑輪・笠島も五月雨のをりに触れたりと、

 笠島はいづこ五月のぬかり道

五月雨は旧暦五月の雨なので、いまでいえば6月の梅雨の雨のことです。ここでも芭蕉は体調不良を訴えています。飯塚温泉で発症した病をひきづっていたのかもしれません。

この病気を訴える飯塚温泉の段につづけたいためというのが、笠島と武隈(岩沼)をひっくり返した理由の一つでしょう。

でも、簑輪の簑、笠島の笠、どちらもレインウエアであり、五月雨の季節に関係すると、俳味を感じ句に結び付けるところはさすがです。

2012年12月6日木曜日

物語のつながりとかさなり





三浦さんの『神去なあなあ夜話』は
村の創世神話からはじまり

これまでそこに生きてきた人たちの息づかいが
めんめんとつながっている物語。

それら神話や物語によると
神去山の神はオオヤマツミ。

そのブ○でないほうの娘が
木の花咲くや姫。

木の花咲くや姫は
天孫ニニギの妻。

村の人々はそれら神々を
いまもなお畏れ敬っているのだ。


木の花さくや姫ときいて
おや,とおもう?

さいきん出てきた。
どこだったっけ?

そう,芭蕉が『おくのほそ道』で
室の八島明神を訪ねた段。


 同行の曽良いはく,室の八島の神は
 木の花咲くや姫の神と申して,富士一体なり。

 無戸の室に入って焼きたまふ,誓いのなかに
 火々出見(ホオリ)の尊生まれたまひし。

 これにより
 室の八島と申す。


木の花咲くや姫は
富士山の神さま(浅間神)とされる。

室の八島明神の神さまは
やはりこの姫だというのだ。


芭蕉らが江戸を出るとき
富士の峰がかすかに見えていた。

室の八島(栃木県)で
曽良の解説を聞いた芭蕉の脳裏には

富士のイメージのつながり
があったろう。


コノハナサクヤ姫はニニギと結ばれて
たった一夜で懐妊してしまった。

ために,ニニギに疑いをかけられ
これをはらす必要に迫られた。

そこで出口のない(無戸の)部屋に入り
火をかけた。

言っていることが嘘なら焼け死ぬし
ほんとうであればそうならない。

むかしは近代的な裁判制度がないので
こんな形で真否を占ったわけです。

結果,姫はみごとに生還
証言の真実性が証明されたのだった。

すなわち
懐妊した子はニニギの子。

火のなかから生まれたのは3子で
うち2人は有名な海幸・山幸だ。

この神話上のエピソードから
室の八島(竈のこと)と呼ばれているわけ。


と,曽良が芭蕉に解説した。
さらに

 また煙をよみならはしはべるも
 このいはれなり。

と,うんちくを語る。
これは藤原実方の歌を指す。

  いかでかは 思ひありとも 知らすべき
              室の八島の 煙ならでは

コノハナサクヤ姫が室に火をかけた
エピソードを踏まえている。


また,このしろという魚を禁ず
というしきたりもあるという。

このしろを焼くと人体を焼くような悪臭がすることから
姫のエピソードを踏まえ,食を禁じられているのだとか。

江戸時代のことゆえ
「この城を喰う」というダジャレと関連も指摘されている。


芭蕉は江戸出立時の富士のイメージを再起しつつ
神話からこんにちまでの物語のつらなりを記す。

そのうえで
縁起の旨,世に伝ふこともはべりし,と結ぶ。


神去山の神さまはオオヤマツミで
姫の父だから,さらにえらい話だ。

三浦さんも,オオヤマツミから現代にいたる
神去村の物語のつらなりを語っている。

そうとすれば,ふたつの作品は
共通の構造をもっているわけだ(強引か?)。


三浦さんの父は三重県出身で
立正大学教授の三浦祐之氏。

『口語訳 古事記』(2002年)
がベストセラーになっている。

神去村の物語に父娘の物語の層も
隠れているのでせう。

2012年11月27日火曜日

塚も動け



本屋さんでの待ちあわせに遅れそうだ。
が,『おくのほそ道』についてもうすこし。


江戸を出た芭蕉らは,埼玉を経て
栃木県の室の八島に参詣する。

曽良が旅前のリサーチの結果だろうか
室の八島に関する由来や縁起を披露する。

1 この神は木の花咲耶姫の神と申して
 富士一体なり。

2 (姫は)無戸室に入りて焼きたまふ,誓ひの御中に
  火々出見の尊産まれたまひしより,室の八島と申す。

3 煙をよみならはしはべるも
 このいはれなり。

4 このしろといふ魚を禁ず。
 縁起の旨,世に伝ふこともはべりし。

(それぞれ面白いエピソードだが
きょうは割愛する。

例の角川文庫
ビギナーズ・クラッシクスを参照されたい。)

古事記,藤原実方(『実方集』),地元の伝承などからなり
曽良の博識,リサーチの徹底ぶりがうかがえる。


 
そのつもりで
読むと曽良の句も結構ある。

日光男体山にて
   剃り捨てて黒髪山に衣替

那須野にて
   かさねとは八重撫子の名なるべし

白河の関にて
   卯の花をかざしに関の晴れ着かな

などなど。弟子というより
文字どおり同行者の扱いというべきだろう。


さてKさんは自分を曽良になぞらえたわけだが
こういう読みはむしろ一般的なのかもしれない。

考えてみれば,芭蕉のような天才は
むしろごくごく少数派である。

それを陰でささえる
縁の下の力持ちこそが多数派である。

曽良に自己を投影して
涙する人も少なくないであろう。


そういえば,2014年の大河ドラマは
岡田准一主演による黒田官兵衛らしい。

官兵衛は,豊臣秀吉の天下取りを
縁の下でささえた右腕,参謀である。

秀吉ではなく,官兵衛に
感情移入できる人が多数いることが前提だろう。


そういえば,2009年の大河ドラマ『天地人』
直江兼嗣もそうだった。

衰運いちじるしい上杉家をけなげにささえる
妻夫木くんにみな涙したんだった。


何ごとかを為し遂げる人は発想が常人とちがうので
仕えにくい人もおおい。

信長がその典型だろう。
光秀ならずとも共通認識だったようだ。

その点,部下に対する配慮をかかさぬ
すぐれた上司もすくなくない。

芭蕉は後者だったようだ。
見習いたい。


早世した愛弟子を追悼して
 
 
   塚も動けわが泣く声は秋の風